もう少し、あと少し




四人で一部屋、或いは二人部屋を二つ、であれば、部屋を確保できる確率は上がる。
しかし、旅の道程では毎日ほぼ二十四時間、顔を突き合わせているので、宿に着いた時位はバラバラで過ごしたいと思うのは、基本的に個人主義であるメンバーにとって、ごく当たり前の話であった。

三蔵の限定的なリーダー権限発揮により、早目に宿を確保しに行くと、一人部屋が四つ空いている宿が一つだけ残っていた。
これで今夜はのんびり出来る、夜の街に繰り出す際に誰にも文句を言われない、等々、各々好きに今夜の過ごし方を思い描いている中で、悟空はそれよりも、宿の眼の前にある大衆食堂の事で頭が一杯になっていた。



「早く、早く!もう腹減って死にそう!」



宿帳にサインを済ませるなり、悟空は踵を翻して言った。
そのまま宿を飛び出し、食堂に突入して行く悟空を、悟浄が呆れながら追い駆ける。



「三蔵も行きますか?」



訊ねた八戒の手には、悟空と悟浄が押し付けて行った彼らの荷物がある。
これをそれぞれの部屋に置いてから、八戒は二人の後を追うつもりだ。

空きっ腹なのは三蔵も同じである筈、と言う気持ちで確かめた八戒だったが、返って来たのは、放り投げられたゴールドカード一枚。
八戒がカードをキャッチしている間に、三蔵は四つ並んだ部屋の一番奥へと向かう。



「俺は寝る。後でビールと煙草買って来い」
「夕飯は良いんですか?」
「疲れた」



食う気にもならん、と言って、三蔵は部屋へと消える。


八戒は、手許に預けられたカードを見た。

ゴールドカードは三仏神名義のものなので、八戒にとっては勿論の事、三蔵にとっても他人の金である。
それを遠慮しながら使うと言う心遣いは、はっきり言って、持っていない。
危険な旅路を命令されているのだから、かかる費用については、依頼主に確り負担して貰わなければ、こんな旅はやっていられない。

そして、三蔵一行が目下抱える費用難と言えば、言わずもがな、食費である。
ゴールドカードと言う特性上、限度額は高く設定されているのだが、それを以てしても、下手に遣い込めばあっと言う間に破産するのは目に見えている────のだが。



「使っちゃって良い、と言う事ですよね」



呟いて、ゴールドカードを翳すようにジープに見せれば、小竜はきょとんと首を傾げ、取り敢えず同意するようにキュゥ、と愛らしく鳴いた。
















肉まん、麻婆豆腐、三種類の炒飯各種、あんかけ焼き蕎麦、エトセトラ。
八戒が食堂に入り、悟空と悟浄の座るテーブルに来た時には、それらは既に卓上を占領していた。
序にビール瓶も一本が空になっていて、並ぶ二本目は半分まで減っている。

八戒はテーブルに着くと、自分の炒飯と棒棒鶏を注文した。



「なあ、八戒。三蔵は?」



レンゲを口に咥えて、来ないの?と問う悟空に、そうですね、と八戒は頷いた。



「食事よりも眠いそうです。もう寝ちゃったんじゃないですか」
「年寄りは寝るのが早いからな」



早々に酔いが回っているのか、くつくつと面白がるように笑って言ったのは悟浄。
本人の目の前で言えば、間違いなく銃弾が飛んでくる台詞だ。

悟空は、保護者がやって来る事のない、食堂の出入口を見遣った。



「なんか調子悪いのかな」
「お前じゃあるまいし。飯食わない位で大騒ぎする必要ねえよ」
「でも、減っていない訳ではないでしょうから。後で何かテイクアウトして帰りましょう」
「あっ、じゃあオレもテイクアウトしたい!」



きらきらと目を輝かせて食い付いた悟空に、悟浄はビールを傾けながら眉根を寄せる。



「お前、これだけ全部食って、まだ食う気かよ」
「全然余裕だけど」
「……そーね。お前の胃袋は規格外だからな」



卓上の料理は、瞬く間に減って行く。
減って行くが、直ぐに新しい皿が追加される。
それを悟浄はげんなりとした様子で眺めていたが、料理皿が交換されるタイミングと同じペースで、グラスにビールが注がれているので、八戒からすればどちらも似たようなものであった。


八戒が注文した炒飯と棒棒鶏が届けられると、肩に乗っていたジープがテーブルに降りた。
棒棒鶏の皿を目の前に置いてやると、ジープはくんくんと鼻を鳴らした後、かぷり、と肉を齧る。

それを悟空がじっと見つめる。



「鶏、美味そうだな…」
「お前は大人しく其処の叉焼食ってろよ」
「食うよ。食うけど、鶏も食いたい」



そう言って、悟空は八戒へと視線を移す。
金色の瞳が、甘えるようにじっと見つめるのを受けて、八戒はくすりと笑みを漏らした。



「追加注文しましょうか」
「やった!」
「マジか?」
「マジです。何か不都合でも?」



大丈夫かよ、と言うように確かめて来る悟浄に、逆に八戒が問い返せば、悟浄はちらりと食堂の出入口を見遣る。
正しくは、其処を抜けた向かいの宿で眠っているであろう、財布の紐の持ち主に。



「不都合っつーかよ。食い過ぎだ飲み過ぎだって煩いんじゃねえかと思って」
「それなら、今日は大丈夫ですよ」



三蔵の不機嫌の八つ当たりにされたくないと、苦虫を噛む表情で言った悟浄に、八戒はけろりとした顔で言った。
なんで、と無言で問う紅色に、八戒は嬉しそうに麻婆豆腐を口の中に掻き込んでいく悟空を見て、



「今日は、悟空の誕生日ですからね。特別に許可も貰ってます」
「……あー。そういや、昼飯の時もそんな事言ってたな」



ビール瓶の中身をグラスへ注ぎ切って、悟浄は思い出したように言った。



今朝、朝食を採っていた時の事だ。
付近の川で魚を獲り、それなりに豪華な朝食に有り付く事が出来たが、量的には悟空が満足行くものにはならなかった。
もうちょっと食いたい、とぼやく悟空に、悟浄と三蔵は我慢しろと言ったが、八戒が自分の分を悟空に分け与えた。

昼食の時間になった時、八戒はまた同じように、悟空に自分の分を分け与えた。
序に、悟浄と三蔵の分を削って、悟空の分に追加させた。
何をそんなに悟空を甘やかしたがるのかと悟浄が問うと、八戒は笑顔で「今日は悟空の誕生日ですから」と言った。


街に着いた時、宿に行くか食事に行くかの選択肢で、八戒が食事を優先させたのも、そう言った理由があっての事。
それがなくとも、八戒は悟空に対して甘い所があるのだが、理由がある分、彼は堂々と悟空を甘やかした。


それに対して、悟空は照れ臭そうに頬を赤らめる。



「別にもう、誕生日って歳でもないんだけどなー」



言いながらも、彼の口元は緩んでいる。
だから、言わって貰える事を嫌がっている訳ではないのだと判った。

そんな悟空を揶揄うように、悟浄がにやにやとしながら言う。



「ンな事言って、この間まで誕生日が近付く度にそわそわしてたじゃねえか」
「ガキの頃の話だろ」
「一年前の話だ、ガキ」
「ガキじゃねえって言ってるだろ!」
「そーだな、小猿ちゃんも一つ大人になったもんなー」
「猿って言うな!」



立ち上がって悟浄に怒りの表情を向ける悟空を、まあまあ、と八戒が宥める。



「ほら、悟空。棒棒鶏が来ましたよ」
「やった!」



タイミング良く運ばれてきた料理を悟空の前に差し出せば、悟浄への怒りなどさっさと忘れ、悟空は鶏にありついた。
ちなみに、麻婆豆腐と叉焼はとっくの昔に平らげている。

景気よく鶏を食べ進めて行く悟空に、悟浄は自分が注文していた肉団子のスープを差し出してやる。
それを見た悟空が、きょとんとした表情で悟浄を見上げた。



「何?」
「やるよ。素敵な悟浄お兄様からの誕生日プレゼントだ、有難く受け取りな」
「誰が素敵お兄様だよ」



胡乱な目をした悟空の反応に、じゃあ要らねえんだな、と悟浄がスープ皿を取り上げようとすると、素早く悟空の手が伸びて、皿を捕まえる。



「プレゼントなんだろ、貰ってやるよ」
「要らねえんじゃなかったのか?」
「要らないなんて一回も言ってないじゃん」



悟空の言葉に、それもそうだな、と言って悟浄がスープ皿から手を離す。
悟空はほっと安堵の息を吐いて、スープ皿を自分の前に置いて確保する。


スープには肉団子の旨みがたっぷり入った肉汁が沁み込んでいて、濃厚な味だった。
肉団子も大き目で、ボリュームも味も悟空の舌を十分満足させてくれる。

嬉しそうに舌鼓を打つ悟空。
それを眺める悟浄の眼が、満足げに緩められるのを見て、八戒もくすりと笑みを漏らした。


カチャ、カチャ、と金属が鳴る音が小さく響く。
それを聞き留めて、おや、と八戒が卓上を見下ろすと、ジープが棒棒鶏の皿をぐいぐいと鼻先で押していた。
押された皿が、進行方向にあった皿と当たって、金属音が鳴っていたのだ。



「どうしたんです、ジープ。もうお腹一杯ですか?」



八戒の声に、ジープが顔を上げる。
が、赤い瞳は八戒ではなく、悟空へと向けられていた。

キュウ、と愛くるしい鳴き声。
それが向けられたと思しき悟空が顔をあげて、金色と赤色がしばし無言で会話する。
そのまま、十秒少々の沈黙が漂った後、



「くれんの?」



悟空は、ジープの棒棒鶏を指差して訊ねた。
キュウ、とまた一声。



「サンキュ!」



嬉しそうに悟空の箸が伸びる。
それを見て、ジープは嬉しそうに尻尾をゆらゆらと揺らした。


悟空とジープが、見詰め合うだけで会話を成立させるのは、それ程珍しい事ではない。
ジープは非常に表情豊かなので、何を言わんとしているのか、毎日一緒に過ごしていれば自然と伝わってくる。
ジープ自身は非常に賢いので、人間の一挙手一投足の意味を明確に理解している。

────が、こうも的確(なのかどうかは判らないが、少なくとも、傍目に見ている分には的確に思える)な会話をしている所を見ると、悟浄はついつい思ってしまう。
やっぱり悟空は動物だと。


悟空は、棒棒鶏の半分を自分の小皿に取り分けて、残りはジープに返した。



「半分こな!」



悟空のその言葉に、ジープは驚いたようにぱちりと瞬きした後、嬉しそうに一声鳴いた。
それから、二人(一人と一匹と言うべきか)一緒に鶏肉に被り付いて、目を見合わせて満面の笑顔を浮かべる。


棒棒鶏をあっと言う間に平らげた悟空に、八戒がメニュー表を見ながら訊ねた。



「あと他に食べたいものはありますか?」
「んーと……海老餃子と、八宝菜。あと、肉まんもまた食べたい」
「悟浄は?」
「俺は良いわ。見てるだけで腹一杯だぜ」



そう言う悟浄も、酒の摘まみにそれなりの量を食べている。
が、傍らに悟空がいる所為か、どうにもそれ程食べたようには見えない。


八戒はウェイターを呼んで、追加注文を済ませると、もう一度メニュー表を開く。



「テイクアウトは何にしましょうか」
「エビチリ持って帰れる?」
「大丈夫ですよ」
「じゃあそれ!」
「三蔵は……五目あんかけ焼き蕎麦で良いですね」
「あっ、それオレも食いたい」



気になってた、と言って乗り出した悟空に、八戒は良いですよ、と笑顔で頷く。
嬉しそうに拳を握る悟空を見て、悟浄は呆れた表情を浮かべ、



「お前、食ったモン何処に行ってんだよ」
「腹ン中だろ?」



何を当たり前の事を聞くんだ、とばかりに、きょとんとした表情を浮かべる悟空。
こいつに皮肉が通じる訳ないんだった、と悟浄はぼやく。

空回りした事に溜息を吐く悟浄を、悟空は首を傾げて見詰めていた。
何、と問い掛けても、何でもない、と言う返答しか返って来ないので、疑問は解消されないままだ。
だが、食事真っ最中の悟空が、細やかな疑問をいつまでも覚えていられる訳もなく、運ばれてきた海老餃子に早速箸を伸ばしていた。



「───ああ。デザートも注文して置けば良かったですね。ケーキなんてあるかな」
「ねえだろ、流石に」



メニュー表を捲る八戒の言葉に、悟浄がきっぱりと言った。


この大衆食堂は、中華料理を看板にしている。
洋食系の料理もメニューに載っていない訳ではなかったが、隅の方に小さく明記されている程度のものだ。
デザートのメニューも同様で、杏仁豆腐や胡麻団子が売りになっている。

誕生日にありがちな、洋風ケーキはなさそうだ。
残念ですね、と呟く八戒の横で、



「オレは別にケーキじゃなくても良いけど?」



食べられるものなら何でも。
そんな悟空の言葉に、悟浄がふぅん?と観察するように悟空を眺め、



「一年前まで、ケーキケーキってはしゃいでたじゃねえか」
「だからそれ、ガキの頃の話だろ」
「今でもガキだろ」
「ガキじゃない!」



ガキだガキだと揶揄されて、ムキになって怒っている間は、まだまだ子供の域を出ていない───とは、本人だけが知らない話で。
今はまだ、そうやってムキになって、打てば響いて返って来るのが良いのだと、周りの大人達が思っている事を、彼は知らない。