◇ 甘い経験 ◇


 
「――おい、イオス」
 通りがけ頭上から降ってきた声に、風呂上がりのイオスは足を止めた。濡れた髮を拭きながら見上げると、階段の上からソードがちょいちょいと手招きしている。
「? 何です」
「いーからちょっと来い」
「まだドライヤーをかけていないので、髮が生乾きなんですけど」
「そんなこたぁいーから早く来い!」
 ブチ切れ気味に怒鳴り返すと、ソードはさっさと奥の部屋に引っ込んだ。
「相変わらず短気ですねぇ」
 イオスはのんびりと呟くと、裸の肩にバスタオルをかけ、トントンと階段を昇っていった。
 二人とも、そろそろ人間の生活にも慣れてきた頃だ。最近では家族も、『うちの子供たちはそんな名じゃない』的な、ソードだのイオスだのと言う単語がうっかり飛び交っても、もはや何も言わなくなっている(迂闊に突っ込みを入れてソードに暴れられるのが恐いと云う説もあるが)。
 大体にして、人間の『神無』は相当に荒れた生活をしていたらしく、二階で多少の物音がしても、誰も様子を見に来たりはしない。その点だけは、イオスにとっても有難かった。ボロは出ないに越したことはない。
「で、何か用ですか?」
 上がってみると、ソードは神無の部屋に居た。別に珍しいことではない。双魔の部屋が狭いのを、何となく根に持っているらしく、ソードはよくこっちの部屋に入り浸っては、好き勝手にかき回していくのである。
 我が物顔でベッドに座り込み、その辺のものを散らかしていたソードは、イオスを見ると牙を剥いて言った。
「相も変わらずテメーの部屋は広くて憎たらしいよな、全く」
「だからって散らかさないで下さいよ」
「そのくせワケわかんねーモンがゴロゴロしてるしよ」
 全く聞いていない風で、ソードがジャラジャラとチェーンを引っ張り出した。多分神無が喧嘩に使っていた代物だろう。どこにしまってあったのか、イオスは知らない。
「そんなものどこから出したんです」
 聞き返しながら、とりあえずベッドの端に腰を下ろし、濡れた髮を拭くことに専念する。
「この辺にどっさり放り込んであったぜ。ほら」
 ベッドヘッドの物入れ棚をかき回して、ソードは手錠だのナックルだのを放り出した。
「それはアクセサリーの一種じゃないですか?」
「違うだろ、ボケ!」
 ひょいと首を傾げると、投げつけられたナックルが、紙一重で耳元をかすめていった。
 ソードにしても、どうせ最初から当てる気は無いのだ。平和そのもののイオスの態度に、深い溜息が口をついて出る。
「あーあ、ドジったよなあ、全く」
「何がです」
「こんな虚弱な人間より、そっちの身体に入ればよかったぜ。少なくともコレより実戦向きだしよ」
 と、自分の身体を指しながら毒づく。イオスは何となく微笑ましく言った。
「そんなこと、今さら悔やんでも仕方がないでしょう」
「いちいちムカッ腹が立つなテメーの言い分は!」
「あなたが短気なんですよ」
「よく判ってるじゃねーか」
 らしくない、妙に冷静なソードの応えに、構わず髮を拭いていたイオスが「?」と顔を上げた時。
 頭上でガチャ、と云う金属音が響き、冷たい感触が手首を戒めた。
「え?」
 バスタオルを持ったまま、右手がぐいと後ろ手に引かれる。咄嗟のことにバランスを崩し、イオスはベッドに倒れ込んだ。現状を認識するより早く、残された左手が引き上げられ、同様に手錠が掛けられる。
「ええっ?!」
 イオスは思わず目を丸くした。
 いつの間にか、先程ソードが弄んでいたチェーンはベッドヘッドに巻き付けられ、イオスの両手を戒めた手錠がしっかりとくくりつけられている。
 きょとんとしたままのイオスの手から、バスタオルを引き抜き、放り投げながら、ソードは悪魔らしく牙を剥いて笑った。
「てめえ、人間ボケしてオレたちが宿敵だっての忘れてるんじゃねーのか?」
「とりあえず、まさかこんな状況で挑まれるとは思ってもいませんでしたね」
「やっぱりボケ入ってるな、お前」
 言いながら、投げ出した足を押さえつけるようにして、ソードが乗りかかってくる。
「こんな虚弱な人間の身体で、今のお前と決着がつけられるとは思っちゃいねーよ。それは元通りの悪魔に戻ってからで十分だぜ」
「じゃあ、何なんです?」
「まだ解んねーのか?」
 舌先が、尖った牙をちろりと舐める。
 不安な顔色を浮かべたイオスの裸の胸板に手を置くと、ソードはゆっくりとその筋肉をたどり上げ、笑った。
「お前とヤるんだよ」
「な、何をです?」
 イオスの抜けた反応に、ソードはもはや動じなかった。
「天使を堕とすのは、さぞかしイイだろうなぁ?」
 そう言ってTシャツを脱ぎ捨てるソードに、イオスはようやく事の次第を飲み込んだ。
 慌てて確かめてみたものの、手錠は鍵が無ければ外せそうにないし、チェーンはしっかりとぐるぐる巻きにされていて、引っ張ったぐらいでは取れそうにない。両脚の上には、ソードがしっかりと腰を下ろしている。
 急激に沸き上がった切迫感に、イオスは乾いた咽喉を鳴らした。
「‥‥私たちの身体は借りものなんですよ?」
「それがどうした」
「男同士で、しかも兄弟じゃありませんか」
「だから何だ」
「そんなことは神がお赦しに――」
「知ったこっちゃねーなあ、そんなこたぁ」
 ソードはイオスの顎を掴み、ぐいと自分の方へ引き向かせた。
「こちとら、こんな不自由な身体に乗り移っちまってストレス溜まりまくってんだ。思う存分戦えねえし、使える女も居やしねえ」
「そ、それで手近な私を女性の代わりに犯そうと――」
「ちげーよ」
 ソードは掴んでいた顎を押しやり、無防備に咽喉元をさらさせた。
 この状態で咽喉を潰されたらひとたまりもない。ビクリと緊迫したイオスの様子を楽しむように、ソードはその首筋に唇を押し当てた。
 舌先がじりじりと頸動脈をたどり上げ、濡れた感触を残しながら、ゆっくりと耳元まで這い上る。
「んっ」
 粟立つような、ざわめくような――ひとつひとつの細胞が、それぞれ勝手に意志を持ち、反応する奇妙な感覚。
 天使の知りえない不思議な戦慄に、イオスはゾクリと総毛立った。
 が、
「お前がオレを犯すんだよ。――天使のお前が、悪魔のオレをな」
 耳元で囁かれたその言葉と、それが意味するとんでもない事態に、その感覚はたちまちかき消え、イオスは愕然とソードを見上げた。
「‥‥ええっ?!」
「弱い奴をいたぶるのは趣味じゃねえし、お前に被害者ヅラされたって面白くねえだけだからな」
「で、でも私にはそんな事は――」
「出来ねーって?」
 バネ仕掛けのようにコクコクと頷くと、ソードは再び牙を向いて笑った。
「イヤでもさせてやらぁ」
「ち、ちょっと待って下さいっ‥‥」
 だが、そんな言葉に応えてくれるほど、ソードは気の長いたちではなかった。バタつくイオスの頭を押さえつけ、早速作業に取りかかる。
 先程の反応からして、如何に魂が天使とは云え、宿っている人間の身体を完全に制御することはまだ出来ないのだ。ソードはその隙を探すように、まずは薄い耳朶に噛みついた。
「ッ‥‥」
 チクリとした熱い痛覚の後を、柔らかい唇がたどり上げると、寒気にも似たかすかな震えが、やがて御しがたい熱になって沸きかえる。
 普段はかなり短気なソードだが、こんな時ばかりはやけに執拗だ。逐一イオスの反応を見ながら、根気よく耳元から首筋をたどり、咽喉元に噛みつき、舐め上げる。
 神無の身体はどうか知らないが、天使であるイオスの魂には、こんな事態への耐性はない。鍛えられた胸の筋肉を確かめるようになぞり上げられ、凝りかけた乳首に触れられる頃には、イオスの息は上がりかけていた。
「んッ‥‥ぁ‥‥」
「へえ‥‥お前、こんなトコがイイのか。男も女もあんま変わんねえな、人間は」
「な‥‥に、言ってるんですかっ‥‥」
 当惑しながらも、指先で執拗にこね回されると、波立つような感覚に肌が粟立ち、声を押し殺した吐息が洩れる。
「つまんねえこと言ってねえで、もーちょっと色っぽい声でも出せよなァ。俺がやる気になんなきゃしょーがねえじゃねえか」
「そ、そんなこと言われても‥‥ッ!」
 舌先で軽く弾かれて、イオスの咽喉がビク、と反った。
 浮いた背中に、すかさずソードの手がすべり込む。
 爪の先で骨をなぞるように、緩慢に線を引かれると、脊髄を長虫が這い上るような、名状し難い戦慄がこみ上げ、固い腹筋がぐっと震えた。同時に、押さえ込んでいた血の脈動が、一気に収束し、熱を貯える。
「お、来た来た」
「あ、あの、そう云う言い方はちょっとアレなんじゃ‥‥」
「この期に及んで何言ってんだテメーは!」
「ッ!‥‥」
 パジャマ代わりのイージーパンツの薄っぺらい生地越しに、ごまかしようのない熱を握り込まれ、イオスは思わず息をつめた。焦らすように緩急をつけて揉みしだかれると、天使の自制心とはまるで裏腹に、音を立てて血が流れ込む。
 沸き上がる罪悪感と羞恥心に、イオスは思わず顔を背けた。
 が、片肘をついてその表情をのぞき込んでいたソードはそれを赦さず、ぐいと頤を引き戻した。同時に与えられる微細な刺激に、イオスがビク、と眉をひそめる。
 その反応に満足してか、ソードはちらりと乾いた唇を舐めた。 口元に浮くかすかな笑みが、見る間に淫蕩な艶を帯びる。
「やり合ってる時は考えもしなかったけど、そーやってると結構イケるよな、お前」
「な、‥にがです‥っ」
「十分ヤル気になって来たぜ」
 抵抗の隙を与えないように、片膝に体重をかけたまま、ソードはイオスのイージーパンツを下着ごと手早く引き抜いた。
 まだ半勃ちにも足りなかったものに指をからめ、やや乱暴に擦り上げると、見る間に脈動し、跳ね上がる。
 歯を食いしばって快感に耐えるイオスの表情をしばらく眺めてから、ソードはゆっくりと腹筋をたどり下り、手中の熱に舌をからめた。
「う――‥‥っ!」
 殺しそこねた声が洩れ、イオスはビクリと身を撓めた。
 熱くぬめる舌がじわりと蠢くと、直接的な快楽が、一気に腰の奥底に流れ込み、天使の魂をかきむしる。
 互いに心が読めるが故に、そのことをよく知っているソードは、聞こえよがしに濡れた音を立て、イオスの快感と魂の痛みを二つながらに味わっていた。
 深く咽喉の奥までを犯す異物に、双魔の身体が吐き気を訴えるが、その息苦しさはまんざら苦痛なだけではない。
 遮蔽していない思惟がイオスに流れ込み、その苦しさがフィードバックされた時、天使の苦痛は何より甘い快楽となって、ソードの魂に流れ込む。そしてその甘さがイオスに還元される時、ぞっとするような後ろめたさとなって、さらに快楽を引き立てるのだ。
 二つの魂と肉体の、複雑に織り上げられたせめぎ合いを、思う存分味わってから、ソードは顔を上げ、甘く息をついた。
「『神無』の身体はけっこう場数踏んでるみてーだな」
「そ‥‥ですか‥?‥」
 上がった息を整えながら、イオスは潤みかけた目を向ける。
 唾液と先走りで濡れた唇を拭い、ソードは淫蕩な笑みを返した。
「この分だと、一回出しとかなくても平気そうだな」
「‥‥え」
 中途で放り出された疼きを持て余していたイオスは、一瞬その意味が解らなかった。
 茫然としているイオスの目の前で、ソードはジーンズを脱ぎ捨てた。
 イオスの腰を押さえつけるようにして乗りかかり、茫然と見上げる視線を乗り越えて枕元の棚に手を伸ばす。
「何です、それ‥‥」
「『神無』が使ってたんだろ、前髪上げるのに」
 蓋をねじ開けながらソードは答えた。無造作にボトルを引っくり返すと、透明な、不乾性のウォーターグリースがとろりとイオスの胸に落ちる。
 肌を伝うその冷たさが、不可解な快感となって脇腹まで這い落ち、イオスは思わず身震いした。
 その反応を楽しみながら、ソードは掌で胸を拭い、流れたグリースをすくい取った。重い液体が指先から滴ると、ビクリとイオスの筋肉が震え、押し殺した息が唇を解く。
 ソードは目の端でそれを眺めながら、滴るほどのウォーターグリースを自らの体奥に塗り込んだ。
「んッ‥‥」
 かすかな声と共に目を細め、ソードがピク、と顎を反らす。
 その声が耳に届いた瞬間、イオスの背筋をドクン、と音を立てて脈打つ欲情が突き抜けた。
 還元されてもいないそれは、天使にあるまじき感情だ。
 気付いた瞬間、イオスの魂はすさまじい罪悪感と、同等の快楽とに引き裂かれた。そのひとすじの空隙に、恐らくは『神無』のものであるらしい、鬱勃たる嗜虐が沸き上がる。
 錯綜する嗜虐とそれ故の困惑は、罪深い快楽をさらに深めた。悲鳴を上げる天使の魂が、その上に甘やかな苦痛を添える。
 それらの感情の動きを全て、同時に読み取ったソードは笑った。今やはち切れんばかりに張りつめて、ドクドクと脈打つイオスに生ぬるく濡れた手を絡め、グリースを塗り込んだ体奥にあてがう。
「っ、ソード‥‥ッ!」
 逃れようと身をよじったが、両膝で脇腹を押さえつけられ、身じろぎすることも叶わない。
「そ‥んな‥無茶な‥‥『双魔』の身体は、多分――」
「っ‥てぇ‥‥」
 かすかな苦痛の声と共に、ソードはわずかに身体をよじった。だがそれでも、途中でやめる気は毛頭無い。大体にして悪魔とは、苦痛には極端に鈍く、快楽に弱い生き物なのだ。
 魂に流れ込んでくる、甘く融ける罪悪感と、裏腹な快楽に急かされて、ソードはぐっと腰を下ろした。
「く‥‥‥う‥ッ!」
「ッ‥‥あ、ア‥あぁ――ッ‥‥!」
 悪魔と天使の魂が、どちらのものともつかない快楽と苦痛の入り混じった衝撃に悲鳴を上げた。
 相当にきつい抵抗があったが、突き抜けてしまうとそれはそのまま、脊髄を尾骨から引き抜かれるような、ゾクリと粟立つ快感に変わった。
 人間の双魔のままであったなら、それは恐らく耐え難い苦痛に違いない。だが、痛いほどに締め上げられているイオスの快感と魂の痛みが、自身の苦痛とに還元される時、それはそのままソードの中でダイレクトな快楽に変換される。
「んッ‥あ‥‥あァ‥‥」
 深くイオスを飲み込んだまま、ソードは力無くその腹に手をつき、咽喉を上げたままビクビクと震えた。切れかかり、点滅する灯のような、目まぐるしく沸騰する苦痛と快楽に、内臓の奥深くまでが脈動する。
 蕩けるようなその熱さと、断続的にしゃくりあげてくる生々しい胎動に包まれて、歯を食いしばったイオスの咽喉から、こらえ切れない呻きが洩れた。
 天使の意志とは裏腹に、『神無』の身体がより深い快楽を求めて、弾かれたように動こうとする。
 それに気付いて、声にならない熱い息を吐き、ソードはゆっくりと薄目を開けた。
 ‥‥ドクン、とイオスの心臓が跳ねた。
 見慣れた荒々しさの上に刷かれた、奇妙に脆いように見える硬質な艶が、天使の魂を鷲掴みにする。
 朱を帯びて乾いた唇を舐め、ソードは見透かした笑みを浮かべた。
「‥‥イイぜ、お前。熱くてよ‥‥俺ン中でドクドク脈打ってる。‥‥普段はお高くとまってるくせに、天使もちゃんと感じるんだなァ?」
「‥ッ!‥‥」
 不意にぐっと締め付けられ、堪えるように腹筋が震える。
「あァ‥‥ッ」
 かすかな震えを敏感にとらえ、ソードは甘い声を上げた。
 そのまま、イオスをからかうことに興味を無くしたのか、そろそろ堪え切れなくなったのか、ゆっくりと腰を回し始める。
「ひ‥ッ‥‥っあ‥‥アぁッ‥」
 抑えもしないあからさまな声が、イオスと神無の血を沸騰させた。それがますますソードを耽溺させ、無心に快楽を追い求めさせる。
 崩れ落ちそうになる身体を支えようとイオスの胸をまさぐる手が、こぼれたグリースでぬらぬらと滑る。どこまでが自分の皮膚なのか、触れているのか触れられているのか、その感覚さえ徐々に曖昧になっていく。
 しばらくそうして濡れた音を立てながら無心にイオスを貪っていたソードは、やがて物足りなくなったのか、グリースでとろりと濡れた指を、十分に勃ち上がっていた自身に絡めた。
「んッ‥‥く‥」
 汗の伝う咽喉が反り返り、口元に淫蕩な愉悦が浮く。
 赤い舌先が尖った牙を舐め、薄目を開けてイオスを見下ろすと、ソードはまるで見せつけるように、ゆっくりと自身を弄び始めた。
「ソード‥っ‥!」
「ッ‥‥おい、‥まだイクなよ、‥っ」
 釘を刺すように言い放ちながらも、言葉は途中で嬌声にまぎれた。双魔の身体が引き裂かれる苦痛さえ、今や快楽にすり替わっている。還元されるソードの快楽に罪悪感をかきむしられながらも、神無の身体に引きずられるイオスは痛いほどの痺れに打ち震えた。
 ゆっくりと、楽しむようだったソードの動きが徐々に早まり、ガクガクと腰が震え始めると、イオスはもう耐え切れなかった。
「も‥、駄目です‥ッ、ソードっ‥‥」
 苦しいような呼吸の中で、ソードもコクコクと頷いた。
「イイ‥ぜ、‥っ、イけよ‥‥ッ」
「あ‥‥ッく、ぅ‥‥ッ!」
 奥深くまで飲み込まれ、一層強く、今しも昇りつめようとする複雑な蠕動に締め上げられ、イオスは堪えていた熱を吐き出した。
 断続的な震えと共に腹の奥に溢れ出す熱い感触に、ソードの体奥からも灼熱の塊が突き抜ける。
「あ、あ‥アあぁッ‥‥!!‥」
 悲鳴にも似た声を迸らせ、ソードは弾かれたようにのけ反って果てた。
「ふ‥‥っア‥‥」
 時間をかけ、快楽の余韻に浸りながら、溜まっていた熱を吐き出し終えると、ソードは力無くイオスの胸に崩れ落ちた。グリースにまみれたイオスの胸も、荒い息遣いに上下している。
 ソードはしばらく汚れるのも構わず、乱れた息を整えながら、その胸にすりつくようにして顔を埋めていた。
 そうして、どのくらいかの沈黙が過ぎたあと。
 イオスの口から、ふいと大きな溜息が洩れた。
 ソードがのろのろと顔を上げる。
「‥‥なンだよ」
「いえ‥‥何となく、犯されたのはやっぱり私のような気がするのですが‥‥」
「今さら何言ってんだテメーは!」
 弾かれたように身を起こして、噛みつかんばかりの勢いでがなりたてる。
「あ、あんまり暴れないで下さい、まだ――」
「んっ」
 言ったそばから、ソードはビクン、と硬直した。今だ体内にあったイオスのものが、さらなる刺激に蠢いたのだ。
 ソードは再びこみ上げた欲に濡れた目で、イオスを見返してニヤリと笑った。
「‥‥上等じゃねーか」
「な、何がです‥‥」
 答えずに、指先がつう、とイオスの胸をたどり、咽喉から頤へと這いのぼる。
 イオスはピク、と目を細めた。
 同時に、一度散じた熱が、再び腰の奥で音を立てて脈打つ。
 甘く、ソードが溜息をつき、囁く。
「お前、この分じゃあ、もうまともな天使には戻れそうにねーなァ?」
「っ!」
 濡れた指先で唇をなぞられ、イオスは反射的に顔を背けた。ソードがその顎を押さえつけて、口をこじ開けるようにして指を差し入れる。
 グリースと体液の入り混じった、甘いような苦いような奇妙な味が舌に触れ、イオスはむせるように咳込んだ。胃の腑の奥から吐き気がこみ上げ、口中を侵す指を吐き出そうとする。
 が、その時。
「んッ!‥‥」
 かすかに呻き、ソードはビクン、と身を撓めた。
 イオスの舌が指をかすめた時、痺れるような鋭い快感が電極を刺されたように突き抜けたのだ。
 一瞬の自失の後、ソードは訳が解らぬまま、戒められたままのイオスを茫然と見下ろした。
 少しの間、イオスもきょとんとしてソードを見上げ――束の間沸き上がった不可解な嗜虐を、無理矢理押し殺し、目を伏せた。
「‥‥いい加減、ほどいて下さい。‥‥今さら、逃げたりしませんから」
「え‥‥ああ‥‥」
 どこか釈然としない、狐につままれたような顔をして、それでも、ソードは手を伸ばし、脱ぎ捨てたジーンズを引き寄せた。ごそごそとポケットを探り、銀色の鍵をつまみ出す。
 ようやく手錠を外されて、イオスは跡のついてしまった手首をさすった。‥‥諦めにも似た、深い溜息が口をつく。
 ソードはまだ、体内にイオスを納めたまま、ぽかんとしてその様子を見返している。
 イオスは構わずバスタオルを引き寄せて、まき散らされたソードの体液とグリースでベタベタになった胸板を拭い――撫然としたまま目を上げると、ふと、無防備に身体を開いたままのソードと目が合った。
 ――その瞬間。
 天使の魂の奥底から、一旦は封じ込めた『神無』の嗜虐がドクン、と音を立てて沸き上がった。
「は‥‥アッ‥」
 ソードがかすかな声を上げ、軽く反った咽喉元が目を射た時は、もう間に合わなかった。
 イオスはほとんど無意識に、ソードの腰を支えたまま、ぐいと彼を抱き込んで半身を起こした。
「あ、あアッ!」
 幾分は鎮まりかけていた身体を、だしぬけに深く貫かれ、ソードは半ば悲鳴に近い声を上げた。
 『神無』の意識に引きずられたイオスは、構わずその咽喉に、肩に口接けた。
 特に技巧を凝らすでもなく、ただイオスの唇が触れるだけで、先程までとは桁違いの、直接神経を引きちぎるような、苦痛寸前の快感が走る。赤くなった耳朶を柔らかく噛まれると、ソードの腰がガクガクと揺れた。
 イオスはその耳に囁いた。
「天使の組成って、知ってますか?」
「ひッ‥あ!‥‥あァ‥‥」
「悪魔は大概、欲と闘争心で出来ているものなんですが‥‥」
 密着した二人の腹の間で、見る間に勃ち上がったソードの熱が今にも弾けそうに震えている。だがイオスはそれには触れもせず、ソードの背中に手を回し、引き寄せた。
「あああァッ!」
「天使は、愛と浄化と救済で出来ているんです。‥‥つまりそれは、『負』マイナス『正』プラスに転じる力なんですが‥‥普通の状態の人間がその力に直接触れると、ある種の快感を呼び起こされてしまうんですよ‥‥」
 呟くようなイオスの言葉は、もはやソードには聞こえていない。強烈すぎる快感にボロボロと涙をこぼし続ける目は、半ば焦点を失っている。
 腰骨の辺りを撫でるようにして、ごく軽く身体を揺すってやると、ソードは声もなく息をつめ、魚のように震えて昇りつめた。
「あ‥‥あァあ‥‥」
 イオスにしがみつく力も無いまま、がくりと肩口にこうべを落とす。だが、その身体は、途切れることなく沸き上がってくる快感に震え、切れ切れに声を上げ続けていた。今しがた果てたばかりのソードの熱も、萎える気配もなく張りつめたまま震えている。
「ああ、やっぱり‥‥悪魔の魂が宿っていても、人間の身体を完全に制御することは出来ないんですね‥‥」
 耳元でそう呟くと、ソードの痩せた背がビクン、と撓り、蕩けるような内壁が蠢く。
 イオスは困惑する自らの意志と、快楽を貪る肉体の力との二つながらに引き裂かれながら、ビクビクと震えるソードの背を抱いた。触れただけで跳ね上がり、きつく自身を締め上げる身体を、支えながらベッドに押し倒す。
 ソードは豹変した天使の行動に、信じられないものを見た思いで目を剥いた。だがそれでも、人間である『双魔』の身体に、天使の力に抗う術はない。穿たれたままの熱塊のもたらす灼けつくような快楽を求めて、イオスの腰に両脚を絡め、ほとんど無自覚のまま深く引き寄せようとする。
 イオスの口元に、全く天使らしからぬ笑みが浮いた。
「まだ欲しいんですか?――さっき二度、終わったばかりなのに」
「っ‥‥てめえ‥‥ッあ‥」
 快感と涙に潤んだ目を見開き、ソードはイオスを睨みつけた。
 イオスは笑みを浮かべたまま答えず、突き上げるようにソードを抱きすくめた。
 溶けるほど熱くなった内壁を大きく抉られ、弾かれたようにのけ反った咽喉から、悲鳴と嬌声の入り混じった声が迸る。
 その咽喉に柔らかく口接けながら、ソードのプライドが快楽に引き裂かれ、踏みにじられるのをまざまざと感じ取ってイオスは笑った。
「全く、あなたと云う人は‥‥」
「あ、あァ‥ッ‥おれは‥ヒトじゃ、ねえ‥ッ‥」
「まだそんなことを言う余裕があるのは流石ですけど。‥‥でも、元来悪魔は、こんな時に悔しいなんて思わない生き物だと聞いていたんですけどね」
「んッ、ぅ‥‥っ」
 深くイオスを受け入れたまま、微動だにせぬままじりじりと咽喉に、胸元に口接けられ、ソードは生焼けの火刑に焦れた。イオスの変化に沸き上がった疑問も、かすんでいくような思考の中で徐々に曖昧になりつつある。
 さっきイオスにしたように、薄い胸にぽつんと浮いた、今や堅く凝った小さな乳首にねっとりと舌先で触れられて、ソードはびくん、と腰をひねった。
「ァ‥‥はァ‥ッ!」
「何だ、あなただってちゃんと感じるじゃないですか。それとも、人間の身体だからですか?‥‥」
 言いながら、指の腹で転がし、押し潰す。舌先で転がし、吸い上げると、蕩けた身体は敏感に反応し、痙攣するように締め上げてくる。
「てめ‥‥イオス‥‥っ!」
 それでもまだ、甘い喘ぎの隙間から、気丈に睨みつけてくるソードの目に、ゾクゾクするような嗜虐と快感が背筋の底から沸き上がる。
 あれほど魂を苛んだ罪悪感がもはや無いことに気付かぬまま、イオスは熱く溜息をついた。
「なんか‥‥いいですね」
「な‥ンだよ‥‥ッあ‥」
「いえ‥‥あなたは私にどうしてほしいんです?」
「ッ!」
 イオスを加害者に仕立てることによって傷つけ、堕とそうとしていたことなど今やすっかり忘れ果て、ソードはギリ、と歯を食いしばった。この期に及んで、悪魔らしからぬ意地とプライドが、疼く身体を押さえ込もうと、汗に濡れた肌の下でせめぎあう。
「‥‥まあ、いいですけど」
 悪魔の魂とプライドを引き裂く昏い愉悦に心をとらわれ、イオスは返事を待たずして、固く引きむすんだ唇をつ、と舐めた。
「んぅッ!」
「じゃあ、こう云う場合のお約束でいきましょうか。‥‥目を開けて、私をちゃんと見て、名前を呼んでくれたら、お望みの通りにしてあげますよ」
「‥‥‥?!」
 ソードは茫然と目を開けた。普段のイオスであったなら、そんなことは決して言い得ない。大体にして『お約束』だと?‥‥‥それは一体、誰の記憶なのだ? 人間の神無か、それとも、本当に――
「‥‥イオ‥ス‥‥?」
 かすれた声でソードは呟いた。
 見下ろすイオスの表情に、満足げな、そして残酷な笑みが浮いた。
 腰にからんでいたソードの片脚をぐいと引き上げて大きく開かせ、一度ぐっと腰を引いてから再び深く突き上げる。
「ああアぁ――ッ!!」
 だしぬけに与えられた強烈な刺激に、ソードははっきりと苦痛の叫びを上げた。
「ああ‥‥きつすぎたようですね。すみません」
 イオスは平然とそう言うと、なだめるようにその頬に触れた。
「あッ‥‥あア‥ッん‥」
「人間の神経はすぐに焼き切れてしまうようだから、気をつけないと‥‥でもね」
 ソードの切れた唇に触れ、かすかに滲んだ血を舐め取ると、イオスは甘い声で囁いた。
「天使を甘く見て、無防備に触れてきたあなたが悪いんですよ」
 ソードは半分ぼやけた視界で、自分を見下ろしているイオスを見た。その顔は天使のイオスではなく、人間の神無であるように思えたが、冷静な思考は長く保たなかった。
 イオスの濡れた髮が胸に落ち、肌をたどるようにかすめると、それだけで灼けるような快感が突き抜ける。開いた片足を抱え上げられ、体内を深く突き上げられると、さっき同様の強烈すぎる、制御出来ない快楽が駆け巡り、ソードは悲鳴を上げてかぶりを振った。
「大丈夫、気が狂わない程度に加減して、エナジーが散じるまで付き合ってあげますよ」
「ひッ‥‥あァ‥あッ‥ん‥!」
「‥‥本当に‥‥もう天界には還れないかも知れませんね‥‥」
 そう囁いたイオスの言葉が、融け崩れていくソードの意識に届いたかどうかは解らなかった。




 二階の様子を判じかねて、うろうろしていた父親の傍らを、何食わぬ顔で通りすぎ、イオスが二度目の入浴から戻った頃、ソードはようやく目をさました。
「‥‥おい」
 どこかぼうっとしたまま呼びかける声は、上げ続けた悲鳴のために嗄れている。
「ああ、気がつきましたか?」
「‥‥咽喉乾いた。水」
「はい」
 階下から持ってきたミネラルウォーターの、500mlボトルを手渡してやる。
 ソードは突っ伏したまま顔だけを上げ、のろのろとキャップをひねると、半分ほどを一気に飲み干し、残りをイオスに突っ返した。
 イオスは受け取ったボトルに口をつけながら言った。
「シーツは替えておきましたから、後で洗っておいて下さいね」
「なんでオレがそんなことしなきゃならねーんだ!」
「あなたが汚したからでしょ。血もついてましたよ。大丈夫なんですか?」
「だーッ! 捨ててやる捨ててやるそんなモン!」
「駄目ですよ勿体無い。ちゃんと洗っといて下さいね」
「うるせー!」
 イオスが掛けていったシーツにくるまって、ソードはぷいとそっぽを向いた。
「‥‥全く、無茶なことをして。その身体は多分初めてだったのに――」
「るせーよ!」
「元の身体の持ち主が知ったらどんなにかショックを――」
「しつこいぞテメー!」
 ブチ切れたソードは、シーツをはねのけて飛び起きた。が、
「ああああ! 痛ってえ! 無茶苦茶いてー!」
「‥‥だから言ったのに。‥‥ほら、ソード。落ち着いて下さいよ」
 うずくまって苦痛を訴えるソードをなだめて、ベッドの端に腰掛ける。
「タオルを絞ってきましたから、身体を拭いてあげますよ」
「よけーなお世話だ!」
「まあ、そう言わずに。今のあなたは私の弟なんですから」
「だ――ッ!――畜生!!」
 ソードは苦痛を無理矢理ねじ伏せて跳ね起きると、牙を向いてイオスに向き直った。
「今回は不覚をとったが、この次は負けねーぞ! 次こそは絶対勝ってやるからな!」
 イオスは茫然と目を丸くした。
 スポーツでもあるまいし、ああいった行為に果たして勝ち負けなんて存在するのだろうか。大体にして、何を基準に勝ちだの負けだのを決めるのだろう。いやそれよりも、ソードの口振りからして次があるのか?‥‥
「何だかねえ‥‥」
「なに溜息ついてんだテメー! 逃げよーったって逃がさねーからな!」
「はいはい」
 噛みついてくるソードを適当にあしらい、イオスはその身体をベッドに押しつけ、拭き清めることに専念した。

『天使は、愛と浄化と救済で出来ているんです』

 自身が口にしたその言葉が、今さらながら重く胸中に蘇る。
 だが、ソードの言った通り、イオスはもう、まともな天使ではないのかも知れない。
 人間の持つ、肉体の力とは恐ろしいものだ。還元される快楽に引き裂かれた魂の隙間に沸き上がった、恐らくは神無の衝動を、あの時イオスは御し切れなかった。――それはあるいは、もう取り返しのつかないことなのかも知れない。
(ならば‥‥神はお赦しにならないかも知れませんが、天界に還れないならせめて彼のそばで、悪魔の力を浄化し続けるのが私の役目なのかも知れませんね‥‥)
「‥‥何考えてんだよ、おめー」
 考え込むうちに手の止まってしまったイオスを見やり、ソードがいぶかしげに聞いてくる。
「いや、別に‥‥」
「下らねえこと考えてんじゃねーよ。お前は俺が倒すんだからな!」
「何だ‥‥読まれてたんですか」
 どうしようもなく、イオスは笑った。
 ふと、ソードが真顔になる。
「‥‥おい」
「何です?」
 ソードは不意に、ぐいとイオスを引き寄せると、噛み締めて血のにじんだ唇を重ねた。
 一瞬の柔らかい感触の後、すぐに突き放すように押しやられる。
「あの‥‥一体‥‥」
 茫然と聞いたイオスに、ソードは再び背中を向け、ぐいとシーツをかき寄せた。
「もー寝る」
「‥‥ここは私の部屋なんですけど‥‥」
「寝るっつったら寝る」
「‥‥まあ、いいですけどね」
 タオルをたたんで洗濯物のバスケットに放り込み、イオスはソードの隣にもぐり込んだ。
「くっつくんじゃねー!」
「大丈夫ですよ。もうあんな力は出さないように気をつけますから。‥‥大体、これは私のベッドなんですよ?」
 黙ったまま、ソードはもそもそと身体を丸くした。
 ふと思いついて、その背中をそっと抱きしめる。
「‥‥何やってんだよ」
「いえ、何となく‥‥辛くないかな、と思って」
「テメーにいたわられても嬉しくも何ともねーよ!」
「まあまあ」
「‥‥‥‥‥‥‥」
 ソードはもう何も言わず、ただごそごそと居心地悪げに身じろぎしただけで、すぐに寝息を立て始めた。

『悪魔は大概、欲と闘争心で出来ているものなんですが‥‥』

 あるいは彼は、それだけではないのかも知れない。
 ソードの寝息を聞きながら、イオスもやがて引き込まれるように穏やかな眠りに落ちていった。



 意識の奥底で、かすかに天使の羽音が響く。
―― 「甘い経験」 END ――

(発行・1998/08/15 再録・2005/04/06)
☆ おまけ/後日談「見して 見して」 ☆