「ああ、どうしたらいいの……っ」

 志穂のかすれた声が、リビングに響く。先程から幾ら思いを巡らせても、この場の反応としてどれが一番正しい行動なのか、辿り着く事ができない。

「クックック、いいぞ志穂さん、うんと悩むがいい……」

 耳元で、いつも志穂の心掻き乱す、男の囁きが聞こえる。その声を引き金に、志穂の躰は緊張と興奮であらぬ熱を持ち始める。

「なんなら、わしがやってやろうか?そんなんじゃ、いつまでたってもイケはせんぞ……」

 義父 義祐の声は、さらに耳に近づいていた。背後から抱きすくめるようにしながら、志穂の迷う指先に、自分の皺だらけの手のひらを沿わせようとする。

「ひっ……!」

 いつまでたっても、イケない……。その甘い囁きに溺れそうになった自分の本能を払うように、志穂の指先は義父の手を弾いた。

「自分で……します。だからお義父さま、お願い……っ」

「そうか。クックックッ……」

 そんなに簡単な選択ではないのだ。相手が義父一人ならいい。しかし今は目の前に、全ての興味を失ったような空しい目をしている愛息 等と、これからの自分の人生を賭けて志穂を見つめる夫 祐二がいる。

志穂が迷い続けている選択で、この二人の人生が、決まるのだ。

「志穂さん……ほら、祐二も等もあんたを見とるぞ。さあ、どうするね……?」

 誘惑の声を囁き続ける義祐は、失うものなど何もない。このゲームを自ら始め、志穂や等、そして祐二を巻き込んだ時から、義祐は全てを賭けて最高の喜びを得ようと心に決めていたのだから。

もうすでに全てを失っているのかも知れない。だが、あの美しい志穂が夫や息子の注視の中、身悶えながら悩む姿を見るのは、やはり最高の悦びだ。

「ああ……っ!」

『それ』を力無くつまもうとした時、志穂は夫の熱い視線に気づく。悩ましく濡れる愛妻の顔と、ゆるい回転運動を始めようとしていた白い指を、祐二は交互に、ねっとりと見つめる。

「志穂……」

「ああっ、祐二さん……そんなに、見ないで」

「志穂……そんなふうに、したいのか……?」

 弱々しい、夫の声。しかし確かに、裏暗い興奮をその声は宿していた。愛しているから、志穂には分かる。義父の声をそばで聞きながらも、それは分かるのだ。

「祐二さんっ……わたし、どうしたら、いいの……?」

 艶めかしい瞳が、正面に座る夫に向けられた。

「クックック……志穂さん、あんたそれを、祐二に訊くのか?こりゃとんだ奥さんだ!」

 わざと下卑た声を上げながら、義祐は志穂を嘲笑う。

 しかし、志穂は怯まず愛する夫の言葉を待った。唇が乾き、赤く濡れた唇を舌先で、舐める。

「お、俺は……」

 しかし、夫の言葉は。

「俺は、お前も、親父みたいに……」

「……っ!」

 まさか。

「親父と、一緒に……」

「祐二、さんっ……あなた、わたしを……わたしを、お義父さまと一緒にしたいっていうの!?」

「……」

 夫は妻の問いに、無言で首を垂れた。その動作が肯いたように見えたのは、志穂だけではなかっただろう。

 夫は、自分に、めちゃくちゃになって欲しいと願っている。志穂のショックは相当なものだった。

「そんな……」

 全身が、震える。覗いた白い肌には、汗の粒が浮かんだ。だが、続いた夫の言葉はさらに、志穂を震わせる。

「……でも、そのほうがお前にとって幸せかもしれない……今まで手に入れられなかった、悦びも……」

 夫の本心はどこにあるのか。愛する妻にめちゃめちゃになって欲しいのか、それともその先にある、素晴らしい悦びに狂う妻の姿を見たいのか。志穂の思考はまた、暗黒の闇へと落ちようとしていた。

「……ひいいっ!」

 刹那、それまで大人達の会話を黙って聞いていた等の指が、『それ』を弾いた。志穂は、その息子の攻撃に、思わず声を上げる。

「ひ、とし……っ!」

「ママ……僕、早く、こうしたい……」

「ああっ……」

「ねえ、早く……ママぁ」

 純真無垢な瞳で、それを弾き続ける息子。その振動は、志穂の全身を狂わせる。

「ああっ、等ぃ……っ!」

「等、やめろっ!」

 祐二が声を上げる。

「でも、パパ……きっとママも、こうしたいんだよ。ね、ママ?」

 志穂の心に、ついにナイフのは先が突きつけられた。

「……っ」

「志穂さん……あんた、わしや祐二より、等を選ぶのか……?」

 選ばねばならなかった。たった今義祐が言った事を。

「……等、ママと、一緒にイこ……?」

「……!」

「……!」

 女の言葉は、男たちを絶望させた。ただ一人、等だけが幼い心を最大限に奮わせた。

「うん!」

 等の小さな手は、まだそれを弄り続けていた。その愛息の手に、志穂は白い指先を添わせる。

 後悔、しない。きっと、これが最高の選択だと、志穂は信じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーレットが回され、何の問題も無く、5。すでにこのゲームに飽きていた等と一緒に、コマであるプラスチックの小さなクルマを5マス動かす。

結局、志穂は1番目にゴールした。

「なんだよ志穂、勇気ないなぁ。お前も親父みたいに「人生最大の勝負」したらもっと盛り上がったのに」

「おあいにくさま。お義父さまみたいに「貧乏農場」で働くのはいやだもの」

志穂は明るく笑う。

「それにそもそもあなた、わたしがおそらくトップだって分かってたからあんなふうに言ったんでしょう?」

「あ、バレてた?くそー、あそこで20万ドルの「ピカソの絵」なんて買わなけりゃ、俺がトップだったんだけどなぁ!」

「まあ、しょうがないな、こういうゲームじゃ。だからこそ楽しい」

「でもまさかお義父さまが、こんなに「人生ゲーム」がお好きだなんて知りませんでした」

「まあな。でも今回はボロボロじゃ。早く進んだだけで、全く儲からんかった。子供が生まれんかったから、ユニセフに取られたし……よし、もうひと勝負じゃ!」

「よーし、今度は負けないぞ!」

「えー、まだやるの?」

 等がぐずる。小学校一年生には、「人生ゲーム」のルールはまだ難しかったようだ。

「ゴメンね、等。まだおじいちゃんとパパがくやしくってたまらないみたい」

「じゃあ、僕ママと一緒にやる!」

「ええ、いいわ。等は「就職コース」「進学コース」、どっちがいい?」 

 時刻は午後9時。今夜は、長い夜になりそうだ。

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下らぬモノを書いてしまいました。この家族は「志穂、哭く。」の登場人物とは一切関係ありません(笑)。
パロディのレベルにもならなかったですね、謝るしかないです。 <戻る>