「モラトリアム」という言葉を聞くと、何故かたらこを連想してしまうイグアナです。
何故なんだ。
何か理由があって、記憶の中でたらことモラトリアムが結びついているには違いないのですが、その訳が全く思い出せません。
そして、リアルタイム放送時には見逃していた「BLOOD+」の第一話を、先日ようやく見たのですが。
‥‥何つーかこう、バランス悪いような‥‥
エピソードの配置とか引きのやり方とか、どうにもいまいち微妙な感じが。
放送時は、前述のように一話を見そびれて二話から見たので、「何だか話がよく解らない‥‥見続けていれば何となく解るだろうか?」という感じでずるずる見続けていったので、かなり後まで話の流れが釈然としないままだったのです。
でも、リアルタイムで一話見ても、多分あんまり変わらなかっただろうな思いました(^_^;)
どうもイグは、垣間見える「吸血鬼ネタ」と「刀」と「無口な従者」というポイントだけで一年引っ張られてた気がひしひしと‥‥
正直、面白かったとは到底言えないし、人に勧めようとも全く思わないのですが、訳も解らずやたらとツボにはまった何かがありました。同時に、それを作品全体が全く生かし切れていないことに対するイライラも常にあった。
そして現在、桂明日香版BLOOD+三巻と、夜行城市とアダージョという、BLOOD+の各種コミック版がごっそり傍らに積み上がっているのは、多分その不満を埋めたいせいのような気がします(^_^;)
何がそんなに気になる原因なのかというと、上記のツボ属性もあるけど、やっぱりこれが「人間社会に受け入れられない人外の物語」だからではないかと思ったり。
イグの大好きな特撮も、根幹は割と似ています。
人間以外(あるいはそれ以上)の力を得た者が、社会に受け入れられず暴走(人間から見て)するか、社会に阻害されながらも人として生きようとするのか、あるいは力を捨てて人となるのか、というのが、特撮ではポピュラーなテーマのひとつですし。
BLOOD+は、そういう「所詮人間でないもの」でしかない小夜が、ヒトの中にいる自分をどういう存在として位置づけし、結局どういう道を選ぶのか、というのがおぼろげに気になっていたのです。
しかしラスト近くの「私、死ぬの!」「ナンクルナイサ」の一言で、割と投げっ放しで終わってしまったのがかなり不満だったんだなあ。
人間じゃなくなって人間社会で生きてていいじゃんよ、ディーヴァと違って人間に対する害意ないんだし、というようなことを、スタッフはカイに言わせたかったんだろうけど(多分)、そこに至るまでのやりとりが唐突でぐちゃぐちゃだったので説得力なかったし‥‥
(ていうか制作者の中では人外は所詮、ヒトに対しての害獣か益獣か、という区別しかないんだろうな、という不愉快もちょっとあった)
イグはどうしても、「ヒトの中にいるヒトじゃないもの」に感情移入してしまうので、その辺がかなり気になりました。
「お前人間じゃないし(※)」という言葉が、人間の中では侮蔑や嘲笑として使われる以上、どうにかそこに反論してほしかったなあ。
(※こういうことを軽い気持ちで笑って言い放つ人間は実在するし。他にも数多あるその人の言動は数年経った今でもトラウマです‥‥)
そんなこんなで、ヒトでないものの行く末は今ひとつ釈然としないまま、たらことモラトリアムの関係も、未だ思い出せないイグアナなのでした。