Repaying the kindness




学年末を無事に終えると、世間の学生達は春休みになる。
約二週間程度の長くも短い休息は、未だ大人になり切らない、遊び盛りの若者達にとっては天国のようなものだ。
中には部活や早い内から次の勉強に向けて姿勢を構える者もいるが、多くは奔放に羽根を伸ばしているだろう。

しかし、同じ学校と言う空間に集まる者であるとは言え、教師は違う。
春休み中でも学校に行かなければならないし、次の一年への準備に追われ、全く休む暇はない。


─────とは言え、やはり休息と言うものは必要不可欠だ。



4月5日、焔は悟空と一緒に遊園地に行く約束をしていた。
この日が悟空の誕生日であり、そのプレゼントがこの約束なのである。

ついでに一人(焔曰く)余分な人間がついて来るが、これは仕方がないと諦めた。
考え方を変えれば、悟空が楽しむ為のプラスアルファ要素であるとも言える。
焔は悟空のようにテンションを上げることそのものがないから、同じ調子ではしゃげる相手がいる方が悟空も楽しいだろうと。
そういう意味で言えば、この余分な人間と言うものも、大目に見ればいいと思えるようになった。


焔の第一の目的、果たすべき事は、悟空に喜んで貰う事だ。
その為ならば何を以ってしても構わない。



……そう、思っていたのだが。




「………何故増えている」




あと十分で入園開始の時間になると言う頃。
焔が悟空を車に乗せて遊園地に到着すると、其処で待っていたのは、悟浄一人ではなかった。


胡乱な目で睨まれた悟浄は、言い難そうに視線を彷徨わせている。
どうやら、彼にとってもこの事態は招かざる出来事だったようだ。

決して本意ではないと言外に態度で示す悟浄から視線を逸らし、彼の横に並ぶ人物へと視線をスライドする。
其処には眼鏡をかけた青年が立っており、やはりこれも悟浄同様、焔が受け持つクラスの生徒だった。
名を、猪八戒と言う。


「いいじゃないですか。僕も前から来たかったんですよ、この遊園地」


此処で逢ったのは偶然だと言う彼。
しかし、その瞳の奥には、明らかに別の意図がある。

そもそも、遊園地で“偶然に”出会うような人物ではないのは焔がよく知っている。
遊園地など、行ったとしてもアトラクションには一つも乗りそうにない人間だ。
遊んでいる子供達の傍らで、保護者感覚で監督を務めているというのならともかく。


いや、この青年はまだ良い。
腹の底が見えないのは確かだが、空気の読める男である。



それよりも焔が気に入らないのは、八戒から人一人分の隙間を空けて立っている、金糸の青年だ。


「理由なんぞはどうでもいいだろうが。大体、手前に教えてやる義理はない」


あけすけに嫌悪感剥き出しにして言い切ったのは、玄奘三蔵。
此方は悟空達よりも一学年上の先輩になる。

焔は、この三蔵と言う人物がどうにも気に入らない。
悟空が入学してくる前は彼が焔の教え子だったが、その頃からどうにもウマが合わないのである。


悟空が入学してくるまでは、単純に気が合わないだけ、反りが合わないだけだったから、深くは考えなかった。
互いに喋るのが好きと言う訳でも、コミュニケーションというものに特別性を感じていた訳でもなかった。
必要最低限の会話さえ成り立てば良かった。

そういう人間は、年齢性別に問わず、何処にでも一人はいるものである。

しかし悟空が入学してくると、これが一転した。
何が切欠なのか焔は知らないが、悟空と三蔵が知り合うと、悟空の方が先ず三蔵に懐いた。
人嫌いで有名な三蔵を追い掛け回す悟空に、最初は冷や冷やとした焔だったが、次第にそれは方向性を変えた。
意外にも三蔵が悟空を拒絶している訳ではないと気付いた瞬間、焔の三蔵への感情は完全な“嫌悪”として認識されたのである。



焔に対してけんもほろろな態度を取った三蔵だが、その傍らでは悟空がまとわりついている。
まさかと言う人物と、まさかという場所で逢えたのが、余程嬉しいらしい。

……それを見ていると、気に入らない人物であるとは言え、無碍に扱うのは憚られる。


「な、三蔵、ジェットコースター一緒に乗ろ!」
「冗談じゃねえ。手前一人で行って来い」
「やだ、一緒に行こ。なんでもいいよ、どれか一緒に乗ろ!」
「まあまあ、悟空。僕が一緒に乗ってあげますから。あ、フリーフォールとかどうです? 面白そうですよね、垂直落下」
「うえ……あれ怖いから嫌だ」
「ジェットコースターは平気で、フリーフォールは駄目ってか。滅茶苦茶だな、お前」
「悟浄に言われたくない」
「んだと、チビ猿!」
「猿言うな!」


悟浄と取っ組み合いを始めた悟空は、口ゲンカすら楽しんでいるとよく判る。


悟空と二人きりで此処に来ていたら、こんな雰囲気にはならなかっただろう。
自分自身が羽目を外すという事そのものが考えられない性質なので、悟空のテンションと焔の表情とではどうにも温度差が生まれる事がある。
その都度悟空は、焔は楽しんでいないのではないか、と不安になってしまう一幕が付き物であった。

二人きりだと、お互いしか気にする相手がいない。
そうなると、気にしなくて良い事をついつい気にしてしまうものだ、何度も相手の顔だけを見る事になるから。


だが、この人数ならば大丈夫だろう。
改めて思い直して、焔は短い溜息を吐く。


「悟空、行くとしよう。丁度開門だ」
「うん!」
「言っておくが、悟空以外は自分でチケットを買えよ」
「へーへー」


冷たいと言えば冷たい、焔の一言。
返事をしたのは悟浄だけだが、他二名に不満がある訳でもあるまい。
単に打てば響くか響かないかだけの違いだ。



入り口横のチケットセンターで、二人分のフリーパス券を買う。
焔は気になるアトラクションなどないのだが、悟空が一緒に乗りたいと言うのは想像に難くない。

買ったチケットを渡すと、悟空は待ち切れなかったのだろう、直ぐに入り口へと駆けて行った。


追って焔もチケットを切って貰い、悟空の後をついて行く形で敷地に入る。


今日と言う日の為に、焔は改めてこの遊園地について調べてみた。



よく「子供も大人も遊べる」と言う謳い文句を聞くが、この遊園地は先ず子供をターゲットにしている。
その為に大人をないがしろにしていると言う事はなく、大人は子供の視点になって楽しんで欲しいとの事。
大人も嘗て体験したであろう幼少期を思い出す切欠になれる遊園地作りを目指しているのだそうだ。


一番の売りだと言うジェットコースターは、コース自体も長く、上へ下へと何度も弧を描いている。
しかし、このジェットコースターの最大の特徴は、その上から見える遊園地の景色であった。

この遊園地は、パンフレットを見ると判り易いのだが、全体を見渡すとウサギの絵になる。
目鼻口など、部分部分はアトラクションとなっており、これは高台から見渡さなければ判らない。
その為、ジェットコースターは遊園地の外周を回り、フリーフォールや観覧車等の大きなアトラクションは遊園地の外周部に四方それぞれ振り分けられていた。


敷地内の至る所では、遊園地のマスコットキャラクターが子供達と戯れている。
キャラクターの方から子供にコミュニケーションを取ってくれたりする事もあった。

キャラクターは風船を配る者もいれば、音楽に合わせて踊る者、お奨めアトラクションを案内してくれる者と役割分担されている。
ちょっと意地悪をして別のキャラクターに別担当をして貰おうとすると、キャラクターは困り出してしまう。
その動きがコミカルで可愛いとかで、ついつい意地悪をする大人もいるようだ。
勿論、あまりに度が過ぎると係員から注意されるので、節度は必要である。


夜になるとパレードが行われる。
これは観客参加型となっており、定時の時間になると放送が行われ、参加者を募る。

主役は子供だ。
キャラクター達の踊りに合わせて、手拍子をしたり、簡単に踊ったりしながら、行進をする。
キラキラとした光のアーチをくぐるのは、子供達にとって夢の世界に迷い込んだような光景だ。



焔は、幼い頃から達観した性格をしていたから、幾ら遡っても遊園地ではしゃいだと言う記憶はない。
その代わり、傍らにはいつも悟空がいて、元気にはしゃぎ廻っていたものであった。

今回も恐らくそれと同じで、はしゃぐ悟空を見守る事になるだろう。



貰ったパンフレットをじっと見詰めて、何処から回ろうか思案している悟空。
一番目玉のジェットコースターは勿論だは、他にも気になるものが幾つもあるようだ。

時間はまだ開園したばかり、たっぷりとある。
ゆっくり考えて乗ればいい、と焔は思った────が。


「ま、取り合えずは先ずジェットコースターだな」
「そうですね。行きましょうか、悟空」


言うなり悟空の背中を押したのは、悟浄と八戒だ。

気になっているのは確かだから、二人の言葉に悟空は素直に頷く。


「じゃ、一番前! 一番前がいい!」
「そんで怖いーっつって後で泣くんだろ」
「しねーよ、そんな事。ガキじゃねえもん」
「ガキが何言ってんだ、チビガキ」
「チビじゃない、ガキでもなーい!」


判り易い悟浄の揶揄に、悟空が抗議する。
そのまま、ぐるぐると追いかけっこが始まった。


全くゆっくり出来るような雰囲気ではない。
悟空が楽しそうだから良しとするが。

追いかけっこをしながらジェットコースターの並び場へと向かう悟空と悟浄、それについて行く八戒。
それから少し距離を置いて焔、更にその後ろに三蔵が歩を進めていた。


「焔ー! 三蔵ー! 一緒にジェットコースター乗ろうよ!」


悟浄を捕まえて満足したのか、悟空がいつもの無邪気な笑みで此方を振り返って手を振る。
しかし、焔はひらひらと手を振って返すだけに止めた。

絶叫系マシンが怖い訳でも、つまらないと思っている訳でもない。
出来れば一緒に遊ぶのが良いのだろうとは思うが、どうにもそれは憚られた。
これは元来の彼の性格に基づく行動なので、誰が悪いと言う事はない。


悟空は少し不満そうに唇を尖らせたが、それでも、焔のこの反応は予想できていたらしい。
拗ねた表情は然程尾を引く事なく、戻ってきたジェットコースターを見て待ち遠しそうにコースター停止を待っている。



搭乗口へと消えていった姿が、程なく、モーター音と共に再び見えるようになる。
スタートを切ったジェットコースターの一番前に、悟空を真ん中にして、三人が並んでいた。


(楽しそうだな)


それさえ確認できれば、焔には十分だ。


急坂を上り追え、下降し加速したジェットコースターを見送る。
高い悲鳴や歓声が遠くなって来た頃、焔はくるりとコースに背を向けた。

此処のジェットコースターは、一周が長い。
何せ遊園地敷地内のほぼ全周を回るのだから当然だ。
棒立ちで待つのは少々疲れる。


一番近い位置にあったベンチに向かおうとして、一瞬、足が止まった。
既に其処に三蔵が座っていたからだ。


一瞬他の場所を探そうとして、それも面倒になった。
何より、このベンチに座っていれば、ジェットコースターを降りて来た悟空も直ぐに見付けられるだろう。
こんな広い場所で必要以上に歩き回るのは、二度手間と疲労にしかならない。

幸いにもベンチは大きなものであった。
右端に座った三蔵に対し、焔は左端に座る。



二人の間に会話はない、それが基本だ。
互いに喋れば、互いに不快感を煽ることにしかならないと判っているので、出来れば必要最低限以上に話をしたくないのである。

それを破る時は、大概、連結している筈の空気に明らかな亀裂が入る瞬間であった。


「毎年毎年、ご苦労な事だな」


明らかに挑発と取れる、刺々しい声で三蔵は言った。
その手がジャケットの懐に伸び、煙草が顔を出す。
焔は、視界の端にそれを捉えていた。


「教師の前だ。自重しろ」
「前でなけりゃあいいのか」
「そうだな。俺の監督区域でないなら、好きにしていろ」


普通は止めた上で理論を持って叱り、物資は取り上げるものだろう。
しかし焔はそれをしようとは思わない。
この生徒が“言うだけ無駄”の体質である事は判り切っているし、そうでなくとも、自分の言う事などまるで聞きはしないと確信があった。


僅かな沈黙の後、三蔵は煙草を懐に仕舞う。
その前に一度、判り易い舌打ちをしてから。

ニコチン切れの苛立ちを表すかのように、わざと音を立てて三蔵は背凭れに体重を預けた。


「ったく、あのガキ。何が楽しくてこんな喧しい場所ではしゃげるんだ」


その言葉は、此処にはいない悟空に向けたものだ。


「…そう思うのなら、お前はさっさと帰るんだな。今日一日は此処で過ごす約束だ。耐えられないなら、いても邪魔になるだけだ」
「手前にンな事指図される覚えはない」
「なら黙っていろ」


それで、再び沈黙が落ちると思っていた。
不快になるだけの会話なら、これ以上は何も意味がないのだから。

しかし、予想に反して三蔵の言葉は続く。


「誕生日らしいな。河童が言ってたが」
「ああ、そうだ。それがどうかしたか」
「別に。まあ強いて言うなら─────」


三蔵がベンチから腰を上げた。
何処に行くかは知らないが、取り合えずは、焔の監督責任に当たらない場所だろう。

ちらりとそれに目を向けてみれば、腹の立つ事に、此方を見下ろす紫闇とぶつかる。





「あいつに関わる事全て、お前の特権じゃねえって事だ」





やはり、いけ好かない。
挑発的な色を持つ紫に、焔は眉根を寄せた。