※注意‥‥シバ×ソード前提のシバ×サタンです。一方通行なシバ←サタンで
サタン様の嫌がらせ受。双方共に思いやり皆無。うちでは割と毒々しい部類の
話ですので、その旨ご了承の上でどうぞ。
なお、これ書いたのはシバ復活前で
当然影サタン様が双子だったネタも出ていなかった頃なので、端々に原作との
矛盾が出ちゃってますが、それは次作「バラ色の日々」で辻褄を合わせました。

◇ 紫の空 ◇


 
 『煉獄ゲヘナ』の名を持つ浮遊要塞。
 サタンの居城も兼ねている、箱船のさらに奥深くに、その男は囚われていた。
 魔界では、身分の高低による待遇の格差は、天界以上に著しい。
 それは異神・堕天使を頂点として、低級な屍食鬼や雑霊に到るまでの、生物としての優劣と、各々の資質や実力と云った能力による階級の、複雑に絡み合ったものである。
 その中でも、さらに階級・実力共に選りすぐられた高位の者だけが、箱船への登城を許される。サタンの玉座にまみえるのは、そのまたほんの一握りだけだ。
 そして、側近と認められる者達の中でさえ、その男の存在は秘中の秘だった。
 魔王サタンの許可無くしては、何人も立ち入ることまかりならぬその部屋に、日々の糧を届ける以外に訪う者は一人とて無い。
 広い室内に窓は無いが、その代わりとでも言うように、無数の灯明が至るところに灯され、山と積まれた書物を読むのに何の不自由もありはしない。
 柔らかい光に照らされた室内は、魔界の貴族もかくやと言うほどの豪奢で品の良い調度に飾られ、本来は高位の賓客に与えられる客間であることが一目で解る。
 風呂も、寝台も、着替える衣服も、酒も、本も、何もかもがあった。望むなら恐らくは女さえ、彼には与えられただろう。
 だが――
 豪奢な客室にそこだけ不釣合いな、頑健に作られた鉄の扉と、何重にも付された封印の魔法だけは、彼の意のままになることはない。
 武器と、鎧と、自由以外の全てを与えられたその男はだからこそ、この豪奢な部屋にあってさえ、煉獄の虜囚に他ならなかった。
 そうして、とらわれの部屋に何日かに一度、食事係のそれではない、甲胄を身につけた重々しい足音が、石床を踏んで近付いてくる。
 封印を解除する何重もの声明が、呪い声のように通路にこだまし、やがて錆びたような軋みを上げながら鉄の扉がゆっくりと開く。
「――無階級、シバ・ガーランド」
 行動を縛る拘束呪声バインドボイス。封じられた身で抗う術もなく、身体が勝手に向き直るのを、心の内で忌々しく思う。
「サタン様のお召しだ。出ろ」
 ‥‥シバは自らの意志に反して、緩慢に長椅子から身を起こし、開かれた扉へ向かうべく立ち上がった。



 砲撃の響きさえ届かない、ゲヘナのはるか中枢へと、呼び出されるのはもう何度目なのか。
 シバにはもはや解らない。あれから一体、どれほどの時が経ったのかも。
 何重もの扉と衛士の前を過ぎ、豪奢な部屋を素通りし、やがてたどり着いたのは、玉座より居室よりさらに奥、巨大な繭の内部にも似た、それ自体が天蓋のような寝間であった。
 ゆるやかに弧を描く室内は、どこまでが壁で天井なのかの境目もなく一体化し、淡く光るような繭の内部は垂れかかるモスリンの色を映して、同じ紫に染まっていた。
 恐らく本来は純白であるだろう、巨大な寝台に波打つシーツも、引き裂けばやはり純白の羽根が溢れ出すであろう羽根布団も――それは数多の魔族から献上された、討ち取った天使の羽根なのだ――全てが薄紫に染まる室内で、操られた身体がようやく止まった。
 シバの周囲を取り巻いていた数名の衛士が、彼を残していちどきにひざまづき、寝台に寝転んでいたその男が、同時にゆっくりと起き上がる。
「ああ――遅かったね」
 柔らかく響く静かな声に、苛立つような気配はなかった。寝台の縁に腰掛けて、薄く笑みを浮かべた表情と、シバを見つめる眸の色は、むしろどこかしら愛おしげですらある。
 ‥‥何度まみえたか解らないその男を、シバは無言で見返した。
 大人なのか、子供なのか。
 若いのか、年老いているのか。
 禍々しいのか、神聖なのか。
 見る者によって姿を変えるだまし絵のようなその男の、どれが真実なのかは解らない。
 確かなのは、それがかつて最高位にあった三対の翼持つ熾天使であり、今は堕ちたる者として、創世の頃より君臨する魔王――サタンであると云うことだけだ。
「ご苦労。下がるがいい」
 周囲を取り巻いた衛士達に、軽く手を降ってそう言うと、ほんの瞬刻、彼らの間に動揺めいた沈黙が広がる。
 だが、衛士に口答えは赦されない。仮面越しの、もの言いたげな視線にさらされ、先手を打つようにサタンは言った。
「君達は有能だが、融通が利かない」
「‥‥申し訳ございません」
「滅多にない逢瀬の機会だ。邪魔しないで欲しいね」
「‥‥‥‥‥‥‥」
 シバの背後で、それでも衛士は沈黙を保つ。
「大丈夫だよ」
 立ち去ろうとはしない彼らに、怒るでもなくサタンは笑った。溜息のように、あるいは無邪気な幼君のように。だが。
「シバには僕を殺せない。――まだ、ね」
 その声音と、シバにチラリとくれた視線に、ほんの少しの悪意が滲む。
「‥‥御意」
 隊長であるらしい先頭の衛士が、深く頭を下げ、立ち上がった。これ以上の抗弁は不敬である。サタンの逆鱗に触れぬうちにと、拘束呪声を解かれぬままのシバだけをサタンの前に残して、全員が音もなく退出する。
 かすかな音と共に扉が閉まると、後には衣ずれの音さえ響かぬ沈黙が室内に満ちるのみ。
「‥‥さて、と」
 寝台の端に腰掛けたまま、サタンは軽く足を組み、やおらパチン、と指を鳴らした。
 その瞬間、十重二十重の呪に縛られて、身動き叶わぬシバの身体が、不意に自由を取り戻した。見えない枷に固められていた四肢が、急な開放に平衡を失い、ゆらりと膝を折りそうになる。が、そんな無様を晒すことは出来ない。それだけの矜持はまだ、残っている。
 少し前髪を揺らしたのみで、シバは真っ直ぐにサタンを見た。
 見返すサタンの、満足げな笑み。
「まだ身体はなまっていない、と云う訳だ」
 シバは答えない。が、サタンは気にした風もなく、すいと寝台から立ち上がり、数歩先のシバに歩み寄る。
「全くもって大した悪魔だよ、君は。堕ちたる天使や旧き神々の血を、色濃く引いている訳でもない――そう、 元々は唯一神YHWHのゴミ捨て場に等しい、魔界土着の民のひとりに過ぎない筈なのに」
 頭半分背の高い、シバの首元に柔らかく触れ、笑みを含んで甘く囁く。
「無位無冠でおくのは惜しいと、常々思ってはいたんだよ。‥‥でもね」
 尖った耳朶に口接けるようにして、サタンはクッと咽喉を鳴らした。
「今となっては、それで正解だったよ。‥‥信じたくはなかったが、あの下級悪魔のために、君が僕を裏切ることは薄々解っていたからね」
「‥‥‥‥‥‥‥」
 滲む悪意を隠そうともしない言葉と、それと共に耳朶に触れてくるサタンの唇の乾いた感触。
 無言のまま、シバは乱暴に絡みつく腕を引き剥がした。半ば突き飛ばすようにして、その身を背後の寝台に放り込む。
 ほんのかすかな軋みと共に、ドサリと寝台に投げ出されたサタンは、豪奢な純白の羽根布団に埋もれて、それでもどこか揶揄るように笑った。
「ああ、全く――僕は君の、そう云う諦めの悪いところが大好きだよ。‥‥それが赦せないところでもあるがね」
 付け加えられた言葉には、今までの口調とは色合いを違えた、たぎるような憎悪が込められていた。
「さあ、来るがいい。‥‥魔力で操ってなどやらないよ。君の意志で、ここへ来て、憎くてしょうがない僕を抱くがいい。‥‥逆らう余地は、君には無い。これ以上の辱しめを受けたくはないだろう?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 シバの無表情が我知らず、ほんのわずかにだが、歪んだ。‥‥鉛の足を引き摺るようにして、寝台の前に歩み寄る。
 横ざまに寝台に投げ出されたまま、サタンは冷笑を浮かべてシバを見上げた。
「死にたいと思うかい?‥‥でも、駄目さ」
 球状の天蓋を突き抜けて、遠くを見るようだった目が、ふっと無表情に細められる。
「‥‥赦さないよ。何度死を選んでも、君の身体くらい何度でも再生してあげるよ。‥‥それとも、魂魄打ち砕いた後の、抜け殻の身体を好きにされる方がマシかい?」
 何が楽しいのか咽喉を鳴らす。投げやりに――どこか自棄になってでもいるかのように。
 答えず、シバは目を伏せた。‥‥逃れるためには、進むしかないのだ。
 比類無き力で君臨するサタンは、元来重装備の必要が無い。飾り程度の肩当てと膝当て、せいぜいがマントを外してしまうと、全くの普段着である薄物数枚と云う、無防備なまでの軽装になる。
 海老の殻でも剥ぐようにして、無造作に手荒くそれらを引き剥ぐと、両の手首に嵌められた、精緻な細工を施した腕輪が、共鳴するようにかすかに鳴る。
 ‥‥それを耳にしたサタンの口元に、見慣れた皮肉な笑みが浮いた。
 首をかき切り、胸を裂き、或いは腹をかき破り――捕われの身となってから、何度死のうとしたか解らない。
 だが、その度に、最も神に近き熾天使の力で、サタンはシバを再生させた。
 自身の肉体を滅ぼすことは容易い。が、どんな手段を高じても、自らの魂魄を打ち砕くことは出来ない。そればかりは、拠所を失った魂が、自然に散じるのを待つしかないのだ。
 そして、それ自体が強固な結界である、ゲヘナの箱船と云う要塞の、さらに魔術で封じられた中では、魂が散じる隙はなかった。
 何度でも魂を捕えられ、死と再生を繰り返した今、シバはサタンにしか外すことの出来ない、特殊な腕輪を課せられている。
 肉体を滅ぼす手段となりうる暗黒魔闘術の発動を封じるそれは、魔力の収束を妨げる呪を幾重にも刻んだ封印だった。
「ふふ‥‥」
 嫌なことは早く済ますに限るとばかりに、荒々しく性急に触れてくるシバに、サタンは何故か楽しげに笑った。頭をかき抱くように引き寄せられ、唇を求められる。
 シバは拒まず、代わりに応えもしなかった。軽く触れるだけの唇が、ゆるやかに熱を帯び、やがて舌先が触れてくるのを、されるがままに放っておく。
 傑出した魔力と同様、並外れた精力家ではあったが、元来淡泊なたちである。全くもって悪魔らしからず、欲に負けると云うことがない。相手がサタンでは、尚更だ。
 それでも事は進めねばならず、何度かの伽でサタンの性向は大まかにではあるが掴んでいる。
 爪の先でなぞるようにして、尖った耳朶をたどり上げ、耳飾りのひとつにに軽く触れる。
「んッ‥‥」
 かすかな声を上げて震えたサタンの、反った咽喉に口接けると、笑みを含んだ吐息が洩れる。そのままゆっくりと頤をたどり、滑らかな頬に触れてゆき――ふと、シバは動きを止めた。
 サタンの左頬に、うっすらと赤い線が引かれている。
 間近で見て初めて気付いたそれが、細い傷跡であることを見て取り、シバは怪訝に眉をひそめた。死者の身体さえ再生するサタンが、この程度の傷を瞬時に直せぬ筈はない。
 シバの視線の行く先に気付き、サタンは可笑しげに口のを吊り上げた。
「ああ、これかい?‥‥君に見せようと思ってね。残しておいたよ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「知りたいだろう? ほんのかすり傷とは云え、この魔王サタンに、一体誰が傷をつけたのか」
 冷笑と、見下すような物言いに滲む、あからさまな憎悪と妄執と――嫉妬。
 ‥‥シバはゆっくりと目を見開いた。
 まさか――まさか。
「そう、そのまさかだよ」
 声に出してもいない想いを、直に聞いたかのようにサタンは嘲笑った。
「実に面白い男だったよ、悪魔ソードは。‥‥ああ、大丈夫、殺してはいないよ。今のところはね」
「‥‥‥‥‥‥‥」
 見開いた赤眼に錯綜する感情の、どこまでを読まれているのかは解らない。
「ほら、触れてみるがいい。‥‥解るだろう?」
 サタンはすいとシバの手を取り、頬の傷に導いた。
「悪魔ソードがつけた傷だ。彼の気配が、まだ残っている。‥‥なかなか、大したものだったよ。たかが人の子の身体に宿っている下級悪魔のくせに、まさかここまでやるとはね」
 ‥‥頬の傷に触れながら、滔々と続くサタンの言葉を、シバはもう聞いてはいなかった。
 ほんのかすかな、しかし確かな、魂が覚えている懐かしい気配。怒りと激情と闘志を含んだ、熱く、灼けるようなその魔力――
 無意識のまま、シバはその傷に口接けた。
 唇にじわりと伝わる熱は、傷に残るソードの気配か、それともサタンの体温か。
 だが、目の前に居るのが誰であるのかは、もはやシバの胸中にはない。今さらである。そんなことはもう、どうでもいい。今はただ、はるか以前に手の中をすり抜けた、懐かしく愛しい気配に触れたかった。それは何より、ソードが今、あらゆる困難をはねのけて、確かに生きていると云う証である。
 自身の命と引き換えることになると、シバはとうに覚悟していた。なのに今、サタンの気まぐれで飼い殺しの身とは云え、ソードの行く末を確かめることが出来る。それが僥幸でなくて何なのか――
「‥‥ふふ」
 蔑むように、サタンが笑う。
「急にやる気になったみたいだね。‥‥結構だよ。たまにはこのくらいのご機嫌取りはしてあげるさ」
 毒を含んだ言葉を遮るように、シバはその唇を指先で塞いだ。わざと神経を逆撫でるような、とうに馴れた筈のサタンの物言いを、今は一言も聞きたくはない。
 そのまま、歯列を割って指を差し入れると、サタンはわずかに目を細め、拒むでもなくそっと舌を絡めた。
 はだけた胸元に口接けを落とし、空いた手で背をまさぐると、わずかなくぐもった呻吟と共に、ビクン、とサタンの身体がしなる。それは明らかな苦鳴であったが、それでも何故か、サタンは指を吐き出そうとはしない。
 ‥‥常の尊大さとは裏腹な、慣れないようなぎこちなさに、シバはいつも困惑する。
 辱しめを受けているのは己の方だ。なのに何故かこの時ばかりは、人の身を借りたソードよりはるかに、サタンは弱々しい少年に見える。この外観がまやかしに過ぎないのは、重々思い知っている筈なのに。
 柔らかい粘膜を蹂躙していた指を静かに口中から抜き出すと、名残惜しげに絡みつく舌が清めるように唾液を拭う。どこか満足気な溜息を聞きながら、シバはその咽喉元に口接けた。細い牙を軽く立てると、かすかにサタンの咽喉が反る。
 さほど敏感な身体でもないが、慣れていないことだけは確かだった。筋肉のうねりをたどるようにしてゆっくりと胸元を伝い降りると、大人とも子供ともつかぬ細い身体は、それだけでビクビクと打ち震える。
「っ‥‥シバ‥‥」
 かすかな呟きは睦言なのか、先を促す命令か。シバには未だ解らない。応える義理もなく、機械的な愛撫を重ねると、それでも熾天使の白い肌は少しずつゆっくりと熱を上げ、刷いたような朱に染まっていく。
 ‥‥ソードなら、こんなやる気の無い素振りを見せようものなら、すぐさま食ってかかったものだった。すぐ怒り、よく笑い、激しやすく冷めやすく、細かいことには固着しない性質ゆえ、その怒りが持続することはなかったが――
「んっ、‥‥あッ」
 不意に上がった高い声に、シバは現実に引き戻された。無意識のうちにソードにするように、サタンの背に触れていたらしい。
 悪魔もそして恐らくは天使も、力として翼を顕現させるものは、そこに触れられることに一様に弱い。魔界において翼を見せることは滅多に無くなったサタンだが、堕天し、魔王となった今も、変わらず六枚の翼持つ身である。
 ソードと同じくサタンもまた、背に浮く翼骨を抉るようにたどると、常の尊大さもかなぐり捨てて、抑えることも出来ず声を上げる。
「あ、あァ‥‥シバ‥‥っ‥」
 跳ねる身体と、いやいやするようにうち振る頭を、縫い留めるように寝台に抑えつけ、手早くサタンを追い上げるべく、さらに深く愛撫を加える。
 骨に沿って赤い跡を、きつく、いくつも刻みながら、シーツの隙間から胸元をなぞり上げ、小さな色薄い乳首に触れる。ひときわ高い声が迸ると共に、見る間に固く凝り、膨れ上がる感触が、指先にありありと伝わった。
「ア、ぁッ、‥‥ッん‥!」
 シーツに押しつけられたサタンの咽喉から、蕩けるような嬌声が洩れる。
 翼骨に口接け、牙を立て、舌先でその窪みをなぞり上げる。同時に指先が捕えている肉粒を、軽く転がし、押し潰すと、今にも果てるような甘い声と共に、しなやかな筋肉が跳ねるように震えた。
「シバ‥‥っ」
 機械的な、しかし執拗で濃厚な愛撫に、サタンの声が切羽詰まったような焦燥と懇願の甘さを帯びる。
 が、頃合と見て手を引くより先に、サタンは耐えかねたように跳ね起きた。
 うつ伏せに抑えつけられて、羽根枕を抱くしか出来なかった腕が、闇雲にシバにすがりつく。
 固く編まれた長い髪ごと、シバの頭を抱き寄せて、サタンは貪るように唇を重ねた。はなから期待などしていないのか、まるで応えないシバには構わず、その舌と柔らかい口内の粘膜を熱っぽく、好き勝手に蹂躙する。
 そうして、今だ着衣のままだったシバの、豪奢な部屋着を性急に剥ぎ、ようやくあらわになった肌に触れると、サタンは熱く溜息をついた。鼓動を確かめるかのように、シバの胸に顔をうずめ、目を閉じて頬を擦りつける。
 だが、シバに、自身の鼓動は聞こえなかった。サタンの耳には響いているだろうそれは、低く、落ち着いた拍動を伝え、熱の無さだけをあからさまにする。
「‥‥まだ、駄目なのかい? シバ」
 身体の熱さとは裏腹に、目を閉じたサタンの声音が、冷めた。
「全く、理解に苦しむね。‥‥悪魔と言うのは、本来君のような高潔な生き物では無い筈なのに」
 言いながら、絞り込まれた二の腕の筋肉ををゆっくりと指先でたどり降ろす。
「悪魔らしからぬ操立てかい? それとも、君のなけなしの欲は、本当にあの下級悪魔だけにしか反応しない役立たずなのかい?‥‥」
 揶揄るような笑みを含む、ひどく耳障りな物言いに、シバは何度目かの溜息を殺し、無感情な赤眼でサタンを見下ろした。
 その瞬間――
 冷たいシバの心臓が、ドクン、と音を立てて跳ね上がった。
 腕の中に居たのは、サタンではなかった。
 茫然と目を見開いたシバに、人の子の姿を借りたソードが、にっと口の端の牙を見せて、笑った。
「シバ?‥‥」
 腕の中でソードが名を呼び、悪戯っぽい目をして戯れかかる。
 ‥‥何もかもが、生き写しだった。肌も、髪も、目の色も――その、からかうような声音まで。
 だが――
 束の間の困惑を押し殺し、無表情のまま、シバはその咽喉に手をかけた。
 驚いたように目を見開いたそれが、何か言葉を発するより先に、細い咽喉を思い切り締め上げる。
「!――ッ‥ぅ‥」
 それはくぐもった苦鳴と共に、食い込むシバの五本の指を、片手のひと振りで払いのけた。
 微動だにしないシバとは裏腹に、反動のままに寝台に倒れ込む。それは何度か咳込むうちに、やがて元通りのサタンの姿に変容した。
 ‥‥宿主の人間と元のソードとは、顔も、身体も、その年齢も、全てが似ても似つかなかった。
 同じ肉体に宿っていても、顕現する魂のありようそのものをごまかすことは決して出来ない。それぞれの魂が顕現し、同じ肉体を行使するさまを目の当りにしたシバにははっきりと解る。
 サタンは人間界でソードと対峙し、目にした姿を写したのだろう。が、魂の形までは変えられない。例えそれさえ装ったとて――
 認めたのは、まぎれもない、ソードの魂そのものだったのだ。装っただけの似姿に、幻惑されるようなシバではなかった。
「‥‥厳しいね、君は、相変わらず」
 サタンは怒った風もなく、薄笑いを浮かべてシバを見上げた。波のようなシーツの上に身を投げ出したまま手を伸ばし、シバの背筋をつう、とたどる。
「たまには自主的にやる気を出してほしいものだけど。‥‥君が気を変えてくれないなら、しょうがないね」
 ゆるゆると背をたどった指が、腰の辺りを探るように撫で、仙骨のやや下でぴたりと止まる。
 ぞくりと肌が粟立つのを感じて、シバはその手を払おうとした。
 が、遅かった。
 次の瞬間、一点を指したサタンの指から、凄まじいまでの力の奔流がドクン、と音を立てて流れ込んだ。
「ッ‥‥‥!」
 吐き気を伴ってこみ上げた呻きを、シバは咽喉元で押し殺した。
 その、僅かに現わした苦痛の表情に、サタンは満足気に、そしてひどく残酷に微笑った。
「‥‥あまりこの手は使いたくないと、前にも言ってあげただろう?‥‥僕だって、愛しい君を壊したくはないからね。‥‥でもね」
 不意に爪の先で背筋をなぞられ、シバはピクリと眉をひそめた。
「何のために、拘束の呪を解いてあげていると思っているんだい?‥‥ほんのささやかな罰だ。このくらいは苦しんでもらうよ」
 ‥‥サタンの台詞を聞きながら、シバはギリ、と唇を噛んだ。
 身の内を灼く耐え難い衝動と、生きながら内臓を抉るにも似た、意志の関与しない剥き出しの欲情。サタンの指先から流し込まれ、捌け口を求めて駆け巡るそれは、堕天した今も変わること無き、強烈な天使の力だった。
 本来人の子を救済するための、負を正に転じるその力は、負に傾いていない魂に注げば、凄まじい欲情を湧き起こす。
 人の子ならぬ悪魔ならば、存在そのものが負の属性のゆえ、ある程度の力を相殺出来る。が、かつて神に次ぐ最高位の熾天使であり、堕天してさらなる力を得たと云うサタンの比類無き力には、如何にシバとて打ち勝つ事は出来ない。
「ふふ‥‥」
 寝そべったまま片肘をつき、サタンはシバを愛しげに見つめる。
「どうだい? 苦しいだろう?」
 指先でシーツをかき分けるようにして、シバの腹筋をたどり降り、もはやそのままでは鎮まらぬほどに固く勃ち上がったものに触れる。
 わずかに指先でなぞられただけで、音を立てて血が流れ込み、さらに固く張りつめるのが解る。押し殺した呻きが咽喉の奥でくぐもると、サタンは咽喉を鳴らして笑った。
「いかに君が普通の悪魔とは違うと言っても、所詮は土くれから創られた有情のものだ。‥‥この力に抗う術はないよ」
 ゆるやかに触れる手を離さぬまま、サタンは身を起こし、顔を背けるシバにしなだれかかった。
「‥‥こうまで僕に逆らうのは、全くもって君だけだよ。‥‥シバ」
 不意に真摯に名を呼んで、尖った耳朶に口接ける。
「‥‥悪魔ソードのことさえ無ければ」
 ピク、と震えたシバの目を見ぬまま、サタンはそっとその肩口に顔を埋め――
「‥‥あるいは、君は、僕を愛してくれたのか?‥‥」
 小さく、かすかに、だが確かに、サタンはそう呟いた。
 ‥‥シバは応えなかった。
 同情はなかった。わずかな憐憫の情すらも。そんな感情は誰に限らず、魔族にはありはしないのだ。
 だが、サタンは――
 元々は天界の住人である彼は、魔界の王にして魔族ではない。堕天した者は数多いが、本来の属性を維持することが出来うる者は希である。今だ天使の力を行使し得るサタンは、王でありながら異端者だった。
 世界の全てを手にすることが出来たとて、彼には部下と、敵しか居無い。本当の意味での同類と理解者は、どこにも存在しないのだ。
 ‥‥サタンが目を上げた気配があったが、シバは顧みはしなかった。ただ、胸中にひどく重いものが溜まるのを、どこか人事のように感じていた。
「ふん‥‥僕を哀れもうって云うのかい」
 吐き捨てるような自嘲的な笑みに、再び威圧的な尊大さがこもる。
「そんな余裕があるのなら、さっさと義務を果たすがいいさ。‥‥君の神経が引きちぎれる前にね」
 背にしなだれかかりながら、耳元で憎むように囁いたサタンを、シバは引き剥がして寝台に投げ出した。傍らのテーブルに置かれていた、香油の壜を手にすると、中身を無造作にサタンの腹にぶちまける。
「んッ」
 ぬるいとも冷たいとも判じ難い、独特のぬめりを持つ液体が、体表を流れ伝う感触に、サタンはビクリと身をよじった。が、構わず、片足を引き上げて身体を開かせ、すくい取った香油を滴らせる。
「あ」
 サタンは一瞬困惑したような声を上げたが、ためらう理由は何ひとつない。シバは香油に濡れた長い指を、慣らしてもいない体奥に突き立てた。
「ッ‥‥ん!」
 サタンが明らかな苦鳴を洩らし、ビクリと全身を硬直させた。が、それでも、香油のぬめりに助けられた指は、一気に根元まで差し込まれる。
 捩じ込まれた異物に反応して、ビクビクと収縮する粘膜をほぐすように、シバは指の腹で内壁を探った。
 中で指が蠢く度に、サタンの咽喉から殺しきれない息詰まるような呻きが洩れる。構わず、探り当てた場所をごく軽くなぞると、その苦鳴が、見る間に甘やかな響きを帯びた。
「!ッ‥‥ア」
 一度半ばまで指を引き抜き、いくらかはほぐれた体奥に、そのまま二指を差し入れる。抱え上げた片足は開放せぬまま、一気に量感を増した異物に痙攣するように閉じようとする腿を、膝頭を使って強引に押し上げ、さらに大きく開かせる。
「んッ‥‥あ、‥‥シバ‥っ」
 懇願するようにその名を呼び、せめぎ合う苦痛と快楽に打ち震えるサタンを、シバは冷えた眼差しで見下ろした。‥‥指を引き抜き、自身の意思とはまるで無関係に捌け口を求めて滾る熱を、サタンの体奥に突き立てる。
「ア、あ‥‥アぁ‥――ッ‥!」
 情け容赦なく押し入ってくる、骨を砕くような凄まじい質感に、サタンは声にならない悲鳴を上げた。
 顔色ひとつ変えぬまま、シバは構わずサタンの深奥までを割り裂くように深く侵した。醒めた意識とは裏腹に、強引に開かれた臓腑が震え、不規則に収縮する肉壁の感触が、煮えたぎる熱をさらにかき立てる。
「ッ‥‥う‥‥」
 瞬刻の衝撃が過ぎ去った跡、サタンは固く閉じた目をようやく開け、それでも焦点の定まらぬ眸で、涙さえ滲ませてシバを見た。
 が、その痙攣が落ち着かぬ間に、シバはサタンの腰を掴み支え、八分がたを一気に抜き出した。
「ああアぁッ!‥‥」
 内臓を引き抜かれるような衝撃に、サタンは迸るような絶叫を上げた。そうして、一時異物から開放された内壁が引き絞るように収縮した刹那、再びぐっと最奥を穿つ。
「ひッ、‥あッ‥‥あァっ‥」
 荒々しく繰り返される抽送に、サタンの息は浅く乱れ、もはやシバの名を呼ぶ余裕さえない。
 押されるような切れ切れの悲鳴に、香油のぬめる濡れた響きが生々しく重なり始めた頃、シバはようやく律動を緩めた。
 苦痛と衝撃のないまぜになった、恐らくは今までに知り得ない感覚に、サタンは半ば痙攣するように、小刻みにその身を震わせていた。
 だが、過分の苦痛は限界を超えるとそのまま快楽に置き換えられる。
 香油で濡れ光るサタンの脇腹を、シバは爪の先でつう、と掻いた。
「あ、ッ‥‥?!」
 ビクン、とサタンの身体が跳ね、同時に体内のシバを締め上げる。
「んッ‥ア‥‥ぁ」
 指先がそのまま胸まで這い上がり、固く凝った乳首に爪を立てると、絞り込んだ腹筋がビクビクと震え、サタンはわずかに腰を揺らした。青ざめていた白い肌に、うっすらと血の色が戻ってくると、口をついて出るかすかな声にも、甘やかな響きが含まれる。
 先刻の荒々しさとはうってかわって、シバは浅く、ゆっくりと律動を再開した。
「あッ‥‥ん‥ッう‥‥」
 強烈な苦痛を刻み込まれた身体は、ほんの少しの快楽でさえ過分にとらえ、増幅させる。揮発する香油でも消しきれない、純白の羽根布団を不吉に染める生ぐさい血臭が鼻をついたが、シバの知ったことではない。
 ゆるやかに融けてゆくサタンの身体が、やがて苦痛のゆえではなく、明らかな快楽に痙攣し、膨れ上がる欲を締めつける。
 触れられぬままだったサタンの熱がビクビクと震えるのを目の端にとらえ、シバは抱いた腰をぐいと引き寄せてサタンの身体を抱き込んだ。
「ッあ!」
 上げられた声に苦痛はもはやない。互いの腹を密着させるようにしてのしかかり、深く突き上げると、固い腹筋に擦り上げられてサタンの熱が弾けそうに震える。
「ッ‥‥シバ‥‥シバ‥‥ッあ!」
 そろそろ限界が近付いたのか、サタンは闇雲にすがるものを求めてシバの首根にしがみついた。ガクガクと腰が揺れ始め、追いつめられる悲鳴じみた声が浅い息を割ってこみ上げる。
「あ、ア、‥‥あぁアあ――‥‥ッ!!‥」
 絶叫と共にサタンはのけ反り、ビクビクと身を震わせて果てた。腹に飛び散ったその感触に、シバも合わせて吐精する。だが、それは半ば快楽ではなく、いつ果てるともない苦行から開放される安堵と虚脱に近いものだった。
 ‥‥息も絶え絶えに震えていたサタンが、ふっと目を開けてシバを見やる。
「‥‥まだ、駄目だよ、シバ」
 赤く濡れた唇を歪め、悽愴な、どこか憎むような笑みを浮かべて、シバの背中に力なく手を回す。
「まだ、足りない。‥‥君に注いだ力だって、このくらいでは消せやしないよ。‥‥ほら」
 今だ萎えることない体内のシバを、言うと同時にぐっと締め上げる。
 ぞくりと背筋を這い上った戦慄に、シバは唇を引き結んだまま、ただ少しだけ眉をひそめた。
 ‥‥サタンはふと目を閉じて、すがるようにシバに抱きついた。背に回した手に、束の間ぎゅっと力がこもる。「シバ‥‥」
 どこか思いつめたような声音にあったのは、果たして一体何だったのか。
 ほんの少しの疑念はしかし、体内を逆巻く天使の力に押し流されてそのまま消えた。もとよりサタンの胸中など、シバには考えもつかぬことであり、それを思いやる義理も、今はない。
 シバはすがりつくサタンの腕を引き剥がすようにして身を起こした。
「んッ」
 内臓を震わせるわずかな振動にさえ今は反応するサタンには構わず、体内にあったものを一気に引き抜く。
「‥ッ――!!‥‥」
 声にならない悲鳴と共に、サタンは硬直し、ガクガクと震えた。その衝撃が落ち着くのを待たず、まるで丸太でも転がすようにしてうつ伏せに寝台に押しつける。開いた脚の間に身を割り込ませると、シバはぐいと腰を引き上げ、そのまま再びサタンを貫いた。
「ッぅ――‥‥!!」
 押しつけられた羽根布団の合間でサタンはくぐもった悲鳴を上げた。が、前に回した長い指が、萎えかけたものを緩やかにたどると、苦痛に固く収縮していた臓腑の奥深くが波打つように震える。
 危うい均衡の天秤にも似た、めぐるましく錯綜する苦痛と快楽に、サタンは絶え間ない悲鳴を上げ、切れ切れにシバの名を呼んだが、シバがそれに応えることはなかった。




 ‥‥半ば意識を手放したようなサタンを寝台に残したまま、シバは身支度を整えた。着慣れた重厚な鎧ではなく、与えられた平服であるのがなんとも心許ないが、それは仕方のないことである。
 この部屋の中に居る限り、拘束呪声バインドボイスは力を失う。一歩この部屋を出れば再び、外界を歩くことも、死さえ自らの意に叶わず、豪奢な牢獄の中でのみ、自由以外の全てを与えられる、飼い殺しの虜囚の身に戻る。
 だが、それでも。
 衛士の待ち受ける寝間の外へと、シバはためらわず歩み出した。
 と――
「‥‥シバ」
 意識を失くしていたはずのサタンが、ふいと低くシバを呼んだ。
 振り向かぬまま、シバの足が止まる。
「‥‥もう、行くのかい?」
 シバは応えない。
 サタンが顔を上げたらしく、わずかな衣擦れの音がして、背に視線が突き刺さる。だが、それは、常の威圧的なものではない。
「シバ‥‥」
 まるで寄るべない子供のように、小さく、サタンは呟いた。
 魔力や気配と云ったものを、人の五感と同じようにしてそのまま捉えうる魔族にとって、強い力を持つ者のそれらは、何よりも雄弁に思いを伝える。
 ‥‥だが、背を向けたまま、シバは変わらず応えなかった。
 無言の拒絶に等しいそれを、サタンは胸中でどう捉えたのか。
「‥‥そうだね‥‥」
 寝台で身を起こす気配があり、悪意の滲む笑みを含んで、サタンは低く、シバの背に言った。
「‥‥復活を果たした暁には、君に贈り物をあげるよ。そう‥‥悪魔ソードの首をね」
 シバは応えない。振り向かない。
 サタンは滔々と話し続ける。
「復活したら、その時は天界との決戦だ。‥‥もう、君と遊んでいられる暇も、そうそう無くなるだろうしね」
 そう――
 ソードがいつかサタンを倒すと、シバは思っている。そう信じている。そのためだけの己であったと、思うからこそ、今、ここで、虜囚の憂き目にも耐えられる。
 だが、もしも、ソードがサタンを倒すこと叶わず、打ち倒されてしまったら。
 ‥‥その時こそ、シバは自身の魂さえ打ち砕いて、サタンを殺そうとするだろう。果たせずサタンの手にかかるにせよ、その支配からはすり抜けるだろう。‥‥魂を殺すことが出来るのは、深い絶望だけに他ならないのだから。
「‥‥さぞかし、僕が憎いだろう? シバ」
 サタンの声音が、ふと、醒める。
「‥‥だが、もっと憎むがいいさ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「こんな境遇に君をおとしめた僕を。君の愛しい悪魔ソードを、そのうち殺すことになる僕を。‥‥憎むがいい。恨むがいい。‥‥魂の奥深くに灼きつくまで」
 低く、静かな声にこめられた、叩きつけるような激情に、シバは初めて口を開いた。


「‥‥お前を憎いと思ったことなど、一度もない」


「‥‥‥‥――‥‥!」
 サタンは息を呑み、目を見開いた。‥‥その表情が、見る間に痛ましいような苦渋に、歪む。

(お前を憎いと思ったことなど――)

 それは果たして悪魔らしからぬ、なけなしの憐憫だったのか、それとも、それだけの興味すら、サタンには向けられぬと云う意味なのか――
 シバは自分でも解らなかった。
 サタンがそれをどう捉えたかも、今はどうでもいいことだった。
 ‥‥もはや引き留める気力さえないサタンをとうとう顧みぬままに、シバは紫の部屋を後にした。
 再び拘束の呪を施され、衛士に囲まれて歩み去るシバは、だから見ることはなかったのだ。
 ひとり取り残された部屋の中、仰向けに寝台に倒れ込んだサタンが、両腕で顔を覆うのを。
 その隙間から涙がこぼれ、頬を伝い落ちるのを――


 ‥‥世界の全てが手に入っても、どうしても欲しいものだけは、決して手の中に落ちることはない。

 そのことをそれぞれ思い知っている、シバとサタンの思いはしかし、決して交わることはないのだった。
―― 「紫の空」 END ――

(発行・1999/10/31 再録・2014/04/26)