リメンバー・リリース
[リピートエンドレス・リスタート]の続き









何も変わっていないようで

確かに変わったものがある


それを見付けた時に感じるのは、ほんの少しの寂しさと、




















子供を────いや、少年を見付けたのは、全くの偶然であった。



是音達には、下界で成すべき目的はあるものの、それ以外は基本的に自由である。
天界に対し、謀叛的な働きをしている自分達を追ってくるような者は殆どいないし、いたとしても、それらは大抵、天界の在り方に疑問を持っているか、是音達に取り入ろうとしているかのどちらかであるから、特別に警戒して外出を控えるような必要もない。
紅咳児率いる下界の妖怪達も、闘神太子やその者が率いる神に容易に挑む程命知らずではない為、下界に降りた神々が過ごす日々は、俗に言う“平穏”としたものであった。

無論、日々の己の鍛練を怠ってはいないが、是音は紫鳶程に真面目ではないし、ストイックな思考でもない。
殊更に修行に打ち込むような勤勉さもなかったので、退屈な時間を有効活用すべき、とも思ってはいなかった。
持て余した時間は、自身の細やかな欲求を満たす為に使い、その満たすべき欲求もなければ、崑崙の塔の一室で昼寝を貪るか、目的もなく下界をふらふらと彷徨うかのどちらかであった。


そんな調子で、ふらふらと当てもなく散歩をしていたら、見つけてしまった。
保護者とはぐれたらしい、少年を。



(……どうすっかね)



無視────と言うか、放って置いても、何も問題はない。
寧ろ下手に近付いて噛み付かれるよりは、このまま距離を保ち続けるか、回れ右して帰路に着いた方が考えとしては懸命だ。
自分と少年は敵対関係にあるし、五つ六つの子供ではないのだから、野生動物や妖怪に襲われても、自分でどうにか出来るだろう────ただし、それらはどれも、少年の意識があれば、の話だ。


是音が見下ろす先で、少年は太陽に似た金色の瞳を瞼の裏に隠していた。
是音の足下は切り立った崖になっており、少年が眠っている場所は、その足下の遥か下方。
少年の傍には、彼が愛用する武器が転がっており、彼が戦闘の最中にこの崖から転げ落ちてしまったのであろうと言う事が伺えた。

少年の保護者であり、仲間であろう大人達の姿は、付近には見当たらなかった。
置いて行った、と言う訳ではないだろう。
崖はネズミ返しのように上部に行くにつれて外側に出っ張って反っており、これを自力で降りて、意識を失った少年を抱えて上るのは難しい。
崖の下では川が流れているのが見え、其処から少年のいる場所まで上った方が遥かに安全で距離も短いのが判る。
恐らく、保護者達は其方のルートを頼って、移動している真っ最中なのだろう。


是音は口に咥えた煙草を揺らし、どうすっかね、ともう一度思案する。
見下ろした先には、依然として目覚める様子のない少年。



(あんな場所なら、妖怪どもが襲いに来る事もないだろうな。鷲だの鷹だのも見当たらねえし、このまま目覚めなくても、動物の餌になる事もない)



少年を迎えに行った保護者達が、彼の下に辿り着けるのが、今日中になるかは判らないが、少なくとも、彼らは少年一人を残して先に進む事はないだろう。
だから、このまま少年を放置していても、是音には何の問題もない。

────そんな思考の傍ら、是音の足はその場から離れようとはしない。



(……しゃあねえなあ)



自分が何を考えているのか、何をしようとしているのか。
是音は正確に把握していたが、その行動の根幹に何があるのかは、判らなかった。

それでも、まあいいか、と是音は思考を放棄する。


音もなく姿が消えた是音の姿は、次の瞬間には崖下の足場に立っていた。
其処には横たわり、眼を閉じたまま動かない少年がいる。

是音は少年の傍らに膝をつくと、手のグローブを外し、少年の口元に当てた。
確りとした呼吸があるのを確認して、簡単に体の状態を見分する。
腕や頬にはあちこち擦り剥いている場所があるものの、出血をしている様子はなく、取り立てて大きな外傷もなさそうだった。


是音は擦り傷のある少年の頬を軽いてみた。
少年は、むぅ、と小さくむずかるように呻き声を漏らした後、ぱちり、と目を開ける。



「………」
「よう、チビ助」



目が覚めたばかりで、まだ頭がぼやけているのだろう。
虚ろな眼を彷徨わせる少年────悟空の顔を覗き込み、是音は軽い口調で挨拶した。

ぱち、ぱち、と二度三度と金色が瞼の裏に瞬間的に隠れた後、悟空はがばっと起き上がる。
直後に、脇腹を抱えて地面の上でのた打ち回った。



「いってぇええええ!!」
「おーおー、元気だねぇ」



割れんばかりの絶叫で悲鳴を上げた悟空に、是音はくつくつと笑う。
打ち身か、ひょっとしたら肋骨に罅が入っているかも知れないが、それだけ大きな声が出せるのなら、きっと大丈夫だろう。
無責任にそんな事を考えて、是音は悟空の傍らに腰を落ち着けた。



「いって、いてぇええ!なんっだコレ……!」
「痛いんなら暴れんなよ。悪化するぞ」
「っつーかお前はなんでいるんだよ!?」



のんびりと短くなった煙草を地面に押し付ける是音に、思い出したように顔を上げた悟空が噛み付いた。
それから、またうーうーと唸って脇腹を抱えて蹲る。

怪我をしていても元気な少年に、是音はくつくつと笑いながら、新しい煙草を取り出す。



「俺の事は気にすんな。単なる通りすがりだからよ」
「…通りすがりぃ〜?」



訝しむような目を、是音は気に留めなかった。
ジャケットから取り出したライターで煙草に火を点けて、ゆらゆらと紫煙を燻らせながら、睨む金瞳を見返し、



「そう。通りすがりだ。だからこの通り、お前とやり合う気はねえよ」



煙草を口に咥えてしまうと、是音の両手は空になった。
魔神銃は肩に担がれ、背中に回っているままで、使う気はないのが見て取れる。
それでも悟空の警戒の目は緩まず、痛む体を引き摺りながら、悟空はじりじりと後退した。

毛を逆立てた猫のように睨む悟空を眺めながら、是音は苦笑を浮かべる。
昔のようにはいかないな、と。



(あの頃は、なんにも疑わずに懐いて来たのにな)



是音は、随分古い記憶の中で鮮やかに残る、無邪気な子供達の顔を思い出していた。
あの頃、良い意味でも悪い意味でも、疑う事を知らなかった子供は、保護者の名前一つを出しただけで、あっさりと初対面の相手を信用して懐いてしまった。

けれど、あれから五百年の歳月と、動き出した時間の中で子供は少年へと成長した。
まだまだ大人と言える程には至らないものの、幼い頃のように無心に他人を信用する事はなくなり、自身を守る為の術や理も身に付けている。
特に、この下界は天界と違って弱肉強食がはっきりしているから、迂闊に隙を見せてしまえば、食われるのは自分の方だ。
その理の通り、自己を守らんと武器を回収しながら睨む少年を見て、大きくなったもんだなぁ、と是音は思った。


じっと見つめる隻眼の男の視線に、悟空は居心地悪げに眉根を寄せる。
痛めた脇腹を庇いながら如意棒を構える悟空だったが、是音は胡坐をかいた膝の上に頬杖を突いて、そんな少年を眺めるばかり。
その視線の意図が判らなかったのだろう、潜められていた悟空の眉が、心なしか戸惑うようにハの字に傾いた。

悟空は崖壁に背中を預けると、いつでも反応できるようにと強く握っていた如意棒の構えを下げた。
手放しはしないものの、警戒のハードルが下がったのは、明らかだ。



「いいのか?」
「何が?」



咥えた煙草を揺らしながら問うた是音に、悟空は質問の意味が判らない、と首を傾げる。
是音は咥内に含んだ煙草の煙を吐き出すと、揶揄うような笑みを浮かべて、少年を見詰める。



「俺にやり合う気がないのは確かだが、だからって警戒を緩めるのは迂闊なんじゃないかって事だ」
「……それはそうかも知んないけどさ。でも、やり合う気がないって言っといて、いきなり襲い掛かってくるような奴じゃないだろ、お前らって」
「そういう信用は命取りになるぜ。一応、俺は敵だしな」



是音の言葉に、悟空は唇を尖らせた。
がしがしと頭を掻いて、拗ねた表情のまま、金瞳が是音を睨む。



「お前ら、そんなつまんない事する奴じゃないと思ってたんだけど」



違うの、と心なしか「裏切られた」と言うような表情をする悟空に、是音は揶揄い過ぎたようだと口元を緩めて頭を掻く。


是音も紫鳶も、そして焔も、“神”の身に恥じない力の強さを持っている。
それはこの桃源郷で人々が恐れる妖怪を遥かに凌駕するもので、その妖怪の中でも格別の突出した強さを持つ三蔵一行───うち一名は人間であるが、それでも彼も十分人間離れした強さを持っていると言って良い───ですら、片腕で捻る事が出来る。
現に悟空は、闘神太子焔によって完膚なき敗北を味わった。
三蔵一行の中で、純粋な戦闘能力で言えば最も上であろう悟空が叶わなかったのだから、他の面々が束になった所で、神々に勝つ事は難しいだろう。

神である是音達の力は、人や妖怪が考えられる範疇を越えている。
それ程に強い力を持て余している者が、どうして弱っている相手の不意を突くなどと言う、小さな真似をする必要があるのか。
増して是音達は、自分の強さに自信を持っているから、尚の事、不意打ちなどと言う手段を取る必要はない。


じろりと睨む金色に、是音は煙草を吸う振りをして、口元を隠して小さく笑んだ。



(やっぱ、馬鹿正直だな)



戦術的な効率を考えるなら、どれだけ自分の力に自信を持っていようとも、不意打ちと言う手段は作戦の一つとして頭に入れておくべきだ。
逆に、自分が不意打ちを喰らってしまう事で、遥かに劣る者に負ける危険性もあると。

しかし、何処までも真っ直ぐな少年は、そう言った事を考えるのが苦手らしい。
強い相手に正面から挑み、真っ向勝負の戦いを楽しみたい────そんな思考が根を張っているのがよく判る。


傷付いたように見つめる金瞳に、是音は両手を上げて降参ポーズを取った。



「冗談だ。そんなに睨むなよ」
「……性質悪ぃよ、その冗談」
「そうか。そりゃあ悪かったな」



言って、是音は立ち上がると、崖壁に背を預けている悟空の下へ歩み寄った。
ぎく、と一瞬小柄な体が強張ったのが見受けられたが、無視して近付くと、是音は徐に手を伸ばし、大地色の癖っ毛をぐしゃぐしゃと掻き撫ぜてやる。



「な、わ!何すんだよ!?」
「まーまー、いいから大人しくしとけや」
「出来るか!子供扱いすんな!」
「そういうつもりじゃないんだけどな」



敵だと言う男から乱暴に頭を撫でられて、悟空は吼える犬のように叫ぶが、是音はお構いなしだ。
そして悟空の方も、口では止めろと言いつつも、握った如意棒はそれ以上動こうとはしない時点で、本気で振り払うつもりはないのだろう。


散々悟空の頭を撫でた後で、是音は悟空の傍らにもう一度腰を下ろした。
二人並んで座る形になって、悟空がまた訝しげに眉根を寄せる。



「……何してんだよ」
「暇潰し」



にやりと隻眼に笑みを深めて言うと、悟空はまた拗ねたように唇を尖らせる。
訳判んない、と呟くのが聞こえて、そうだろうな、と是音は思う。


是音自身にも、自分が何をしようと思っているのか、まるで見当が突かなかった。
友好関係を築いてメリットがあるような間柄ではないし、後々の事を考えるなら、情が移るような真似はするべきではない。
直に少年の保護者も此処に辿り着くだろうから、その時、ややこしい事にならない為にも、是音は早々に此処を立ち去るべきだ。

……そう思っているのに、是音はこの場から立ち去ろうとは考えなかった。
その理由を、なんでかねえ、とぼんやりと考えていると、ふと、何かが記憶の海底から浮上して来るのが判った。



(ああ、そう言えば)



随分前に、一度だけ。
こんな風に、子供と2人で、なんでもない時間を過ごした事があった、ような気がした。