第1話
「あかんって。なんでわたし、シャワーなんか浴びてんねん」
そうつぶやいてみたけど、手を止めたりもせえへんし、逃げたりもせえへん。自分でもどーなってんのか、そんでどーしたいんか、まるで分かれへん。
「そうや、きっと酔うてるからや。酔うてるから、その酔い醒ましたいだけなんや。わたしも、きっと、あいつも」
自分の前にこのシャワー室使うて、いまきっとバスローブかなんか着てベッドに座ってるあいつも。さっきの居酒屋で、しこたま二人で呑んだんがいかんかった。そうに決まってる。
よく考えてみたら、きっとこないなことになった理由が分かるはず。頭ちょっとボケてるけど、ゆっくり考えたらええねん。シャワー、冷たくてちょっと気持ちええし。
「えーと、昨日の夜あいつからケータイに電話があって、それから、それから」
もう、どないなってんねん!ホンマ自分で腹立ってくるわ!
「それから、えーと。あ、そうや!んで、今日の6時に会う約束したんや。んで、約束どおりに梅田の紀伊国屋ん前に待ってて。すぐに、あいつが来たんや」
そうや。またいつものアホみたいな笑い顔で。あいつが、走って。
「えーっ!なんや将史、またフラれたん!?」
わたしは中ジョッキに入ったビールから口を離して大声で叫んだ。
「まあ、そういうことになるかな」
「なんでもええけど、今年に入って何人目やの?年明けてすぐにフラれたいうてて。そんでゴールデンウィークん時もいうてなかった?」
まあ自分でも怖なるくらいに、ガンガン将史に向かっていろいろいうてる。
「そうだな。アキのいう通り、今年に入って3人目。我ながらいやになってくるよ」
あ、アキいうのはわたしの名前やからね。ホンマは明菜いうねん。な、恥ずかしいやろ?うちんとこん親が「将来こんテレビに出とる娘みたいになって欲しい」いうて。それが恥ずかしいから、ちっちゃい頃から皆にアキって呼ばしてんねん。で、去年東京からこっち来た将史も、わたしのことアキって呼んでる。っていうかムリヤリ呼ばしてる。
「もうこうなって来ると、なんやあんたに決定的な欠陥があるしか思えんね」
「おいおい」
「だってそうやろ?まああんたは顔もええほうやろうし、話もおもろいやん。だからなんでそないにフラれるんかが全然分からん」
「おっ」
なんや、そのうれしそうな顔は。
「ホントか?顔もいい、しゃべりも立つ?いやあ、そんなこと言ってくれるのはアキ、お前だけだよ」
「ホンマ、ホンマ?んならなんか買うて!せっかくわたしが褒めたったんや。ちょっとくらい感謝の気持ち見せてくれてもええやん!」
「あーあ、台無し!」
んで、わたしと将史はアホみたいに笑い合う。
「でもさ」
「んー?」
だからビール呑んでるときに話しかけんといてって!
「俺もちょっと不思議に思ってんだけど」
「何が?」
「おい、口の上に泡ついてる」
「あ、ホンマ?」
「俺にガンガン言うのも分かるけど、そういやお前もあんまりもてないよな」
「ちょ、ちょっと待って。それ失礼や思わん?」
「へっへ、罠に乗ってきたぞ」
「わたしの場合あんたと違うて、大事に大事に恋を探してんねん」
「ぷっ!なんだそれ」
あーっ、純粋なオトメゴコロを笑うたなーっ!
でも、きっと将史は知らん。あのこと知ってるんは、両親と親友の倫子と絵美だけや。
中学時代、わたしは、レイプされた。部活の帰り道、夜、草むらで、誰か知らん奴に。おなじ部活やってて少し後に帰ってた倫子と絵美がわたしを見つけて、家に連れてってくれた。
それを振り払おう思うて、社会人になってから何度か、人を好きになった。エッチ寸前までいった。でも、やっぱり出来へんかった。怖かってん、男の人が、やっぱり。
でも、いくら明け透けなわたしでも、そんなこと男には言えへん。ましてや目の前の将史は、前のわたしを知らへん。こいつに、悩みも何でも話せるようになっても、さすがに。
「さっきの褒め言葉じゃないけど、お前もまあ、黙ってりゃ可愛いぞ」
「黙ってりゃ?ほんならしゃべってたらどうやねん」
「それは言えません〜♪」
で、そんな話がダラダラ続いた。もうわたしも将史も、時間なんか気にせえへんようになってた。そういえば将史と、サシでこんなに呑んだことなかったなぁ。
「あー。あかん、明らかに今日呑み過ぎてるわ」
「へえー、アキって案外酒に弱いんだな」
なんや、お前かて顔真っ赤やん。
「このまま黙って酔いつぶれてくれりゃあ、体を気遣って、家まで送ってやろうって気になるんだけどな」
「ふん。そんなこというて、送る途中でか弱いわたしに襲いかかってくるんちゃうか〜?」
「バカ言え。そんなことしたら、あとが怖いよ」
「はいはい。あ、分かった。将史あんたそないにいくじ、ん、うんっ」
意気地なしやから、女にフラれんねん。そういおうとしてた。でも、あかん!急に来た!吐きそうや!
「お、おいっ!ちょっと待てよ!」
将史がすぐ側に寄ってきて、わたしの肩を取ってトイレに連れてこうとする。
「う、うえっ。あかん、もうだめ。うえ、うえっ」
「ダメだ、もうちょいガンバレ!あと少しだ」
「うえっ、うっ、うえっ」
将史がトイレの戸を開ける。わたしは崩れるようにトイレの便器に貼りついた。
カッコ悪。いちばん見したないとこ、将史に見られてもうた。
「大丈夫か?」
「うう、大丈夫や、あれへん」
とりあえず全部吐いたつもりでも、えづきは止まらへん。
「あーあ、完全に呑みすぎだな。おいアキ、もう帰るぞ」
「うー、なんでや。まだ呑める、う、うーっ」
「あーもう!ほら、肩貸せ!」
あーあ、だらしな。ホンマ正気やったら「ほっといて!」いうて手を振りほどくんやけど、今はぼやぼやした視界で、ただ将史がレジで金払ってくれてんの見てる。
「うーっ、わ、ワリカンや、で」
「ばーか。いいんだよ、今日は俺が誘って、こんなにしちゃったんだから」
言い返す言葉がない。
店を出るとき、奥から店のオッサンが言うのが聞こえた。
「まいど!兄ちゃん、ちゃんと愛しい彼女、介抱したってや!」
彼女ちゃう!って声出したかったんやけど、わたしはあーやらうーやらうめいてるだけ。暖簾をくぐる時、将史がちょい手を上げてオッサンの声に応えたんが見えた。
「あー、クソ!タクシーがこんな時に限ってつかまらん!」
「わたしら見て、皆逃げてんねん」
「どうしてだよ!」
「ふふーん、何でやろね。へへっ」
こいつホンマんアホや。まだ気づいてへん。わたしがシャツ脱いで、そのシャツ振って寄って来るタクシーに「あっち行け!」ってガンつけてんの気づいてない。
「重いなあ。アキ最近、太ったんじゃないか?」
「失礼なっ」
バタバタって、シャツで頭叩く。あははっ、まだ気づいてへん。ほうら、お前の背中にブラ一枚の女がおるぞ〜っ!
居酒屋出てから、ずうーっとわたしを背負ってる。なんでそこまでしてくれんねん。わたしなんか、ほおっていったらええのに。
「しかし、俺もエライね。お返しもないのに、背負っちゃったりして」
「なんや、わたしなんかお返ししたらなあかんのかぁ?」
「いいよいいよ。冗談。アキに貸し作っても、あとが怖いから」
「なにいっ!」
頭をポカポカ叩いたった。アカン、ちょっと強すぎたかな?
「しかし俺、こんなに女の子に優しいのに、なんでもてないのかね」
「顔や顔。あんたみたいにいっつもいっつもヘラヘラ笑うてると、女の子は近づいてけえへんねん」
「えー、なんで?いつも笑ってたほうがいいに決まってるじゃん」
「あんなぁ。相手の男がいっつも笑うてると、女は逆に警戒して、それ以上ふところに入っていけへん。ホンマにええ男は、ちょっと翳りがあったほうがええねん」
わたしなに言うてるのやろ。本心?ウソ!ちゃうちゃう!
「ふうん、そんなもんかな。でも」
「でも、なんやの?」
「でも俺は、いっつも笑ってるような優しい男でいたいな。今もアキをおんぶしてやってる俺が、自分ですごく好きだもんな」
「はああ!?」
大きな声出して、思いっきりバカにしたった。けど、心の中は、なんかほわーんとあったかくなってくる。なんかそのあったかさが、すうーっと昇ってきて。
え?ちゃう!ノドや、ノドをなんかがまた昇ってくる!
「うっ、うっ。ま、将史ぃ、めっちゃ、気持ちわるっ」
「ええっ!ウソだろ!?」
将史はキョロキョロあたりを見回す。繁華街の裏通りやし、すぐ前に交番がある。吐かせるとこなんてあれへん、やろうなあ。
「えーと、えーと、ど、どうすりゃいいんだ!?」
ちょ、ちょっと、そんなに揺らさんといて!
「えっうっ、うううーっ!」
えづき、止まれへん。わたしは将史の背中に自分の顔を押し付けた。そうでもせんと、食べたもん全部吐いてまいそうやったから。
急に、将史がどこかへ走り出した。こんな場所や、トイレなんてあるわけないやん。で、目の前にあったトイレがありそうな建物に必然的に、必然的に、必然的に。
「す、すいません!ご、ご休憩で!」
「え、えうっ、うえっ」
慌てふためいた将史がすぐそばのラブホに飛び込む。フロントのオバチャンは将史の背中にいるブラ丸出しのわたしに気づいても、顔色ひとつ変えへん。さすがプロ。
「おい、もうちょいガマンしろよ!もう少しだからな!」
オバチャンからキーをひったくって、将史がまた駆け出した。エレベーターまですぐやのに。
「ああもう!このエレベーター遅えなあ!」
普段の生活してたら、エレベーターの速さなんかに文句つけたりせえへんやろ?でもいまのアホ将史、わたしを心配するあまり大慌て。
え、え、え?心配してんの?いやいや、ちゃうに決まってる。わたしなに考えてんねん。気持ち悪いんと同時になんかいまのわたし、めちゃめちゃ冷静に将史を見てる。つもり。
目の前でエレベーターのドアが開いた。そん時おもろかったんが、そこにコトが終わったカップルがいて、さすがにその女の子のほうがわたし見て驚いてた!もどす寸前やったのに、なに見てんねやろうわたし。
将史が走って、部屋の前。ドアが開いた。
「ト、トイレはどこだっ!?」
一生懸命部屋ん中見回して探してんねやけど、ゴメン将史。もう限界!
「うえっ」
「えっ!?」
「うえええええーっ」
最悪。
「うううぅ」
こんな時、どんな顔してたらエエんやろ?わたしはシャワールームの前で座り込んでる。自分の吐いた酸いいので全身汚れてる。
でも、そのわたしの吐いたんをモロに浴びたんは将史。今シャワールームで、ジャケットとTシャツを洗ってる。ジャブジャブって。ずっと黙ったまんま、すりガラスの向こうで肌色が忙しそうに動いてる。
ちゃんと謝ったほうが、エエんかな。戻したすぐあとには、ちっちゃい声で「ゴメン」っていうたわたしに、「いや、いいよ」って、それもまたちっちゃい声でいうた。それ以外は何も。
「まさ、し」
名前、呼んでみた。でも、返事がない。わたしも、また黙って、ただ将史の影を見てる。
あ、将史、肌の色黒い。そうやな、会社でアホみたいにサッカーやってるいうてたもんな。腕とか、首回りとかも、けっこう太い。ふうん。
なんか、ヘンな感じ。わたし今、将史のハダカ見てるんや。ふうん。へえ。
「アキ、そこにいる?」
「ひゃ、ひゃい!?」
急に声かけられたから、ヘンな声で返事。かっこ悪う。
「あの、申し訳ないんだけど、着るもの探してくれない?」
「あ、あ、うん」
あー、ビックリした!わかった。着るもの、着るものやね。
まだ酔ってるからフラフラな足取りやけど、何歩か歩いてクローゼットらしきもんがあった。戸を開けると、うわ。真っ白いバスローブ。安っぽ。
2着。なんか、ちょっと、ドキドキしてきた。な、なんで?
「なんかあった、アキ?」
「あった、あったよ、うん!あのな、アホみたいに安っぽいバスローブがあった!そんなんやから、将史によう似合うかもしれんね!」
うわあ、前にもましてかっこ悪う!
「そんなのしかないんだ。まあ、しょうがないな」
わたしがバスローブを一つ持ってったら、シャワー室からそんな声が聞こえてきた。
「ご、ごめん」
「あ、いや、そんな意味じゃない!気にするなよ、おれが飲ませたんだから」
「う、うん」
あー、もう!さっきからずっと将史にフォローされてる。酔うてるいうたって、あんまり情けないわ。
「じゃあ、次アキ、入れよ」
えっ?なんですぐ横で声が聞こえるん?
って、勝手に出てこんといて〜っ!
「バスローブは?」
「え、あ、こ、これ!」
あほ!デリカシーないな!オトメの前にいきなりハダカで出てくんな!
何食わぬ顔でベッドんほうに歩いてく将史。あー、こういう時は、こっちも知らんふりで入るほうがエエかも。汚れてるんはまちがいないし。
でもやっぱり、ドキドキしてる。あーもう知らん!
あれ、今、将史がため息ついた?