- realaize -V



















流れるものは涙じゃなくて伝えきれない想い












夢が切なくこぼれ落ちて


――――――………足元で踊る









































部屋のドアを開ければ、必ずと言っていいほど起きていた。
主人の気配に敏感な犬だと言ったのは悟浄だったか。

あながち、外れてもいないだろう。
悟浄や八戒と話をしている時でも。
三蔵がドアを開ける時には、そちらを見ているのだから。



悟空は傷は塞がらない。
細胞が死んでいるのだから、無理もない。
その癖、腐敗の侵食は進んでいた。

皮膚は腐っていく癖に、痛覚だけはあるらしい。
いっそ感覚も一緒に食い潰せば良いものを。


悟空にその傷を負わせた妖怪の顔は、もう覚えていない。

ただ、もし覚えていられたら。
一度あの世から引き摺り戻し、また殺すのだろうなと、思う。




悟空は、いつも通りに騒がしい。

腹が減れば、飯と喚くし。
治療の時に消毒薬が染みると煩いし。
悟浄が揶揄えば、虚勢を張って言い返す。


三蔵が傍にいれば、じゃれてくる。
ベッドから降りる事はないけれど。

それでも、三蔵の姿を確認すれば。
人の名前を何度も連呼して、煩い事この上ない。
丸きり元気な時と、何も変わらない。



八戒に甘えるのも。
悟浄に揶揄われるのも。
三蔵にじゃれてくるのも。

何も、普段の日常と変わったところはない。
誰かが傍にいれば、何も変わった所はない。






…………誰かが、傍にいれば。











































「…隠してるつもりなのか、アレ」



紫煙を吐き出しながら、悟浄は言った。
それに三蔵が何か返事をする事などなく。
八戒は黙ったまま、それは肯定を示すもので。

悟浄は言わなければ良かったと思ったのか。
けれど、そう思った所で言った言葉がなくなる訳もない。



「……隠し事、下手だよな」
「そもそも、隠す事が嫌いですからね」
「…………で、あの有り様?」



八戒の言葉の後の、悟浄の声は。
感情を押し殺すような、低い声音で。

何を示しているかなど、判っている。
いつもなんでも躊躇いなく晒す癖に。
肝心なところで頼ろうとしない子供に、苛立っている。





寺院にいた時からそうだった。


なんでもいい、些細な事はすぐ言うのに。
肝心な所で、一人で抱え込もうとする。

関係のないものも全部、ひっくるめて。


寺院の坊主の、陰湿な嫌がらせも。
三蔵が問い詰めなければ、何も言わなかっただろう。

迷惑がかかるから言いたくなかった、と言ったのを覚えている。



隠し事が下手な癖に。
隠される事が大嫌いな癖に。
自分一人が我慢すればいいことだと。

そうすれば、誰にも迷惑をかけないからと。
それが子供の幼稚な発想だとは、知らないだろう。






隠すなら、もっと上手く隠せばいいものを。
子供はどうしても、断片を晒してしまうのだ。


悟空が毒をその体内に受け、今日で五日目。
意識を取り戻して、二日。

最初の内は、確かに元気だったのだ。
いや、今でも元気な姿を見せるだろう。
その傍に、誰かがいるのなら。



「……防音効いてっから、油断したんだろうな」



悟浄の言葉は、独り言に近かった。



「…だから、聞こえねぇって思ってんだろうな」



沈黙の帳が下りるのが嫌なのか。

数瞬の間を起き、また口を開き。
中身があるようなないような、台詞が続く。



「ったく……ガキだからなぁ」



誰も、それを咎めようとはしなかった。
黙らせようとは、思わなかった。


痛いなら、痛いといえば良いのに。
些細な傷なら、躊躇いなく晒すのに。
肝心なところを曝け出そうとしない。

「痛い」と泣く“聲”も、聞こえてこない。
其処まで耐える必要などない。


足手纏いになるから、言いたくない。
迷惑だと思われるから、言いたくない。
置いて行かれるのが嫌だから、言いたくない。

言いたくない、言えない、言わない。
肝心な時、子供を支配するのはそればかり。



優しくすれば、なんでもないと言う。
詰め寄れば、何もないと泣き出す。

そうしている事で。
何でもないことはないのだと、何かあるのだと。
言っているのと同意義だとは、判らないだろう。




ふとした拍子に、三人が部屋を出て。
悟空一人が、残った時。
痛みに苦しみだしたのに気付いたのは、三蔵だった。

“聲”は聞こえなかったが、声は聞こえた。
ドアが閉まる瞬間の、ほんの僅かな隙間から。


しばらく、その声を聞いていれば。
次第に、それは嗚咽へと変わり。

声を押し殺したまま、悟空は泣き出した。



医者の説明を聞いていたとき、起きていたのか。
それとも本能で己の状態を悟ったか。

いずれにしても、悟空は隠しているつもりなのだ。
自分の本当の状態を、仮面を被って見せないつもりでいる。







慣れないことなど、しなければいいだろうに。














キ、と部屋の扉の開く音がして。
三人がそちらを見ると、其処にいたのは。






「…皆、何してんの?」






悟空、だった。

本当なら、安静にしていなければいけない筈。
どんなに平静を装っていようとも。
仮に毒がなくても、傷の深さは確かなものなのだ。



「な…っにやってるんですか、悟空!」



八戒が座っていた椅子を蹴倒し、悟空に駆け寄る。
見れば、悟空の肩は僅かに震えていた。
こんな事ですら、隠す事ができない。

起き上がっているだけでも辛いだろうに。
支えもなく、歩き回るなんて。
毒が廻るのも早まるだろうし、危険極まりない。


必死の形相で詰め寄った八戒に。
悟空は「平気だよ」としか言わない。

そう周りに思わせるが為だけに。
自分はなんともないと言いたいのか。
こんな愚を冒してまで。



「部屋に戻りなさい!」
「大丈夫だよ、もうなんともないし」
「…なんともないって、怪我は塞がってねぇんだぜ」



つい数秒前の重苦しい空気を払拭するように。
明るい声を出す悟空に、悟浄が言った。

悟空は薄手のシャツと短パンだけという格好で。
シャツの隙間から、白い包帯が見え隠れする。
その包帯が朱に染まる事はないけれど。







………その裏で、明らかに異物は身体を侵食しているのだ。







部屋に戻れという八戒と。
寝ていろという悟浄と。
なんともないと言う悟空。

痛くないなど、嘘だ。
痛みに苦しんで泣いていたのは、誰だというのだ。



「三蔵、オレ、もうなんともないよ」



部屋の入り口から動こうとせず。
悟空は八戒の陰からそう言った。

三蔵が返答をせずにいると。
口を開いたのは、悟浄と八戒で。



「痛くなくても、寝てんのが一番なんだよ」
「だって、寝てるの飽きたよ」
「傷が酷くなったらどうするんですか」



二人で言っても、悟空は聞かない。

平気だから、この部屋にいたいと言う。
皆と一緒にいたいんだと。





「な、此処にいていいだろ?」





部屋に一人でいるのが、嫌なのだろう。
それは嘘ではなく、確かなこと。
いつも、独りになる事を嫌がっていたから。

けれど今は、それだけが理由ではない。
なんともないのだと、思わせたいから。



「旅続けたって平気だよ。なんともないもん」
「……猿、そりゃ素人判断だぜ」
「オレのことなら、オレが自分でよく判ってるよ」
「…なら尚更、部屋に戻って下さい」



突き放しているように聞こえるだろうか。

けれど、こっちだって判っているつもりだ。
悟空の身体がどんな状態なのかぐらい。
それなのに平静を装い、なんともないとばかり言うのなら。






「部屋に帰れ、悟空」






自分が言えば、悟空は従う。
渋々ながらに、部屋に戻る筈だ。

けれど。









「ヤだ!」








返ってきたのは、そんな言葉。


判っていない。
此処で、大人しく部屋へと戻れば。
その方が日常と変わりない事だったのに。

一緒にいれば、そしてその時に平静を保てば。
露見しないで済むなど、子供の考えだ。


なんともないから、と。
痛くないから、と。

泣きそうな顔で言いながら。
きっと、自分の表情に気付いていない。
いつも通りの我儘を言っているつもりなのだ。



「なんともないよ、本当だよ!」
「……いいから、帰れ」



隠しているつもりで、隠せていない。
隠せていても、きっと自分たちは気付くけど。

もっと上手く嘘が吐けたら。
判っていても、僅かな時間ぐらいなら。
少しは合わせてやったかも知れないのに。



「悟浄、部屋に持ってけ」
「……おう」



三蔵の言葉へ、短い返事の後。
悟浄は、入り口壁に寄りかかっている悟空を担ぎ上げる。

丁寧に扱うことはしなかった。
そうすれば、きっと余計に。
なんともないと、隠そうとするだろうから。






下ろせと言う悟空の言葉を、悟浄が聞くことはなかった。

























悟空がいた事で、開けっ放しになっていたドア。
それが閉じれば、また静寂が返って来る。
つい数秒前まで、あんなに騒がしかったのに。

悟浄がいない所為もあるだろう。
進んで喋ろうとする者が、此処にはいない。


一枚壁の向こうでは。
まだ、悟空と悟浄が騒いでいるのだろう。
下ろせ、下ろさない、そんな言葉を繰り返し。

しばらく悟浄は戻ってこない。
悟空が部屋で寝付くまでは、傍にいるだろうから。






静寂は嫌いではなかった。
煩いことと比べれば、気に入っていた。

けれど、それならば何故。
ようやく訪れた沈黙が、居心地悪いのか。
あの子供が、この場にいなくなっただけなのに。






「…良かったんですか?」



不意の八戒の言葉に。
三蔵は、真意を掴みかねた。

いや、判ってはいたけれど。
答えるつもりもなかったから。
意味が判らないと八戒を見返せば。









「………傍に置いておかないで、良かったんですか?」









……やはりそれか、と。
思いながら、三蔵は視線を八戒から外す。



――――傍に置いておけば。
悟空は、なんでもないと言うだろう。
自分の身体の状態を、自分で騙して。

その引き換えに、あの笑顔をまた見せるだろう。
大事なものと傍にいられる、あの笑顔を。



「いて欲しいなら、お前があいつの傍にいろ」
「僕じゃ駄目だって、判ってるでしょう」



悟空が傍にいたいと言っているのは。
確かに、悟浄や八戒もそうなのだけれど。

誰よりも一緒にいたいと願うのは。
たった一人の太陽だけで。
その代わりは、誰にも出来ないのだ。


呼ぶ“聲”が聞こえようと、なかろうと。
悟空が傍にいたいと望むのは、ただ一人。



「……僕だって、一緒にいたいですよ」
「…なら、そうしろ」



いちいち言うな、と。
そう続ければ、八戒は薄く笑った。
過去に何度も見た、嘲りの笑みで。





それに嘲られるのは、自分自身か、それとも。






もう寝ますね、と。
全ての会話を、勝手に終わらせ。
八戒は部屋を出て行った。


部屋に残ったのが三蔵一人となれば。
自然、この部屋を使うのは三蔵と言う事になる。

悟浄はこちらへ戻ってこない。
悟空が寝付いても、おそらく。
そのまま、別に取った部屋へ行くだろう。




全てを三蔵に任せるつもりなのだ。
押し付けられている気がしないでもない。

それでも、悟空に関する事なら。
結局いつも、三蔵に委ねられるのだ。

















だからこの先、何がどうなるかも。



きっと自分一人に全てを任されている。





















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