Time it was,

And what a time it was,






It was...

A time of innocence,

A time of innocences.













Long ago... it must be...

































不意に聞こえた声に、金蝉は足を止めた。




金蝉が今居る場所は、二つの館を繋ぐ回廊。
其処から見えるのは、中庭に咲き誇る桜。

其処からいつも聞こえるのは、唯一つの静寂。
時折、小さな子供が駆け回る声がするけれど。
今聞こえてきたのは、静寂でも、駆け回る子供の声でもない。


だが、声は確かに、子供のもので。
伴ったのは、静寂だった。










…………これは、



―――――――唄だ。






























聞こえた声の主の事が、途端に気になった。
中庭へと降りて、首を巡らせて子供を捜す。


いつも放任しているのが常なのだが。
良くも悪くも、あの子供は此処では目立つ存在だ。
何処で何をしでかすか判ったものじゃない。

一応、自分は保護者なのだ。
不本意極まりなかったが、もう随分と慣れた気がする。



今だってそうだ。

ごく自然に、あの子供の聲を聞き取り、気付き。
気になるからと、捜し歩いている。









よく通る声を辿りながら。


いつも煩い子供を捜している。















「……何処だ?」



いつもなら煩いから、直ぐ居場所が判るのに。
今に限って、何故か聞こえる声は静かで。
それなのに波紋を広げ、金蝉の鼓膜を震わせるから。

何処から聞こえてくるのか判らなかった。



「……何処だ、悟空」



名を呼べば、姿を見せると思った。
呼べばいつも、何処からか飛びついてくるから。

なのに今日はそれは形を潜め、声は途切れる事無く。
金蝉の名を呼び、駆ける軽い足音も無く。
唄が途切れる事も無かった。


声を荒げて呼べば見付かるだろうか。
どういう訳か、それをしたくないと思った。

この静かな波紋を、壊したくなかった。




回廊横を通り抜け、続く館を過ぎ。
思った以上に、金蝉は長い距離を歩いていた。

次第に視界が開け、そしてまた覆われる。
人工物ではなく、咲き誇る桜によって。
時折風が吹けば、また道を遮られる。



それでも聞こえてくる声を捜して歩いて行けば。
少しずつ波紋の中心へと近付いているのが判った。








――――……悟空








声に出して呼ぶ事はしなかった。
それでも、呼び続けながら金蝉は歩いた。

時折、桜の木が風に揺れてざわめき立てるが。
その音に波紋が消されることは、無かった。



最初は聞き取れなかった言の葉が、拾えるようになり。
よくよく聞けば、時折調子外れの音があった。

覚えたてなのか。
それとも、単に下手なだけか。
恐らく両方だろうと、勝手に結論付けた。


聞けばあの子供は、頬を膨らませて拗ねるだろう。
下手なんかじゃない、そう言って。

それから音が外れていた事を指摘すれば。
覚えたばっかりだから、と言ってまた拗ねる。
今度は多分、そっぽを向いてしまうだろう。




そんな、捜し求めた存在をその瞳に認めれば。
小さな湖畔の岸に座って、変わらない空を見上げながら。

唄を、歌っていた。







―――――澄んだ声だ。








ともすれば、そのまま解けて消えていきそうな。

何処までも響いて行けるような気がするのに。
とても透明で、儚いものだと思わせる。


湖畔に子供の足先が浸かっている。

子供が僅かに足を動かせば、それにあわせて波紋が広がり。
まるで響き渡る見えない波紋と同調しているようだった。



金蝉は立ち尽くし、じっと子供を見つめていた。


子供の方は、保護者に気付いているのかいないのか。
恐らく、まだ気付いていないだろう。

唄はまだ途切れる様子を見せない。
このまま、いつまでも歌い続けるような気がした。


それでも。






「悟空」






名を呼べば。
唄は途切れて、空を見ていた金瞳が向けられ。

その直後に見せられたのは、太陽のような笑み。







「金蝉!!」







湖畔から足を上げて、地面をしっかりと踏み締め。
その勢いを殺さずに立ち上がり、こちらを向いて。
小さな子供が、真っ直ぐこちらに駆け寄ってくる。

立ち尽くしたまま、それを待っていれば。
ぽすん、と小さな暖かい存在が抱き着いて来た。


仔猫か仔犬のように金蝉の体に擦り寄って。
何が面白いのか、にこにこ笑っている。


気紛れに大地色の髪を撫ぜてやると。
少しの間、悟空は不思議そうにこちらを見上げ。
それからもっと、と頭を摺り寄せてきた。

それを甘受しながら、くしゃくしゃと撫でる。
時折、小さな笑い声が聞こえてきた。



「金蝉、あったけー」
「…なんだ、突然」



口を開けば、意味の判らない事を言う。
それは今回に始まった事ではなかったが。



「ね、もっと撫でて」
「あまり図に乗るなよ」
「いいじゃん、もっと」



普段、ちっとも構ってやれないからか。
なんとなく悟空の我がままを聞いてやる気になっていた。

腰に回された子供の手は、しばらく離れてくれそうにない。


そうして、どれ程時間が経ったのか。
ゆっくりと手を離すと、悟空がまた顔を上げた。



「金蝉、どうして此処にいんの?」



遅いの質問だと思った。
それとも、どうでもいい事なのか。

どうでもいいのかも知れない、この子供にとっては。
きっと、此処にいる理由なんてものよりも。
此処にいるという事実の方が、大事だったのだろうから。



「ねえ、なんで?」



答えない金蝉に焦れて、悟空は返事を催促した。
しかし、金蝉は答えるつもりは無い。


声が聞こえたから等、自分らしくない。
ふと気になったからだとか、それも言う気はない。
だから、なんとなく、とだけ答えておいた。

腑に落ちないであろう返答だろうに。
この子供は、それ以上の追及をしようとしない。


与えられた答えに、ふーん、とだけ呟き。
それから幾分間を置いて、そっか、と終わらせる。
それからまた、保護者にその身を寄せた。



「……唄か?」



擦り寄る悟空に、余談もなしに問えば。
一瞬、言葉の理解が遅れたのだろう。

金瞳がきょとんとした色を映し出していた。



「…誰かに教わったか?」



同じ問いを違う形で言葉にすると。
今度は理解したらしく、悟空ははっきりと頷いた。



「ケン兄ちゃんに教えて貰ったんだ」
「………捲簾に?」



反芻して悟空に問えば、また頷いた。
意外な名前が出てきたものだと金蝉は思う。

その傍ら、納得もした。
あの男ならやりそうな事だと。










―――最初は、捲簾が口ずさんでいたのを偶然通りかかった悟空が聞き止め、興味を持ったのだと言う。





下界で聞いた唄だと捲簾は言っていた。

遠征を終え、軍の者達から離れて行動し。
気紛れに立ち寄った酒場で、聞いたのだと。


やけに耳に残る唄。
歌詞は耳に馴染まない単語を繰り返していた。

静かなメロディに乗せて綴られた言の葉。
いつもは騒がしいであろう酒場は、しんと静まり返り。
捲簾もただ黙って、歌い人を見つめていた。



教えて、と悟空が言った時。
捲簾は知らなくていい唄だと言った。
悟空が知るには、まだ早いだろうから。

もっと大きくなったら教えてやる、と言われたけれど。
悟空は我儘を言って、捲簾が根負けした。




そして。

教えて貰った代わりに。








『忘れるなよ』


『お前がでっかくなったら、いつか』
『いつでもいいから』
『…ゆっくり、唄の意味を考えてみな』


『……今はきっと、まだ早いから』




『………それと……』












『あんまり金蝉の前で、歌うなよ』
















捲簾が約束させた言葉の意味を、悟空は理解できなかった。
静かな唄だから、きっと金蝉も気に入ると。
思った事を素直に言ったら、そんな事を言われた。


聞かせてあげたかったのに、と呟いたら。
今はまだ駄目だと言われた。

その時の捲簾の表情が。
いつも見ている“ケン兄ちゃん”じゃなかったから。
悟空も小さく頷いて、約束した。



――――約束した傍から、聞かれたと。
悟空は困ったように笑う。

そんな悟空の頭をまたくしゃくしゃと撫でて。
金蝉は、捲簾の言葉の意味が判ったような気がした。
馴染みのない唄の意味と、一緒に。








確かに…………この子供には、まだ早い。







「ねえ、金蝉は気に入ってくれた?」



無邪気に見上げて、そう言う子供が。
今は酷く、哀しいもののように見えてしまう。

あの男も、タイミングが悪い。
何故よりによって、そんな唄を聞いて来るのか。
この何も判らない子供に聞かれてしまったのか。



「金蝉、静かな方が好きだろ?」



喜んで欲しいと思っていたのだろう。
この唄を聞いた時、金蝉がどんな顔をするか考えながら。







…良い唄だと。
そう言えたなら、良かったのか。

……気に入ったと。
そう言えたなら、良かったのか。



きっとこの子供は笑うだろうけど。








答えない金蝉に焦れて、不安そうな顔をする子供を。
金蝉はそっと、抱き締める。

今悟空がどんな顔をしているのか、見なくても判る。
間の抜けた、不思議そうな表情をしているのだろう。
纏う空気だけでも、それぐらい判る。


喜んで欲しくて。
誉めてもらいたくて。

一所懸命、覚えたのだろうけど。




「……もう歌うなよ」




唄の意味を知れば。
口をついて出てくるのは、そんな言葉。



「…金蝉、気に入らなかった?」



ごめんね、と謝る悟空の頭を撫でれば。
少し安心したような、それでもやっぱり不安そうな。
入り混じった顔を見せた。






「金蝉が嫌なら、もう歌わない」






真っ直ぐ見上げてくる金瞳と、その言葉。
期待に添えてやれなかったことを少しだけ悔やむ。

……少しだけ。





――――ああ、確かに気に入らなかった。
だって。
















全てが終わってしまった後の唄なんて。




この子供から聞きたくなんか、なかった。




























Time it was,
And what a time it was,






It was...
A time of innocence,
A time of innocences.







Long ago... it must be...











have a photgraph.






Preserve your memories,

They’re all that’s left you.

















FIN.


後書き