始まりの日









それは誰もが持っている、始まりの日だから


最初の記憶は、溢れる位の幸せをあげる





























「たんじょーびって何?」




きょとん、として言った子供の顔に、でしょうねえ、と八戒は思った。


この子供の保護者は、良くも悪くも、無駄や面倒事を嫌う。
その保護者の“無駄”“面倒事”と言うカテゴライズは、先ず第一に“自分に関わる事か否か”で振り分けられ、“否”であれば、更に“自分の手がかかる事か否か”で振り分けられる。
そして子供に関する事は、彼にとって、“自分に関わる事か否かに限らず、手がかかる事”であると言える。

そんな男が、拾い子に余計な知識を与えないのは、彼の性格を考えれば、当然の事か。
子供と言うのは素直なものだから、自分に嬉しい事であると知れば、十中八九、繰り返してその出来事を求めるに違いない。
決して子育てと言うものに献身的でない男の事だ、そんな面倒は望む訳がなかった。


だから、先程から八戒の背中に突き刺さるものがあるのだろう。
余計な事を教えるな、と暗に滲ませながら。

しかし、八戒がそんなものに構う訳もなく。




「誕生日と言うのは、生まれた日の事です。生年月日とも言いますね」
「せーねんがっぴ?」
「生まれた年、月、日と書いて、生年月日。意味はそのままです、誕生日も一緒ですよ」




ふんふん、と八戒の説明に合わせて、悟空の頭が揺れる。

そんな茶色の頭に、のし、と悟浄が腕を乗せた。
重みに顔を顰めて上目で睨む悟空を、悟浄は真上から見下ろし、




「で、その誕生日ってのは、一応、記念日って奴でよ。パーティーだのなんだのやって、祝う訳だ」
「パーティーするの?」




賑やかし事の好きな悟空の表情が俄かに喜色を帯びる。

反対に、執務机で書類と向き合っている(筈の)保護者からは、面倒臭そうな溜息が漏れていた。
それにもやはり構わず、八戒が続ける。




「地域によって祝い方は様々ですが、大まかに言うと、ケーキや祝い酒などを持ち寄って、誕生日を迎えた人に“ハッピーバースディ”等のメッセージを贈るのが一般的ですね」
「ケーキ?」




喜色に輝いていた金色の瞳が、より一層の期待に染まる。
前のめりになって八戒を見上げる子供の口端から、早速涎が零れてしまっていた。

八戒は、ポケットから取り出したハンカチで子供の口端を拭ってやった。
むぅ、と息苦しそうな声がしたので、手早く済ませて解放してやる。




「なあ、ケーキ食べれるの?」
「ええ。この日のケーキは、バースディケーキと呼ばれるもので……あ、特別凝ったものと言う訳ではありませんよ。白い生クリームで、普通のスポンジケーキです。苺が多かったり、キャンドルを立てたり、ちょっと豪勢ではありますけどね」




ケーキが豪勢か否かについて、悟空は特に気にしていなかった。
今はとにかく、“ケーキが食べられる”と言う一点、それが悟空の心を掴んで離さない。


悟空はぱっと身を翻し、執務机に取り付いた。

筆を操っていた三蔵の手が止まり、胡乱な紫電が悟空を睨む。
普通の人間なら怯むであろう眼光でも、今の───平時もそうだが───悟空に通用する筈もなく、




「三蔵!オレの誕生日っていつ?」
「知らん」




ケーキへの期待を胸一杯に膨らませた子供を、三蔵は一刀両断した。




「えー!?なんで隠すんだよ!」
「隠してねえよ。知らねえから知らねえって言っただけだ」




三蔵は、手にしていた筆を卓上に置き、袖から煙草を取り出しながら言った。

不服そうに顔を顰める悟空に対し、三蔵は何処までも素っ気ない。
教えろ教えろと悟空は食い下がるが、それに構わず、三蔵は煙草に火をつけた。




「なんだよ、三蔵。ケチんなよ」
「阿呆か。てめぇの誕生日を隠した所で、俺に何の得がある」




─────少なくとも、祝う手間は省けるだろうな、と悟浄と八戒は胸中で呟いた。

煙草を吹かす三蔵の表情は、如何にして取り縋って来る養い子を黙らせるか思案しているのが見え見えだ。
どう考えても、誕生日の祝い……と言うか、悟空が所望するケーキを用意するのが面倒臭いのは明らかである。


諦める様子のない悟空に、三蔵は紫煙と一緒に溜息を吐き出した。




「大体、俺は三年前にお前を拾っただけだ。お前の生まれた日なんか知る訳ねえだろ」




これには、悟空も納得────と言うより、反論の余地がなかったようで、唇を尖らせて押し黙る。




「……そうかも知んないけど…」
「かも知れない、じゃなくて、そうなんだよ」
「うー……」




賑やかに誕生日の祝いを求めていた子供の声は、反転して一気に消沈した。
執務机の縁に寄り掛かり、組んだ腕の上に頬を乗せて俯せる。


獣の耳か尻尾でもあれば、確実に垂れているのが判る後ろ姿に、悟浄と八戒は肩を竦める。
こればかりは、自分達にもどうしようもない。

と、思ったのだが、八戒がぽん、と思いついたように手を叩く。




「では、三蔵が悟空を拾った日を誕生日にすれば良いんじゃないですか?」




自分の生まれた日が正確なものではないのは、八戒も同じだ。


八戒は生まれて直ぐに捨てられ、孤児院の真似事をしていた教会で育てられた。
西洋の風習を重んじる傾向のあった場所だったから、誕生祝も毎年のように行われていて───他にも子供がいたから、月初めにまとめて祝われる形ではあったが───、八戒もその恩恵に与った事もある。

当時、八戒は周囲に対して心を閉ざしていたから、誕生祝を嬉しいと思う事も殆どなかったし、そもそも、自分の誕生日が“今日”と喜ぶ事もなかった。
“捨てられた”と言う事は“いらない”と思われた訳だから、自分の誕生を祝う人などいないのだと、そう思っていたのだ。

あの頃、皆が祝う“誕生日”の殆どは、一般的に言う“生月日”ではない事を八戒は理解していた。
“孤児院でシスターに拾われた日”であって、そんな“作られた誕生日”に意味などないと、あの頃は考えていたのだけれど。


八戒の提案に、きらきらと再び目を輝かせ始めた子供を見ると、“作られた誕生日”で祝われる事は、決して嘘ばかりではないのだと、今更ながら思う。




「三蔵、いつ?オレ拾ったの、何月何日?」




再び食いついて来た悟空に、三蔵がじろりと八戒を睨む。
八戒はそれを、にこりと、笑顔で返してやった。

なあなあ、と袖を引っ張る子供の手を鬱陶しげに振り払って、三蔵は溜息一つを吐いた後、




「しつけぇな……春だ、春」
「それはオレも覚えてるもん。桜があったの、見たのも覚えてる」
「じゃあ春でいいだろ」
「何月かって聞いてるんじゃん」




正確な日付が欲しいのだと言う悟空に、三蔵は、これ以上放置しても煩くなるだけだと察したのだろう。
煙草の灰を灰皿に落とし、袖を引っ張る子供の頭を押し退ける。




「四月だ」
「何日?」
「其処まで覚えてねえよ」




えー!と素直過ぎる不満を露わにする悟空だったが、三蔵はそれ以上は答えなかった。
適当に数字を付け足した所で、悟空が満足しないのが判ったからだ。


実際、三蔵は悟空を拾った日付までは覚えていなかった。
四月初めである事は確かなのだが、五行山の近辺に着いた頃には、日付感覚は曖昧になっていたからだ。
聲だけを頼りに方々を歩いたので、その性格な日数など頭に残っている訳もない。

しかし、子供の方は三蔵のそんな事情など知った事ではなく、とにかく生月日が欲しいと縋り付いて離れない。
そんな悟空の襟首を捉まえたのは、悟浄だった。




「そんなにちゃんとした日付が欲しいんなら、自分で勝手に決めりゃいいだろ。一々三蔵様に決めて貰わなきゃいけない訳でもないだろが」
「……そうなの?」




きょとんとして問い返す悟空に、多分な、と悟浄は返す。
なんとも無責任で曖昧な提案であったが、悟空にとっては良い助けであった。




「そんじゃ、えーと、えーと……五日!五日がいい!」




しばらく考え込んだ後、顔を上げた悟空の言葉に、悟浄と八戒は意外に思って顔を見合わせた。

指折り数えて待ち遠しいであろう子供の事だから、出来るだけ早い日付を求めるだろうとは思っていたが、“早い時期”にしては遅めな気がする。
てっきり、一日や二日と言った所を予想していたのだが。


大人達の無言の疑問を汲み取ってか、悟空はゆらゆらと尻尾のような後ろ髪を揺らしながら言った。




「だって、三蔵にもお祝いして欲しいもん」
「……だったらもっと遅い日にしろ」




月の初め・月の終わりは、三蔵が忙しくなる。
遠方への出張は月半ばに比べれば少なくなるが、それは月決めの書類が一気に回って来るからだ。
悟空もそれを理解しているから、一日に祝って欲しいとは言わなかったのだろう。

待ち遠しいが、三蔵の邪魔はしたくない。
そう思った結果が「五日が良い」と言う希望に繋がった訳だ。


三蔵にしてみれば、自分が祝ってやる事が前提になっている時点で顔を顰めたい所だが、それはもう諦める事にした。
余計な知識を与えられた以上、悟空は絶対にそれを求めるだろうし、来訪者二名も面白がって参加するに違いない。




──────早く来ないかな、誕生日。

うきうきと、今から楽しみにしている子供の様子に、三蔵は面倒事がまた一つ増えたと、溜息を吐いた。