第三話 耐えつつ、脚を



「しかし奥様……最初の夜に比べれば進歩した物ですな。あの時舐めろと命じた私になんとおっしゃったか覚えておいでですか?『そんな汚らわしい物を舐めるくらいなら、舌を噛んで死んだほうがましです』と、毅然とした態度で……それが今や、嬉々として私のペニスをしゃぶり、舌を噛み切るどころか進んで舌を絡ませて来る。いやいや、さすが聡明な奥様、勉強熱心でいらっしゃいますな」

「それはお前……いや、あなたが無理矢理……っ」

「私は『売春宿の負債を肩代わりする代わりに舐めなさい』、とだけ言ったのです。ああ、もちろん『舐めろ』とも言いましたよ?だが『幹に舌を這わせ』だの『先端の穴に舌を挿し込め』だの『笠に舌を吸い付かせろ』だのは無理強いした覚えはありません。それは全て、口淫の最中に奥様が進んでなさった事ですよ……クククッ」

「……っ」

「……私は奥様を辱めてるんじゃない。お家の名誉を守るために躰を投げ出す覚悟を決められたあなたを、むしろ尊敬してるのですよ……さあ、お口での練習は見事習得なさいました。これからは、よりお客様を悦ばせる実践的な練習を致しましょう、奥様……」

 その時、ぺちぺちと肉が肉に当たる音がした。何の音か分からないでいた。皮なめし職人の家にいた時、突然気づいた。ある夜、あの太った主人の妻が、私のペニスを無理矢理口で立たせ、淫猥な笑みを浮かべつつそのペニスの硬さを頬に何度も当てて愉しんでいた。ぺちぺち、ぺちぺちと。それがまさに、あの夜広間で聞いた音だったのだ。

ハロッドは、屈辱に歪む母の貌を、自分の兇器でぺちぺちと張ったに違いない。かつて自分を追い出した美貌の人妻に、この上なく淫らな復讐をするために。

「そのまま、柱に手をついてこちらにヒップを向けなさい」

「そんな……っ。私は、裸なのよっ、それでは、全てが見えて、しまう……っ!」

「……今度お金を援助して下さるバーデマー卿は、何より女性のヒップを後ろから眺めるのがお好きでしてね。挿れる時も必ず後背から……つまり奥様は、バーデマー卿がやって来るのをその姿で待たなければならないのですよ」

「ひ……っ」

「それが条件でもあり、リクエストなのですよ。それとも、恥ずかしい格好をするのはお嫌いですか?……私と奥様との初めての夜に、あんなに色々な格好をされたではありませんか。前からも、後ろからも、上からも、下からも。そう……立ったままでもしたものですなぁ。神聖なご夫婦の寝室で」

「嫌っ!……分かりました。あなたの命じた格好をするから、その話は、しない、で……」

 言葉と共に、屈んでいた肉感豊かな裸脚が立ち上がった。スローな動きで爪先は柱の方を向く。

「さすが、理解の早いお方だ。では、あの夜の事は二人だけの秘密にしておきましょう。二人だけの、秘密にね……クククッ」

 何事かが、少し前の父と母の寝室で行われ、それ以来母はハロッドの命令を聞くようになった。混乱する思考で、そこまでは理解できた。しかし、母が『柱に手をつき』、『ヒップをハロッドに向け』、『全てを見せてしまう』という状況は、私の鼓動を活発化させ、さらに思考を混乱させた。

「おおおっ。あの時は暗くてよく見えなかったが……奥様のヴァギナは本当にお美しい。まるで乙女の泉のようだ……幾人もの女を抱いて来た私が褒めるのですから、これは間違いないですよ」

「……恥ずかしいっ」

 上ずった母の声が、床に反響して広間全体に緩く響く。首をうなだれさせ、辱めに耐えていたに違いない。

「なになに、これは本当に素晴らしい。アーネストお坊ちゃまを生んだとは思えんです。桃色で、艶があって……オードリンののろま旦那は、あなたを本当に抱いたのですかな?」

 ハロッドは、私の存在を持ち上げ、父の存在を見下した。母を恥辱の炎で煽る、最高の策であった。

「アーニーの事も、オードリンの事も、言わ、ないで……っ。何でも、言う事を聞くから……お願いっ」

机の下から見える母の両足が、ぴんっと反った。男に尻を向け露わにするという明確な意思が、こもった瞬間だった。だから私は、幼いながらも私は、机の下を音も立てずすり足で進んだ。

「殊勝な心がけですな。しかし……ヒップからの眺めといえば、奥様はヤードの刑事から聞きましたかな?あの売春窟の中、アヘン中毒でおっ死んだオードリンは、いい歳した売春婦の尻を抱えて中に挿れたままだったそうで。よほど後ろからが好きだったのか……もしかしたら、夫婦の営みでもこの格好がお好きだったのですかな?」

「違う、わ……お願いだから、これ以上オードリンを辱めるのは、やめてっ……!」

 母の脚が、左右交互に少し動く。都市の大劇場の舞台上でラインダンサーがよくする動きと同じ、つまりは腰を、ヒップを振っていたのだ。愛する夫への悪口を封じるため、忌々しい物言いをする相手に進んで躰をくねらせる。母の屈辱はいかばかりだっただろうか?もちろん当時の私はそんな事も気づかず、その動きの正体を探ろうとますます母とハロッドのほうへと近づいていった。口から飛び出しそうなくらい脈打つ心臓を抱えて。

 父がロンドンの売春窟で死んだのは紛れもない事実だった。ハロッドは母を辱める材料にした通り、売春婦を抱いたまま中毒死したのも間違いではない。しかし、それは父を亡き者にしようとする黒い策謀の結果だった。そもそも、その売春窟の主人は偽名を使ったハロッド本人だったのだ。ノースミッド家転落のきっかけとなった『アヘン常習者の急死による風評被害、その他警察の捜査等々に発する甚大な影響』という名目の売春窟からの法外な賠償請求は、ハロッドが仕組みハロッドが実行した茶番だった。しかし、誠実に父の名誉を守ろうとした母は、その黒幕が次々と連れて来る高利貸しに領地を担保に金を借り、そこをさらにつけ込まれていったのだ。屋敷が事実上ノースミッド家の物でなくなっていたであろうあの夜も、幼い私は母の苦悩をまるで悟る事ができなかった。できなかったのだ。




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