◇ 蟻地獄で逢いましょう ◇


【 終幕.百万世界の神々を殺し、宇宙の天秤を空にする 】


 その後は、とりとめのないことを色々と話した。
 フリンの最大の望みである、「ワルターとヨナタンと取り戻す」ということについては、
「造作もないことだ」
 と、ダグザは至極あっさりと言った。
 だがどうやって、とナナシが問うと、
「あれらをこの世に留まらせるためには、あれら自身を神にすれば良かろう」
「そんなことが可能なのか」
 身を乗り出して目を見張ったフリンに、ダグザは得意気に――それが解るのはナナシだけらしいのだが――鼻を鳴らした。
「小僧と同じだ。〈こちら〉にありながら上位世界における神格とつながる、人の姿を得ながら人を越えたものとして、理の端でも書き換えてやれば良い」
 しかし――とナナシは首を傾げた。いくらダグザが万能の神とはいえ、大いなる理を書き換えるなどとは、さすがに危険ではないのだろうか。
「理など、どうにでもねじ曲げたり書き換えたり出来るだろう。‥‥小僧、オマエは既にそれを知っているはずだ。違うか?」
 そう言われるとそうかも知れないが、しかしナナシはまだ未熟な神だ。そこまでの自信は未だ持ち合わせていない。
 だが、
「向こうからしてみれば、こちらは巨竜が踏んだ小石のようなものだ。腕の一本でも落とそうものならさすがに目の色を変えるだろうが、ひとりふたり程度の在りようの書き換えなど、蚊に刺されたほども気にするまいよ」
 そう言ってダグザは目を細めた。
 笑われた、と解ったが、そこに侮りがないのは明らかだったので、つられたようにナナシも笑った。
「そうか――なら、一安心だ」
 と、胸を撫で下ろして、フリンも笑った。


「ところで、魔神ダグザ」
 そのフリンが、不意に改まってダグザに向き直った。
「何だ」
「僕はミカド国の人間だから、YHVHの教えについてはそこそこ知っているんだが――ナナシ。君は秘めたる四文字の名の神について、どのくらい知っている?」
 突然矛先を向けられて、ナナシは面食らってしまい、口ごもった。どのくらいも何も、ほぼ全て知らない、と言っても間違いではないだろう。
「そうか。‥‥あの神は、元はちゃんと名があったそうだよ。だが、神代の文字は音を記すには不完全で、字面だけ見ても読み方が解らない代物だったらしい。‥‥それがその内、恐れ多いのだから口にしない方がいいだろう、ということになり、誰もその名を呼ばないでいるうちに、本当の呼び名を知る者は、ついに誰もいなくなってしまった――という話だった」
「フン‥‥そうやってあえて名を消し去り、人間の観測から逃げ隠れしていた訳か」
「今にして思えば、そうなんだろうね。人に観測されないための、遠大な工作だったんだろう」
 なるほどそれは解ったが、それが何だというのだろう、とナナシが続きを待っていると、
「本当の名を知る者のない、秘めたる四文字の名の神と、新宇宙の神である、名無しのナナシ――似ていると思わないか?」
「――――‥‥‥‥」
 今度こそ、ナナシは言葉を失った。‥‥驚きすぎて、正直意味が解らなかった。
「小僧。間抜け面を晒すな」
 ひでえ、と思ったが言葉がまだ出なかった。目を白黒させてフリンとダグザとを代わる代わるに見やっていると、
「そんなものは瑣末事に過ぎん。前世のつながりとやらも同じことだ。今、オマエが何者で、何を為すか――それが全てだろう。違うか、小僧」
「いや――」
 違わない、とナナシもかぶりを振った。
 自説を一蹴されて気を悪くしていないかと、ナナシはちらりとフリンを見やった。
 しかしどうしてか、フリンは花のような笑みを浮かべて、ポン、とナナシの背を叩いた。


「――小僧。オマエは今でもオレの神殺しだと言ったな」
 不意に念押しするように言ったダグザに、ナナシはああ、と頷いた。
「勿論だ。‥‥それで?」
「ならば往くぞ。――未だこの世にはびこっている、ダヌーの残滓を消し尽くすのだ」
「ダヌーの?」
 フリンがわずかに眉をひそめた。
「ダヌーなら、依り代だったノゾミごと、僕らが殺したはずだが――」
「ただ殺しただけでは油断ならん」
 忌々しげに、ダグザは断言した。
「イナンナの残滓がオマエの連れの小娘に憑いて復活したように、ダヌーも復活するやも知れん。‥‥例えばダヌーの系譜を受け継ぐ女神や地母神などに縋ってでも、隠れ、逃げおおせる可能性は否定出来んだろう」
「‥‥ブラックマリアか」
 低く、フリンが呟いた。ナナシには何のことか解らなかったが、何か心当たりがあるのだろう。フリンはダヌーとノゾミの一件にも立ち会っていた過去がある。他にも知ることは多いに違いない。
「――往くぞ、小僧。最早この世界には不要な神々を消し去りに」
「僕も往くよ。――連れて行ってくれ」
 とフリンが言い、了承の意を示すようにダグザも頷いた。
「でも、ワルターとヨナタンが元に戻ったら――」
 一緒にいるとか、ミカド国へ帰るとかしなくていいのか、とナナシが首を傾げると、
「彼らが戻ってくるにふさわしい世界に、少しでも近づけておきたいんだよ。‥‥神々が覇権争いのために人を利用する世界は、もう御免だ」
 さすがは元祖・救世主だ、とナナシは秘かに感心した。先のダグザとのやりとりを思えば、言うと嫌がられそうな気がしたので黙っていたが。
「例え、これが新たな可能性世界を無限に分岐させていくだけだとしても、抗うことをやめる理由にはならない。‥‥違うかい?」
「ああ――」
「その通りだ」
 感嘆丸出しでナナシがただ頷き、笑みを含んでダグザも肯定した。
「ああ、しかし魔神ダグザ、妖精達はどうするんだい?」
「放っておけば良い。‥‥護られなければ生きていけぬ者など、護ってやったとていつかは滅ぶ。他者への依存を当然としたままでは、弱者であることを越えられぬ。あれらも多少は自らを鍛え、したたかに生き延びる道を模索するべきだろう」
「――――‥‥‥‥」
 厳しいのか優しいのかよく解らない、どこか懐かしいその物言いに、何かが不意に胸にこみ上げ、ナナシはダグザの横顔を見上げた。


 ああ――俺のダグザだ。
 新しいダグザの心を得て、少しだけ世界に優しくなった、
 けど確かに、俺を選んでくれた、あのダグザだ――!


「小僧。何をにやけている」
「何でもない。‥‥というか別ににやけてない」
「――じゃあ、往こうか」

 いつもの調子でフリンが言い、ナナシとダグザとフリンの三人は、森に背を向けて歩き出した。
 馬鹿げた神々を殺し尽くすという、胸躍るような希望に満ちた、だが血に濡れた果てしない道のりが、その先にはどこまでも続いていた。


 新宇宙の神にして最強の神殺しと、万能の魔神と、反逆の救世主。
 新たな結末を求めた彼らの物語は、今ここに終わり、また始まる。
――― 「蟻地獄で逢いましょう」 END ―――

(2016/04/20)
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