Important duty




一旦場所を離れた笙凛が戻って来た時、其処は正に死屍累々の地獄絵図と化していた。
その割りには傍目に長閑な雰囲気さえ漂っているように見えるのは、咲き誇り舞い散る桜と、駆け回る子供がいるからだろう。

一緒に食堂まで赴いた二名の同僚が苦笑いしている。
いやもう、笑うしかない光景だった。


三人の同僚が戻り、ようやくのエネルギー補給が出来る事に気付いて、へとへとになりながら子供の追いかけっこに(気力だけで)付き合っていた遼瑛がホッとした表情を浮かべた。
自分の脇をすり抜けて行こうとした子供を素早く捕まえて、笙凛達の方へと向き直らせる。




「ほら、お昼だぞ。腹が減っただろう?」
「飯?やった!」




言うなり、悟空が笙凛へと突進してくる。
丸っこい体つきが気に入ったのか、彼はよく笙凛に飛びついて来ていた。

どすっ、と見事なタックルが笙凛の腹に決まった。
その衝撃の強さに危うく昼食を取り落としそうになるが、寸での所でそれらは手の中に留まってくれた。
此処でこれを駄目にしてしまったら、自分達はもうスタミナ切れは必至だ。


幾らか踏鞴を踏みながら、笙凛は腹にくっついている子供を見下ろした。




「握り飯とか、サンドイッチばっかりなんだけどな。好きか?」
「好き!」
「そりゃあ良かった」




スカーフを被せた大皿をそれぞれ地面に置くと、直ぐその傍らに悟空も座る。
うきうきとした子供の目の前でスカーフを取れば、益々瞳がきらきら輝いた。




「すっげー!美味そう!」




握り飯とサンドイッチでそんなにも感激してくれるとは。
作ったのは食堂を担当している料理人達で、自分達は持ってきただけなのだが、なんだか自分達が褒められているようで無性にくすぐったい。
笙凛が頭をがしがし掻いて笑うと、他の二人も同じような表情をしていた。


宴会用の大皿に隙間なく並べられた、握り飯とサンドイッチ。
悟空は今直ぐにでも飛びつくかと思ったのだが、意外にも、そわそわしながら大人しく待っている。

悟空の隣に遼瑛が座り、大皿の脇に添えられていたおしぼりを悟空に差し出した。
受け取ったそれで綺麗に手を拭くのを見て、随分しっかりと躾されているようだと判る。
やんちゃに駆け回っていた姿とのギャップに、遼瑛は小さく笑みを漏らした。




「手、キレイになった?」




そう言って、悟空は遼瑛に手の平を翳して見せる。

まだ丸っこさを残した小さな手は、さっきまで見事に泥だらけだった。
走って転んで汚れていたのだが、今はもうすっかり綺麗になっている。




「ああ、キレイだぞ」
「よしっ」




わざわざ見て確認して貰うとは。
思いながら、この子供の保護者が潔癖症らしい事を思い出した。


遼瑛もきちんとお絞りで手を拭いて、他の隊員達も確りと汚れを拭き取る。

食べ盛りの子供は勿論、エネルギー切れの大人達も、出来れば早く食事にありつきたい。
実際いつもなら多少の汚れなんて気にしないのだが、今日は子供の手前、大人がだらしない事をする訳には行かない。


大人達が全員手を拭き終るのを待って、悟空は手を合わせる。




「いっただっきまーす!」
「いただきます」




食事前の挨拶なんて久しぶりだ。
そんな事に苦笑しながら、遼瑛達も声を揃えて挨拶。

子供が大人しく待っていられたのはそれまでで、早速、一つ大きな握り飯を両手で掴んで思い切り頬張る。




「美味いか?」
「ん!」




喜色満面、にこにこと嬉しそうに頷いた悟空に、遼瑛は笑みを零す。

しかし、もたもたしていては自分が食べる分がなくなってしまう。
悟空をのんびり眺めるのは其処までにして、自分も食事にありついた。


白米に適度にまぶされた塩分が美味い。
中身は梅干、おかか、鮭、昆布と様々で、一つ二つほど大量の山葵が入っているらしい。
注文したのが第一小隊なので、料理人の悪ふざけだろう。

出来れば悟空に山葵を食べさせたくないのだが、どれに入っているのかは傍目には全く判らない。
下手に言って警戒させるのも可哀想なので、気付かれる前に誰かに当たってくれ、と遼瑛は内心こっそりと願う。




「すっぱ!でっか!種あった!」
「おお、当たりだ、当たり」
「当たり?」
「種つきのでかい梅干は、当たり」




口を窄めて訴える悟空に、遼瑛は笑いながら言った。

そんな決まりごとも謂れもある訳もないのだが、そう思ったら少しは楽しくなるだろう。
遼瑛のそんな思いの通り、悟空は嬉しそうに鼻柱を掻く。


微笑ましいその光景に、永繕(エイゼン)がクツクツと笑う。




「すっかり保父だなあ、遼瑛」
「元々うちの隊の仲じゃあ面倒見役だしな」




永繕に便乗して、洋閏(ヨウジュン)がにやにやしながら言った。
どう考えても、揶揄っていると判る表情だ。




「そうだな。うちの隊はガキみたいな奴ばかりだから、手がかかる」
「うわ、酷い言い方だな。お前、俺と大して年違わないだろう」
「ついでに言うなら、入隊時期も同じ、立派な同期だ」




なのにどうしてこんなにも手がかかるのかと、わざとらしく溜息を吐いてやる。
カチンと米神に青筋を浮かべる洋閏に構わず、遼瑛は隣にいる子供の頭をくしゃくしゃと撫でてやった。




「悟空の方がよっぽど手がかからない」
「んむ?」
「良い子だなって言ってるんだよ」




噛み砕いて言えば、悟空はえへへーと嬉しそうに笑う。
頬に米粒がついているのて、遼瑛はお絞りでそれを拭いてやった。

むぐむぐ言いながら拭き終るのを待つ悟空は、丸きり小動物だ。
よく捲簾が悟空のことを“子猿”と呼んでいるのを聞くが、成る程、納得出来てしまう。
遊んでいる時の身軽さも然る事ながら、くっついて離れないのも。


口の周りを拭き終えると、悟空は直ぐに右手に持っていたサンドイッチに齧り付いた。




「たまごー」
「悟空は卵が好きなのか?」
「うん、好き。あとハムと、ツナも好き。それから、あ、カツサンドも好き!それからー……」




つらつらと並べられて行く“好きな食べ物”に、遼瑛は苦笑する。
見回せば、他の面々も似たような顔をしていた。


食べる事と遊ぶ事が好きな子供だとは聞いていたが、いや、凄い。
遊んでいる時の無尽蔵の体力は勿論、澱みなく上げられて行く食べ物の名前は、当分終わりそうにない。




「ラーメンも好きだよ。金蝉が作ってくれるのはマズいけど」
「ぶっ」




予想していなかった突然の新事実に、遼瑛は思わず噴出した。




「ま、不味いのか……」
「うん。インスタントなんだけど」
「そうか……」




インスタントラーメンをどう作れば不味く作れるのだろうか。
仏頂面の子供の保護者、上司の友人を思い出しながら、遼瑛は表情筋が不自然にヒクつくのを感じていた。


料理が下手な奴と言うのは何処にでもいる。

遼瑛とて特別上手い訳ではないが、最低限、炒め物ぐらいは出来る。
ちなみに一番上手いのは笙凛で、遠征時の食事当番は殆ど彼が担っていた。

そんな第一小隊の中にも、一体何をどうしたらそんな異物が出来上がるのだ、と突っ込みたい者もいた。
水を使えば周り全てを水浸しにし、火を使えば焦がす所か爆発を起こす。
あんまりにも酷いので、上司二名から「お前は調理場に近付くな」とお達しを頂いた程である。


金蝉童子もそうなのだろうか。

ああ、あれでも一応、観世音菩薩の甥な訳で、つまりは彼は“お坊ちゃん”と言う奴だ。
生活スキルは壊滅的でも可笑しくはないな、と遼瑛はこっそり思う。




「天ちゃんもラーメン好きって言ってた」
「ああ、うん。色々味があって、簡単に出来るからな」
「今度食わせて貰うんだ!」




悟空の言葉に、遼瑛は少し驚いた。


何せ天蓬元帥と来たら、上司としての仕事は見事にこなしてくれるが、私生活に置いては酷くだらしなかったりする。
彼の部屋はいつも本で埋められていて、定期的に捲簾が掃除をしないと、足の踏み場もないのだ。
捲簾などは何度も本の波に浚われており、その都度、本に埋もれて寝ている(気絶とも言う)天蓬を蹴り起こしている。

そんな彼だから、料理の腕は中々でも、殆ど自分でそれをしようと言う気にならない。
特に捲簾が第一小隊に来てからは、世話好きな彼が率先して引き受けるので、尚の事調理というものから手が遠退いていた。


けれども、悟空を見ていると、確かにそんな約束もしてみて良いかと思う。
ちょっと自分が手間を使えば喜んでくれるのだから、お安い御用だ。




(……とは言っても、遊びに付き合うのはちょっと勘弁して欲しいけどな……)




リス宜しく、頬袋一杯にサンドイッチを詰め込んでいる悟空を見て、遼瑛はこっそり思う。


握り飯を食べながら、話を聞いていた永繕がぽつりと呟く。




「元帥の作ったラーメンかあ……俺は恐ろしいな」
「なんで?」




永繕の言葉に、悟空がきょとんと首を傾げる。

永繕は、恐らく独り言のつもりだったのだろう、悟空の反応に少しばかり気不味そうに眉尻を下げる。
しかしこのまま黙って流せそうもないので、しばし口篭った後で、




「いやあ、随分昔なんだけどな。罰ゲームでちょっと」
「罰ゲーム?」
「元帥手作りの訳の判らん飲み物を飲んだことがあるんだ」
「……不味かった?」
「不味いって言うか、エグいって言うか。いや、あれは罰ゲームだったし。お前が心配するような事はないよ」




少しばかり不安そうに眉尻を下げた悟空に、永繕が慌てて宥める。
余計な事を言うなよ、と隣にいた洋閏に頭を叩かれた。




「天ちゃん、そういう事するの?」
「俺達にはな。大丈夫、永繕の言った通り、お前にはやらないさ」




あの破天荒な二人の上司は、この子供に喜んで欲しいのだ。
罰ゲームであれ、なんであれ、悟空が傷付くような事はしないだろう。




「だから作ってやるって言われた時に、いらないなんて言わないであげて欲しいんだ」
「うん」




少しばかり余計な情報になってしまったのは否めない。
しかし素直な子供はこっくり頷いてくれた。

良い子だと頭を撫でれば、悟空はくすぐったそうに笑った。


─────そんな折に響いた、劈くような悲鳴。




「んぐぉぎぃぃいいいい!!」
「わっ」
「なんだ!?」




突然の事に悟空の肩が跳ねて、遼瑛は咄嗟に悟空を庇って悲鳴の先を見遣る。
其処には、口を抑えて地面でのた打ち回る笙凛の姿。




「しょーりん、どうした?なんかあったの!?」
「あ、うわっ、あっあっ……」




駆け寄った悟空に体を揺さぶられる笙凛だが、彼は答える余裕もない。

おろおろする悟空を洋閏が宥める傍ら、大皿の隅にぽつんと落ちていた握り飯を見遣る。
手に取ったそれを遼瑛の方に見せて来た。




(………成る程)




其処にはびっちりと緑色が埋まっていた。

当たりと言えばこれも当たり。
しかし此方は悟空に当たらなくて良かったと、遼瑛は安堵するのだった。
































食事を終えれば、また遊ぶ時間────と、思ったのだが。
隊員達の良そうに反して、悟空は地面に座ったまま、ぼんやりと空を見上げていた。

朝から見ていたのが活発な姿だっただけに、途端に静かになった子供に、遼瑛達は少し困惑していた。


悟空の食べた量は、大人一人分の倍はあった。
小さな体の何処に入っていくのか甚だ不思議で仕方がなかったが、お陰で“流石に多くはないか?”と思った大皿は、綺麗さっぱり空っぽになった。

だから悟空が静かになった事に気付いた時、最初は食いすぎの腹痛かと誰もが考えた。
洋閏が大丈夫かと聞いてみたが、それには不思議そうに首を傾げていたから、恐らくなんともないのだろう。
寧ろまだ余裕があるとも言っていた程だ。


取り合えず遊びに誘おうかと、鬼ごっこの続きを促してみた。
しかし悟空は少しばかり考えた後、今はいいや、と首を横に振った。

他にも幾つか誘ってみたが、悟空はどれも今はいい、と断ってしまった。



子供の思考回路という物は、大人には予想のつかない道を作っている。
嘗て自分達も同じ子供であった筈なのに、奇妙なもので、大人になると回路は勝手に外れて構造を変える。
それから二度と元には戻らないものだから、子供の考えは大人の予想もつかないものになってしまう。



大丈夫とは言ったが、やはり腹痛でも起こしているのではないだろうか。
何せ相当な量を食べていたし。
でも無理をしている風でもなかったし。

ひょっとしたら、外遊びに飽きてしまったのかも知れない。
子供はハマっている時はいつまでも同じ事を繰り返して遊ぶが、飽きてしまうとパタリと止めてしまうものだ。




「……悟空?」
「んー?」




遼瑛が呼んでみると、ぼんやりとした雰囲気の返事があった。




「そのー……遊ばないのか?」
「んー……うーん…」




問い掛けに悟空は首を傾けて、悩む風の声。
しかし考え込んでいるとは言い難い。

どうしたものかと腕を組んで熟考しようとした遼瑛を遮ったのは、他でもない、悟空だった。




「なあ、りょーえー」
「うん?」




悟空はまだ空を見ている。
その背中が小さい───と言うよりは、どうにも儚く見えて、遼瑛は首を傾げる。
元気で明るいこの子供に“儚い”なんて。

浮かんだ言葉を直ぐに打ち払って。
それからまた直ぐ、それが間違いではなかったと知る。




「金蝉達、まだダメかなあ」




膝を抱えて縮こまって呟いた子供。
それだけで、この子供がずっとずっと待ち侘びていた事に気付く。



明るく駆け回る姿は嘘ではないし、あれも正真正銘心からのものであると判る。
けれど、どうやらこの子供は、周りの大人が思っている以上に隠し事が得意らしい。

悟空が隠し事が得意だなんて事は、きっと誰も考えていないに違いない。
引き取った神も、面倒を見ている保護者も、遊び相手を買って出ている上司二人も、きっと。
それは恐らく、常日頃接しているからこその盲目なのだろう。


空を見上げる子供が求めているのは、単純な遊び相手などではなくて、いつも自分の傍にいてくれる人達。
本当はほんの少し離れるだけでも寂しくて堪らないのではないだろうか。

それは、今日初めて顔を合わせたばかりの遼瑛が推し量れる事ではないだろうけれど。

遊んで欲しいのは此処にいる大人達じゃなくて、一緒にいたいのは此処にいる人達じゃなくて。
けれどそれを声に出しても、大好きな人達は困るだけだから、飲み込んで知らない振り。
大好きな人達が自分の為を思ってしてくれる事だと判っているから、我侭は言っちゃいけない。


一日中一緒にいたい。
でも、一日よりもずっとずっと長く、これからも一緒にいたいから、小さな我侭は言わないように。



空を見上げる子供の瞳は、何処までも澄んでいて、少し寂しそうだった。
遼瑛はくしゃりと大地色の髪を撫でて、苦い笑みを漏らす。




「もう少しだよ。もう少し我慢すれば、迎えが来るから」
「もう少しって、どれ位?」




問われて、ああ失敗したと遼瑛は思った。
曖昧にぼかした返事は、決してこの寂しがり屋の子供の慰めにはならない。


何某かを言おうとして、遼瑛は上手く舌が回らなかった。
周りで声を聞いていた同僚達も居た堪れなくなってしまったらしく、沈黙している。

その沈黙がまた、以外と聡い子供には直ぐ気付かれてしまって。




「遊ぼ!」




─────一転、眩しいくらいの笑顔で、悟空は言った。

立ち上がって遼瑛の手を引っ張る。




「鬼ごっこ!オレが鬼やる!」




周りの大人達皆に聞こえる声で言って、悟空は手を上げて宣言する。


気を遣わせてしまった。
寂しがり屋の子供を任されたのは、こっちの方なのに。

どうにも遣り切れない気持ちが誤魔化せなくて、遼瑛は目線だけで洋閏を呼び寄せる。
長い付き合いの同僚は直ぐに察してくれたようで、子供が目を隠して数字を数えている内に、駆け寄ってくる。




「どうした?」
「悪いんだが、元帥と大将の様子を見てきて欲しいんだ」
「……判った」




数瞬の間を開けてからの返事。
恐らく、遼瑛の心中を察したと見て良いだろう。

持つべきものは友だなと思いつつ、遼瑛は子供から逃げるべく、足を速めた。