leave me .... U





愛される事

温もりを与えられる事

光の中に在られる事


己よりも相応しいから、譲り渡して構わなかった




闇に耐えねばならない事

孤独に苛まれねばならない事

悲しみを背負わなければならない事


全て譲り渡した代価のように、押し付けてしまったその痛み













――――――………ただ、お前の笑った顔が見たいだけだ










































最初に見たのは、見慣れた天井。
次に見たのは、見慣れた己の手。
起き上がって周囲を見渡せば、見慣れた部屋の風景。

だがどれも、“見慣れた”と言うのは適切ではなかった。
己自身が肉眼で見るのは、初めてか久々か。


軽く伸びをすると、窓辺に歩み寄った。
決して狭くない寺院の敷地も、やはり見慣れていて。
そしてやはり、初めて見るものだった。

今まで見ていたのは、自分ではない。
己を共有する、もう1人の自分だ。
そのもう1人の自分は、今、己の中で眠っている。







今此処に在るのは、孫悟空ではない。





在るのは―――――斉天大聖孫悟空。









ふと室内の机に目を向けると。
其処には、冷め切った食事が置かれていた。

壁へと目を向けると、日めくりカレンダーがある。
“悟空”の記憶を辿り、そして。
数日の刻が経っているのだと判った。


眠りっぱなしだったのだろう。
身体が少し、軋んでいるのは気の所為ではない。

誰も起こさなかったのだろうと判る。
その理由も、今まで“悟空”の中から見ていたから判った。
卑下た笑みを見せる坊主達の顔を思い出す。



「やれやれ……」



久しぶりに出した肉声。
変声期を迎えていない、声。

“悟空”の声。


聞き捉えた声に、少し笑った。


解けていた長い髪を結い整えて。
“悟空”が好む、動き易い服を着て。
外へ出るかどうするか、しばし思案していた内に。

不意に感じた気配に、薄く笑った。
何処か狂気を帯びた瞳で。



「戻ってきたか」



呟いて、先刻寝転んでいたベッドに戻り。
すとん、と其処に腰を降ろして。
開かれるだろう扉を見つめる。


あの男は、一体どんな顔をするだろう。
気付かないという事は、恐らく、ない。
奴は“悟空”の気配に敏感だから。

悟空であって、“悟空”でない自分。
あの男は、どんな瞳で見るだろう。



己が“悟空”を追い込んだとも知らずに。






































「三蔵、おかえりー!」




扉が開けられた途端に。
走って、帰ってきた人物に抱き付いた。

金糸の男は、それを受け止めて。
自分も、そんな彼の法衣に頬を摺り寄せる。
男は嘆息して、手を伸ばし。


――――その手は、いつものように頭に置かれる事はなく。
金鈷に軽い音を立て、ぶつけられた固形物。

見上げれば。








「誰だ、テメェ」








敵意所か、殺意を抱いて。
向けられる、深い紫闇の色。

纏う空気が、数瞬前とは一変し。
まるで「触るな」と言っているようで。




これの、一体何がいいんだか。




思いながら、三蔵の法衣から手を離し。
座っていたベッドへ歩み寄り、腰を降ろす。



「質問に答えろ。テメェは誰だ?」



無視されたのが気に入らないのか。
三蔵は先刻よりもまた低い声で、問う。

向けた銃口をそのままに。



「我に覚えがないか?」



そう言えば、三蔵は舌打ちして。



「斉天大聖か………!」
「その通り。しばし身体を預かっている」
「何故お前が出てきてやがる」



銃口を下ろす事はしない三蔵に。
斉天大聖は、声を上げて笑った。

斉天大聖の笑い声に、三蔵は眉間に皺を寄せる。
三蔵の指が、銃の引き金へと伸びるが。




「撃ちたければ撃てば良い。悟空も消えてなくなるがな」




心臓を指差し、そう言うと。
三蔵は忌々しげにこちらを睨む。



「テメェは何がしたいんだ」
「何も。貴様らに対する望みなどない」
「なら、もう一度聞く。何故出てきた?」
「お前に答えねばならぬ義理などない」



紫闇の苛立ちは更に強くなり。
さっさと失せろ、と言外に告げるが。
斉天大聖は、そんな事など気にも止めない。

嵌められたままの金鈷に、意味もなく触れてみる。
初めて触れたそれに、不思議と嫌悪はない。



「悟空はどうした」



三蔵の言葉に、斉天大聖は目尻を吊り上げる。


ごく当たり前の問いだろう。
表にある筈の悟空が、今いない。
封じられている筈の斉天大聖が、此処に在る。

それなら、悟空は一体どうしたのかと。
その言葉は、考えればごく自然に行き着く事で。


なのに。





「気安くその名を口にするな」





斉天大聖の口を付いて出たのは、そんな言葉。

三蔵はその言葉に、憤りを露にし。
ずかずかと斉天大聖へと歩み寄ると。
恐らく悟空にはしないであろう乱暴な手付きで、三蔵は斉天大聖の胸倉を掴んだ。



「バカ猿を出しやがれ」
「今は眠りについている」
「知るか! 出せっつってんだよ!!」



胸倉を掴み上げ、声を荒げて。
並の人間なら、殺せるかと思う程に睨みつける三蔵。

斉天大聖は掴まれたまま、三蔵を睨み上げる。



「お前の言う事を聞かねばならぬ道理はない」



そして、鋭い爪を立て、三蔵の手を振り払う。
その折に、三蔵の手に僅かに疵が残った。

だが、その程度がどうだと言うのか。
“悟空”が耐え続けていた痛みに比べれば、そんなもの。
痣にさえならないだろうと思う。



「ようやく眠れた者を、無理に起こそうなどとは、無粋だな」



嘲るように笑い、挑発の如く言った。



「“悟空”は、何故こんな男が良いのだか」



大袈裟に溜息混じりに漏らすと。
自尊心を傷付けられたか、三蔵は眉根を寄せる。

ただでさえ不機嫌な表情だというのに。
拍車がかかると、まるで般若だ。



「悟空はようやく眠れたのだ。邪魔はさせん」
「煩ぇ、テメェの意思なんざ関係無い」
「…いつもそうやって、悟空の意志を無下にしたな」



殺意さえも抱いているような紫闇に。
冷たい金晴眼が向けられる。



「…なんだと……」



三蔵のもらした言葉に。
斉天大聖は、「間違った事は言っていない」と呟く。






“悟空”は孤独が嫌いだ。
暗闇にいる事も。
置いて行かれる事も。

いつも三蔵と一緒にいたい。
三蔵と離れたくない。



この寺院内に、悟空の味方と呼べるのは一人だけで。
その人物がついと離れてしまえば。
向けられるのは、暗い陰湿な視線と言葉。


もう慣れた。
いつもの事だ。


それだけで割り切れる訳がない。



ただ、三蔵と一緒にいたいだけなのに。
周囲はその思いさえも踏み躙るばかりで。
温もりをくれる人は、離れて行くばかり。


「連れてって」と。
「一人にしないで」と。






泣いた聲が届かなかったなどと、斉天大聖は許さなかった。










「我はお前が気に入らん」



斉天大聖の言葉に、三蔵は眉間に皺を寄せ。
お前に好かれたくはない、と呟く。



「“悟空”を泣かせるのは、いつもお前だ」




“悟空”の笑った顔がみたい。
泣いている顔は見たくない。

“悟空”を笑わせるのは、いつも三蔵で。
“悟空”を泣かせるのも、いつも三蔵で。



「時に殺したいとも思う」
「だったら殺してみるか?」
「……出来るものなら、とうにそうしている」



そうしてしまえば、“悟空”は泣く事も笑う事もしなくなるから。


岩牢の中にいた時でさえ。
太陽を睨み、泣いて。
迷い込んだ小鳥に笑いかけていたけれど。

今、三蔵の存在がなくなってしまえば。
“悟空”はもう、全てを失ってしまうから。



「お前が死ねば“悟空”が泣く。だから我は、お前に手を出さん」
「……猿一人に随分ご執心だな」
「当然の事だ」
「…お前自身の片割れだからか?」



三蔵の言葉に、「それもある」と返す。


斉天大聖と“悟空”。
この身体を共有するもの同士。

けれど、それを差し引いても。
きっと、斉天大聖の“悟空”への執着は変わらない。
一つの意識と存在として、“悟空”へ執着を寄せるから。



三蔵が不意に舌打ちを漏らし。
斉天大聖に、きつい視線を向ける。



「お喋りは終わりだ。猿を出せ」
「眠っていると言っただろう」
「だったらさっさと起こせ。さもなきゃ、俺が叩き起こす」



“悟空”が此処にいない所為なのか。
自分以外が、“悟空”を匿うのが気に入らないのか。
三蔵は怒りの角を立たせていく。

斉天大聖は、挑発的な笑みを浮かべるだけで。








「我が納得したら、“悟空”をお前に返してやるさ」












意識の中で、小さな子供を抱き締めた。































愛される事も

温もりも

光の中に在る事も


己は欲しいとは思わない、お前の方が相応しい




闇も

孤独も

悲しみも


お前が背負わなければならない道理は何処にもない

















―――――………ただ、お前の笑った顔が見たいだけだ


















NEXT→