- realaize -T
















昨日までの幸せな日々が嘘のよう滲んで見えない


















……空っぽのこの胸を


――――――………どう埋めればいい?















































「うぁあああっっ!!!」







高い声音の叫び声に。
3人は思わず、戦いの呼吸を止めた。

声の方向へと反射的に振り返れば。
地面に屑折れている少年がいて。
その目前に立つ妖怪が、卑下た笑みを浮かべていた。



「バカ猿、何やってんだ!」



悟浄のその言葉に。
いつもの軽い口調はない。
周囲の妖怪を錫杖で一気に薙ぐ。



「退きなさい!」



ぐるりと囲み、壁を作っていた妖怪達に。
人間大ほどの大きさの気孔がぶつけられる。

銃声が断続的に続き。
それでも、妖怪達は次から次へと溢れて来る。



紅玉、翡翠、紫闇。
三つの色が、ただ一点だけを見ている。


その先にいる少年は。
腹に手を当て、ゆっくりと起き上がるが。
支えとして掴まるものがなく、また崩れる。

如意棒は少し離れた場所に転がっていた。
それを掴もうと手を伸ばすが、届く筈もなく。



「ちょっと、様子が可笑しくねぇか!?」
「ですね……早くしないと…」
「クソ河童、先に行け!」



三蔵からの怒号の催促に。
悟浄は何か嫌なものを感じたが。
それを追及する暇などない。



八戒の気孔が前衛の妖怪を吹っ飛ばす。
後衛にいた妖怪は、銃弾に地に伏した。

開いた道を、悟浄が走った。


悟空の強さは、全員が知っている。
多少の傷では屈する事などないと。

そんな悟空が地面に屑折れ、起き上がらない。
何より、三蔵の様子も比例するように焦り始めていた。




(気の所為ならいい……それが一番良いんだ)




道を塞ごうとする妖怪達を切り裂き。
悟浄は前方にいる少年に向かって走る。

妖怪の勝ち誇ったような笑みも気になる。
悟空に止めを刺そうとしないのも。





「悟空、起きやがれ!!」





声を出せば、悟空は首を巡らせ。
悟浄を見ようとするけれど。

起き上がる事が出来ず。
小さく、悟浄、と呟いてから。
また地面に体重を預けてしまう。


駆け寄ってみれば。
悟空は血溜まりの中にいた。
それは他にない、悟空自身の血だ。

悟浄は悟空の顔を覗き込む。
青褪めた顔をしているのは、果たして出血の所為だけか。



「ヒヒ……ヒャハハハハ!!」



目前にいた妖怪が突然笑い始める。
妖怪の鋭い爪は、血塗れになっていた。
滴る悟空の血が、地面にも落ちる。

イカれたか、と悟浄は呟き。
握っていた錫杖を大きく振り薙ぐ。









「――――孫悟空、お前も地獄行きだぜェェ!!」










身体が真っ二つに分かれた瞬間。
その妖怪は確かに、そう言っていた。













































妖怪の軍勢はいつの間にか地に堕ち。
悟浄は錫杖を消し、悟空に駆け寄る。



「おい、悟空!!」



呼べば必ずと言っていいほど振り返る。
この少年は、呼ばれる事が好きだから。
けれど、今はなんの反応も示さない。

地面に突っ伏していた身体を起き上がらせる。
反転させて、ようやく見えた顔は真っ青で。



「おい猿! 返事しろ!!」



猿、と呼べば「猿じゃない!」と言い返すのに。
うめく事さえしなかった。

体の力は抜け切り、悟浄の腕に体重を任せている。
悟浄の手に生温い液体が付着して。
それが何かなど、確かめたくもない。



「悟浄、退いて下さい!」



いつのまに近付いたのか。
八戒が悟浄を押し退け、悟空の身体を抱きこむ。

傷口は探すまでもなかった。
服の穴の空いた部分から、血が滲み、溢れ出している。
血がこびり付く前にと、衣服を剥ぐ。



「大丈夫なのかよ!?」



切羽詰った悟浄の声。
八戒は答えず、傷口に手を当てた。

傷口は広く、深かった。
ひょっとしたら、肉が抉れているんじゃないか。
八戒の気孔でも塞がりきるかどうか。



「猿、起きろ! 寝てんじゃねぇよ!」
「悟浄、騒がないで!」



悟空の身体を揺らす悟浄を、八戒が諌めた。



それまで黙ってみていた三蔵が、突然八戒を悟空から離す。

治療途中で何を、と。
八戒が言う前に、三蔵は悟空の傷口に手を当てる。
それまで反応を示さなかった悟空が痛みにうめく。


三蔵が眉根を潜める。



「悟浄、水持って来い」
「あ?」
「早くしろ」



低い声音と、深い紫闇。
有無を言わせぬ様相に、悟浄は渋々頷いた。






















……自分の予感は当たらないと。
八戒の気孔ですぐ治せると。
三蔵が可笑しいのは気の所為だと。

すぐにまた、煩くなるのだと。




悟浄は、思いたかった。






















持ってきた水で、悟空の血を洗い流し。
それまで紅に隠されていた傷口そのものが露になる。



流水に悟空がまたうめいた。
重力に従っていた腕が、僅かに持ち上がる。
体を支えていた三蔵の腕に取り縋ろうとした。

しかし、法衣を掴もうとした指先にも力はない。


再び重力に従った手を、八戒が掴んだ。
握れば、握り返されると思った。
いつもそうだったから。

………けれど、力の返しはない。



3人は顔を顰める。

異臭がするのは何故だろうか。
ジュゥと不快な音がするのは何故だろうか。



三蔵には、聞こえていた。
【痛い】と叫ぶ、子供の聲が。
けれど今は、それを無視する。


傷は広く、深く。
腐食を始めていた。

あまりにも早すぎる。





「……毒…だな……」





悟浄と八戒が言葉を失い。
三蔵の呟いた言葉は、独り言のようだった。

悟空の意識は、戻ってきていなかった。
それは、幸いだったのだろうか。


細胞は既に死んでいるというのに。
溢れ出す血は止まらずに。
痛覚だけは、はっきりしているらしかった。






見ている方が痛々しいほどの傷。




…………その傷を抱いた悟空は、


―――――どれほどの痛みを押し付けられたのだろうか。







































意識の戻らない悟空を乗せて。
ジープは真っ直ぐに西へと疾る。

進行方向には夕焼けが見え。
いつもなら、悟空が蜜柑みたいだなんだのと騒ぎ出すのに。
今日は異様な程に、静寂がその場を支配していた。



煙草を吐き出す息も聞こえない。
ライターを点ける着火音も聞こえない。

ジープの耳障りなエンジン音だけが聞こえる。


エンジン音から連動する、車体の振動。
出来るだけ、それが悟空に伝わらないように。
悟浄は悟空の身体を抱き上げていた。



……目が覚めたら、きっと。
間抜けな顔で見上げてくるんだろうと思う。


だからさっさと起きろと、悟浄は何度も胸中でだけ呟いた。



毒なんてもので。
そんなもので、死んだりはしない。
それほどか弱い存在ではない。

けれど、悟浄の腕の中の存在は軽く。
いつもの元気な姿など、微塵も見えない。




それをいつまでも見ていたくないのは。
前を見据えたまま動かない二人も、きっと同様で。




「………おーい」



返事が返ってこないと判っていながら。
淡い期待を抱いて、悟浄は呼んだ。



「…起きろ、飯食いっぱぐれるぞ」



せめて、微かな反応でも見せてくれたら。
いやいやをするように、小さく愚図ってくれたら。

空っぽになっていく心を、繋ぎ止めることが出来たのに。



いつものメンバーが一人欠けているだけで。
日常がこんなにも、非日常になる。

殴ったら、「いきなり何すんだ」と声を上げて起きるだろうか。
そうして、いつもの日常が戻るだろうか。
騒がしくて退屈でない、いつもの刻に。




「…悟浄、少し静かにしてください」
「……あ? …おう、悪ぃ…」




起きないものかと、呼びかけていた悟浄の言葉は。
呼びかけていた本人ではなく。
傍にいた別の人間に届いていた。

それでも目を覚まさない少年に。
八戒のハンドルを握る手に、力が篭ったのが悟浄には判った。




動物並に五感が鋭いくせに。
こんな肝心な時には、それは働かないらしい。


























街が見えたのは、既に日が落ちてから。
ジープに乗って半日ほどしたのに。
悟空はまだ、目を覚まさない。

呼吸は落ち着いていて。
眠っているようにも見えるけれど。



「悟浄、悟空を負ぶって行って下さい」
「……おう」



なんで俺が、とは言わなかった。言えなかった。

三蔵が傍にいる方が、悟空は目覚める気がするけれど。
目覚めた時、最初に、三蔵の感情のない顔を見て。
足手纏いになったと、落ち込みそうだから。


悟空が目覚めた時、最初に見るなら。
そうだ、笑い顔がいい、それが駄目なら間抜け面がいい。

……不安そうな泣き顔は、見たくない。



シングル四部屋が取れた。
だが、その一部屋は使われないだろう。
必ず誰かが、悟空の傍にいるだろうから。

白竜が悟浄の肩に飛び乗り。
背負った悟空を、心配そうに覗き込んでいる。


しばらく好きにさせていると、白竜は顔を上げ。
一度、悟空をじっと見つめてから。
自分の主の下へと飛んだ。



ちら、と悟浄は三蔵を見遣った。


ジープに乗ってから、何も言わない。
一体何を考えているのか知らないが。
無表情なのは、素面と仮面、どちらだろうか。














…自分達に聞こえない、子供の“聲”は。


まだ、あの男に聞こえているのだろうか。


















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