屋敷に入ると、やはり懐かしい感慨に襲われる。乗馬服に身を包み、自慢のひげを整えながら私に馬の素晴らしさを説く父。その様子を「まだ幼いのですから」と苦笑しながら眺める母……。すべてが、光り輝いていた時代だ。 しかし足を進めれば、やはりあの場所に辿り着く。ご近所の貴族仲間が集まり、毎晩のようにトランプや政治談議に興じていた、広間。ノブに手をかけたが、やはり躊躇してしまう。 『い、あっ……!許してハロッド、息子の前では、嫌ぁ!』 『いいや、存分に見せてあげるのですよ……売春窟で死んだ父のせいで落ちぶれ、下賎の身である私に肉体を許している母親の姿をね……』 『ひ、いいっ!見ないで……お願い、アーニーっ!母のこんな姿を、みな、いでぇっ!』 しかしだからこそ、私はこの扉を開けなければならなかった。私は全てを明るみにし、全てを取り戻したのだ。 「……おかえりなさいませ、アーネスト様」 広間に静かに響く声で私を迎えたのは、あの頃と違って頭髪のまるでなくなった、だがあの頃のまま誠実な微笑でこちらを見ている、執事のウィクリフだった。もう70近くになっているはずだ。 「ウィクリフ……会いたかった。今回の件で君には大変世話になった。感謝するよ、ありがとう」 「とんでもございません。私などは他の屋敷でも細々と働いていく事ができますので……しかし、どこの屋敷にいる時でも、ノースミッド家の皆様に頂いたご恩は、忘れる事はありませんでした」 私が起こした裁判には、ウィクリフが集めた証拠が不可欠だった。インド戦線での軍部の腐敗・父が陥れられた策謀・そして憎き因業屋トマス・ハロッドが母を奪っていった経緯……長年にわたりウィクリフがどこにいるかも分からない私のために集めてくれた、数々の証拠。それがリチャード・ボスキンの名を使い合成皮革製造で財を成しつつあった私に届いたからこそ、公に本当の名『ザ・ライト・オノラブル・アーネスト・ロウリー・ロード・ノースミッド・オブ・ダウンウェル』を名乗り、マスコミと共にセンセーショナルな大裁判を起こせたのだ。 「ではアーネスト様、私はもうひとつのお仕事をやり遂げて参ります」 「ああ……頼むよ。本当に、ありがとう」 言葉も発せず深い会釈をしたあとウィクリフは広間を出て行った。屋敷には、私一人となった。 「……」 今は初夏、しばらく火の入る事のない暖炉の前に立つ。その横に、高い天井まで届くエンタシスの白い柱。あの夜、先程の扉を開けて入って来た私が見たものは、この大きな柱前で男といる母親の姿だった。 裸で。 「……そろそろ慣れていただかなければなりませんな。もう1週間ですぞ?」 「こんな事……慣れるわけが、ないわ……っ」 父が死んだと聞かされて、幾週か経っていた。しかし、幼い私はその別れに折り合いをつける事ができずに、毎日昼間からぼんやりと父と過ごした屋敷の庭を眺めていた。その日はそのまま眠ってしまい、夜中逆に眠れずに水でも飲もうと部屋から階下へと降りて来たのだ。広間から聞こえる男女の声を耳にできたのは、偶然という他にない。 「まあいい、稚拙な舌遣いもまた、金貸し連中の喜びそうな事ですからな。さあ、舐めなさい、若い頃社交界で『ルビーを溶かしたようだ』と謳われたその唇で、わたしのを舐めるのですよ、奥様」 「ああ……っ」 ちせつな、したづかい?幼い私は、母親が何をしているのか皆目見当がつかなかった。しかし、ひとつだけ分かった事。それはこんな真夜中に、母は、普段からあれほど毛嫌いしていた男、トマス・ハロッドと二人だけで広間にいる、という事だった。 |