◇ Like a Starlight ◇
とはいえ、気が滅入るのは空腹だからだ、というダグザの言い分は本当だった。
血糖値の上昇に押し流されて、落ち込んだ記憶は過去のものになり(マグネタイトの吸収によっても血糖値なんてものが上がるのか? という根源的な疑問はさておいて)、当初の目的を改めて思い出すと、忘れていた高揚感が戻ってきた。
『――往くぞ、小僧。最早この世界には不要な神々を消し去りに』
復活したダグザはそう言った。世界、という言葉に、俺はまだ見ぬ壁の外を思い浮かべた。
フリンもどうやら同じだったらしい。東京もミカド国も、閉鎖空間という点では大差ない。フリンの郷里は天上でも端の方で、世界の果てみたいな扱いだったそうだ。果ての向こうがどうなっているのかは、あえて考えないように仕向けられていたとかで、
『世界一周神殺しの旅か』
と呟いたフリンも楽しそうだった。
そもそも銀座を訪れたのは、そのための買い出しが目的だった。それで立ち寄ったアイテムショップでハレルヤの視察を知ったため、フリンと別行動で様子見に行ったのが運の尽きだった、という訳だが――
「小僧、目の色が変わっているぞ」
不意にダグザに指摘され、え?と思わず顔に手を当てた。するとフリンが遺物のCDを取り出し、俺の眼前に突きつけてきた。
何故CD、と思いながらも、なるほど盤面に映った俺の目は、神としての力を行使する時の金色に変わったままだった。さっきマグネタイトの吸収を試みたせいだろう。‥‥というかフリンはもしかしなくとも、CDを手鏡として使っているらしい。代用が利くのは確かだが、これが実際は何なのか、フリンだっていい加減知っているんじゃないのか? 天上人の思考はよく解らない。
ともあれ俺は瞬きして、眸を一旦茶色に戻した。それからさらに顔を撫で下ろし、慣れた神殺しの緑色に変える。同時に、今まで消えていた四つ葉の紋様が再び左手に浮き上がり、淡い光を明滅させた(周囲のハンター達は気付いていないだろう。どうせ皆フリンしか見ていないはずだし、それにもそろそろ飽きている頃だ)。
元のダグザを呼び戻すまでは、只人を装った茶色の目か、神としての金色かの二者択一だった。ダグザがいればそれに加えて、神殺しとしての力を使うことが出来る。元の仲間と会う時なんかは人に戻ったふりを貫き、茶色い目のままにしておくのだが、気に入っているのはやはりこの緑だった。
「この世界でも、やはりオマエには神殺しが必要だな」
その変遷を見ていたダグザが、不意に言った。
え? と思わず目をぱちくりさせていると、
「今のオマエは、まだ力の制御が不完全なようだ。神としての力を行使しながら、同時に神殺しの力は使えまい?」
試したことは未だない。だが、出来ると言い張る自信はなかった。それに恐らくダグザの目は、俺の目の色の切り換えに伴う、力の流れか何かを観ていたに違いない。ダグザがあえて言うからには、恐らくはその通りなのだろう。
「人の姿を取っている間は、オマエは俺の神殺しだ。だが、神としてのオマエには、オマエ自身の神殺しが必要だ。‥‥あの車椅子の男が言っただろう。他の宇宙の救世主が、オマエを討ちに来る可能性は無ではないぞ」
新宇宙の卵を隠し持ったままの、未だ塗り替えてはいないこの世界においても、だろうか。
「この世界においても、だ」
呟いた俺に断言すると、ダグザはふいとフリンに目を向けた。
「――フリン。オマエはもう一度、小僧の神殺しになる気はないか」
「ああ、構わないよ」
事の重大さとは裏腹に、フリンはあっさりと頷いた。‥‥軽いな、おい!
というか遅れて気がついたのだが、ダグザはフリンを「オマエ」と呼んだ。だが皆を殺す世界では、ダグザは「貴様」と言っていた気がする。やはり人形と意思のあるフリンとでは、扱いが違うということなのか。
しかしそこまで考えた時、頭の片隅で何かが引っかかった。‥‥その違和感が何なのか、またワンテンポ遅れて気付く。
フリンは「もう一度神殺しに」と言われた時、それは何なのか、とは訊かなかった。もう一度とは何のことだ、とも――まるでその時の記憶があるかのように。
‥‥ちょっと待ってくれ。もしかして、フリンはヴィシュヌとして倒された後、俺の神殺しにされていた時のことを覚えているのか?
「覚えているよ」
勢い込んで問い詰めた俺に、フリンはまたもあっさりと答えた。
「記憶というか、僕の自我も自由意思も、全て残されたままだったからね。あちらの世界でも」
‥‥‥‥‥‥ちょっと待ってくれ!!
フリンの唐突な爆弾発言に、俺はその場で叫び出しそうになった。
何度も繰り返した皆殺しの世界で、俺の神殺しとして黄泉帰らされたフリンは、意思無き人形だとずっと思っていた。
でなければ何故モノリスの前で、フジワラ達を皆殺しに出来た?
何で俺とダグザについてきた?
こちらの宇宙を消し去って、新しい宇宙に書き換えた後も、どうして俺に従うなんて真似が出来た?
‥‥俺はダグザが消えた後、フリンが元のままのフリンなのかどうか、散々疑って事実を確かめるべく、無理難題を吹っ掛け続けた。そして全てに諾々と従うフリンを見て、これは人形だと確信し、絶望したのだ。
なのに今さら元の記憶も意思もそのまま残されていた、なんて言われても――言われても‥‥どうしろと――ああもう脳味噌が爆発して耳から出そうだ!!
「君が何を考えてあの選択をしたのか、まずはそれを知るべきだと思ったんだよ」
転げ回って叫びたい気分で頭を抱えていた俺に、フリンは例の如く淡々と言った。
「それにどうやら〈こちらの世界〉においては、繰り返しの主権は僕でなく、君の方にあるらしいということが、あの時にはもう解っていたし――だとしたら、フジワラ達より君を選ぶのは当然だろう?」
ああ――フリンならそうかも知れないな、と思わず納得してしまった。見た目こそこんな優男だが、フリンは目的のためなら手段を選ばない、ある意味非情で冷徹な男だ。人助けに奔走する一方で、行く手を邪魔する者あらば、人も悪魔も迷わず殺す。
「神殺しとしての術式というか、どう振る舞うべきか、という仕様のようなものが、魂のどこかに書き込まれていたのは確かだよ。色々と確かめてみて、それに逆らうことが出来るのも解っていた。‥‥でも、あえてそれに従っていたのは、僕の意思だ」
だが何故。一体何のためにそんなことを――
「言っただろう? 君の真意が知りたかった、って」
知ってどうするつもりだったんだ?
「勿論、僕自身の目的のために必要だったからさ。‥‥僕はワルターとヨナタンを取り戻せない世界になんか、何の用もないんだよ」
俺は絶句した。だとしたら、彼らしからぬ数々の言動は、あえて人形を装っていた、ということになる――そうやって俺を追い詰めて、世界をやり直そうと思わせるために。
ならばもし、俺が新世界に満足しきっていて、フリンの意には沿わない方向に事態を進めていたとしたら?‥‥
「さてね‥‥」
フリンは剣の柄に触れ、かすかに口の端を吊り上げた。
‥‥その笑みに、ぞわり、と全身に鳥肌が立った。
ああ――全くもって、なんて男だ。下手をすれば外宇宙の救世主どころか、フリンに斬り捨てられていたかも知れなかった訳か。というかあの果てしない繰り返しの間、よくもまあ俺を騙し通して人形のふりを貫いたものだ。その上で平然と俺に近付き、共犯を持ちかけてきた訳だから、鉄面皮にも程があるというか、鋼の無神経と言わざるを得ない。
フリンを敵に回さなくて良かった、恐い男だと思ったことは、実際今までに何度もあった。だが、今この時ほど目の前の美貌が恐ろしいものに見えたことはなかった。
「流石やりおるわ。――まんまと謀られたな、小僧」
今まで黙って傍観していたダグザが、呵呵と大笑してそう言った。
いやちょっと待ってくれ、ともう何度目かの突っ込みを入れる。神殺しのフリンが人形じゃないということを、あんたはそもそも知っていたのか?
「忘れたか。あの時クリシュナにも言っただろう。意思無き神殺しになど、何の価値がある? オレがそんなものをオマエにあてがう訳があるものか」
しかしそのフリンは、場合によっては俺を殺す気満々だったと言っている訳だが。
「大人しく倒されるようなオマエではあるまい」
そりゃあそうだが、しかしフリンだ。数多の世界を渡り歩いてきた百戦錬磨の救世主で、永遠の戦士というやつだ。万が一――いや、その時にはダグザはもう、世界に融けて消え去っていた訳だから、俺の身の上など知ったことじゃないということか。‥‥などとグズグズと腐っていたら、
「馬鹿を言うな」
と何でか怒られた。
「オマエの力を見込んでいればこそだ。‥‥小僧、世界を繰り返してオレを呼び戻すなどという離れ業をやり遂げておいて尚、己の力を信じていないのはどうした訳だ」
‥‥これは怒られているのか褒められているのか、どっちなんだ。
というか何故だと言われても、何でダグザが怒るのかと、むしろ俺の方が訊きたいのだが。
「それは仕方がないことだと思うよ、魔神ダグザ」
どうしてか機嫌を損ねたらしいダグザに、苦笑したフリンが割って入った。
「どういう意味だ、フリン」
「ようやくこの世に留まる気になったのに、あなたは未だ、ナナシに素っ気ないままだからね‥‥」
返す言葉に詰まったように、ダグザは「む、」と口を噤んだ。
「ナナシはただただあなたのためだけに、ここまで世界を動かしてきたんじゃないか。あなたの方もまんざらでもないなら、さっさと応えてあげれば済む話だろう?」
‥‥は? と思わずダグザを見る。
目が合うと、しかしダグザはばつが悪いような顔で(いや、表情自体は動かないのだが、そんな目の色で)、ふいとフリンの方に向き直ってしまった。‥‥何がどうまんざらでもないと言うんだ、この態度の。
「‥‥新たな神殺しは決まったな。ならば後は女神だ」
俺が突っ込もうとするより早く、機先を制するようにダグザが言った。
だが、この旧世界を消し去ることなく、内から乗っ取ったも同然の今、人間はしぶとく生き残っているし、地味に増え続けてもいるはずだ。無から人間を産み増やすための女神が必要とも思えない。ごまかすなよおい、と言おうとしたら、
「この状況でも女神は必要なのか?」
同じ疑問を抱いたらしく、先にフリンが口を開いた。
「僕と違って、あれこそ魂の欠けた人形だったじゃないか」
「小僧を裏切った魂を、丸ごとそのまま使う訳にも行くまい。叛意を削り落とさねば、小僧の身近になぞ据えることは出来ん。‥‥ダヌーの詭弁に踊らされることなく、小僧を信じて着いてくる者がおれば、そいつを女神にするつもりだったのだがな」
ということはもしかして、選択の場にいなかったアサヒだけは、元のままの魂だったのだろうか。‥‥いや、それでも、勝手にクエストを受注したり、俺を庇って死ぬなどという無鉄砲なまでの行動力は、女神としてのアサヒには無かったように思う。
「あの小娘の無謀さは、オマエを惑わせ、選択を誤らせる要因でもあった。そんなものを残してどうする」
じゃあ、選ばなかった魂を砕くのは、何のためだ? 創世のための材料としてなら、他で十分足りているだろうに。
「砕いて世界との繋がりを断ち、材料として使い尽くさねば、どこかの宇宙でしぶとく生を得て、オマエを討ちに来るやも知れんだろう」
あの車椅子の男が別の宇宙から救世主の魂をかすめ取ってきて、金剛神界で黄泉帰らせたように――か。
なるほど、とそこまで考えてから、俺は茫然とダグザを見やった。どうもさっきから何を訊いても、全ては俺のために算段したのだと、力説されているように聞こえるのだが――
そう訊くと、ダグザは何でか舌打ちした。‥‥待て、あの骸骨じみた面頬の奥には、生身の口だの舌だのがあるのか? と思ったが、それを訊いている間は無かった。
「聞いただろうフリン、この鈍さはどうだ。オレが小僧を神に据えるため、どれほど腐心して布石を打ったかなど、全然、まったく、一切、まるで、これっぽっちも解っておらんのだ」
「それだって、あなたの言葉が足りないからだろう?」
聞いたような台詞で忌々しげに言い募るダグザとは裏腹に、フリンは何でか苦笑を堪えていた。
「自分を置いて消えてしまうあなたを、ナナシが何度見送ったことか。それで解れと言うのは酷な話だよ」
「それが解らぬほど、未だ小僧は幼いということだ」
「見た目よりよほど、ナナシは大人びた子だと思うよ。年若いことと幼いことは違う」
「それは解っている。だが」
「解っているなら、それなりの対応を考えればいいだろう? 通じそうにないから黙っていようとか、それで都合良く察してもらおうなんて、子供相手に通じるやり方じゃない」
‥‥とりあえず、あれでもダグザはダグザなりに、俺を大事にしていたということらしい。その割に、俺が子供だの鈍いだのと、二人がかりで貶されている気もするが、確かにその通りなのでぐうの音も出ない。くそ。
というか結局この二人は、一体何の話をしてるんだ。女神はどこに行った。置き去りか。
面倒だからもうダグザでいいだろ、と割って入って提案してみる。俺にとっては一石二鳥だ。
「小僧、無茶を言うな。いくらオレが万能の神でも、そんな神性は最初から最後まで徹頭徹尾持ち合わせておらん」
さっきからいちいちダグザの物言いが合一前に戻っている気がするが、一体何があったんだ。
ともあれ神性なんか、いくらでも観測で付け加えられるだろ――と思ったが、さすがにそれを口にするのはやめた。
世界を書き換えてでも消え去りたいと思うほど、ダグザは神として規定された事柄や、観測で付加された在りようを――自身の神性を憎んでいた。仮にダグザが心底俺に甘かったとしても、そこは逆鱗というやつで、触れてはならない領域だろう。
「それに女神なら適任の者が、じきにオマエの元に現れるだろう。‥‥偶然か、無意識か、オマエはその種を蒔いてきたようだからな」
ダグザがまるで予言のように言い、俺は思わず目を丸くした。‥‥誰のことだ? とフリンを見たが、フリンもさあ? と言いたげに首を傾げた。
その時――
フリン見物にも飽きていたのか、いつものざわめきが戻っていた店内に、不意に沈黙と緊張が満ちた。
気付いて皆の視線を追うと、行き着いた先は商会の入り口で――息せき切った様子のハレルヤが、どうしてかそこに立っていた。
(2016/06/26)