◇ Like a Starlight ◇


 ハンター商会・銀座支店の扉をくぐったその先には、およそ筆舌に尽くし難い、異様な光景が広がっていた。

 掲示板にはハンターランキングの表示。‥‥これはいつも通りだ。
 カウンターの中で食事を用意したり、納品物を受け取ったりと忙しく動き回る店主の姿。これもいつも通りだ。
 だが、いつもはそれらを眺めながら、食事や会話を楽しんでいるはずのハンター達が、今は異様な沈黙を保ったまま、皆が同じ一点を見詰めている。
 視線の先には、テーブル席に着いた二人連れ――
 いつもの無表情はどこへやら、巨大なシュークリーム(のレプリカ)を、妙に幸せそうに食っているフリンと、卓上に置かれたヌエバーガーを前に、仏頂面で腕組みしているダグザ――という、あまりに異様な取り合わせだった。
 だがよく見ると、皆の視線はフリンに釘付けで、誰もダグザを(というか、明らかに人外の存在がそこにいることを)気にしている様子はないように見えた。
 どういう原理かはさておいて、もしやダグザの姿が見えているのは俺とフリンの二人だけで、他のハンターには見えていないのでは――とか、最近はミカド国との行き来が増えたこともあり、あるいはあれも「珍しい甲冑を着けたミカド国の人」と思われているのかも知れない。‥‥などと一瞬思ったが、しかし、
「――おう、フリンの連れの魔神さん、一杯おごらせてくれ!」
 一人のハンターがそう言って、テーブルに飲み物を置いていったので、どうやらそうでもないらしい。
 ‥‥いや、どう考えてもおかしいだろうそれは。ニッカリがマナブに悪魔をしまえと注意していたのは何だったんだ。
 それともフリンの救世主効果はそんな常識までぶっ飛ばすレベルなのか? 思い返せば錦糸町でも、マスターまでがフリンと話しながら顔を赤くしていた覚えがある。‥‥一体どこからどう突っ込んでいいのか、何だかほとんどよく解らない。
 などと入り口で突っ立ったまま、入るに入れず茫然としていると、
「――ナナシ」
 俺の姿に気付いたフリンが、テーブル席から手を振ってきた。
 その一声で店内の視線が一斉に俺に集中し、しょうがなく俺もテーブルへと向かった。
 何か注文しようかと思ったが、ダグザが目の前のヌエバーガーを俺の方へと押しやってきた。多分これを食えと言うことだろう、と判断してそのまま席に着く。
「早かったね。てっきり一晩くらい戻らないかと思っていたけど」
 開口一番のフリンの台詞に、俺はげんなりとテーブルに突っ伏した。
 相も変わらず綺麗な顔で、フリンはさらりと即物的なことを言う。俺も含め、皆がこの顔に騙されるのだが、これは「積もる話があったんじゃないか」なんてほのぼのした意味では決してない。まず間違いなく下ネタだ。しかも、
『ハレルヤに見つかってお茶飲んでる。少し遅れる』
 とメールした結果がその発想、というのはおかしいだろう、明らかに。
 というかその場合ここで一晩シュークリーム食ってるつもりだったのか。そもそも何でダグザが姿を現してるんだ。しかも何故そこにヌエバーガー。
 なんてことを周りに聞こえないよう、小声でぼそぼそと突っ込んだ俺に、
「まあ冗談はともかく」
 とフリンは言った。‥‥嘘つけ、あんた絶対本気だっただろ。と思ったものの、あえて突っ込むのはやめておいた。
 フリンの常識は色々とずれている。東京で目にしたろくでもない出来事を「こっちではそれが普通らしい」と疑うことなく呑み込んでいった結果、人も平気で殺せるし(ハンタートーナメントが元凶だ)、ワルターとヨナタンの殉教を阻止するべく、友人でしかなかった二人を身体を張ってたらし込んだ(勿論それは不首尾に終わった訳だが)などという、妙に純朴なまま倫理観が壊れた、ある意味真っ黒な救世主が出来上がってしまった、という訳だ。
「そのくらい、彼が気がかりだったのは本当だろう? 遠出の前にわざわざ様子を見に行こう、なんて思いついたのはあの子だけなんだし」
 苦笑混じりに言われたこと自体は、確かに全くその通りだった。
 他の仲間は「元」も含めてみんな普通の人間だったが、ハレルヤだけは違っていた。生まれながらに背負った半魔の血は、彼が選ぶ余地のなかったものだ。
 その身の上を知ってからというもの、彼がそれとどう折り合いをつけて生きてきたのか、俺はずっと気になっていた。選ぶ余地のない状況で、人であることを捨てざるを得なかった、という点では、俺も似たようなものだったから。
 ただ本当は、話すどころか声を掛けるつもりもなく、遠目に様子を見られればそれでよかった。そもそも交差点の端と端で、向こうは壁みたいな阿修羅会の面子に囲まれていたし、俺は植え込みの影にいた。気付かれるはずなんかなかったのだ。
 なのにどうしてか、ハレルヤは俺に気がついた。元々彼は他人の感情や気配といったものに敏いところがあったし、あるいは彼の半魔の血――人外のものに特有の、鋭い感覚の成せる技だったのかも知れない。
 まあ、それはいい。あいつは阿修羅会の二代目として、しっかり務めを果たしているようだった。「思ってたのとチゲェ…」ってトピックが上がっていた時には大丈夫かと思ったが(というかそれほど忙しいのに、仕事を抜けて戦闘に参加してて大丈夫なのか? という点でも気になった)、それは無用な心配だったらしい。それどころか、結局は俺の方が今さらな恨み言を爆発させる羽目になってしまった。神になろうが世界を作り直そうが、中身は十五の子供でしかない自分のガキさ加減が嫌になる。
 などと鬱々としていた俺に、
「――小僧、まずは食え。空腹からは悲観しか生まれんものだ」
 腕組みのまま黙っていたダグザが、ヌエバーガーを指して淡々と言った。どうやら慰められているらしい。経口摂取は不便だとか、そんなものを口に入れるのか云々と、いちいち皮肉ばかりだった頃に比べれば、随分と丸くなったものだ――なんて思いながら包み紙を開く。
 が、そこらで再び我に返った。結局ダグザはどうして表に出ていたんだ。スマホを通して俺の行動を監視していたんじゃなかったのか。
「それはプライバシーとやらの侵害だ、とフリンがメールをよこしたのでな」
 というダグザの言い分に、俺は一口囓ったばかりのヌエバーガーを噴き出しそうになった。‥‥ちょっと待て。発言内容自体も問題だらけだが、そんなメールは受信していない。
 俺が「ハレルヤとお茶飲んでる」とメールした後、フリンが俺のスマホ、つまりはダグザに「逢い引きまで監視するのは云々」的なメールを送って、それでダグザはフリンの方に顕現して待っていた――ということになるが、フリンから来たというそのメールは、一体どこに隠蔽されたんだ?
 いや、考えてみたらこのスマホを修理したのはダグザだし、他にも勝手にターミナルを設定したり、怒って仲魔を全消ししたりと、出来ないことは基本ない。あるいはスマホには俺の知らない隠しフォルダかなんかがあって、他の神からのダグザ宛のメールがそこに着信していたりするのかも知れない――なんて恐ろしい想像までが広がってしまった。‥‥それはともかく。
 ハレルヤとは別にそういう仲じゃねえよ。あれは友達だ、戦闘時のパートナーだ、とげんなりしながら説明したが、
「そうか」
 の一言でダグザには受け流され、フリンは何だかきょとんとしたような、曖昧な表情で小首を傾げていた。
 ‥‥駄目だ、そういえばフリンはワルターとヨナタンが友達なのか恋人なのかももう解らない、と言っていた。根本的に感覚がずれているフリンには言うだけ無駄だった。
 そして案の定ダグザの方は、俺が誰と何をしていようが何の関心もないらしい。‥‥畜生、新しいダグザが混ざってもなお、やっぱりその程度の扱いなのか俺は。
 疲れ果てた気分で弁明を諦め、俺はそもそもダグザが地下街で姿を現していて大丈夫なのか、という根本的な問題から突っ込むことにした。
「君からメールが来た時は、ちょうど装備品を見終わって店を出たところだったんだよ」
 シュークリームを食べ終わり、フリンが残った骨だか筋だか(ミカド国のシュークリームと違うね、と前に言われたが、レプリカでない本物は食ったことがないので、何がどう違うのかはよく解らない)を紙ナプキンの中に包み隠しながら言った。
「それで彼を呼び出して、どこかで時間を潰そうか、と地下街の入り口で話していたんだが――」
「――おう、フリン、お代わりどうだい?! オレのおごりだ、お代は要らねえ」
 さっきとはまた別のハンターが、突然フリンの前に飲み物のグラスを置き、返事も訊かずに去っていった。
「どうもありがとう。頂きます」
 去り際の背にフリンが声を掛けると、ハンターは後ろ手に手を振って、向こうにたむろして囃し立てている仲間らしき連中の輪に戻っていった。
「‥‥まあ、こんな風に食事をおごると言われてね。でも、彼も一緒だから」とダグザを指して「地下街は駄目なんじゃないか? って訊いたら、彼は特別だから大丈夫だろう、って話になって」
 特別って何だ? と一瞬首を傾げたが、思い出した。何度もやり直しを繰り返した挙げ句、ようやく辿り着いた〈今、この世界〉では、ダグザは表向き「二人の救世主に手を貸して、YHVHを倒した善なる魔神」みたいな扱いになっていることを。
 実はダグザこそがクリシュナ以上の騒動の元凶だったとか、そのダグザをダヌーが挿げ替えたとか、俺とフリンが元のダグザを呼び戻し、新しいダグザと合一させて一人のダグザに戻した――なんて事実を知る者は誰も無い。フリンはちゃっかりそれを利用した訳だ。そして熱烈な歓迎を受け、目の前のヌエバーガーだの飲み物だのを奢られ続けて今に至る――ということらしい。
「下らん茶番だ」
 忌々しげにダグザが吐き捨てた。前にも聞いたような台詞だったが、「吐き気がする」とまでは言わなかった。やはり丸くなっているのは確からしい。
 思い返せば今までは、ダヌー相手の意地の張り合いがエスカレートしていって、その結果引っ込みがつかなくなっていたところも多分にあったんじゃないかと思う。
 新しいダグザは結局のところ、元のダグザの若い頃(の、コピー)だったというし、意外とこのくらいが素のダグザなのかも知れない。‥‥その割に、俺には相変わらず素っ気ないままなのが、どうにも納得いかないのだが。
 釈然としない気分のまま、俺はジャリバリと音を立て、しばしヌエバーガーを咀嚼することに集中した。
 そうして半分ほどを平らげた頃、
「やはり経口摂取は時間の無駄だな。‥‥小僧、オマエはもはや神となった身だ。マグネタイトを直接吸収した方が早い。やり方を覚えろ」
 と唐突にダグザが言ってきた。
 覚えろも何も、そもそもどうやればいいのかも解らない。半分食べかけのヌエバーガーを前に、丸めて握り込んだりつついてみたりとあの手この手で四苦八苦していると、
「慣れぬうちは手をかざして、そこから吸収するつもりで意識を集中しろ。攻撃魔法を打ち出す時と逆の感覚だ」
 助言を受けて、言われた通りに集中してみた。確かに魔法を打ち出す時には、そこから力が出てくる訳ではないが、何とはなしに手をかざしてしまう。逆にそこから吸い込むつもりでしばらく試行錯誤を重ね、数分後。
「‥‥あ」
 神妙な顔で眺めていたフリンが、小さく驚きの声を上げた。
 眼前の食べかけのヌエバーガーから、うっすらとした光の粒、あるいは霧のようなものがふっと立ちのぼり、掌から吸い込まれていく感触があった。同時に何となく、ものを食ったような満足感が、腹ではなく全身にふわりと回る。
 その一瞬後、包み紙の中のヌエバーガー自体も、塵のようなものになって消え去った。
 なるほどこういう感覚か、と何となく嬉しくなって二人を見やると、
「よくやった。‥‥後はそれを一瞬で出来るようにするだけだな」
「今はまだ、直接食べた方が早いみたいだね」
 何でか苦笑気味にそう言われた。褒められた気は全くしなかった。
(2016/06/26)
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