jihva karma


















人は









誰も皆









何かを捨てて生きていく







































































夜半、仕事を終えて帰ると、寺院内が騒然とした。
理由は何よりも、自分がよく判っている。

三蔵自身と、それから。
腕の中で蹲り、死んだように眠っている子供の。
紅に染まったその体。


騒がしく慌てふためく僧侶達を、三蔵は無言で押し退ける。
行く手を遮ろうとした者は、鋭い紫闇に射貫かれた。

腕の中の子供は、ぴくりとも動かない。


風呂を、と言う僧侶に向かって。
それよりも水桶と手拭を持って来るように告げて。
三蔵は二の句を言わせずにその場を離れた。

今、下らない言葉を聞いている暇は無い。
腕の中の存在をどうにかしなければならない。







あの瞬間から――――絶えず響く、叫び聲を。







































事の起こりは数時間前にあった。



珍しく遠方の仕事に悟空を同行させた。
仕事の間は用意された部屋で大人しくしていた悟空。
特に問題もなく、仕事を終える事が出来た。

遠方と言っても一夕あれば辿り着ける距離だった。
三蔵は悟空を連れ、早々に帰路へとついたのだ。



本当の理由を言えば。

あまりにも排他的な相手側の空気の窮屈さに耐え兼ねて。
何処で見たのか、悟空の事を稚児だなんだと噂を聞いたから。



共をつけさせると言われたが、それをきっぱりと断ると。
西の空が赤み始めた頃、彼の寺院を後にした。

特になにも珍しい事はなかったように思う。
帰路に野党や妖怪が襲ってくる、そんな事は少なくない。
悟空が何か見つけて三蔵に見せたがる、そんな事も。


そして、数人の野党が現れた。
僧侶と子供と思って舐めてかかってきたが。
あっさりと返り討ちにしてやった。

違ったのは、其処から先だ。





銃。
黒い砲身の長いもの。





何処に隠し持っていたのか。
久しぶりの獲物だったのか、返り討ちにあった逆恨みか。
もういいだろうと背を向けた二人に向け、弾丸が放たれた。


一瞬早くハンマーを落とす音が、二人の鼓膜に届いた。
そのお陰で難なく避けることが出来たが。
続け様撃たれた弾が、悟空の頬を掠めた。

三蔵が野党の一人の手を狙って小銃を撃った。
しかし撃たれた男は転がってそれを避ける。


掠った程度でも、当てられた以上は倍で返す。
悟空は低姿勢で駆け出すと、男との距離を詰め。
真っ先にその手に握られていた銃を蹴飛ばした。

流石に殺すまでは行かないが。
一発男の腹に蹴りを御見舞いした。


小柄でも悟空の力は人並外れている。
男はもんどりうって、その場で腹を抱えてむせ返った。

それを一瞥すると、悟空は軽い足取りで三蔵に駆け寄り。
いつものように、腹減った、とねだり始めて。
三蔵にハリセンで叩かれ、また帰路へつく。





が。





三蔵の背に、熱いものが走り。
振り向き様に見たのは、血に塗れた刃。

銃に手間取っている間に、他の男が目を覚ましたのだ。


悟空の呼ぶ声が聞こえ、他人事のように煩いと呟き。
地面に屑折れそうになったのを堪えると。
傍に立っていた子供が、咆哮を上げた。



まだ拾ったばかりの頃の事を思い出した。
初めて悟空の金鈷が外れた時の事を。

暴走したら、今の三蔵で止められるか、正直自身が無かった。
背中が痛むお陰で、体がまともに動かなかったからだ。
傍にいる子供の腕を掴もうとした――――己の存在を確かめさせる為に。




しかし。
すぐ傍にいた筈の子供の姿は、既になく。

まさかと思い、眼前へと目を向ければ。
















惨劇しか、

其処にはなかった。





















































持って来させた水と手拭で、三蔵の手で悟空の体を清め。
その体に傷がない事を確認すると、寝台に横たえた。

呼吸のリズムは安定しているが、鼓動が早鐘を打っている。
汗が噴出して止まらず、それなのに肌は冷たかった。
幼い体のバイオリズムが完全に狂っている。



そっと小さな体に、自分の手を重ねてみると。
僅かにその手が震え、三蔵の手を掴む。

呼ぶ聲が、大きくなった。






目を覚ませて呼べばいいものを。
声にない聲ではなく。
音としてはっきりと。

今ばかりは、煩く呼んでも叱り付けたりはしないから。
気が変わる前に目を覚ませと、憮然と呼び返す。






しかし、聞こえているらしい反応は返ってこない。
握られていなかった手が、彷徨うように揺れて。
三蔵は開いていた手で、その手を掴んでやった。


自分がまだ紅に塗れている事を忘れた訳ではないけれど。
この子供の傍を離れる方が、よほど危険な事だ。

少しでも傍を離れるなら、安定してからで十分だ。





煩く呼ぶ聲。

繋いだ両手。





いつもなら、煩いだけの聲が。
今は酷く痛々しい叫びを、慟哭を張り上げて。

いつもなら、子供体温の所為で熱いぐらいの手が。
凍ったように冷たくて、温もりは逃げる一方。
このまま氷のようになっても可笑しくない程に。


己の背に走った傷など、これの欠片もない。






人並以上の力を持つ悟空が、意図せず人に怪我を負わせる。
それは拾って間もない頃、時折起こった事だった。


大して力を入れていないのに、派手に吹っ飛ぶ相手。
軽く振り払っただけなのに、痛みを訴える相手。
殆どが寺の修行僧だった為、嫌がらせに大袈裟に騒がれたりもしたが――――それとは別に。

その度、悟空は泣いていた。
傷付けるつもりなどなかったのに、と言って。



今では手加減も出来るようになって。
嫌がらせも我慢するようになって。

三蔵に迷惑をかけたくないから。
その一心で、悟空は自分を制御する術を見につけた。
…………けれど。





殺した事は、なかった。

どんなに相手に傷を負わせても。
殺した事だけは。






行き過ぎた嫌がらせを行った修行僧にも。
遠出した先で襲ってきた野党にも。

せいぜい、動けなくなる程度の反撃しかしなかった。


野党が死ぬ所は何度も見たと思う。
不意打ちを狙った野党が、三蔵によって殺されるのを。
襲ってきたのは相手だから、正当防衛だと。
三蔵の言葉を、悟空はふぅん、と返しただけだった。

それでも、悟空は人を殺した事はなかった。
妖怪だったらどうだったかは、少々掴み兼ねるが。










甘いのだ。
悟空は。

誰に対しても。




人の罪まで背負う。
そして、泣く。

関係の無い事にまで。














「さ……んぞ…ぉ…」





漏れた声に、思考の海に沈んでいた三蔵の意識が浮上する。
目覚めたかと思ったが、金色が覗く事は無かった。

繋いだ手が震えていた。
安定していた呼吸が、乱れている。
口は、酸素を求めてか開きっぱなしだ。



響く聲が強くなる。

意趣返しに呼べば、また呼ばれる。



繋いだ手に、ほんの少し力が篭もった。
いつもの力強さに比べると、それは微々たるものだった。
温もりさえも、その小さな手にはない。

握り返す。
強く、強く呼びながら。










………帰ってこいと。

呼びながら。














紅の華が咲き誇る真ん中で。
立ち尽くしていた子供の背中。
儚くて頼りなくて、寂しそうで。

あの時、子供の腕をもう少し早く掴んでいたら。
こんな事にはならなかったのかと思う。


けれど、それは仮定でしかなく。
例えばあの瞬間、間に合っていたとしても。
いつ同じ事が起きたか、起きないか等とは言い切れないのだ。

金鈷が外れた時の暴走とは違う。
意図せぬまま、他人の命を奪うという行為を。




一生の間に一度もいないなど、言い切れない。




それでも、まだ15に満たない子供が。
誰より孤独に怯え、誰より優しいと知っている。
命が消える事に、異常な程に敏感だと言う事も。

立ち尽くした背中は、迷子になった子供のようで。
振り向いた時に見た、あの綺麗な金色は。











確かに、

泣いていた。











喪うとでも思ったか。
不意を突かれた自分を見て。

だとしたら、情けない事この上ない。
その程度で置いていかれると思った子供も。
その程度で置いていかれると思われた自分も。



「……言っただろうが」



出会って間もない頃の事を思い出した。


一晩、逢っていないだけだった。
それ位問題無いだろうと思っていた。

けれど、響いてきたのは慟哭の泣き声。
辿り着いて見たのは、泣き顔。
だから、言ってしまった。



「置いてきゃしねぇよ」



泣きじゃくる子供を見下ろしながら。
初めて目の当たりにした、孤独を恐れるその心に。










「こんなどうしようもねぇバカ、一人で――――………」










ふる、と悟空の瞼が僅かに震えた。
繋いでいた手を離し、大地色の髪を撫でた。

するとゆっくりと、金色の瞳が晒される。


何気なく、丸い頬に手を当てた。
力なくベッドに落ちていた手が、それに触れて。
まだ夢現なのか、ぼんやりとこちらを見上げてくる。

触れた頬は、まだ冷たかった。
それでも、瞳はしっかりとこちらを見ている。


次第に意識の覚醒が瞳に見られるようになり。
触れる手が、自分の保護者のものであると知る。

途端に、悟空の顔はくしゃくしゃになって。














「――――――さんぞぉ!!!」













跳ね起きた小さな体が。
必死になって三蔵の体を掴んだ。

しがみ付いたまま泣きじゃくる子供。
今ばかりは引き剥がす気にならなくて、好きにさせた。

頭に響く聲は幾らか緩和されたように思うが。
代わりに、直接鼓膜に届く声が煩くなった。
やはり、この子供は寝ても冷めても煩いのだ。



「さんぞ…さんぞ、さんぞぉ……さんぞぉお……」
「ったく……死んだとでも思ったか、バカ猿」
「…って…だって……さんぞぉ……」



勝手に殺すな、と言いながら。
意識をなくして倒れた悟空に、同じ危惧を抱いたなどと。
当然、言える筈も無かった。

冷たい悟空の体に触れながら。
このまま死ぬのかと思ったなどとは、言えない。



「置いてきゃしねぇと言っただろうが」



三蔵の言葉に、悟空は何度も首を縦に振るが。



「でも……でも、っく…ふぇ……」
「なんだ」
「さんぞ…っかった……っく……こわ……ぅ…」



恐かった、と。
告げる子供を、腕の中に閉じ込めた。



「それに…っれ……おれ……」



腕の中で震える悟空の、大地色の髪を梳く。

悟空が一層強くしがみついた。
背中の傷が僅かに痛んだが、気に止めない。


悟空が三蔵を見上げてきた。
その瞳からは、絶えず大粒の雫が零れ落ちている。
幼児をあやすように、その涙を指先で拭いてやる。

その手を、悟空が掴んだ。
まだ震えが収まらないままで。



「………なんだ」



言おうか言うまいか、迷っているのか。
そんな節を見せる悟空に、告げろと促した。

まだしゃっくりが止まっていないまま、悟空は口を開く。












「…っおれ……ひと………ころした……!」






「だからなんだ」













間髪入れない三蔵の言葉に、悟空の涙が一瞬止まった。
呆然と見上げてくる悟空の顔は、いつもの間抜け面だ。

泣いているより、その方が似合うように思う。
無邪気に笑って、保護者を怒らせて、懲りないで。
怯えている表情よりも、ずっと。


三蔵の言葉が理解できなかったのか。
悟空はじっと三蔵を見上げてくる。




「覚えておけ」




見上げる悟空を、真正面から見据えた。






「誰もが、何かを殺して生きている」






それは、草花でもあり、家畜であり。
人であり。






「だから、いちいち泣くな。捕らわれるんじゃねぇ」







触れた頬に、少しずつ温もりが戻っている。
それを喜ぶ自分がいることに、三蔵は気付いた。




「喪いたくないものがあるから、他の何かを捨てて生きる」




何も喪わずにいるなど、出来る事ではないから。
何よりも喪いたくないものを抱き続けて。




「生きてるもんは、どれもそうだ」




たった一つの大事なものを喪わんとする為に。
他の何かを捨てて生きていく。

三蔵に置いて行かれたくなくて。
置いて行かせようとした野党を、悟空が殺したように。
大切なもの一つを喪わんとする為に。






「奇麗事で片付けられるもんじゃねぇんだよ」






この世界は。




見上げてくる悟空を見て。
話が難し過ぎたか、と何気なく口にすると。
しばらく間を置いて、悟空は頷いた。

ハリセンで叩いてやろうかと思ったが、今日はやめた。
大地色の髪をくしゃりと掻き撫ぜるだけに留めた。



「お前は、当たり前の事をしただけだ」



その手を紅に染める事も。
孤独を恐れる事も。
禁忌と呼ぶには優しいものだ。

強いて言うなら、悟空の優しさが仇となるか。
今回のように。




「………だが」




泣く必要はない。
けれど。










「今だけは、泣け」











子供でいる、今だけは。


























人は

誰も皆



何かを捨てて生きていく





捨てられないもの一つ抱いて

他の何かを捨てて生きていく
















何かを殺して生きていく



























FIN.


後書き