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聞きなれた言葉が痛いのは

他の誰の所為でもなく、自分自身が弱いから





聞きなれた言葉が怖いのは

他の誰の所為でもなく、自分自身が弱いから












―――――逃げ出したくなるのは、許されない事ですか?














































「やだ! オレも連れてって!」





悟空の言葉に、三蔵は溜息を吐く。
それに構わず、悟空は三蔵にしがみついて。
法衣の裾を強く握って、放そうとしない。

三蔵が仕事で数日、寺を離れる。
それを聞いてから、悟空はずっとこの調子なのだった。



「…いい加減に聞き分けろ、バカ猿」
「やだもん、連れてって!」
「無理だと何度言ったら判るんだ」



悟空は何度も同じ言葉を繰り返し。
それと同じだけ、三蔵は無理だと返す。

小さな子供のように―――実際小さな子供と同じで。
悟空は連れてってくれるまで放さない、と。
更に法衣の裾を強く握った。



寺院の門の前で、坊主もいる中で延々と。
かれこれ1時間は繰り返されている遣り取り。

悟空が手を離すか、三蔵が同行を許すか。
どちらかすれば、この遣り取りは終わる。


今回ばかりは、後者は無理だった。

三蔵が仕事で向う寺院は、格式が高かった。
故に、異端の存在である悟空が受け入れられる筈もなく。
謂れも無い事を影で囁かれるのがオチだ。

それで何やら沙汰が起きるのは、三蔵は避けて置きたかった。


だから、悟空が手を離すしかない。

掴む手も、見上げる金瞳も、声も。
置いて行くなと、必死なものではあるけれど。




連れて行けない。




三蔵の出立を見送る予定の坊主が、催促の声をかける。
三蔵がそれに返事を返す事は無かった。

だが悟空は、その声に過敏に反応し。
法衣の裾を握っていただけの筈なのに。
三蔵の腰に、しっかりと抱きついてしまった。



「やだ! オレも連れてって!」
「いい加減にしろ、悟空」
「やだやだやだ! こんなとこで一人でいるのなんか嫌だ!」



悟空の言葉に、三蔵は嘆息する。


その台詞は、悟空の思いそのままだ。

この寺院も、やはり悟空を良く思うものはない。
悟空の味方は、自分を拾ってくれた三蔵だけ。
一緒に行きたいと思うのは、当然かも知れない。


それでも。



ぽん、と悟空の頭に手が置かれて。
悟空が顔を上げれば、見下ろす紫闇とぶつかる。



「……さんぞ…」



じっと見下ろしてくる紫闇。
ゆっくりと、悟空が腰から離れると。
あやすように、頭を撫でられる。

俯き加減のまま、目線だけ上に向けて。
三蔵が「待ってろ」と告げて。



「三蔵様、もうそろそろ……」
「ああ」



坊主の声に、三蔵の手が悟空の頭から離れて。
踵を返し、三蔵は寺の門をくぐって行く。


悟空はしばらくそれを見送る事はなく。
周囲の坊主達から、まるで逃げるようにして。

寺院内へと、駆け戻って行った。






















ああやって、ワガママで三蔵を引き止めて。
連れて行ってくれる事もあるけれど。
その都度、彼の出立は遅れてしまう。

そして向けられる、陰湿な視線。


三蔵が一緒にいる間は、何も言って来ないけど。
あの視線が嫌だから。
一人じゃ、あれに耐えられないから。

誰に何を言われても良い、三蔵が一緒なら。
何処で謂れの無い事を影で囁かれても。
悟空には、大した問題ではなかった。


三蔵と一緒にいられるのなら。




でも、こういう事も頻繁で。
どうしても連れて行けないから、待っていろと。

陰湿な視線が向けられる中を、一人で。


























三蔵の寝室に向って走っていれば。
時折、坊主達と擦れ違うこともあって。


自分の聴力が、少し恨めしかった。
そしてそんなものを気にする自分が、悔しい。

聞きたくも無い言葉が聞こえて、頭に残って離れないから。



今だって。







『妖怪風情が、三蔵様に取り入って……』

『何時までこの神聖な場所にいるつもりだ?』

『三蔵様を誑かして……』

『薄汚い存在で…三蔵様も何故あのような下賎の輩を』








正直、言っている言葉全ての意味は判らない。
それでも、いい意味ではないと、向けられる視線で判っていた。


部屋に転がり込んで。
悟空は勢いそのまま、ベッドに飛び込んだ。

シーツの上に顔を埋めて。
小さな手で、シーツを握り込んで。
そのまま丸くなって、動かなくなる。





取り入るとか。
誑かすとか。
下賎の輩とか。

意味は、よく判らないけど。
そんなんじゃない、と何度も言った事がある。


けれどその都度、妖怪の言う事だ、と。
信用してくれるはずもなく。
悟空も、信用して欲しいとは思わなかった。

ただ不安だったのは。
三蔵までもが、そう思っていないか。



………自分を、邪魔だと思っていないか。

それだけが、怖かった。




それを三蔵に言うと。
いちいち坊主の言う事を信じるな、と。
あの強い紫闇の瞳に居抜かれた。

だから、三蔵と一緒にいる時は平気で。
唯一無二の人が、傍にいていいと言ってくれるから。





―――――でも。
ほんの一時、離れてしまうと。

信じている筈なのに、怖くなる。
傍にいていいと言ってくれた温もりがないだけで。
あの言葉は、仕方なく言ってくれただけなんじゃないかと。


どんなに三蔵と一緒にいたくても。
一緒にいられない時間はなくならなくて。

その間に、いつも不安になる。
次に顔を合わせた時に。
まだ、一緒にいていいのか、と。



辛くて。
淋しくて。
嫌で。

ただ待っているしか出来ない。
その合間に向けられる言葉が、痛くて。
忘れてしまえばいいのに、記憶にこびりついて。



目を閉じたら。

思い出されるのは、眩しい金糸と。
聞き慣れた筈の罵声。





「さんぞぉ……!」





早く帰って来て。
痛みに耐えられなくなる前に。

一分一秒だって、離れたくないから。
孤独の中に、置き去られたくないから。

















一人に、しないで。










































ヒヤリ、とした空気を感じ。
悟空はゆっくりと、目を開けた。

真っ暗な空間が広がっている。
もう夜なのだろうかと目を擦る。
そしてまた、真っ暗な空間を見回した。


………夜にしては、可笑しい。

月明かりも、星明りも感じられない。
夜闇にしては、幾らなんでも暗過ぎる。
自分の手足は浮び上がって見えるのに、他に何も見えない。


丸くなって寝転んでいたらしく。
悟空は顔を上げ、周囲を見渡して。
ふと、すぐ真下の地面を見下ろすと。

其処もやはり周囲と同じ、暗い空間が穴をあけていた。






(落ちる!!)






そんな感覚に捕らわれて。
悟空は勢い良く、起き上がった。
両手を、何も無い空間にしっかりと付けて。

何も無いように見える、其処。
暗い空間があるだけの其処。


でも。



(地面……?…)



不思議に思って手を浮かして。
もう一度下ろしてみると、平たい何かが当たる。

確かに、其処に地面らしきものはあった。


悟空はまた、周囲を見回した。
やはり、ただ暗い空間が広がっているだけ。

暗闇は好きではない筈なのに。
“あそこ”を思い出すから、嫌いなのに。
何故かこの闇は、嫌ではないと思った。





『怖くないだろう? 此処はお前自身の深層心理の中だから』





不意に聞こえた声。
聞きなれていたようで、記憶に無い声。

気付けば、目の前に誰かがいて。




『顔を合わせるのは、久しぶりだな』




闇の中に浮かび上がる、その人物は。
悟空と同じ、大地色の髪。
闇の中でもはっきりと色付く、金晴眼。

違うのは、尖った耳と爪と、長い髪と、猫のような目。


以前、鏡で見た自分と同じ顔。
けれど、この存在は自分ではなくて。




『お前は覚えていないだろうな……我の事を』




笑みを浮かべる口元が、何処か妖艶で。

伸ばされた手が、悟空の頬に触れる。
その手は、驚くほど冷たいものだった。




『お前は、我と違って暖かいな』




頬を、両手で包み込まれて。
悟空はじっと、それを甘受していた。




『我に肉体はないからな。だから、温もりもない』












全てお前に譲ったのだから。












向けられた言葉に、悟空が目を見開く。
そして、この目の前の、自分と同じ顔をした存在が。
己の中に封じられた、もう1人の存在だと気付く。



悟空はそっと、額の金鈷に触れた。


思えば、自分は全て奪ってしまったのだ。
この目の前の、自分と同じ存在から。

光を与えられる事を。

このもう1人の自分だって。
一つの意識であり、存在であるのに。


封じられ、誰にも認めて貰えない。
三蔵に抱きしめて貰う事も。
光の下に在る事も。


だが。








『案ずるな。我より、お前の方が相応しい』




それに。




『我は、お前と共に在れば良い』









愛される事も。
温もりも。
望んではいない。

ただ、悟空とともに在ればいい。
そう言ってもう1人の悟空は、悟空を抱き締める。




『お前が笑う様を、お前の中で見るのが好きだ』




自分は外に出られなくても構わないから、と。


だから、と。
そう呟きが聞こえた時。

今まで包むような柔らかさだった空気が。
急に、強張ったように冷たくなり。
周囲の暗い空間も、寒さを帯びて行くようで。





『お前が泣くのは、嫌いだ』





告げられた言葉に、悟空は顔を上げた。
猫のような目尻が、鋭くなって。
纏う雰囲気が、敵意を抱くものになる。

だがそれが向けられているのは。
決して、悟空ではなく。




『お前を涙させる者を、我は恨むぞ』




それが、どんな理由であっても。
その人物に、その意はないのだとしても。





『それが、お前の太陽であっても』





もう一人の自分の言葉を聞いて。
悟空の中に浮かび上がる、金糸の太陽。

でも、何故彼を恨む必要があるのか。
三蔵は、悟空を光へ連れ出してくれたから。
置いて行かれるのは嫌だけど。




『ほら、今も泣いているだろう?』




そう言って、まろい頬に手が滑り。
其処に伝い落ちた、一滴に。

悟空の方が、半ば呆然としてしまった。




『あの男に、置いて行かれたばかりに』




確かに、それは悲しいけれど。
でも、三蔵は帰って来るから。

不安では、あるけど。













『だから我は、あの男が憎い』




















『お前はしばらく休め』




何もかもを忘れて、と。
その言葉の意味が、悟空には判らなくて。

涙を流すまま、もう1人の自分を見上げ。
見上げた先にあった、優しい金瞳。
あんなに敵意を抱いていたのに。




『辛いのだろう? ……なら、誰もお前を責めたりしない』




一時逃げても、誰も責めはしないから。
しばらく、眠っていればいい、と。

三蔵が帰ってきたら……とは思ったけれど。









『全て忘れて………眠れば良い』










優しい声音に、悟空はゆっくりと瞳を閉じた。


































聞きなれた言葉が痛くて

逃げ出したかった、自分自身の弱い心






聞きなれた言葉が怖くて

逃げ出したかった、自分自身の弱い心



















欲しかった…………


逃げてもいいって、弱さを認めてくれるその言葉


















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