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君の面影を指でなぞるけれど




感じるの痛み消せない寂しさ












気づかない振りをずっとしてきたのは

………信じたくないから



―――――………逃げたかった、だけ










































ガタン、と大きな音がして。
そちらを見れば、悟浄が初老の医者に掴みかかっていた。



「巫山蹴んな、この野郎!!」
「悟浄!」



胸倉を掴む悟浄を、八戒が引き剥がす。
三蔵は壁に背を預け、成り行きを見ているだけ。
いつもなら「煩い」と一言ぐらいは言うのに。

こんな時ぐらい、少しは働けと八戒は思う。
けれど、言うだけ無駄だと判っている。



「離せ、八戒!」
「貴方こそ落ち着きなさい!」



いつもの飄々とした姿はどうしたのか。
悟浄の顔には、余裕と呼べるものがない。

それは自分も同じ事だろう。
悟浄を羽交い絞めにしながら、八戒は他人事のように思う。


それでも、悟浄の気持ちが判らない訳ではない。
あくまで、推測の域を出ないけれど。

それでも、同じ気持ちだと思う。



悟浄は押さえつけられても、まだ気が収まらないらしく。
引き攣った顔をする医者を、切れ長の目で睨んでいる。
射殺してしまうのではないかと思うほど、それは鋭い。

悟浄がいて、良かった。
彼いなければ、八戒がそうしていたと思う。
騒ぐ者が一人いれば、返って冷静になれる。





それでも、黙って聞いていられるものではなかった。











――――――あの笑顔を………見られなくなるなんて。













「テメェ医者だろ! なんとかしろよ!!」
「し…しかし……解毒剤はないし…」



なら作れ、と悟浄は言いかけたが。
八戒に抑えられて、それは声にならなかった。

紅玉が翡翠を鋭く射抜く。
それで八戒が引き下がる筈もない。
判っていても、悟浄は感情を抑え切れないのだろう。



「すいません、取り乱してしまって」



悟浄の変わりに、八戒が謝罪する。
八戒の台詞に、悟浄は舌打ちし。
それ以上の言葉を連ねるのを止めた。

ようやく悟浄の身体を解放すると。
悟浄は真っ直ぐ、ベッド脇の椅子に座る。


そのベッドには、未だに目覚めぬ少年がいる。








宿に着いて、最初の日。

既に陽は落ち、夕食など食べておらず。
いつもなら、空腹で目を覚ます子供は、眠ったまま。


一晩付き添い、手当てと看病をしたのは八戒だった。
翌日は悟浄が悟空の傍にいて、八戒は休息を取った。

三蔵は悟空の傍にいようとはしなかった。
部屋に留まっているのかと二人は思っていた。
けれど、それは違っていた。



今日で、宿に着いて三日目。
医者を連れてきたのは、三蔵だった。


辿り付いた町はそう大きなものではない。
けれど医者は、何故だか偏屈な人間で。
町外れにひっそりと暮らしていたらしく。

それを見つけるのに手惑い、二日を要してしまったのだ。


偏屈であるが、医者としての腕は確かだと。
町の住民からも信頼を得ていたから。
らしくもなく望みをかけて、悟空を看せたのに。







第一声が、「助からない」。







ある程度の覚悟はしていた。
傷口の深さと、出血量と、腐敗。

それでも、こんなことで死ぬなんて。
認めたくなかったから、激昂した。
先に悟浄が激昂したおかげで、幾分冷静は取り戻したけれど。


陳謝した言葉の裏で。
腸が煮え繰り返るのを、八戒は感じていた。



腕が確かな医者が言うのなら。
それも確かな事なのだろう。
必ずしも良い結果に終わらない事も、また確かで。

けれど、頭で判っていても、感情は別物だ。


弱い毒なら、多少なり対処できるけれど。
皮膚を食いつぶし、侵食するこの毒は。
見て判るほどに、進行が早かった。

悟空にこの傷を負わせた妖怪は殺したけれど。
……この毒を殺す為の解毒剤は、ない。




持って、一週間。
毒を受けたのが、三日前。
………あと四日。




それも希望的観測だ。
悟空の体力が持たなければ、明日にでも。


脳裏を過ぎった嫌な考えを、八戒は振り払う。

それから何食わぬ顔をして、医者を宿から去らせ。
また、悟空の傍へと戻っていった。







戻れば起きている、そう願いながら。




































「八戒!」













ドアを開けて。
かかった声に、顔を上げる。


壁に背を預けていた三蔵が、ベッドの横に立っていた。
椅子に座っていた悟浄が、ベッドに乗り上げている。

僅かに見えた悟浄の口元。
笑っているような、泣いているような。
三蔵の顔は見えなかったけれど、空気が違っている気がして。

それは、よく判らなかったけれど。


まだ少し青い顔をしたままで。
金色の光が、真っ直ぐこちらを見ていた。








………この光を、どれだけ望んだ事だろう。








願いは、あっさりと聞き届けられた。

あの破天荒な神の悪戯かとふと思ったが。
見届けるだけのあの神は、そんな事はしないだろう。


八戒は悟浄と三蔵を押し退けて。
ベッドに腰掛けている悟空に駆け寄り。

その小さな身体を抱き締めた。



「八戒、痛いよ」



きつく抱き締めれば。
笑いながらそんな事を言う。

実際、傷にも響くだろう。
けれど、離そうとはしなかった。
離したくなかった。



「痛いって、八戒」



いつものように笑いながら。
あの笑顔で言うものだから。

知らず、八戒も笑っていて。





笑っている筈なのに。
望んだ光が目の前にあるのに。

……何故か、胸が痛かった。





古傷が開いたような気がしたが。
八戒は、それに気付かない振りをした。
気付かないままで良いのだと、言い聞かせる。

微笑みかければ、笑みが返ってくるのだから。



「八戒、腹減ったぁ」



いつもの言葉に笑って頷いて、何が食べたいかと聞けば。



「肉食いたい!」
「お前、病み上がりでソレかよ」
「だって腹減ってんだもん」



悟浄が口を挟み、三蔵が煩いと言う事はなかったけれど。
自分が宥めれば、その場は収まった。

……いつもの、通りに。




















肉、と催促する悟空の頭を撫でて。
悟浄と三蔵に禁煙を言い渡し。
八戒は宿のキッチンを借りようと部屋を出た。

防音が効いているのだろうか。
部屋の中は、まだ騒がしい筈なのに。
ドアを閉めると、それは聞こえなくなった。


途端に少し、落ちつかなくなる。



昔は、静かで穏やかな日々が好きだったのに。
煩いぐらいが丁度いいと思うようになったのは、変だろうか。



一枚壁の向こう側のことを考える。

多分、悟浄が悟空を揶揄っているのだろう。
悟空はそれに、赤い顔をしながら反論するのだ。
あまりにも騒がしくなったら、ハリセンの出番。


ハリセンまでには、料理を持って部屋に戻ろう。



「それじゃ、お借りしますね」



宿の主人に、簡潔に事情を話し。
キッチン借りて、八戒は主人にそう言った。

律儀な性格なのか、主人はお辞儀をしてくれて。
八戒もつい、同じように頭を下げた。



「肉が良いって言ってたけど…軽めのものの方がいいですね」



急に重いものを食べるのは良くない。
何せ寝込んだままで、三日も何も食べていないのだ。
腹は減っているだろうが、胃が受け付けられるかどうか。


スープなんて持って行ったら。
多分、「肉は?」なんて聞いて来るだろう。

明日になったら、食べさせてあげよう。
だから、今日はこれで我慢だ。



コンソメスープと、野菜サラダ。
三人前ほど作れば、十分だろうか。

本当に美味しそうに食べてくれるから。
作る方も、楽しみが沸いてくる。
増して「美味しい!」「お代わり!」なんて言ってくれたら。


喉に詰まらせないように、食べさせてあげよう。
自分で食べると、悟空は一気に掻き込むから。
それは身体に良くない。

今は、そんな体力もないかも知れないけれど。
気をつけた方がいいのは確かだから。



「嫌がりますかね、やっぱり」



一応、18歳の男なのだ。
どんなに子供に見えても。

けれど、大事にしたいから。
そんな風に甘やかしてしまうのだ。


キィ、とキッチンのドアが開く音がして。
沸騰した湯のコンロの火を止め。
振り返ってみれば、悟浄が立っていた。

楽しそうに目を細めて。
見慣れた紅い青年が其処にいる。



「猿が腹減ったって騒いでるぜ」



先刻までの荒廃の様は、ない。
八戒の見慣れた連れの一人が、存在している。



「もう少しで出来ますよ」
「ついでに俺も腹減ったんだけど」
「自分で作って下さい」



自分のもと注文してくる悟浄に。
八戒は短い文章で返事を返す。

その返答も予測していたのだろうか。
肩を竦めて、短く息を吐いただけだ。
八戒もそれを見て、口元を緩めた。


悟浄が煙草を取り出し、口に咥えた。
しかし火は点けようとしない。



「吸わないんですか?」
「お前が禁煙って言ったんだろ」



そういえばそうだった。
部屋を出る前、ヘビースモーカー二人に言った。

料理に意識を向けているうちに、忘れたらしい。



「ちょっと前に自分が言った事だぜ。ボケた?」
「そんな訳ないでしょう。三蔵じゃあるまいし」
「都合の悪い事は忘れるからなー、あいつ」
「僕らもそれは同じようなものですけどね」



ボケとはちょっと違うけれど、と。
八戒の言葉に、悟浄はどうでもいいことだと笑う。

スープが煮込み終わったのは、それとほぼ同時だった。


























部屋に戻れば、悟空が三蔵にじゃれていた。



目覚めてしまえば、じっとしていられないのか。
ベッド脇の椅子に座っている三蔵の法衣を引っ張っている。

それを三蔵は振り払わない。
払ったところで、またじゃれて来る。
法衣の裾は既に皺くちゃになっていた。


そんな悟空に、八戒は笑って。



「悟空、ご飯持って来ましたよ」
「肉っ!?」



ご飯、と聞いて、悟空はこちらを見て。
一番最初に、そんな事を言い出す。



「残念ながら、お肉じゃないですよ」
「え〜っ……」
「明日はお肉にしますから。今日は我慢して下さいね」



優しく頭を撫でてそう言えば。
悟空はしばらく八戒をじっと見上げ。
渋々、という様子で頷いて。



「明日、絶対肉だからね」
「はいはい」



可愛い我儘を言うから。
明日はちゃんと肉にしよう、と八戒は思う。

徐々に慣れさせるのがいいのだけれど。
子供の些細な我儘と言うのは、聞いてあげたくなる。
日常に繰り返されているものだったから、尚更。



「ハンバーグでいいですか?」
「うん」
「ガキ」
「なんだよ、クソ河童!」



口を挟んできた悟浄に、言い返す。

その折、ふと振り返って悟浄を見てみれば。
どこか嬉しそうな顔をしていた。


悟浄の楽しそうな表情をどう取ったのか。
悟空は「笑うな!」と悟浄を睨む。
けれど今は、それさえ悟浄は甘受する。

言い合いを始める様子はなく、笑っているだけ。
悟空は赤い顔で悟浄を睨んでいる。



「ほら悟空、あまり熱くなっちゃ駄目ですよ」



傷口が開いてしまうから、と。
優しく諭せば、拗ねたような顔をする。

それに八戒が笑えば。
「八戒まで笑った」とますます拗ねてしまい。
三蔵の名前を呼んだだが、呼ばれた方は相手にしない。



「なんだよ、皆して!」
「別に〜? お子様だなーと思ってよ」
「僕は別にそんな事思ってないですよ」
「でも八戒も笑ったじゃん!」



悟空は毛を逆立てた猫のような様相で。
ベッドに腰掛けたまま、三人を睨む。

大きな目で睨まれても、一つも怖くない。
透明度の高い金色の瞳は、見ていて眩しいけれど。
畏怖を覚えさせるものは、何一つない。##RB##



「じゃあ、ご飯食べましょうね」
「じゃあって…前後の繋がりねぇぞ」



悟浄からの言葉は無視して。
八戒は暖かいスープをスプーンで掬い。





「はい、悟空」





口を開けて、と促せば。
悟空はしばし、きょとんとしていた。

三蔵が「ガキじゃねえんだ」と言うが。
無理をさせる訳はいかないからと返し。
悟空が言葉を理解するのを待つ。


いつまで経っても動く気配はない。
スプーンを差し出して、もう一度催促すると。



「オレ…子供じゃないんだけど…」



そんな言葉が返ってきて。



「無理させちゃいけませんからね」
「飯食うぐらい自分で出来るよ」
「駄目ですよ、ほら」



三度の促しをすると。
悟空はスプーンと八戒を交互に見て。
何か言うだけ無駄と思ったか、やっと口を開ける。

スープを口に運んでやれば。
すぐにそれは、喉へと沈下していった。









そうして「美味しい」と笑う顔が、好きだった。





































悟空が寝たのは、午後11時頃。

悟空が夢へと身を預けて。
三蔵はすぐに自分が使う部屋へと引き上げ。
悟浄も直に、部屋を出て行った。


八戒は悟空の傍にいて。
穏やかな寝息を、ただじっと聞いていた。


顔が青白いのは、淡い月光の所為。
汗をかいているように見えるのは、布団が暑いから。
握った手が冷たかったのは、今だけ自分の体温が高いから。

そんな言葉を、何度となく繰り返し。
明日もまた日常が来て、そしてまた続くのだと。







……自分の何処かが痛みに悲鳴を上げているのは、
―――――気付かない振りをした。





















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