プラッサくん物語
その六 プラッサくんの大冒険・後編
つもった枯れ葉を踏みしだく、かさっかさっという足音が、やけに大きく響きます。
薄暗い細道を、一体どのくらい進んだころでしょうか。
いったん遠ざかった水音が、また近くに聞こえてきました。思わず、小走りに道を急ぎます。
長く続いていた細い道が、ふいにぽっかりと開けました。
勢いづいていたプラッサくんは、つんのめっておっこちそうになりました。でも、なんとか、肉球を総動員して踏みとどまります。
プラッサくんが通ってきたのは、下水の流れる大きなトンネルの、横っ腹にぽかんと開いた、小さな排水口の横穴だったのでした。
多分、もともとあった古い配管をふさがないまま、この、大きな新しい地下水道を通したのでしょう。それとももしかして、増水した時のための、臨時の排水管なのかもしれません。
そんなに高くはない位置です。プラッサくんはぽてん、と飛び降りて、改めて回りを見回しました。
真ん中には川みたいに下水が流れていますが、その両脇には歩道みたいなスペースがきちんとつくられています。くりぬいたような、かまぼこ型の天井には、工事のためのものなのでしょうか、裸電球がずらりとならんでいて、まるでお祭りのときみたいです。
何かを思いついたらしく、プラッサくんはぽん、と手を打ちました。
「電気がついてるのは、人間がいる証拠です!」
ということは、そのうち工事のおじさんなんかに見つけてもらえるかも知れません。もし、すぐに見つけてもらえなくても、あの電気を充電すれば。‥‥でも、プラッサくんははたと口をあけました。
「‥‥あんな高いところじゃ、プラッサとどきません」
自慢の十センチのしっぽも、天井までは伸ばせません。‥‥もしもおなかの蓄電池がなくなって、おべんとうを食べてしまって、それでも見つけてもらえなかったら。
‥‥ちいさな目から、ぽろりと涙がこぼれました。和哉くんに逢いたくて仕方ありませんでした。
でも、プラッサくんは、ぷるると頭をふって涙の粒を払いました。
「ないちゃいけません。きっとなんとかなります。プラッサ、ご主人のところに帰る義務があります」
あんなに大事にしてくれた和哉くんです。プラッサくんがいなくなって、きっと悲しい思いをしているに違いありません。和哉くんのためにも、一刻も早く帰らなくては。泣いている暇なんかないのです。
プラッサくんはぴんとひげを張り、おべんとうをことんことん言わせながら歩きだしました。
電気だけが明るい地下の世界では、どのくらいの時間がたったのかもよくわかりません。
点々とともる電球だけをたよりに、何度も曲がり角を曲がった頃、遠くの方で、何かが動く気配がしました。
プラッサくんは小首をかしげました。人間にしては、なんだか変です。
うす暗い一角で、何かがきらっと光りました。
立ち止まったまま、じっと様子をうかがっていると、そのきらきらは見る間に増えていきました。何だかキイキイ、チュウチュウ言う声も聞こえてきます。
「‥‥ねずみさんです!」
いつの間にかプラッサくんは、沢山の茶色いねずみに取り囲まれていたのでした。
プラッサくんはぱかりと口をあけました。
「ねずみなのにねずみいろじゃありません!」
そういえば、図鑑にはちゃんと、ねずみ色のねずみも、白いねずみも、茶色いねずみも載っていたような気がします。でも、『ねずみだからねずみ色』と思っていたプラッサくんは、なんだか衝撃な気持ちです。
プラッサくんがショックを受けている間にも、ネズミの群れはじわじわと輪をせばめてきていました。‥‥‥なんとなく、空気がぴりぴりしています。
と、一匹のねずみが、急にプラッサくんに飛びかかりました!
あっと思ったときにはもう、他のねずみも次々に飛びついてきて、プラッサくんはねずみに埋もれてしまいました。
「わひゃー!」
鋭い歯が、あちこちをがりがりとかじっています。いっしょうけんめい払いのけようとするのですが、すぐ別のネズミが飛びついてくるのでキリがありません。幸いプラッサくんはロボットなので、そんなに痛くはないのです。でも、もしかして耳がなくなってしまったりしたら!
こうなったらもう、緊急手段に出るしかありません。
プラッサくんは目をつむると、一時的に体内電圧を上げました。それを、毛先から一気に放出します!
バチバチッ! という、電気のはじける音がして、同時にネズミたちが悲鳴を上げ、四方八方に跳ねとびました。
ひどい目にあったねずみは、そのままどこかへ逃げていきます。
一方、一度にエネルギーを使ったプラッサくんは、ぐったり力がぬけてしまいました。でも、まだ微量の静電気がパチパチしているので、もしねずみが戻ってきても、しばらくの間は安全です。
プラッサくんはぱたりとその場に倒れ込み、気を失ってしまいました。
しばらくたって、体内電圧も正常値に戻り、セーフ機能が元通り全身の機能にスイッチを入れた頃、プラッサくんははっと気がつきました。
見回しても、もうねずみはどこにもいません。
おそるおそる、ちいさな丸い耳を確かめてみます。‥‥肉球に、ぱたぱたっと動く、いつもの手ざわりがありました。耳は大丈夫です。
プラッサくんはほっとして立ち上がりました。バッグはぼろぼろになっていましたが、おべんとうは無事です。きっとねずみにはおいしくないものだったのでしょう。
おなかの蓄電池のエネルギーはちょっと減ってしまいましたが、おべんとうがあればまだ大丈夫です。
プラッサくんはしっぽをぴんと上げて、‥‥‥何かが変なのに気付きました。
さっきより、もっとおそるおそる振り返ります。
‥‥‥しっぽがありません。
びっくりのあまり、ぱかりと口を開けたまま言葉も出ませんでした。‥‥これでは、なんとか手のとどくコンセントを見つけても、充電することが出来ません。
「‥‥わひゃー」
呟いても、今は答えてくれる人は誰もいません。
‥‥プラッサくんは悲しい気持ちで歩き出しました。
と、その時です。
後ろのほうで、チイ、とちいさな鳴き声がしました。
プラッサくんはびくりと振り返りました。またねずみだったら、もうだめかも知れません。
チチイ、と、それがまた、呼びかけるように鳴きました。
さっきとは、何だか雰囲気が違うようです。
プラッサくんは目をこらしました。
やがてちょろちょろと走りよってきたのは、なんだかうす黒い、ねずみ色のねずみでした。
もともとは人に飼われていた白いねずみ、たぶんハムスターか何かなのでしょう。でも、そんな細いことを気にするプラッサくんではありません。
「ねずみいろです。正しいねずみです」
さっきの茶色いねずみは、何だかこわい顔をしていましたが、このねずみ色のねずみはおとなしい、かわいい顔をしています。相手に敵意がないことを察知したプラッサくんは、そっとねずみに近寄りました。
「プラッサ、お外に出たいです。道を知ってたら教えてください」
ねずみは小首をかしげ、目を細めると、前足でつるつると鼻のあたりをなでました。言葉が通じているかどうか、よくわかりません。
でも、やがて、ねずみはちょろりと走りだしました。いったん立ち止まって振り返り、小さくしっぽを振ってみせます。‥‥どうやら、ついてこいと言っているようです。
「ついていきます」
プラッサくんはにっこり笑って、ねずみのあとについて歩き出しました。
ねずみ色のねずみは、ときどき迷うように行ったり来たりしながらも、どこかへまっすぐ向かっているようです。
そうして、しばらく歩いたあと、ねずみはぴたっと立ち止まりました。
「お外ですか?」
ねずみはくん、と鼻づらを動かし、たたっとある一点に駆けよりました。
‥‥そこには、半分かけた、茶色くなったりんごが落ちていました。
ねずみ色のねずみは、よっぽどおなかをすかせていたのでしょう。いっしょうけんめいりんごを食べ始めました。
プラッサくんはちょっとがっかりしました。このねずみは、本当に外への道を知っているのでしょうか。とてとてと、ねずみのそばに歩みよります。
すると、不意にぽうっと光がさしました。電気ではない、あったかくてやわらかいお日様の光です。
見上げてみると、天井に、ころん、とまるい穴があいていて、そこから光がさしていました。
マンホールよりだいぶ小さな、通風孔みたいな細い穴です。‥‥プラッサくんはその下にへたん、と座り込みました。
なくなりかかっていた体中のエネルギーが、気持ちのいいあったかさとなって、じわじわと補給されてゆくのがわかります。
りんごを食べ終わったねずみが、プラッサくんに駆けよってチイ、と鳴きました。
「お外じゃないけどありがとうです。おかげであったかくなります」
ねずみは目を細め、また鼻づらをつるつるとなでました。
しっぽはなくなってしまいましたが、これで充電は間に合いそうです。夜になっても大丈夫でしょう。
おなかの蓄電池がいっぱいになったころ、プラッサくんはちょっと眠ることにしました。ロボットとはいえ、デリケートなバイオチップも持っているプラッサくんです。休養は大事なメンテナンスなのです。
となりで丸くなったねずみとぬくぬくしながら、プラッサくんは眠りました。
ランダムプログラムが、きっと和哉くんの夢を見せてくれます。
翌朝、プラッサくんは誰かが自分を呼ぶ声で目を覚ましました。
ねすみはとなりで、きのう食べ残したりんごをしょりしょりかじっています。
『おーい、プラッサくーん』
また、自分を呼ぶ声が聞こえました。
プラッサくんははっとして立ち上がりました。
「ここにいますー」
『どこだーい』
「ここですー」
叫びながらきょろきょろ見回すと、天井のまるい光の中に、ちらちらと動く影がありました。
もしかして、と思って胸を張ると、認識レーザーが毛皮の奥のチップをとらえ、『ぴっ』と確認音を出しました。‥‥サービスセンターのおじさんです!
『すぐ下にいるのかいー?』
「いますー」
『今、フックを下ろすからねー』
「はーい」
するすると、すぐにフックが下ろされました。先の方には、ちいさな台がついています。プラッサくんはそれに飛び乗りました。
『上げていいかーい?』
「いいですー」
でも、フックが引き上げられようとした瞬間、プラッサくんははっとしました。この状況は、何かに似ています。そう‥‥和哉くんの宿題の、感想文の課題で読んだ、『蜘蛛の糸』というお話です!
「たいへんです、プラッサ、ひとりだけ助かろうとしてはいけません!」
プラッサくんは思わず、りんごを食べていたねずみ色のねずみをわっしと捕まえて抱きかかえました。
ねずみはびっくりして、キイキイ鳴いてあばれます。でも、プラッサくんはねずみを離しません。そのまま、フックはするすると引き上げられていきました。
せまい通風孔を、じたばたするねずみと一緒に通り抜け、プラッサくんは一晩ぶりに地上へと帰ってきたのでした。
ねずみをかかえて、毛並みはぼそぼその上しっぽをなくし、うす黒くなったプラッサくんに、センターのおじさんたちはなんだかびっくりしたようでした。
「プラッサくん、そのネズミは何なんだい」
「いっしょに助かりました。くもの糸です」
その答えに、おじさんとお兄さんはますます変な顔をしましたが、ともかくプラッサくんはねずみといっしょにサービスセンターへ連れていかれました。
かるく洗われたあと、いろんな機械にかけられて、故障や破損のレベルを細かくチェックされます。
その時、沢山の大人の研究員にまじって、中学生くらいの男の子が、なぜかひとりだけまじっていました。しかも、他の大人に指図しているのは、なぜかその男の子なのです。
新しいしっぽをつけてもらいながら、プラッサくんはその男の子をじっと見つめました。‥‥逢ったことは一度もないはずなのに、何かを思い出しそうです。
プラッサくんはぱかっと口をあけました。
「‥‥もしかしてはかせです!」
「ピンポーン」
男の子はにこっと笑いました。
「やっぱりはかせです。はじめましてだけどひさしぶりです」
プラッサくんの基本プログラムは、最初の『試作型プラッサくん』の学習メモリーを基本に作られています。そのプラッサくんが覚えている博士の記憶は、ちゃんと受け継がれていたのです。
プラッサくんはうれしくて、つけてもらったばかりのしっぽを、思わずぱたぱたとふりました。はっと思いついて、えいっとVサインをつきだします。
「よかった、大事にされてるね」
陸くんが笑ってくれたので、プラッサくんはにっこり笑い、指を三本に増やしました。
「このくらいです」
「うん」
陸くんもとてもうれしそうでした。
それからプラッサくんは、何度か洗い直されたのですが、うす黒くなってしまった毛並みはどうしても元にもどりません。
そこで陸くんは、
「一日くらいかかるけど、我慢してね」
と言って、プラッサくんを何だかわからない溶液のお風呂に入れました。
最初は意味がわかりませんでしたが、半日もたったころプラッサくんは、自分の毛並みがもそもそと伸びているのに気がつきました。
「普段から、あのプラッサくんごはんを食べてれば、すり減るのと同じくらいの感じで伸びてるんだけどね」
こんなに汚れがしみこんでしまったのでは、一度に伸ばして刈るしかないんだよ、と陸くんは説明してくれました。
そうして、プラッサくんは、元通りの白い毛並みの、十センチのしっぽが自慢のプラッサくんに戻ったのでした。
陸くんが預かってくれていたねずみも、今はすっかり洗われて、きれいな白いハムスターになっていました。
「プラッサくん、このハムスター、どうするの?」
「くもの糸です、いっしょにいたいです。‥‥でも、お母さんがぜんそくです」
陸くんは、少し考えて、言いました。
「じゃあ、俺がもらってもいい?」
「いいですか?」
「いいよ。うち、お父さんとお母さんがやたら動物好きで、もう山のようにいるし。いまさらこの子一匹くらい平気だよ。黙って籠に入れといたってバレないよ」
プラッサくんは安心しました。白いねずみも、今はかごの中でひまわりの種をかじっていて、なんだか幸せかもしれません。
「よかったです。かわいがってもらえます」
答えるように、ねずみはチイ、と鳴きました。
二日がかりで検査と修理を終えてやっと、プラッサくんはおうちへ帰ることができました。
陸くんに電話をもらっていた、お父さんやお母さん、そして和哉くんは、玄関でプラッサくんを待っていました。
和哉くんはぼろぼろ泣きながら、プラッサくんを抱きしめました。
「ごめんね、プラッサくん、ごめんね」
プラッサくんを心配するあまり、和哉くんは三日間、学校へ行かずごはんも食べず、ずっと泣いていたのです。
「ご主人、あいたかったです。すごくたくさん、あいたかったです」
なんだか情緒回路がちくりとして、プラッサくんも小さな涙をぽろりぽろりとこぼしました。
「さあさあ、いつまでも泣いてないで。家に入ってゆっくり休みなさい」
お父さんにせかされて、ふたりはおうちに入りました。ふたりで顔を洗って涙をおとし、ふたりでおやつを食べました。
そして、やっと涙がとまったころ、
「あれ、プラッサくん」
「なんですか?」
和哉くんが、しっぽの付け根のあたりをちょん、とつついて言いました。
「ここんとこの毛、なんか他のとこよりちょっと長いよ。先の方が妙にうす黒いし」
プラッサくんはぱかっと口をあけました。
お風呂で長く伸ばした毛は、陸くんが刈ってくれたのです。陸くんが、ここだけ見落として刈り残したに違いありません。
「‥‥ここは残しておきたいです」
「え、どうして? なんでここだけ長いの?」
「いろんなことがありました」
プラッサくんはぴんとひげを張り、わくわくと今までのことを話しはじめました。
青いバケツのこと、白と赤の小さなコイ、そして大きな黒いコイのこと。
海が近かったことや、茶色いねずみの群れのこと、そして、ねずみ色の、本当は白かったねずみのことと、初めて会った博士のこと――
目をきらきらさせて話すプラッサくんを見ながら、和哉くんは、プラッサくんが無事に帰ってきて本当によかった、と思いました。
そして、大人になっても、ずっとプラッサくんとは大事な友達でいよう、と思いました。
おしまい。
Copyright (c) 1997 yu-suke.sakaki All rights reserved.
-Powered by HTML DWARF-