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‥‥来週はカブトの世界編か! 楽しみだな!
東映公式の予告にある、ザビー装着者のネーミングがものすごいことになってるけど。
(元キャラ・矢車想がディケイド版で「弟切ソウ」ってアンタ。思わず噴きつつも、影山死亡が確定してるみたいなネーミングにイグアナ微妙ショック‥‥)
そして光写真館のスクリーンの絵がひどい(笑)<東京タワーと、天を指さす誰かさんの片腕。
‥‥正直、電王編は無かったことに。イグの心の中では。うん。
(警告:以下、電王編への文句が続きますよ)
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キャラの扱いがどうとかいう以前に、あれ「ディケイド」じゃなかったぞ。
全くもって「劇場版 超・電王」の番宣スペシャルってだけで、物語的中身が微塵もなかったという。
電王的にもあれは「良太郎以外の人へのイマジン憑依」だけが見どころだったなあ。
キャラの絵面だけでキャーキャー言って楽しめる人はどうか知らんけど、イグアナ的には「‥‥‥‥」だった。
大体、電王の世界はぜんぜん破壊されてなかったし。
(正確には、劇場版絡みの異変は「ディケイドとは関係ない」ことになってた)
何で今までの話で「世界の破壊者・ディケイド」って言われてたかって、あれ多分第一話のライダー対戦が夏美の夢でも予言でもなく、多分「既に起こったこと」なんじゃないかと思うんだよね。
そして破壊された元世界が、本来のそれとはズレた形でパラレル復元されたのがディケイドの九つの世界なんじゃないかと。
(北野勇作の「昔、火星のあった場所」みたいに)
で、行く先々でディケイドは、そこの世界のパラレルライダーを助ける訳だけど、パラレル世界は大概、破綻寸前の状態にある。ライダーが戦闘放棄して逃亡中とか、倒すべき敵と人類が共存してたり、出来レースバトルやってたり。どの世界もそのままほっとけば「ライダーと敵が闘う世界」としては終わってしまう状態。
しかし、そこにディケイドが介入し、その破綻を防いでしまうことによって、パラレル世界が成立してしまう。
だから鳴滝が毎度ラストで「この世界もディケイドによって破壊されてしまった!」と言うのは、「パラレルの成立=元世界復活の可能性を潰すこと」であるからなんじゃないかと。
一方ディエンドは「お宝を集める」と称してパラレル世界の重要パーツを集めようとしてるんだけど、あれはある意味「ライダー世界を構築するパーツを持ち去ることによって、パラレルの成立を阻止しようとしている」と思えなくもない訳で。
そう考えると、電王編でディエンドがモモタロスのファイナルフォームライド=デンライナーを持ってこうとしてるのはおかしいよなあ、と。
だって本物のデンライナーはモモとは別にちゃんとある訳だし。まあモモタロスってキャラがいなかったら電王が成立しないだろ、と言えなくもないけど、それは「見ている方のお約束」としてであって。ディエンドはあくまで「フォームのデンライナーよこせ」だったし。しかも結局モモのファイナルフォームライドって、単に姿を取り戻しただけだったし。
何つーか、電王編は脚本の小林靖子がいまいち「ディケイドの前提をちゃんと消化せず」「超電王のお祭り宣伝を優先した」感がひしひしとするんだよね‥‥
同じ人が脚本書いてるシンケンジャーも、なんかこう変だなあ‥‥と思うことが多いんで(※)、小林靖子の勘が鈍ってるのか? それとも電王本編の出来の良さが、一回限りの奇跡のホームランだったのか?
(※‥‥戦闘ものというのは、メンバーの未熟や性格が原因で戦闘に支障をきたしてもめる→その欠点を修行その他で長所に転ずる=キャラの成長こそが勝利の鍵!という風にもってくセオリーがあるんだけど、シンケンは何故かこれがことごとくズレている)
まあそんなこんなで、カブト編を楽しみにしています。
會川氏からの脚本家交代だけが気がかりですが。