Important duty







気合が入るのは良い事だ



楽しそうなのも良い事だ




けれどそれに浮かれるあまりに、何か見失ってはいませんか?
































朝一番にかけられた収集に、天界の西方軍第一小隊は慌しく命令に従った。
号令がかかった場所は宿舎の傍にある訓練場なのだが、だからと言って暢気にしてはいられない。
何せ急な号令であったから、若しかしたら何某かの緊急事態かも知れないのだ。

しかも、訓練場に向かう傍らでちらりと聞いた話では、既に訓練場に元帥と大将が待っていると言う。

そりゃ号令をかけたのは彼らのだから其処にいるのが当たり前────とは行かないのが、この第一小隊であった。
だと言うのに彼らが既に待っているという事は、やはり、大急ぎで応じねばならない事が起きたのだと察するに値する。


時刻は夜が明けたばかりの頃で、空にはまだ薄闇が這っている。
咲き誇り、舞い踊る花弁を、東空から差し込む陽光が包み込もうとしているが、光はまだまだ弱い。
宿舎の門傍にある照明用の火がなければ、数メートル先を見通すのも難しかった。

そんな中を、身だしなみもそこそこに、隊員達は飛び出していく。
寝癖の跳ねた者、隊服の襟元が曲がったままの者、走りながら袖を通そうとして裏表を間違えてしまう者と様々だが、時間は待ってはくれない。
同僚の惨状に気を遣う暇も、手を貸してやる余裕もなく、彼らは訓練場へと足を逸らせた。



緊急に入る収集命令に対し、この西方軍第一小隊は、天界軍内でも随一の反応の早さを誇る。
人数で言えば軍内最少であるのだが、収集終了までの速度は、それだけが原因ではない。

この第一小隊は、基本的に“命令がなければ独自判断”が原則とされている。
誰がそう明記した訳でも、上司が決めた訳でもなかったが、暗黙の了解のようにそう言った意識があった。
それでいて命令があれば即座にそれに対応した行動を取るべきであり、その際の“即座の対応の仕方”はまたしても“独自判断”が根底にあった。


此処にいる小隊の隊員達は、皆生きている。
手足は自分の意思で動かすものであり、頭は自分で巡らせて物事を考えさせるもの。
単なる戦の為の道具ではない。

それ故に自由であり、不自由であり、突飛であり、迅速であられるのだ。


彼らにとっては、いつもの日常が常に“不測の事態”であった。
逐一の事を上司に報告する事はなく、報告に必要・不必要な情報は各自で判断。
且つしてその責任は上司が持つものであったが、部下は皆、それに甘んじる事はない。
何せこの隊を纏める上司と来たら、二人揃って破天荒の塊なのだから。



ドタバタと騒がしい足音を鳴らしながら、十四名の西方軍第一小隊は、欠ける事なく訓練場へ集合を済ませた。
すると其処には、先に聞いていた通り、二人の上司が既に並んで待っていた。

宵闇の名残を劈くように、点呼、と軍大将の声が響いた。
端から順に番号を述べ、数字は十四まで途切れる事なく、一定のテンポで刻まれた。
それを確認して、第一小隊隊員でまとめ役を任されている青年が一歩前へ出て、敬礼を取る。




「西方軍第一小隊十四名、整いました!」
「よし」




部下の報告に上出来、と言ってにやりと笑ったのは軍大将。
その隣で、軍元帥も口元に笑みを浮かべている。




「これより、全隊員に重要任務を与えます」




黒縁の眼鏡を指先で押してズレを直し、天蓬が重々しげにそう言った。



重要任務。
随分久しぶりに聞く言葉だと、その場にいる誰もが思った。


何せ昨今の天界軍の働きと言ったら、正に“後片付け”の言葉がしっくり来る。

李塔天の息子である那托と言う少年が闘神太子となってから、天界軍は全くもって、武の力を行使する必要がなくなった。
下界の怪物を麻酔弾で眠らせて封印、と言う手間を取らずとも、闘神太子ならばもっと簡単に事が済む。
その為、那托がいる現在は天界軍までが出動する程の事態は起きておらず、専ら事後処理をすれば良いだけになっていた。


事後処理は楽といえば楽なのだが、なんとも張り合いがない。
緊張感を求めて軍に入った訳でもなかったが、なんと言うか、緊張感が足りないと言うか。

戦場と言うものは、生と死の正に境界線に立っているのであり、そういう場所にいると、生き物は生きる為に全力を使う。
脳は緊張し、アドレナリンを分泌し、体中にそれが行き渡り、常にボルテージは最高潮。
それが何度も続くと、普通の生活の中で感じる刺激では物足りなくなってしまうと言う。

正に自分達はそれなのだろう、と隊員達は思っていた。


生きて行くには、適度の刺激があるのが良い。
ぬるま湯にいつまでも浸かっていると、誰が言っていたのだったか、脳が常温のままで溶けて行くそうだ。
いや、それは勿論、比喩なのだろうが───ああ確かにと思う事もある。




果たして、この“重要任務”は、その刺激に足りるだろうか。

緩やか過ぎる刻の中で、退屈を持て余した体を鼓舞させることが出来るだろうか。



全ては、にやりと笑った上司達のみぞ知る事である。
































────非常に辛い任務だ。

地面に突っ伏して、西方軍第一小隊隊員のまとめ役を務める男、遼瑛(リョウエイ)は思った。
嘗てない程の過酷な任務だと。



今までに経験した過酷な任務と言ったら、三日間ぶっ続けで戦い続けた事だとか、溜まった一週間分の報告書を一日で仕上げろだとか。
任務と言う名の酒の席での上司命令で、五種類のちゃんぽんをジョッキ一杯一気飲みしただとか。
酔い潰れた小隊隊員達を一人でそれぞれの部屋に運んで送った事だとか(酒に強い自分をあれ程恨んだ事はない!)。

心から労いの言葉をかけられそうな事から、笑い話にしてくれないと泣きたくなりそうな事まで、様々に経験した。
けれども一番辛かったのは、自己犠牲ばかりで部下を頼ってくれない上司の命令であったと、遼瑛は思っていた。


あの上司の命令は、本当に辛かった。
それがあの人の不器用な優しさであり、部下を慮っての事であるとは判っている。
判っていたから、あの頃、誰もが歯痒くて、誰もがその背中を追い駆けるのを躊躇った。

それを壊してくれたのが破天荒で知られた軍大将で、彼は上司命令など何処吹く風で、走り出した。
何もかもを振り切って思うが侭に振舞ってくれた彼を、我先にと追い駆けたのは、まだ記憶鮮やかに思い出す事が出来る。


隊長が部下を思いやるように、部下もまた、隊長を慕い思いやる。
ごくごく当たり前だけれど、ふとすれば見えなくなってしまうその事実。

事実を元帥が思い出してくれた事で、その何よりの辛い任務は終わりを告げた。


それさえ除けば、辛い任務も辛いとは言えない、言わない、そう感じない。
援軍を待って鬱蒼とした森の中、餌を探し回る化け物達の只中でも、恐怖こそすれ、誰を恨んだりする事もなかった。
一週間寝ずに机に齧り付いた日も、不手際をした同僚に憎まれ口こそ叩いても、修復不可能になるような諍いに発展する事もなかった。

それもこれも、あの辛くて歯痒かった日々があったから。
息が詰まるような苦しみの中から抜け出せず、どうやってもがけば良いのかも判らずにいた日々に比べれば、これ位。



もう二度と、あんなに辛い任務を下される事はない。
遼瑛はそう、思っていた。

─────……思っていた。



が。




(─────……前言撤回だ……!!)




がっくりと地面に両手と両膝を着いた格好で、遼瑛は胸中で叫ぶ。

その間にもぜいぜいと乾いた喉が鳴って、酸素と水分と、とにかく不足している生きる為の必要な要素を取り込もうとする。
だがエネルギーを補給する為の補給源が何もない状態では、幾ら呼吸しようと、唾を飲み込もうと、何も元に戻りはしない。


そんな遼瑛の横で、どおっと派手に引っ繰り返った男が一人。
第一小隊内で一番丸っこい体をした、笙凛(ショウリン)であった。




「きついっス……」
「だな……」




体型の所為だろうか、笙凛は鈍臭いと思われ勝ちだ。
本人もそれは自覚しているようだが、それも軍内で言えばの話。

一般人や文官と比べれば十分走れるし、体力に至っては小隊内でも一、二位を争う程だったと思う。
ネックと言えば燃費の悪さだろうが、それも満たされていれば、二時間強の戦闘訓練も無理なくこなせる。
見た目に見合って力もあって、正に気は優しくて力持ち、と言う奴であった。


そんな彼までが倒れ込むほどに疲労している。
無理もない。




「腹減ったっスよ。考えてみりゃ、朝飯もいつもの半分だったし…」
「もう少しで昼だ。それまでもうちょっと我慢していろ」
「無理っス……ああ…ベッドの下のおやつ持って来るんだった……」
「お前、またそんな所に……」




遼瑛が呆れた溜息を吐けば、笙凛はだって夜に腹が減って目が覚めるんスよ、とのたまう。

いつもならば小言の一つ二つ言ってやる所だが、今はそんな気力もない。
寧ろその菓子今直ぐ取ってきて分けてくれ、と言いたい気分だ。


そんな二人の前方数メートルの所では、二名の隊員がダウンして地面に倒れている。
その更に向こうでまた二名が体力の限界に達したようで、膝を突いて餌付いていた。
朝食をじっくり取れないままにこの過酷任務に当たったので、空きっ腹が応えているのである。

残りの八名はまだ走り回っているが、彼らもいつまで持つのか。
残存の内、半分が息を切らしているのが遠目にも伺えた。


空の胃袋をもうしばらく誤魔化そうと、鳴り始めた腹を宥めるように撫でて、遼瑛は溜息を吐く。




「まだ半日しか経っていない筈なんだが……俺は今日一日を乗り切れる自信がない」
「俺もっス。はあ、腹減った……」
「笙凛、お前、動けるようになったら他に二、三人連れて食堂に行ってくれるか。今日の昼は此処で食べよう」
「あ、いいっスねー。うん。それはいいっスよ。……でももうちょっと待って欲しいっス……」
「だから動けるようになったらって言っただろう」




今動いたら間違いなく吐く。
そう呟いた笙凛に、回復するまではじっとしていて構わないと告げる。
笙凛がほっと息を吐いたのが聞こえた。




「それにしても……」




遼英は傍らの同僚から視線を外し、前方へと向ける。
撃沈した数名の同僚の向こう、残存メンバーの中で駆け回っている、小さな影があった。





「凄いな、あの子供は。一体いつまで駆け回るつもりなんだ?」




遼英の視線の先にいるのは、大地色の髪の、金の瞳を持つ唯一無二。
下界にて岩より生まれし、異端の存在。

────悟空と呼ばれる、無邪気で無垢で元気一杯の子供だった。




「……重要任務と言えば、確かに重要任務なんだろうが……」




本日明朝、夜も明けきらない内にかけられた、第一小隊全員への収集命令。
突然の集合に何事かと集まると、二人の上司は、部下達に“重要任務”を与えた。

内容は『観世音菩薩及び金蝉童子の庇護・監視下にある異端の子供を、金蝉童子に代わって監視する』と言うものだった。


下界で生まれた異端の存在については、天界軍でもよく噂になっている。
第一小隊はこれまで逢う機会に恵まれなかったが、討伐を終えた那托太子の前に現れた事もあったと言うし、天帝の生誕祭では上司二名の含めて大騒動になっていた。

金錮によって力を封じられているとは言え、やはり異端な存在と呼びなわされる、その力。
まだ十になるかならないかの小柄な体に秘めた力は侮れず、大の男を蹴り飛ばすのも容易にやってのける。
両手両足に一つ20キロはあるだろう枷をつけて尚駆け回れるのだから、その潜在能力たるや。



その任務を言いつけられた時、小隊にどよめきが上がったのは当然の話。

異端の存在と言えば、天界では否応なく現闘神太子である那托を彷彿とさせる。
那托も普段は悪戯盛りの子供であるが、戦闘となればその力は天界随一。
それを、幾ら鍛え抜かれた軍部であるとは言え、自分達が監視、あまつさえ暴走した際に押さえ込めるかどうか。


そもそもどうしてそんな任務が言いつけられるのか。
若しかして、金蝉童子の身に何かあったのかと、あれこれ良くない想像が膨らんでしまった。


が、上司二人はのんびりとした風だった。
そんなに身構えなくていい、要は単なる遊び相手をしろって事だから、と軍大将は言った。

遊び相手なんて、それだってそんな簡単に────と言い掛けた所で、遼瑛は思い出す。
上司二人が金蝉童子と懇意の仲であり、その庇護下にいる子供ともよく遊んでいる事を。



部下達が戸惑い、考え込んでいる内に、上司二人はさっさと話を進めていた。


遊び相手を務めるのは、午前八時頃から午後の夕食時まで。
朝飯は食べてくるが、昼は此方で食べる段取りになっており、食堂の方から隊員が見繕う。
見た目の数倍は食べる子供なので、量は出来るだけ多めに、かかった費用は後で経費落ちとなるらしい。
どんな経費だよ、と胸中で呟いたのは、きっと遼瑛だけではない筈だ。

その間上司二名はどうするのかと聞いたら、まあこっちはこっちでやる事が、と曖昧にぼかされてしまった。
金蝉童子はどうしたのかと聞いたら、それもそれでやる事が、とこっちもぼかされた。


結局、彼らは部下の疑問にまともに答えないまま、解散を言い渡した。


未明の時間からそんな事の為に収集されたのか。

そんな気持ちで呆然としていたら、上司二名は慌しくその場を立ち去った。
どうやら、収集が朝早い時間になったのは、上司達の時間の都合によるものだったらしい。


上司の姿が見えなくなると、隊員達は子供が此処に来るという午前八時まで、思い思いに過ごした。
食事を取る者、身嗜みをする者、二度寝にふけるもの……と好き勝手に。

それから数時間が経って、取り合えず出迎えねばなるまいと、宿舎前に立っていた遼瑛の下に、かくして子供はやって来て─────本来の保護者の下から離れ、今に至る。



空には太陽が昇り、今は殆ど真上にまで来ている。
第一小隊と悟空が顔を合わせたのは、かれこれ三時間は前の話となる。

なので、彼が遊び出してから、それ位の時間は立っている訳だが、




「りょーえー!」




無邪気に名前を呼んで、駆け寄ってくる子供。
遼瑛が眉尻を下げて笑ってやると、元気な塊はそのまま突進して来た。

勢いを耐えるような体力も残っていなかった為、遼瑛はそのまま地面に押し倒された。
どすっと何か重いものが遼瑛の腹に乗る。




「ぐえっ」
「りょーえー、遊んでよー」




みしみし、と内臓を圧迫する重み。
ああそう言えばこの子供は100キロ近い枷をつけているんだった。
思い出したら、重みが倍増したような気がした。




「ちょっ…頼む、すまない、退いてくれ……」
「遊べってば」
「遊ぶ。遊ぶから。判ったから」




このままだと、内臓が口から出てしまう。
スプラッタにはまだなりたくなかった。


遼瑛の訴えと、傍にいた笙凛に宥められて、悟空はひょいっと腹から退いて立ち上がる。
のろのろと遼瑛が起き上がれば、今度はぐいっと手を引かれた。




「早く!鬼ごっこ!」
「ま、またそれなのか……?」




何か違う遊びを、と言う遼瑛に構わず、悟空は走り出す。

本当はそれを追うのも億劫で、勘弁してくれ、と叫びたかった。
しかし子供は残酷に無邪気で、早く早くとまた急かし始める。


笑いそうになる膝を叱咤しながら、遼瑛は駆け出した。





遊ぶ子供の体力は無尽蔵。

それを肌で実感した、西方軍第一小隊であった。