※これはサイト初出の「Love Sauce」(双魔×ネコ)をweb再録本にした際、
あちらのver.bの続き短編として書き下ろしたものの再録です。なので
カプとか平気な方は「Love Sauce」ver.bの後にお読み頂けると幸いです。
(ただし、向こう:コメディ/こっち:シリアスで作風が全然違います。注意)
「そんなネタ読みたくねー」という方は「色々あって双魔がネコに
手出し→神無マジギレ」という前提だけご了承の上でどうぞ。
あちらのver.bの続き短編として書き下ろしたものの再録です。なので
カプとか平気な方は「Love Sauce」ver.bの後にお読み頂けると幸いです。
(ただし、向こう:コメディ/こっち:シリアスで作風が全然違います。注意)
「そんなネタ読みたくねー」という方は「色々あって双魔がネコに
手出し→神無マジギレ」という前提だけご了承の上でどうぞ。
◇ Don't touch me ―欲望― ◇
声にならない悲鳴と共に、中でじたばたともがいていた双魔が脱衣所の床に転び出た。ゴツリと硬い音がする。肉付きの薄い双魔のことだ。フローリングで骨でも打ったか、あるいは横の洗濯機あたりに勢いで頭でもぶつけたのかも知れない。何にしろ、沸き上がる怒りにそっぽを向き、ボイラーのスイッチを入れていた神無の知ったことではなかったが。
向き直って乱暴にタオルケットを剥ぎ取る。途端に埃と猫の毛が舞った。よろけて床に手をついた双魔が、埃を吸ったのかうずくまって咳き込む。が、委細無視して二の腕を掴み、乱暴に引いて立ち上がらせた。あ、と小さな声が上がったが、そのまま引きずって浴室に連れ込む。
給湯温度の設定はしたものの、実際に湯が使えるまでには今しばらくの時間がかかる。その数分さえ今は腹立たしく、神無はシャワーのコックをひねった。だしぬけに降りかかった冷水に、双魔が裏返った悲鳴を上げる。それも無視してシャワーヘッドを掴み、頭から勢いよく水を浴びせた。
冷たい、とか待ってよ、とかいう悲鳴混じりの抗議の声も、聞いてやる気はさらさら無い。容赦なく水を浴びせるうちに神無のジーンズもシャツも濡れ、重たく肌にまとわりついたが、その不快さも今はどうでも良かった。
一分ほどが経った頃、操作パネルの音声ガイドがようやく給湯開始を告げた。冷たかったシャワーが徐々に温み、やがて湯気を立て始める。
それにつれ、弱々しい双魔の抵抗が止んだ。ありありと安堵した溜息が洩れる。‥‥苦みを含んだ怒りと苛立ちが、胃の腑の底で重たく疼いた。水音にまぎれて聞こえた息が、どこかしら甘く響いたからかも知れない。
それを無理矢理押し殺し、ねじ切るような力を籠めてシャワーのコックを捻って止めた。フックに下げてあったボディタオルを引き抜く。先のシャワーをかぶったらしく、冷たい水が滴った。が、知ったことか。構わずその上にリキッドソープをぶちまけ、乱暴に双魔を洗い始める。
ひゃ、と間の抜けた悲鳴を上げて、双魔がビクリと身を竦ませた。
「冷たいって! 神無!」
答える気にもなれぬまま、振り向こうとする肩を抑えつけた。よろけた双魔が鏡に手をつく。おかげで安定したその背中で、黙々とタオルを往復させる。
「痛ッ」
力の加減が効いていないのか、単に双魔が大袈裟なだけか。それは解らないし、知る気もない。
「神無、痛いよ」
「‥‥うるさい」
「ね、神無、ちょっと――」
懇願するような響きを帯びて、おずおずと双魔がまた振り返り――肩越しに目が合った瞬間、ビク、とその表情が凍りついた。追い詰められた小動物に似た、黒目がちの眸が見開かれる。
多少筋肉がついたとはいえ、双魔は全体的に線が細い。濡れた髪の張りつく首筋は片手で易々と縊れるだろうし、軽く絞めただけで折れそうだ。‥‥双魔を見返す今の己は、多分そういう顔をしているのだろう。正面の鏡はとうに曇っていて、それを確かめる術はなかったが。
双魔が黙ったのを幸いに、神無は作業を再開した。背から首筋を、両腕を辿り、黙々とその身を清めていく。
「‥‥神無」
固まったまま目を伏せて、小さく、双魔が呼び掛けた。
言いたいことがあるならさっさと言えばいい。なのに双魔はいつもこうして相手の反応を伺って黙る。それがなおさら苛立ちを煽る。双魔に絡んでくる連中も、恐らくは似たような気分なのだろう。それが解るのがなお腹立たしい。所詮己も向こう側の人間なのだ。今さらながらの自己嫌悪と嫉妬がさらに臓腑を灼き焦がす。
八つ当たりめいてボトルを振り、泡の消えたタオルにソープを注ぎ足した。双魔の向きは変えさせぬまま、背中から腕を回して胸板を洗う。どうしてか、今はその顔を見たくはない。己の荒んだ顔を見せたくもない。
互いに視線を避け合いながらも、抱き締めているのと変わらぬ体勢だ。神無のシャツにも泡を介して双魔の体温がじわりと染みる。だがその生ぬるさに相反して、気分はうすら寒く沈んでいく。
もの言いたげな様子だった双魔も、張り詰めたような空気に呑まれてか結局口を噤んだままだ。そうさせているのは己なのだろうが、そもそも双魔に弁解の余地はない。何かに耐えるように目を閉じて、ただ黙々と作業を続ける。
「ッ‥‥」
双魔がかすかに息を詰めた。細い項がひくりと揺れ、濡れた髪から滴が落ちる。
鬱々たる思いから引き戻され、神無は伏せていた目を上げた。無造作にタオルを行き来させると、痩せた背中がまた震える。
一拍遅れてああ、と気付いた。タオルを持つ手はそのままに、肩を掴んでいた手を伸ばす。
「あ‥‥!」
ぽつりと浮いた乳首に触れられ、双魔は一瞬驚いたようだった。泡をまとった指先を滑らせ、軽く捏ねるように転がすと、押し殺した喘ぎが咽喉でくぐもる。同時に捉えた小さな乳首が見る間に硬く凝るのが解った。
‥‥弾力を帯びた肉の感触に、ぞくりと身の内に火線が走った。だが同時に、そういえばそっちが本題だったな、と冷めた頭が白々と思う。肉体の反応とは裏腹に、気分は重く沈んだままだった。溜息が口をつきそうになる。ほとんどそれをごまかすようにして、今やうっすらと赤く染まった双魔の耳元に唇を寄せた。
「‥‥双魔」
「んッ‥‥!」
腕の中の身体がビクリと跳ねた。タオルを持つ手に力を籠め、反射的にその身を抱き竦める。が、続く言葉が見つからない。怒りと苛立ちがないまぜになった名状し難い焦燥に駆られ、火照り始めている耳朶を噛む。
「ひァッ」
上がった声は悲鳴に近かった。構わず耳に、首筋にと、何度も重ねて口接けを落とした。きつく吸い上げ、跡を刻みながら、手の中の粟立つ乳首をなぞる。
「ッ、ふ‥‥」
声にもならぬ掠れた吐息は、それでも十分に甘く響いた。強張っていた身体が震え始める。泡でぬめる指先が蠢くにつれ、息詰まるようだった切れ切れの喘ぎに、やがてあからさまな愉悦が滲む。密閉された浴室の中、その声は押し殺してなお鮮明に聞こえた。
‥‥何とも言えないやりきれなさが、不意に胸の奥を切り裂いた。
神無の怒りを忘れた訳ではないだろう。双魔は状況に流されるたちだ。後先考えずその場しのぎで目先の問題をやり過ごそうとする。思えば最初に神無を誘ったのも、壊れた挙げ句の自暴自棄だった。その痛ましさに己は呪縛された。双魔の感情がついてきたのはそれよりずっと後のことだ。
イオスやソードとの共生以来、随分とましになってはいる。が、双魔はやはりまだ壊れているのだ。己の気持ちなど考えもせず、ただ身体だけを明け渡そうとする。ようやく魂が通じた今でさえ――
「双魔‥‥!」
萎えていく気分を振り払うようにして、熱を帯びた身体を抱き締めた。とうに泡の消えたタオルが足元に落ち、ぼとりと間の抜けた音を立てる。
あ、と双魔が視線を落とした。その薄い腹をぬらりとなぞる。今やすっかりとろけた身体はただそれだけで感じているのか、吐息が切ない響きを帯びた。さざ波めいて震える腹筋を焦らすことなく辿り下り、待ち焦がれていたであろうものに触れてやる。
「! んッ」
飲み込みそびれた声と共に、抱え込んだ腰が僅かに揺れた。あやすように耳元を舌先で辿ると、ゆるく掌に包み込んだものがひくりと震えて量感を増す。
喘ぐ双魔の耳元で、意地悪く神無は囁いた。
「‥‥『もうそんな体力はない』んじゃなかったのか?」
「だっ、て――あ、ぁッ‥‥!」
指先でぬるりと鈴口を割ると、双魔の抗弁は中途で切れた。鋭利すぎる刺激に耐えかねたような高い声が迸る。
複雑に入り交じった苛立ちと嗜虐が、その声をもっと聞きたいと願う。それを必死でねじ伏せる。苛酷な暴力と性的搾取が双魔の魂を追い詰めた。本来そちら側の人間でしかない己の魂に巣食う闇を、双魔にだけは見せる訳に行かない。
泡の残る手をそのまま滑らせ、ごく軽く何度か扱いてやる。双魔の吐息に安堵が滲んだ。与えられた柔らかい愛撫に応え、せいぜい半勃ち程度だったものは再び脈動し、蠢き始め、やがて神無の掌の中で限界近くまで反り返った。
沸き上がる衝動を押し殺し、色のない声音でまた囁く。
「‥‥元気じゃないか」
「だ‥って、神無だし‥‥」
‥‥ふと、神無は眉をひそめた。切れ切れの甘い吐息にまぎれて双魔が紡いだ呟きは、どうしてか今にも泣きそうに聞こえた。
「‥‥双魔」
「! ッ、ん」
息を吹きかけるも同然の呼び掛けに、答えるどころではなく双魔が震える。構わず抱き支えていた方の手を伸ばした。その顔を掴んで向き直らせようとする。が、双魔がぎこちなく抵抗する上、泡で滑って上手くいかない。
しょうがなくシャワーのコックを捻った。双魔が驚いたような声を上げる中、もろともに湯をかぶって泡を流し、濡れた手で再びその顎を捉える。肩越しに無理矢理こちらを向かせ――絶句した。
見返す双魔の大きな眸は、泣き腫らしたように赤かった。
紅潮した頬を濡らしているのはシャワーの湯なのか涙なのか、今となっては区別もつかない。
そのありさまとは裏腹に、双魔がきょとんと目を丸くした。どうしたんだろう、とでも言いたげに。
短い沈黙の間にも、動きを止めた掌の中で双魔の熱が萎えていく。感じすぎて泣いていた訳ではないと、思い知るにはそれで十分だった。
「お前‥‥」
あんな声を上げながら、何を思って泣いていたのか。一体いつから――何故。
そう思いながらも言葉に出来ず、双魔の目元に口付けた。湯に紛れてなお、涙はほんのりと塩辛い。舌先でそっと拭ってやると、双魔はピク、と目を細めた。
「ああ‥‥これ」
人ごとのように双魔が言った。うつむこうとしたが神無の手に阻まれ、気まずい風情で目だけを伏せる。
「‥‥ごめん」
降りかかるシャワーの水音の中、呟きはそれでもはっきりと届いた。
「も、しない。しないよ‥‥ごめん、神無」
「‥‥急に何だ」
ひどくあっさり謝られ、逆に不信が沸き上がった。そもそも神無が何故怒っていたのか解っていたとも思えない。
それでも顎を掴む手は無意識に緩んだ。沈黙の中で双魔がうつむく。
「‥‥さっきの神無、あの時とおんなじだった」
「あの時?」
少しの間の後、ぽつりと言う。
「最初に――大事だからだ、って言ってくれた時、と」
「――‥‥」
「神無はそういうの、全然顔に出ないけど‥‥でも、解った。怒ってるんじゃなくて悲しいんだ、僕のせいで、って」
答える言葉が見つからぬまま、「さっき」が何のことか遅れて気付いた。冷水のシャワーを浴びせかけ、振り向いた双魔が固まった時だ。己はさぞかし双魔を怯えさせる、ひどい顔をしていたのだと思っていたが――
「‥‥それで泣く泣く俺の好きにさせてた訳か?」
「別に嫌だった訳じゃないよ。‥‥それはいいんだ」
淡々と言う。さっきもそんなことを言っていたな、と思い出す。その時は単なる言葉のあやで、よもや本気だとは思わなかったが。
「僕は最初っから神無のものだから、何をどうしたって構わないよ。僕が悪いんだし。‥‥でも、僕と違って神無は泣けないから」
「‥‥何の話だ?」
怪訝に眉をひそめる。話の脈絡が掴めない。
壁に突いていた手を緩慢に下ろし、双魔が自身の胸に当てた。痛む傷跡をさするように。
「ずっと、痛かったんだ。涙が出るくらい。‥‥でもそれって、僕の気持ちじゃなかったよ」
「――‥‥‥‥」
神無は言葉を失った。
双子ゆえの共感は前からあった。恐らくは物心ついた時からずっと。想いがよほど強ければ、心の声が聞こえることもある。時に感情が混線することすら。最初に双魔に触れた日以来、それはさらに頻繁になり、一層強まったようだった。
しかし双魔はもう長いこと、魂を殺し神経を引きちぎり、身体と感情を別のものとして徹頭徹尾切り離すことで辛うじて自我を保ってきた。自身の魂すら殺せるのだ。共振する感情を遮断するなど恐らくは造作もないことだろう。なのに何故――そう思った瞬間、
「でも、神無をそんな気持ちにさせたのは僕だから。‥‥だから、ごめん」
悄然と双魔が呟いた。神無の思いを聞いたかのように。
その声に、今度こそ本当の嗚咽が籠もる。混線した神無の感情ではない、双魔自身の――
気付いた瞬間、何かが神無の魂を裂いた。
「双魔‥‥!」
思わず乱暴にその肩を掴み、背を向けたままだった双魔を向き直らせた。小さな声を上げてその身がふらつく。それをほとんど抱き締めて支え、真正面から向き合った。
己を映す濡れた眸が驚いたように見返してくる。焦点さえも合わないほどの間近にそれを見つめながら、衝動的に唇を重ねた。ただ触れるだけで一旦離れ、その目に怯えの色がないことを確かめて再び口接ける。舌先でそっとくすぐると、おずおずと双魔が腕を回して応えた。
流しっぱなしのシャワーに打たれ、互いの息遣いだけを聞きながら、思うさま舌を、唇を、手に触れる肌を貪った。
「ッ‥‥」
そのさなか、双魔がかすかに息を詰めた。寄り添った身体の変化に気付き、僅かに苦笑してからかうように言う。
「‥‥これも俺の分か?」
「! あ‥‥」
口接けひとつで感じてしまったのか、再び頭をもたげかけたものが神無の下腹を押していた。目を合わせたまま軽く触れてやると、双魔が必死で赤い顔を背ける。
「さ、三分の、一くらい、は」
「どういう計算なんだ、それは」
項から回したもう一方の手で双魔の頭を抱き支え、無理矢理その目をのぞき込む。
「神無の分と、僕の分、と――その掛け合わせで増幅した分、とか‥‥っ、ん!」
「‥‥もういい」
張り詰めた熱を掌中で弄び、双魔の言葉を遮った。ついでにもう一度唇を重ね、完全に口を封じておく。
‥‥口からでまかせもいいところの計算は、あるいは正しいのかも知れなかった。神無の感情が伝わるのだとさっき双魔が口にした通り、双魔の痛みを感じた瞬間、己の中で何かが動いた。
元より身体が欲しかった訳ではない。神無の衝動のスイッチを押すのはいつも双魔の痛ましさだった。常の泣き癖から来る涙ではなく、魂の垣根をさえ乗り越えて届く痛み。
ひとたびそれに呪縛されたが最後、抱き締めてやらずにはいられない。そうして慰める以外の方法を、神無は知らない。知りようもない。
ある意味双魔に(そしてイオスに)それを教えてしまったのは神無だった。双魔を責める資格など、本当は最初から無かったのかも知れない――
「! ッ‥‥ふ」
双魔が僅かにかぶりを振った。念入りに理性を絡め取ろうとする神無の口接けからようよう逃れ、濡れた唇を半開きにして浴室の薄い空気を貪る。構わず首筋に口接けた。渇いた咽喉を潤そうとしてか、こくりと上下する喉仏にも。
あえかな高い鳴き声を上げ、息も絶え絶えに双魔が喘いだ。背後の鏡にふらふらともたれる。もはや冷たさも感じないのか、火照った身体はいくらか身動ぎしただけだった。あるいは単に限界が近いのかも知れない。それらしき震えを手の内に感じ取り、崩れ落ちそうな身を支えてやりつつ指の動きを早めてやる。
「ん、‥‥あ、あァ‥‥ッ!」
双魔の指先が力無く泳いだ。腕を回す余裕もとうに無い。辛うじて神無のTシャツに触れ、濡れたその裾を掴んで縋る。
「神、無‥‥」
夢見心地の掠れた声が、甘く、神無の名を呼んだ。
ぞくりとこみ上げた滾るような衝動は、己のものなのか双魔のものか。その区別すら今はどうでもよく、神無は半ば吸い込まれるようにして双魔の唇を貪った。
「ん‥‥~~~‥‥ッ!!」
愉悦と愛しさに潤んだ眸に間近で神無を映しながら、双魔は身震いして手の中で果てた。
断続的な吐精の律動と指先を伝うぬるい感触。それでようやく我に返り、名残惜しく唇を開放してやる。途端に双魔が荒く息をついた。気力を根こそぎ吐き尽くしたような虚ろにとろけた表情で、そのままずるずるとへたり込む。
掌で受けた双魔の精を出しっ放しだったシャワーで流し、ようやくコックを捻って止めると途端に静寂が耳を打った。まだ少しだけ息切れ気味の双魔の喘ぎだけが浴室に満ちる。
「‥‥大丈夫か」
「ん‥‥」
びしょ濡れの髪をかき上げながら、身を屈めて様子をのぞき込む。双魔が小さく頷いた。何か言いかけて目を上げようとし、あ、とその視線が途中で止まる。
「ご、ごめん‥‥!」
慌てたように双魔が言った。いくらか興奮の冷めかけていた頬が再び紅潮する。同時に膝立ちになった双魔がすいと下腹に手を伸ばしたので、神無も遅れて事態に気付いた。
ありありと前の張ったジーンズの上に、受け止めきれなかった双魔の精がなすったように付着していた。色濃く濡れたデニムの生地に、その白さはいっそう際立って見えた。
‥‥まあいい、と浅く溜息をつく。さして大事でもない普段着だ。着衣のまま浴室に入った時点でどうせ洗濯するしかなかった。
が、慌ただしく汚れを拭い取った双魔が不意にジーンズのボタンを外した。慣れた仕草でファスナーを下ろし、濡れて硬い生地を引き開けようとする。呆れを含んで思わず言った。
「‥‥そっちかよ」
「え‥‥?」
他に何が、とでも言いたげな、そのくせ妙に純真な目できょとんと見上げられて溜息が出た。
「‥‥いや」
言うのも面倒でかぶりを振る。
肉体の反応を置き去りに、煮え滾るようだった怒りと衝動はいつしかすっかり消え失せていた。双魔の涙に引きずられるといつもこうだ。身体と心がバラバラになる。
だがそれでも、触れてくる指を感じると、ぬるい血がトクリと脈打った。人ごとめいた気分とは裏腹に、ボクサーパンツから引き出されたものが双魔の眼前で跳ね上がる。
「――‥‥」
やけに神妙な顔をしていた双魔が、安堵したような息をついた。‥‥チリ、と再び胸の奥が痛む。
『何とも反応されてなかったらどうしよう、と思って‥‥』
最初の時に双魔は言い、安心した、と涙をこぼした。あれから沢山の出来事があり、ずいぶんと魂は近付いた。それなのにまだ不安なのか――
黙り込んだままの神無の思いを、双魔が知っていたかどうかは解らない。指に捉えた神無の熱を確かめるようにくすぐって、何度かそっと口接けた後、ためらう風もなく口中に含んだ。弾力を持った舌がぬるりと蠢く。
「ッ‥‥」
愉悦と共に脈動が強まり、柔らかい粘膜の中で勢いを増した。それにつれ双魔の咽喉の奥から息詰まる苦鳴が僅かに洩れる。
「‥‥双魔」
無理をするな、との意を込めて、静かに双魔の頭を撫でた。濡れた髪に指を差し入れ、軽く引き離す仕草をする。
双魔は小さくかぶりを振った。指先で根本を扱きつつ支え、さらに奥深くまで飲み込もうとする。
張り詰めた先端が奥を突いた時、ゴクリと双魔の咽喉が動いた。狭い咽喉がさらに収縮し、敏感な部分を締め付ける。
「‥‥ッ、く」
こみ上げた愉悦に息を詰めた。一瞬後、その収縮が嘔吐反射だと気付き、砕けそうな腰を引こうとする。が、双魔はそれを許さなかった。神無の反応に満足したように執拗に舌を蠢かせ、ますます懸命に煽りたててくる。その巧みさがどこから来たものかは努めて考えないようにした。
籠もって響く淫蕩な水音と荒くなっていく自身の呼吸が、じきに全てを払拭した。長くは耐えられそうになかった。
軽く後始末をして残る泡を流し、先に双魔を上がらせた。
名残惜しそうな顔をするのを努めて無視して追い出して、濡れた衣服を苦労して脱ぎ、大雑把にシャワーを浴びた。
タオルを巻いて浴室を出ると、双魔を担いできたタオルケットが脱衣所に丸まったままだった。目にした瞬間うんざりしたが、考えてみたら双魔が片付けなどする訳がない。あんなゴミ部屋に住んでいられるのは元々が相当にだらしないか心を病んでいるかのどちらかで、双魔は両方に当てはまっている。自分の濡れた衣服も含めて、しょうがなく神無が片付けた(と言っても大物・色物・その他に分けられたランドリーボックスに放り込んだだけだが)。
部屋に戻って身繕いし、洗い上がりのTシャツをかぶった頃、双魔がひょいと顔を出した。
「何だ、服着ちゃったんだ」
意外そうに言った双魔はゆるいTシャツとハーフパンツ姿だった。部屋着かパジャマか解らないが、何にしろ脱ぐつもりの服だということか。溜息をついてベッドに腰を下ろす。
追って双魔が隣に座った。そっと寄り添って肩にもたれる。
「まだ足りないのか?」
「思う存分やる気出してくれるんじゃなかったっけ?」
「そんな気分じゃなくなった」
「すっきりしちゃったしね」
「‥‥そういう問題か?」
身も蓋もない。少しげんなりしながらも、ほとんど癖のようにその頭を抱くと、双魔はかすかに笑ったようだった。
「嘘だよ。‥‥ちゃんと解ってるから」
「‥‥ああ」
何がだ、と神無は聞かなかった。多分本当に解っているのだ。単に独占欲に駆られただけで、身体だけあればいい訳ではないことも、それで縛りつける気などないことも。
「‥‥ごめんね」
と双魔がぽつりと言った。どこか遠くを見るような目で、独り言めいて淡々と続ける。
「僕まだ壊れてるのかな。‥‥ほんとに解らないんだ。身体を差し出す以外に、どうやったら自分の気持ちが伝えられるのか」
「‥‥俺もだ」
「――‥‥」
見開いた目を向けようとした双魔を、神無は無言のまま抱き締めた。
魂はとうにつながっている。感情が交じり合うこともある。互いが大事で必要なのも紆余曲折の末思い知った。
なのに気持ちは行き違う。どうすればそれが噛み合うのかが、未だにどうしても解らない――
溢れてこぼれそうな愛おしさと、同じだけのやるせなさを抱えたまま、結局他にどうしようもなく己が半身に口接けた。
もっと簡単に全てが片付く、これ以外の方法があればいいのに、と思いながら。
―― 「Don't touch me ―欲望―」 END ――
(発行・2010/08/14 再録・2010/12/06)