「だ、駄目……ハロッド、私……ああっ!息子の前で、アーニーの前で……あ、いいいっ!来るのっ、来る、のお……っ!」
「いいですぞ、奥様……アーネスト坊ちゃんの目の前で、大いに気を遣りなさい……ご褒美に、存分に中に注いで上げますぞ。さあ、さあっ……!」
「ひいいっ!く、来る、来るう……っ、ハロッド、ハロッド、あう、ああああうううっ!」
母は、まだ私のほうを向いていた。しかし、その瞳にはおそらく私の姿は映っていなかっただろう。母はただ、ハロッドの名を呼び、ハロッドの突きに悦び、ハロッドの体に支配されていた。
「く、る、来る……っ!あ、あ、あっ……いいいいいいひいっ!」
気を、遣った。私がまだ意味も知らぬまま、母はハロッドの動きに、気を遣った。
「それでは、私も……アーネストお坊ちゃま。しっかり見るのですぞ。いずれこの行為が、あなたの人生に重大な影響を与える事になるのですよ……クククッ」
ハロッドの、冷笑。その時初めて、私は涙に濡れた体が少しだけ動くのを感じた。そして、ハロッドが言う『この行為』の結末を、見てはいけない事だと認識した。
「……っ」
私は、テーブルの下から這い出し、あの扉へ駆けた。今まさに男の精を躰の奥底で受けようとする母を残して。
「アー、ニー……っ!」
「……食らえっ、メス豚!」
「あ、ああああああああ……っ!」
扉を開け、背後に聞こえた母とハロッドの声。思い出したくもない、声。重い扉が閉まり、屋敷の暗い廊下を駆けても、その声は私の脳内に繰り返し響き続けた。
「……っ!」
廊下の先に、ウィクリフがいた。私の姿を見つけ、しゃがんで優しく抱いてくれた。
「……お可哀想に、お可哀想に……」
ウィクリフも、知っていたのだ。気丈な母がウィクリフの助けを必要としていないだけだった。事実、このすぐ後、ウィクリフは母から直々に解雇された。もちろん、背後にはハロッドの意向があったに違いない。
「さあ、これを。このまま道を進み、バーナフの街に下りて○○という男を訪ねるのです。必ず、お迎えに上がります、さあ……」
籐あしらいの軽いかばんを私に渡し、ウィクリフは玄関まで私を送った。深夜にウィクリフが慌てて、それも密かに準備するには、これが限界だったのかもしれない。
私は、夜道を走った。ウィクリフが告げた男の名もすっかり忘れている事さえ気づかずに、私は母親の姿を思い出していた。
尻を振り。
淫らな声を上げ。
ハロッドに懇願し。
気を遣った、母。
しばらく駆け、気づく。涙で濡れた顔以上に、気持ち悪く感じられる部分。そう、自分のズボンの中は、精液で汚れていた。自慰さえも知らなかった幼い私は、母の悶え狂う姿を見て、生まれて初めての射精を体験していたのだ。
汚れてしまった、と思った。母とハロッドの行為と同じように、それはたまらなく汚らしい事に思えた。そのままとぼとぼと真夜中の道を歩き、まさしく長い長い苦難の道へと入っていった。
屋敷の外で、自動車が停まる音がした。ブライトンではまだ珍しいが、私がわざわざロンドンからチャーターしたものだった。
私はやっと、長く苦しい妄想から解き放たれた。時計を見て、気づく。二時間もあの夜の光景に支配されていたようだ。もはや、笑うしかない。
母を犯し、私たちから全てを奪った因業屋、トマス・ハロッド。
国軍内で大佐の地位にまで登り詰めていた、ジェームス・ピートリー。
ハロッドが経営する売春窟の主人兼用心棒、ペドロ・アギナルド。
その売春窟で働いていた元売春婦、マリア・ラスキン。
ウィクリフが必死になって証拠を集め、私が金を惜しみなくつぎ込み、デイリーの記者に取り上げるよう説き伏せ、その上で起こされた裁判。20年前に起こった『インドでの軍部腐敗を知った貴族であり軍人の男が発覚を恐れた人物に無残にも謀殺されてしまった』事件。英国民の間でインド戦線の厭戦気分が高まっていた事もあり、この裁判は非常にセンセーショナルな物となった。
当然、被告達は否定した。すでに20年前に捜査が行われ解決しているはずの事件で、今更我々が疑われる筋合いもない、と。特にハロッドは裁判が始まった当初、席に着いた私を見つけあの薄笑いさえ浮かべていたのだ。
しかし、私は、たじろぎはしなかった。
ハロッドの顔色が変わったのは、数回の公判の後。マリア・ラスキンが証言台に立った時だった。
『私は、トマス・ハロッドに命ぜられ、裸で拘束されたままペドロ・アギナルドに運ばれて来たオードリンという男に、無理矢理アヘンを吸わせ、殺害しました』
すでに売春婦としての勤めが出来ず、未だあの売春窟で掃除婦として働かされていたマリア。支配下に置いていると思っていた女の突然の証言に、ハロッドやペドロは色を失う。続けて犯行当日の詳細、売春窟で犯行前に行われていたハロッドとピートリーを含む軍人への不正な接待の状況を静かな口調で語り始めた後は、法廷の雰囲気は一変した。『軍人の不正・犯罪疑惑』という事で静観していた保守系高級紙も、一斉にこの事件を取り上げた。世論はこの陰謀説を信じ、被告側への激しい追及を望んだ。
ウィクリフがマリアを説得し、私がマリアの故郷であるアイルランドでの生活を保障した。マリアはハロッドよりも我々を信じ、証言した。そして裁判は、結審した。
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