魔法の靴
<第1話>
堅固に積まれた白い石積み壁を、真っ赤な夕焼けが照らし始めていた。国内にあるいくつもの城の中でもかなり大きな部類に入るこのブリソ城は、当年十六歳の国王皇太子 シャプタル王子の居城として使われている。
城門の前に、風体のあまりよろしくない男がうろついている。背中には何やら大きな荷物。番兵はその男に近づく。
「おい、貴様!」
「ははっ、これはこれは衛兵さま」
「ここは皇太子殿下シャプタル公の御居城だ。貴様のような者の来るべきところではない。即刻立ち去れ!」
兵は礼杖を男に向け威嚇した。
「ちょ、ちょっとお待ち下さい!とりあえず、これをご覧になって下さいませ……」
男は懐から、一枚の紙を取り出し番兵に手渡した。
「ん、何……何だこれは?」
見ればなかなか高級そうな紙。衛兵は黙ってそこに書かれた文章を読む。しばらくして、衛兵は驚いた顔で男に問う。
「お前、これをどこで……?」
その番兵の反応に、男は少し微笑む。
「いえいえ、正真正銘国王陛下の妹君、バレッタ様よりわたくしが頂いた、直筆の紹介状でございます。お疑いでございましたら、どうぞ陛下なりシャプタル殿下なりにご確認くださいませ」
「お前、こ、このような物をどうして……」
「は、わたくしはしがない靴職人でございます。以前偶然からバレッタ様の靴を仕立てさせて頂き、その紹介状をお預かりいたしました次第で。今回このブリソ城にお伺いいたしましたのも、バレッタ様に、姪御に当たられるリューズ様にもわたくしの靴をお仕立てするようにと依頼された件で……」
男の言葉を受けて、番兵は疑いを捨てた。この城にシャプタル殿下の妹であるリューズ姫が居ることは、国王近親と姫の入城を護衛したごく一部の番兵達しか知らないはずのことがらだったからだ。
「男、そこで待っておれ。すぐさま城内にて確認をして参る」
「ははっ。いつまででもお待ち致しております」
慌てて城の中に入って行く番兵を眺めながら、自称天才靴職人マジノはほくそ笑んだ。また再び、人間たちの堕落を眺める事ができる……。
●
「確かにバレッタ様直筆の書状だ。しかし、その男がなぜこのような……」
「それがしにも分かりかねます。しかし、リューズ姫様がこの城におわすことも知っておりましたゆえ、なにかしらの秘密を抱えておるのは間違いないかと……」
城門を守っていた番兵は、この城の守備責任者に当たる近衛隊長に伺いを立てていた。
「確かに。しかし、その男に関する情報が王宮から正式に届いていないのも事実……よし、その男をわしの部屋に連行して参れ」
「よ、よろしいのでございますか?」
「何度も言わせるな。この責任はわしが取る」
正式な入城許可命令が下りていない以上、男が例えどのような人間であっても入城を拒む事が出来る。男が敵国のスパイである危険性さえある。幸い、男が現れた事を知っているのは番兵と自分だけ。そのあと男が行方をくらまそうとも、誰が疑う事あろう。近衛隊長は、とりあえずこの城に居るリューズ姫やその他のVIPたちの安全を最優先しようと、
男を秘密裏に始末しようと考えたのだ。
「分かりました、それでは男をひっ捕らえ、こちらに連れて参ります」
「うむ」
命令を受け番兵が近衛隊長の部屋を退出しようとした時、にわかに室外の様子が騒がしくなった。近衛隊長は番兵と共に部屋を出、外のホールを見下ろした。
「ひ、姫様!」
ホールの中央で騒いでいたのは、リューズ姫だった。何人もの侍従が、美しい金髪を振り乱し大声で騒ぎ立てているリューズ姫を必死に押しとどめようとしている。近衛隊長と番兵はホールへ向かう階段を急いで駆け下りた。
「ええい、離しなさい!」
「姫様、一体何事でございますか!?」
周囲の者を振り払おうとするリューズ姫に、近衛隊長は声をかける。
「おお近衛隊長。いますぐこの者達を下がらせなさい。わたしは急いで外に出ねばならないのです」
「なぜにございます姫様。その理由を聞かぬ事には、我らも姫様を離すわけには参りませぬ」
「ううむ……」
話がもっともだと納得したのか、リューズ姫は抵抗を止めた。
「話せば、良いのですね」
「はい」
「今城外に男が一人来ているはず。その男は、バレッタ叔母様が手紙で知らせてくださった靴職人に違いないのです」
「な、なぜその事を……!」
「え?塔の上から外の様子を眺めていたボーザが、わたしに知らせてくれたのです」
姫は悪びれもせずそう言う。近衛隊長はボーザという名を聞き、怒りに満ちた表情で振りかえった。そこには、この豪華な城内に一人だけ似つかわしくない、粗末な服を纏った小男が立っていた。
ボーザ。森に狐狩りに出かけた国王が、落馬により足に傷を負った時、森の中より進み出て自ら調合した薬草を与え、国王を治療したことがある。その功で家臣に取り立てられ、この城内に用も役もなく出入りしていたところ、新し物好きでわがままなリューズ姫に気に入られて、行動を共にしているのだ。
「ボーザ、貴様余計なマネを……!」
近衛隊長の表情を見ても、ボーザは薄ら笑いを浮かべているだけ。
城にいる者、王族に仕える者全てがこのボーザという男を嫌っている。事実どこの生まれであるかも分からず、王と出会った森の中で卑しい職業に就いていたのは間違い無い。そんな状況では、貴族達がこの男を好きになれるはずが無い。またボーザは、風呂に入る事が何よりも嫌いな男であった。身体からいつも悪臭を漂わせ城内を歩くと、侍女たちが顔をしかめて走り去るほどだ。
しかし、唯一ボーザが安心されている事がある。女に手をつける危険性が全く無いのだ。いくら自分が取り立てたとはいえ、王も実娘のそばに置くことを無条件で許した訳ではない。入念な身体検査で、ボーザが過去に事故で男性器を失ったことが分かった。だからこそ王は安心し、十五歳になったリューズ姫とも一緒に生活させているのだ。
「さあ、もう事情を話したのだからよろしいでしょう?表の男に、早く会わせなさい」
「し、しかしあの男は只今我々が調査中で……」
「お前達に預けておいたのでは、いつのことになるか分かりません。わたしが許すのです、あの男を入城させなさい」
「姫様……」
「まだ言うのですか、それではお父様にこう伝えます。『近衛隊長がわたしの言う事を聞かず、勝手にバレッタ叔母様からの貴賓を追い返した』と」
「ぐ……っ」
「さあどうするの、近衛隊長さま……?」
いたずらっぽい表情を隊長に向け、リューズ姫は問いかける。立場の事を出されれば、了承するしかない。
●
靴職人マジノは、何人もの兵士に先導されて城のホールに入って来た。彼を好奇の目で見つめる城内の人達に、深く頭を下げながら。
その様子を、近衛隊長は歯痒い気持ちで眺めている。
「よろしいのですか?あのような者を城の中に入れて」
「……もう何も言うな。あのように言われては、わしとて姫様の要求を呑むしかない。その代わり周囲の警護は怠り無いようにせよ」
「はっ、その辺は抜かり無く」
「ならばよい。しかし憎々しいはボーザの奴だ。いつかこの手で追い落としてくれようぞ!」
そんな近衛隊長の姿を、後ろから見ている姿がある。
「……なにを騒いでいるのです」
「あっ!こ、これはこれは……」
「先ほどより何やら騒がしく、ゆっくりと休んでもいられなかったわ」
「まことに申し訳ございませぬ。実は……」
近衛隊長は、これまでの事をその人物に報告した。
「まあ、リューズが……その男、バレッタの客と申したのですね」
「はっ、我々もほとほと困り果てておりまして……」
「分かりました。わたしもあとでリューズの様子を見に行ってみます」
「ははっ!」
その人物はそのままその場を立ち去る。
「……ただでさえあのお方がいらっしゃっているのに、これ以上気を使わせないで欲しいものだ……」
近衛隊長は最敬礼したまま、独り言を言った。
●
「……では、そなたの話を聞かせてもらいましょう。あのバレッタ叔母様の眼鏡に適ったのですから、さぞかし素晴らしい靴を作ってくれるのでしょう?」
ここはリューズ姫が好んで使用している城の塔の部屋。もちろん閉じられた扉の外には、完全武装の兵士達が待機している。
「バレッタ様がそのようにおっしゃっておいででしたか」
「ええ。叔母様は普段から良品嗜好で、ご自分がよほど気に入った物しかわたしに勧めないのです。だから、そなたはその点信用できます」
その十五歳の王の娘は興味ありげに、マジノの顔を直視する。丁寧に手入れされた金色の髪。まだ幼さを残しながらも、きめの細かい白い肌の美貌。その顔には、まるで星を煌かせたような大きな瞳が輝いている。せかしげに動く唇も、淡い桃色の上品な形だ。
「それはかたじけなく存じます。バレッタ様は、わたしが仕立てさせて頂いた靴をいたくお気に召したご様子で……」
「そうらしいわね。手紙の様子では、なにやら普通の靴と作り方が少し違うそうだけど……?そのことは、はっきりとは手紙に書かれていなくて」
「ええ、まあ……」
男が少し口篭もったので、リューズ姫は身を乗り出して尋ねる。
「……やはり、製法の秘密のようなものがあるのですか?」
まるで海賊から冒険話を聞く子供のように瞳を輝かせて、リューズ姫は男の言葉を待つ。
「……では姫様、一つ約束してくださいませ」
男の声が急に小声になったので、ますますリューズ姫は興味を持った。
「なに?」
「……人払いをお願いしたいのです。確かにこの製法はわたくしが一人で編み出した秘密の製法でございます。しかし何しろ今までの靴作りとは全く違いますゆえ、絶えず様々な所で誤解をされて参りました。命の危険に晒された事も一度や二度ではありませぬ。恐らくこの部屋の外にいらっしゃる兵士の方々もそう思われるでしょう。ですから、出来ることでしたら人払いを……」
「……残念ですが、それは出来ません。今さら外の兵士達にどこかへ行けと命じても、余計怪しまれることになるでしょう」
「確かに」
「でもね、職人さん」
リューズ姫はまたあの悪戯を含んだ微笑を浮かべる。
「この部屋には、ちょっとした仕掛けがあるのです。この部屋を作った母上の考案で……」
立ち上がった姫は、急いだ様子で部屋の隅に行く。
「静かな環境で育児がしたいと言って、母上はこの部屋の上にもう一つ秘密の部屋を作ったの」
「秘密の……部屋、でございますか」
「そう」
そう言って開いたカーテンの後ろ側に、天井から下がっている一本のひも。リューズ姫はそれをゆっくりと引いた。
どこかでガラガラと音がする。マジノが辺りを見回していると、先ほどまで部屋のドアの隣に置かれてあった大きな陶器棚が横にスライドし始めた。
「おお……」
棚は見事に数メートル移動した。そして、棚があった場所に、ぽっかりと穴が開いている。穴の中には、縄梯子。
「どうです、すごいでしょう?」
リューズ姫は子供じみた表情でマジノを見つめた。
「これはこれは……それがし圧倒されてしまいました」
「そうでしょうそうでしょう!この梯子の上に、その部屋があるわ。そこでなら、そなたの靴作りの秘密をゆっくりと聞くことができるはず」
「ありがとうございます」
「よし、ついて来なさい」
姫はマジノを先導して、そそくさと縄梯子に手をかけた。そのまま、ドレスの裾も気にせずに上っていく。真っ白なドレスから伸びる健康的なリューズの両脚を、マジノは何か意図ありげに、しかし無表情で見つめていた。
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部屋の外では、内部の変化も知らず大勢の衛兵たちが取り囲んでいる。緊張漲るその場所に、廊下をしっかりとした足取りで歩いてくる二つの影があった。ボーザと、先ほどホールで近衛隊長に詰問したあの人物だ。
「これは……!」
兵士の一人が、その人物に気付き最敬礼すると、その場にいた兵士全員が同じようにした。
「リューズの様子はどうなのです?」
「はっ、あの靴職人とこの部屋に入り、今のところ動きは……」
「そう」
その人物は少し思案して、そしてボーザのほうを顧みた。ボーザもその人物の意図を察した様子で、そのまま無言で醜い顔を頷かせた。
「では、あと半刻ここで待機しておきなさい。半刻を過ぎても動きがないのなら、私を呼びに来るのです」
「はっ!」
そう言って悠々と立ち去る姿を見届けながら、番兵たちはさらに身を固くした。まさか自分たちが、もはやもぬけの殻となった部屋を警備しているとも知らずに。
●
リューズとマジノが梯子の上に登りついた。リューズは、手をどこかに伸ばす。すると、たった今上がってきた狭い隙間は、重く低い音と共に静かに閉じた。
縄梯子の上にあったのは、真っ暗な空間。しかし、ただ一つだけ設けられた窓から、見事なまでの月明かりが差し込んでいた。すでに辺りは、夜となっていたのだ。
マジノは、その月明かりの中で部屋を見渡してみる。城の尖塔に作られたこの円形の部屋には、ほんの申し訳程度の衣装入れ、椅子、書机、そしてベッドがあるだけだ。
「灯りはないのでございますか?」
「ふふっ。点けてもいいのだけれど、この月明かりの中のほうが秘密を聞くのにいいかと思って」
リューズはそう言って、椅子に腰をおろした。
「私だって、この部屋に毎日来るわけではないわ。たまに気晴らししたいときに、ここで本を読んだり、景色を見たり、眠ったりしているだけ」
「なるほど」
リューズの表情からは、自分だけの秘密を人に話す喜びが伺える。なるほど、貴族さまというのは退屈な日常の中で、些細な疑問や秘密を見つけては、鬱憤を晴らしているのだろう。
しかしこの状況が、自分にとってどれほど危険なことか気付かないのも、王族の体質なのだろうか。一度信用させてしまえば、マジノのように怪しい人物でさえ、傍においても気にならないのだから。
もちろんマジノ本人も、そのことに気付いている。明確な意図を持ってこの城に来たのだから当然だ。前回のバレッタの時もそうしたし、そのずっとずっと前から、マジノはこうして生きて来たのだ。
「さて……では聞きましょう。そなたの靴作りの秘密とやらを」
「かしこまりました……」
マジノは床に跪き、目の前のリューズ姫に深々と頭を下げた。そして、マジノはそこで初めて、口の端を小さく吊り上げ笑った。
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「最近、バレッタが自分の館に閉じこもっていると聞いたわ。あの活発なバレッタが……私は、そこが気にかかるの」
ボーザはそのつぶやきに、無言で頷く。ここは、あの人物の部屋。
「確かにあの手紙はバレッタ直筆のもの。だからあの靴職人、信頼はできるわ。でも……」
やはり、この方はリューズ様を大変心配なさっておられる。ボーザは口には出さないがすぐにそう気付く。
「母上、入ります」
扉が開き、顔立ちにまだ幼さを残す少年が入ってきた。
「先ほどの騒ぎはなんだったのです?私が狩りより戻りました時には、衛兵が皆リューズの部屋へ向かうところでしたが」
「ああ、あなたにまでそのように心配がかかっているのですね……大丈夫、今のところ何も起こってはいません」
「リューズに客が来たと聞いたのですが」
「ええ、バレッタに紹介された靴職人が来たらしいのです。実はその靴職人が、わたしにはとても気がかりで……」
女は不安の色を隠せないでいる。ボーザや少年も同じようにリューズの身を案じていた。