誰も知らない桜幻










甘くて美味しいお菓子とか

面白くて楽しいオモチャとか



あったらきっと嬉しいし

貰ったら絶対嬉しいけど






何より一番欲しいのは、目に見えるものじゃなくて


























誕生日はいつですか、と聞かれて、悟空はきょとりと瞬きした。
聞き覚えのない単語だったからだ。


意味が判らないと体現する瞳に見詰め返されて、今度は八戒が一つ瞬きする。
言葉よりも何よりも雄弁に心情を語るその瞳は、決して嘘を吐く事はない。
だから悟空のこの反応が冗談でもなんでもない事が判る。

本来ならば禁煙である事を構わず、寺院内で煙草を吸っている同居人に目を向けてみれば、此方も同じ反応。
見えていた遣り取りに少々驚いたと言う表情を隠しもしない。


そんな来訪客達に反して、この部屋の主である不機嫌な最高僧は常と変わらず仕事を続行。
つまり、彼にとっては悟空の反応は何も可笑しなことではないと言う事だ。



そのまま、室内は数秒間の沈黙が訪れた。

悟空はきょとんと首を傾げ、自分は何か可笑しいことを言っただろうかと思案し。
来訪客の二人は、いやまさかとは思ってたけどそのまさかとは、と顔を見合わせて溜息。
部屋の主はやはり筆を持つ手を動かして、此方の事など我関せずに書類を片付けている。


三蔵の執務机に乗せられている書類の量は、かなりのものがある。
薄っぺらい紙でも積もり積もれば大した高さになるのだ。
お陰で三蔵の不機嫌指数はかなりの高値を弾き出している。

これを今日一日で片付けなければならないとあっては、邪魔など当然厳禁である。
だから悟空もこの部屋で大人しく過ごしているし、悟浄も悟空を揶揄って騒ごうとはしない。
────それでも喧嘩が勃発する事は少なくないのだが、今はそれは置いておくとしよう。

そういう訳で、今までは邪魔になるまいと話しかけることさえも遠慮していたのだが。


「三蔵、悟空の誕生日っていつなんですか?」


当人が判らないとなれば、その矛先が保護者に向くのは当然のことだ。
その保護者がかなりの不機嫌であると言うのに問い掛けるのは、三蔵を恐れない八戒だから出来る諸行である。


相手にしないのではないかと悟浄は思っていたのだが、意外にも三蔵は筆を置いた。
詰まれた塔は別にして一段落ついたのか、それともニコチン切れが理由だろうか。

煙草を取り出そうとする三蔵に、八戒とは別の意味で怖いもの知らずの子供は、無邪気に駆け寄って問い掛ける。


「三蔵、たんじょーびって何?」
「……やっぱ知らなかったんだな、お前」


悟空の問いに呟いたのは、悟浄だ。

嘘も演技も知らない悟空の先の反応で予想はついていたが、思った通りで返って呆れる。
まぁ、保護者の気質を考えると、わざわざ教えられる事でもなかったようにも思うが。


面倒臭いのか、養い子の問い掛けに答える様子のない三蔵に代わり、悟浄が教えてやる。


「誕生日ってのは、生まれた日の事だ。其処から一年数えて、一個歳取るんだよ」
「ふーん」


初めて聞いたと言う風を隠そうともしない悟空。

行事事体を知らないのなら、日付も知らないに違いない。
それを察してか、八戒から少々残念そうな溜息が漏れていた。


悟空を喜ばせることに労力を惜しまないこの男は、きっと悟空の誕生日に盛大なパーティでもやろうと思っていたのだろう。
手作りの特製誕生日ケーキは勿論、大きなフライドチキンや肉料理を並べ、色鮮やかなジュースやデザートを作るつもりで、彼の頭の中は悟空が喜ぶようなレシピが目白押しだったに違いない。

悟空の為に作られる甘いお菓子に悟浄は興味はないけれど、美味い料理が食べられるのは厭わない。
それも溺愛する“悟空の為”だから、普段以上に気合の入ったものが振る舞われるだろう。
────それを差し引いても、大抵の子供なら喜びそうな出来事を知らないと言われると、少し淋しい気がした。


大人達のそんな心情など知らない悟空は、三蔵の法衣をぐいぐいと引っ張っている。


「な、オレのたんじょーびっていつ?」


ようやく煙草を取り出した三蔵は、子供を振り払いはしないものの、面倒臭いと言う表情を隠さない。


「なーってば、三蔵」
「煩ェ、引っ張んな」
「な、いつがたんじょーび?」


ぐいぐいと法衣を引っ張る小さな手。


教えてくれたら、引っ張るのを止める。
だから、教えてくれるまで止めない。

子供の可愛い我侭に、三蔵は判り易く眉間に皺を寄せて悟空を睨む。
しかし悟空にとっては見慣れた顔で、今は特別怒られるような事もないと言う自信からか。
引っ張るのを止める事もなければ、目線も逸らさずなぁなぁと繰り返し問うている。


そんな親子の遣り取りを眺めつつ、ふと悟浄は思い出す。


「悟空の“生まれた日”ってのは、幾ら三蔵でも知らないんじゃねえか?」


悟空が自分の誕生日を知らないと言うのは判る。
この子供は500年と言う永い永い時間を岩牢で過ごし、それ以前の記憶は名前以外に残っていなかった。

誕生日を定義するのが“生まれた日”なら、悟空のそれはもう誰にも判らない。
悟空がこの世に生を受けたのは、今から500年も昔の話になる。
500年の歳月を何の影響も受けずに行き続ける存在など、神か若しくは余程の大妖怪ぐらいのものだろう。


それを聞いた途端、悟空の顔がくしゃりと歪む。


「えー!? オレないの? オレのたんじょーびってないの?」
「そんな事はないですよ。判らないだけで……」
「それってやっぱりないんじゃん!」


“判らない”は“知らない”と同義。
あると言われても“判らない”なら、“ない”と同義。

極端と言えば極端だが、強ち否定も出来ない連想に、八戒は眉尻を下げる。


先程までの嬉しそうな顔は何処へやら、一転して泣きそうな金色が其処にはあった。


「三蔵、オレってたんじょーびないの?」
「………さぁな」


濁すような曖昧な返答が、悟空にとっては決定打だった。


「八戒はあるの?」
「ええ、まあ……」
「悟浄も?」
「一応な」
「じゃあ三蔵もあるの?」
「……なくはない」


がぁん、と言う効果音が聞こえてきそうな程、悟空のショックは誰の目にも明らかだった。
皆持っているものが自分にはない、と言うのは、まだ幼い子供にはとても衝撃的な出来事なのだ。

金色の目尻にじわりと雫が浮かんで、八戒が慌てて宥めにかかる。
しかし、声を上げて泣き出す事こそないものの、悟空はすっかり落ち込んでしまった。
真一文字に紡がれた口は、拗ねているのだと雄弁に教えてくれる。


誕生日など、三蔵達にとってはただ年齢を重ねるだけのものだ。
少々表現の凝った言い方をするなら、年寄りに近付いただの、死期に近付いただの、そんな程度の。
ついでに今更大盛り上がりをしてパーティをする程の事でもない。

しかし子供にとっては、特別に自分の為にケーキが用意されるとか、プレゼントを渡されるとか。
指折り数えて楽しみにするような行事である筈だ。


─────それが、悟空にはないと言う。


“誕生日”が何をするものなのか(簡潔に悟浄が説明したけれど)、悟空はまだ知らない。
ついさっきまで、そんな日がある事すら知らなかったのだから当然だ。

誕生日が如何に特別な日なのか、その日にどんな事をするのか知ったら、益々落ち込むだろう。
いや、それよりも先ず、誕生日がない事に落ち込んでいるのをどうにかしなければ。


「……いいんじゃねーの、生まれた日が誕生日じゃなくてもよ」


がしがしと頭を掻きながら呟いた悟浄に、悟空は顔を上げる。


「だって生まれた日がたんじょーびって」
「まぁそうなんだけど。何もそれに拘る必要ないだろ」
「じゃ、オレのたんじょーびっていつなの?」
「そりゃあ、お前」


悟浄の視線が三蔵へと向けられて、倣うように悟空と八戒の視線も向けられる。
三対の色違いの双眸が一挙に自分へと注がれて、三蔵は判り易く眉間に皺を寄せた。



「お前にとって特別な日でいいんだよ。どっかの生臭坊主に拾われた日とかな」



─────それは確かに、悟空にとって特別で、何よりも大切な日。

永い永い時間の檻に閉じ込められて止まっていた鼓動が、再び音を鳴らし始めた瞬間。
今に繋がる刻の流れが“生まれた”瞬間。


それから腹が減って、髪が伸びて、背が伸びて、歯が生え変わって。
知らなかった事を知って吸収して、小さな小窓で完結していた世界は一気に広がり、その心は芽吹いた。
この世に生を受けた赤子が、成長しながら感じる物事を、悟空は確かに感じていたのだ。

太陽に拾われたその瞬間を切っ掛けに。



生きながらにして、人は生まれ変わる瞬間がある。
停滞していた何かが再び動き出した時、それは二度目の“誕生”となるのだ。

ならば、それも“誕生日”と呼んで良いだろう。



悟空がこの世に生れ落ちた日の事は、誰も知らない。
歴史や文献を紐解けば何某かの片鱗は見付かるかも知れないが、正確な日付までは判らないだろう。
それでは、三蔵達と同じような“誕生日”とは言えず、悟空は納得しそうにない。

けれども、悟浄の言う日を誕生日にするならば、判る人物が此処にはいる。
あの頃の悟空が覚えていなくても。


「──────三蔵っ!」


今度こそ。
期待の瞳を爛々と輝かせ、悟空は三蔵に飛びついた。


「な、オレのたんじょーびいつ? 三蔵に逢ったのって何月何日?」


不機嫌な顔で煙草を吹かす三蔵に、やはり悟空は物怖じしない。
ねぇねぇ、と先刻と同じ調子で、三蔵の法衣の裾を引っ張って答えを急かす。


「煩ぇな、一々ンな事まで覚えてねえよ」
「えーっ!? そんなのねーよ、思い出してよ!」
「お前が思い出せ。自分の事だろうが」
「三蔵の方がちゃんと覚えてるだろ、絶対!」


悟空もあの日のことを忘れる事はないけれど、日付なんて判らない。
あの瞬間が訪れた日が何月何日だった等、悟空にはその前後の日数さえも判らなかったのだ。
寺院に戻ってからは暫く納屋に閉じ篭り切りだったし、その期間も少々曖昧ではあるが短くはなかった。

そんな悟空に日付まで明確に思い出せと言われても無理な話なのだ。
だから三蔵に聞いているのに。


問い詰められた三蔵の方は何処までも面倒臭そうで。


「春だろ。桜にえらくはしゃいでたじゃねえか、お前」
「うん、それは覚えてる。桜とか菜の花とかあった」
「ならその辺りだろ」
「そうなんだけど。もっとちゃんとしたのが良い」


唇を尖らせて食い下がる悟空に、三蔵は煙草の煙を吐き付けた。
うっかり吸い込んでしまって喉やら目やら鼻やら痛くなった悟空は、顔を顰めて三蔵から離れる。



「なんだよ、もう! 三蔵のバーカ!! ハゲ!!」
「誰がハゲだ、バカ猿!!」



子供らしい文句を投げつけて、悟空は八戒の陰に隠れる。

反射的に怒鳴った三蔵だったが、追っても疲れるだけと判っているからだろう、執務机からは動かない。
それよりもこっちが先だと、短くなった煙草を灰皿に押し付けて再び筆を手に取った。


八戒の影に隠れた悟空は、むっつりと頬を膨らましていた。
そんな子供の頭を撫でて、八戒は保父さんと言う口調で優しく問いかける。


「日付の事はまた今度にするとして。悟空は、誕生日にはどんな物が欲しいですか?」
「……ふぇ?」


問いかけの真意と意味、理由が判らず、悟空はきょとんと首を傾げる。


「誕生日は何も歳を取るだけの日じゃないんですよ。皆にお祝いして貰える日なんです」
「お祝い?」
「生まれて来てくれてありがとう、って感じですね」
「プレゼントとかケーキとか用意すんだよ。で、誕生日の奴に渡すんだ」


プレゼント。
ケーキ。

特に後者は、悟空にとっては食いつかずにはいられない。


「ホント? 欲しいモン貰っていいの? ケーキも一杯食える?」
「渡す奴の懐具合にもよるけどな……」
「僕の作ったケーキで良ければ、幾らでも」


八戒の作ったケーキが不味いなどと、考えられる訳もなく。
其処らの店よりも余程の腕を持つ八戒の作ったケーキなら、悟空もきっと飽きが来る事もなく。
誕生日で好きなだけ好きなものが貰えるなら、夢のワンホール丸ごと一人占めの可能。

益々持って瞳を輝かせる悟空に、これはなんとかして悟空の誕生日を明らかにしなければ、と八戒は思う。
はっきりと確かな日でなくても良いから、せめていつ頃なのか位は判るようにしたい。


さて、ケーキはケーキで、やはり誕生日には欠かせないもので。
もう一つのプレゼントについては何かないのかと、悟浄が聞いてみるものの、


「欲しいモン……んー……」
「なんかあるだろ。オモチャとかな」
「子供扱いすんなよ!」


腕を組んで考えあぐねる悟空だったが、一向に欲しい物は思いつかない。
なんとか出てくるものと言ったら食べ物ばかりで、悟空らしい事は確かなのだが、少々趣向が違うだろう。
悟浄は揶揄で言ったが、多分オモチャのような物が良いのだろうとは思うのだが────全く判らない。

食欲が半端ない分だけ、悟空にはこれと言った物欲がない。
女の子ではないのだから服への拘りもないし、寺院の外に行っても目に付くのは食べ物ばかり。
子供たちの間で流行るオモチャの事もろくろく知らず、皆が持っているから自分も欲しい、と思う事は殆どない。


それよりも、悟空にとってはもっと欲しいものがある。


「─────……」


ちらりと、金瞳が見たのは、金糸。
既にスイッチを切り替えて、此方の話など聞こえてもいない様子の保護者。


遊んで欲しいとか、そういう事は考えていない。
ただもう少しだけで良いから、一緒にいられる時間が増えたらいいなと思う。

彼と一日ずっと一緒に過ごせたのは、もうどれ位前の話になるだろう。
仕事なのだから仕方がないとは思うけれど、朝目が覚めた時に隣に誰もいないのは寂しい。
寝る時だってそうだし、挨拶さえもしない日だって多いのだ。

悟空は今日は執務室で過ごしていたけれど、それは八戒と悟浄が来る事と、外の雲行きが怪しい所為。
それに同じ空間にいるだけで、煙草休憩の間ぐらいしか話は出来なくて、正直物足りなかった。


それから、悟浄と八戒。
二人とももっと一緒に遊べたら良いのに、といつも思う。



悟空が欲しいのは、大好きな人達と一緒にすごす時間だ。
こればっかりは自分の我侭で、言う訳にもいかないのだろうなと思う。


「今ンとこ思い付かないや」
「そうですか。じゃあ、思い付いたら教えてくださいね」
「一個にしろよ、一個に。こちとら余裕ねぇんだから」
「って、悟浄もなんかくれるの?」
「そりゃ一応、誕生日だからな」


ぐしゃぐしゃと大きな手が大地色の頭を撫ぜる。
乱暴ながらに優しいの手つきに、悟空はくすぐられた猫のように目を細めて笑う。






──────それが、冬の終わりの日の出来事。