鬼哭 

 

 

 






            南無阿弥陀仏
      六文字にこめられた想い。
      土井はそっと頭(こうべ)を垂れる。
      許してください。
      口の中で呟いた。





 裏裏山の、学園とは反対側になる山腹に、打ち捨てられた炭焼き小屋がある。
 そこに……山田利吉から、いつもの親しげな雰囲気とは打って変わった冷淡な眼差しで、
「来てはもらえませんか」
 誘(いざな)われた時から、土井半助は覚悟のようなものを決めていた。
 コトの初めから。
 決して人に知られてはならないことだと思いながら、いつかは知られてしまうかもしれないと……恐れていた、それがついに来たのだと。
 土井は静かに悟っていた。 



   *     *     *     *     *     *



 それは……奇妙に無音の世界だった。



 もう夜中を過ぎていた。
 仕事の都合で一夜の宿を学園に借りた利吉は、夜半、尿意を覚えて起き出した。足音を潜めて廊下を行ったのは、音や気配に敏感な学園の教師たちの眠りを破らぬ気遣いからだった。
 静かな夜だった。
 だから利吉がそこで足を止めたのは、音のせいではなかった。
 あからさまな気配のせいでもなかった。
 気配と呼ぶにも、あまりにもそれは秘めやかで、くぐもって、かすかで……
 そこが父伝蔵と同僚土井半助の部屋の前でなかったら、利吉は足を止めもしなかったろうし、ましてや、そっと障子の隙間から中をうかがおうなどという気も起こさなかっただろうほどの……それはかすかな気の乱れのようなものだった。
 無視してもよかった。
 だが……そこは利吉が敬愛してやまぬ父と、やはり、秘めた恋心を抱く相手の部屋であったのだ。
 利吉はそっと障子の桟の間に爪をいれた。指先に力をこめずにゆっくりゆっくり、障子の隙間を押し広げた。
 そして。
 利吉は中を見た。



 音はなかった。
 音もなく。
 衣擦れの音さえ立てぬように。



 伝蔵と土井が、抱き合っていた。



 素裸になった土井が。
 夜着の前をはだけた伝蔵に向き合い、その唇にむしゃぶりついている。
 裸の胸を伝蔵のそれに押し付けるようにすり寄せ、伝蔵の肩や背中にしがみつくように腕を回して。
 激しい抱擁と、口付けの動きだった。
 なのに。
 無音なのだ。
 むしゃぶりつくその唇も、すり寄せる胸も、しがみつく腕も。
 相手を恋う、その想いの熱さ激しさを思わせて、まだ足りぬまだ足りぬと狂おしいほどなのに。
 音をたてまいと。
 気配をもらすまいと。
 その動きは緩慢なのだ。
 
 もっと激しくすがりつきたい。
 音たてて、唇を吸いあい、舌を絡めて、唾液をすすり合い、もっと激しく口付けたい。
 そんな想いと欲望が、抱き合う二人の姿にうかがえる。
 だが。
 その、二人の間に生じる熱を、傍(はた)へ漏らすまい、気取られまいと、二人は互いの肌のうちにだけ押し潜めようとしているのだ。
 


 淫猥だった。



 音を立てぬように、ゆっくり二人の唇が離れた。
 唾液で土井の唇が濡れている。
 伝蔵の舌が、つ、と伸びた。
 ぺろり。
 濡れた土井の唇を伝蔵が舐める。
 土井が声もなく笑う。
 笑って。
 土井は唇と言わず鼻と言わず、伝蔵の顔を嘗め回す。髭をしがむ。
 やめなさいよ、と伝蔵の手が土井の顔を押しやろうとする。
 少し困ったような表情で。
 しかし、その眼は愛しげに土井を見つめ、土井の顔を押しやったその手は、そのまま優しく土井の髪を撫でている。
 音もなく。
 また土井が伝蔵の唇に口付けた。



 肌を鋭い刃物で切られたすぐは、痛みがない。
 最初は、チカッとかすかな熱感を覚えるだけだ。鋭利な刃物で肌や肉を切られた痛みは、すぐには来ない。
 今の利吉の状態がそうだった。
 かすかな熱感を、胸の表層に覚えただけ。……その時は、まだ。



 土井が伝蔵に向かい、四ツん這って尻を向けた。
 自らの手で、おのれの尻の肉をつかみ、溝を広げた。

 いやらしくて。
 利吉の胸は、またチカリと痛む。

 伝蔵が、広げられたそこににじりよる。
 土井の背に、おおいかぶさった。

 たまらなく、いやらしくて。
 利吉の胸は本格的な痛みの前に、息苦しさを訴える。

 ゆっくりと。
 腰が密着していく。

 利吉が見るとは知らず。

 伝蔵が土井を揺すりあげる。

「…………っ!」

 声にならない悲鳴に、土井の背がはねた。

 伝蔵の腕が伸びた。
 その手は枕元にきちんと畳まれた忍び装束へと伸び、頭巾をつかみとる。
 その頭巾を。
 伝蔵は土井の口へと押し込んだ。

 土井は黒い布の塊をはみ、声を出すこともかなわず、伝蔵に揺すられて、身をよじる。

 そうやって……肌を震わせる土井の目元には涙がにじんでもいたろうか。
 利吉が見たのは、ただ。
 父伝蔵の肉棒に貫かれながら、土井の下腹につくほどに張った土井の肉棒が。
 たらたらと滴らせている涙だけだった。

 

 無音無声のままの、睦み。
 ――それほどに……それほどに大切ですか。
 利吉もまた、おのれの口に手を当てて、声を呑む。
 ――誰に知られることもないようにと……それほどまでに、大切ですか。
 緩慢な動き、音を気配を立てぬように注意を払い、声を呑み息を潜め……それでもまだ、睦み合いたいほどの相手ですか。それほどのいやらしさと淫猥さで抱き合わねばならないほどの……相手ですか。
 父上。あなたにとって?
 土井先生。あなたにとって?



 麻痺していた心が動き出す。痛みを訴えて動き出す。
 利吉もまた、声を呑み、気取られぬよう、そっと障子の前から離れた。
 無音の営みに背を向けて……
 
 
 
   *     *     *     *     *     *



「いつからですか」
 挨拶も抜きだった。
 男にしておくには惜しいような整った綺麗な顔立ちを冷たく強張らせ、最初から利吉は詰問調だった。
「いつから、あなたはあんな汚い泥棒猫をしてたんですか」
 薄暗く、蜘蛛の巣と埃にまみれたこの小屋に、自分が呼び出された理由を土井は改めて思い知る。
 コトの初めから……伝蔵の重みを身に覚えたその瞬間から。覚悟していたことでもあった。
 どれほど、自分の真剣さ、想いの深さ、互いの大切さを訴えても。自分のしていることが、伝蔵の家族にとっては『汚い』『盗み』と変わらないことを土井は知っていた。
 当然の怒りだろうと思う。利吉の蔑みすらにじむ視線も、やはり当然だと土井は思う。
「……いつからだったかな」
 だから土井は、軽く首をかしげ、その問いに正確に答えようと記憶を探った。
 それがまた、利吉の怒りをあおったか。侮蔑の言葉を投げつけた相手が、白々とかわそうとしているとでも見えたのだろうか。
「いつから……? 考えねばわからぬほど、前からだと言うんですか!」
 思い切り。薄汚れた板間へと、土井は突き飛ばされていた。



 抵抗するつもりは最初からなかった。
 抵抗するつもりはなかったが。
 突き飛ばされた床の上から、土井は身を起こそうとした。
 だが。
 利吉の動きのほうが早かった。
 利吉の足が、上がるのが見えた。
 土間に立つ利吉の右足が上がり、その足はそのまま、板の間に転がる土井の股間へと下ろされて来た。

「ぐ……」

 草鞋を履いたままの利吉の足が、股間を踏む。
 抵抗するつもりではなくても、思わず、かばおうと手が出た。
 その手は利吉の両手に捕らえられ、高く差し上げられた。



「なんですか、この手は? 踏まれるのが、いやなんですか?」
 土井の股間を踏んだ足におもむろに体重をかけながら、利吉が言う。
「どうして、いやなんです?」
 土井の両手を高く引っ張り上げるようにしながら、利吉が嘲笑う。
「慣れていらっしゃるんじゃないですか? ここを……男になぶられることにも、男にツッコまれることにも? それがお好きなんじゃないんですか?」
 股間の圧迫に眉根を寄せながら、土井は利吉を見上げる。
 怒りのあまりにか……利吉の額は青白く強張り、その目はいつもとはちがう険をはらんで釣り上がっている。なのに。その口元に浮かぶのは薄笑い。土井を責める声も、いっそ明るいとすら聞こえる。
「答えてください。好きなんでしょう? だから父のモノをあんなに嬉しそうにお尻に挿れてらしたんじゃないんですか? ずいぶん、喜んでいらっしゃるように見えましたよ?」
 やっぱりか。
 土井は苦しい態勢のまま、思う。
 数日前の朝。ほんの指半本分、開いていた障子、姿の消えていた利吉。
 利吉が学園に投宿しているとわかっていながら……いや、もしかしたら、わかっていたからこそか……どうしてもあの夜は伝蔵が欲しかった。ねだってねだって……あさましいほどにすがった……。
 己の手でふたつの丘の狭間を割り、菊門をさらした。あからさまで淫らな誘いに苦笑気味の山田が、覆いかぶさってきながら、『しょうがない奴』 と、言葉の代わりにもらした吐息が背中に当たった……あの夜。
「……山田先生は、悪くない……」
 そうだ、そもそもの初めから……欲しくて欲しくて、肉体の契りを求めてやまなかったのは、自分こそだ……。その、土井の自覚ゆえの台詞が、しかしまた、利吉の怒りをあおったらしい。
「気にいりませんね」
 足にぎゅっと、さらに力がこもった。さすがに土井は呻きを喉の奥に呑む。
「父は悪くないと、あなたは言うんですか。母がいながら男相手に鼻の下を伸ばしている父が正しいとでも、あなたは言うんですか」

 ぎりぎりとそこを踏みにじるように踵に力を込められて、脂汗すら浮かんでくる。
 土井は懸命に呼吸を整える。
「……まさか、と思いましたよ」
 利吉が言う。その声が偽りの明るさを失い、苦々しさに低くなっていくのを土井は聞く。
「浮気は男のサガなんて言いますけどね……あれほどに己を厳しく律して……忍びの道を行く父が……まさかつまらぬ欲に……溺れていくなんて……」
 苦しい息の下。そうだろう、と土井は思う。家族にすれば。いや。伝蔵を知る誰もが。あれほどに己に厳しい伝蔵が、まさかに道を誤ろうとはと。
 思うはずだ。自分も思っていた。
 だからこそ。
 伝蔵自身をこの身を受けた時に。涙が流れたのだ。
 その罪深さに。……有り難さに。
 そうであればこそ。
 家族が。……彼の妻が、息子が。「まさか」と思うその衝撃はいかほどか……
 利吉のらしくもない言葉嬲りも、荒々しく責める所作も。すべてが。崇拝していた父の堕ちた姿に受けた衝撃、裏切られた心の苦鳴を土井に伝える。



 しかし。
 「すまない」と言い掛けた土井の言葉は、ぐっと腕をひっぱり上げる利吉の動きにさえぎられた。
 手を後ろに回され、縛られた。忍びの教えのとおり、親指同士をまず結びつける念のいったやり方だ。
「本当にね」
 見せ付けるようにゆっくりと、利吉が自らの袴を腰から滑り落とす。
「あの父が、ですよ? ねえ。土井先生はそれほど父が好きなんですか? 父のアレが……それほどお好きなんですか」
 袴が、そして、下帯が。利吉の腰から滑り落ちてゆく。
「さあ」
 利吉の着物の合わせが、裾から割れた。
「あなたのお好きなモノですよ。しゃぶってでももらいましょうか。あなたはコレがお好きなんでしょう? 人のモノとわかっていながら、あなたは自分からお尻を突き出して欲しがっていたじゃないですか。それほどお好きなモノなら、いまさらイヤだはないですよね」
 土井の正面に突きつけられた利吉の股間は、半ば膨らみかけながらも、まだうなだれている。
「さあ!」
 じれた利吉の手に、髪を鷲掴まれた。


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