大丈夫、ここは誰も来ないからと、連れて来られた図書室の奥の書庫だった。
「今日は伊作から口付けて?」
命ずるように、甘えるように囁かれて、伊作は顔を赤くしながら仙蔵の形よい唇に自分のそれを押し当てる。
「舌は?」
問われておずおずと仙蔵の唇を舌で割る。柔らかな仙蔵の舌に自分の舌を一生懸命絡めているうちに、肌がざわめきだし、頭の中にもやがかかる。
「伊作は、こうされるの、好き?」
なまめかしく濡れた唇が、笑みを浮かべながら問いかけてくる。問いとともに、仙蔵の手は脇から伊作の袴の中に忍び入って、やんわりと早くも熱を集め出した伊作自身を握りこむ。
好きなのかどうか、わからない。ただ、たった数回の行為で、仙蔵が伊作に性の甘さ、奥深さを見せ付けたことだけは間違いなくて。
ゆっくりと床の上に座らせられる。いつの間に紐を解かれたのか、上着も、袴も、もう半ば脱げ掛けていた。
その時だ。
からりと板戸が開く音がした。本の詰まれた棚の間で、伊作は咄嗟に上着の襟を引き寄せた。こんなところ、誰かに見られたら……!
が、仙蔵には慌てた色もない。
「そのままでいいよ、伊作」
声をはばかることもない。
慌てた伊作が乱れた着物を直すより早く、ぬっと棚の陰から顔がのぞいた。
「やあ。長次」
膝をついた姿勢で、仙蔵は平然と長次を振り返る。
長次の眉間が険しくなった。
「……なにをしている」
「長次がしたいくせに出来なかったこと」
せめて袴だけでも、と一生懸命引き上げようとしていた伊作の手が止まった。
――なに? 今、仙蔵、なんて……?
すっと仙蔵が立ち上がる。事情を飲み込めない伊作の後ろに回り、その肩を抱く。
「ほら。長次。おいで? 触りたかったんだろう? 伊作に」
え、え? 伊作は背後の仙蔵、眼前の長次と忙しく視線を走らせる。
その隙に、肩から胸へと滑り降りた仙蔵の手にきゅっと乳首を摘み上げられて、
「ひあっ!」
高い声が出てしまった。
「せ、仙蔵っ……! やめろ……!」
なんとか仙蔵の手を止めさせようと必死で手首をつかんだけれど、
「どうして?」
背後からのぞきこんでくる仙蔵の顔には笑みさえ浮かんでいて。
「こうされるの、伊作は好きだろう? こことか……こことか……いやらしいところをいやらしく触られるの、伊作は好きだろう?」
きゅっきゅっと胸の尖りを揉み込まれて、全身の肌が粟立った。
「せん……っ!」
「ほら。長次。見てごらん。伊作の気持ちいいところ。可愛いんだよ、伊作はとても。涙ぐんで喘いで啼くよ?」
こんな状況なのに仙蔵の指の間で伊作の乳首は硬くツンと立ち出している。その先端をカリッと爪で引っかかれ、
「アッ、んん……っ!」
びくりと身が跳ね、声が漏れてしまう。
「ほうら」
笑みを含んだ仙蔵の声に顔にかっと血が上る。
「仙蔵っ! いい加減に……!」
仙蔵の手を振り払おうとした、しかし、その時。
いつの間に近くにいたのか、長次がすぐ傍らに膝をついた。
「……長次……?」
こぼれんばかりに伊作は目を見開いた。自分が見ているものが信じられない。
ゆっくりと、関節の太い長次の指が、剥き出しの胸に近づいてくる……。
「長次? 長次……やめ、やめろ……」
かさついて熱い手が、そっと尖りに触れる。押し潰すように圧力をかけたまま、指は小さく円を描く。
咄嗟に歯を食い縛ったけれど、
「ふ、うっ!」
色を帯びた息が漏れてしまった。
「ね?」
頭の上で仙蔵の笑い声がする。
「怖くないだろ? 伊作もわたしと変わらないよ」
「や、やめろよっ、な、なんだよ、これっ! 仙蔵なに言ってんだよ、長次も……っ!」
悪ふざけはやめろ。そう言おうとしたが、声は途中で重ねられた長次の唇に吸い取られた。
「んんっ……ん……っ」
遠慮もなくぶ厚い舌で伊作の口腔を荒らした後、唇はようやく離れた。
無理矢理に伊作の唇を奪った長次と、間近で目が合う。
「……!」
その長次の瞳の色に、伊作の背に冷たい恐怖が走った。仙蔵とは全然ちがう……。伊作との行為の最中でも、淫らなイタズラを愉しむようなどこか醒めた仙蔵の瞳とは全然違う、もっと凶暴で、もっと熱い、欲情した男の眼。
「ちょう……」
「すまない」
短い詫びの言葉ひとつ。
仙蔵の手から奪われるように、伊作は長次の腕の中に抱き締められていた。
「長次っ!」
熱く、力強い手が、すぐさま下肢の間へとためらいもなく差し入れられて……。
「や、やめろおっ!」
広い肩、厚い胸板。六年生の中でも恵まれた体格の長次に覆いかぶさられて、それでも伊作は必死にその肩を、胸を拳で打った。
だが、伊作の渾身の反撃は柔らかな手に捕らえられた。
「大丈夫だよ、伊作。長次はこれでなかなか上手だから」
垂れかかる絹のような黒髪。仙蔵が雅に微笑んで上からのぞきこんでいた。
「まあ、募った想いってやつの分、多少乱暴でもそのあたりは大目に見てやって」
くるりと己の帯で、両手の手首を戒められた。
「仙蔵っ!」
首筋に顔を埋めた長次に柔らかな耳の下を噛まれながら、伊作は非難でもあり、助けを求める叫びでもある大声を上げた。
「今度こそ、誰も入れないようにしてきてあげるよ」
歌うような声が聞こえたが、もう伊作の視界には仙蔵の姿はなかった。
「仙蔵……」
机に向かって書き物をしている背中に呼びかけた。もう部屋は薄暗く、灯りを置いてある机の上だけがほわりと明るい。
「ああ伊作、もう夕飯は済んだのか?」
振り返った仙蔵は屈託がない。
「今日は天丼定食だよ、早く行かないとなくなるよ」
「…………」
情けないような、腹立たしいような。胸に渦巻く感情を持て余して、伊作は戸口に立ちすくんだ。
「……なんて顔をしてる」
仙蔵の白い手が差し伸べられた。その手に引き寄せられるように、伊作は仙蔵の傍らに膝をついた。柔らかく動く、優しい手。その手に頬を擦り付ける。
「……乱暴にされたの?」
うなずくことも出来ないでいると、すっと頬を撫でられた。
「長次はね、ずっと伊作のことを想っていたから。だからつい、勢いがついちゃったんだよ」
本の棚の間で、ついさっき起こったことが伊作の脳裏によみがえる。
耳に入ってくるのは笑みを含んだいやらしい囁きではなく、短く、荒い息の音。躯をまさぐってくるのはいやらしく動く柔らかい手ではなく、荒々しく動くかさついた手。両腕を縛められた伊作のすべてを暴こうとするかのような、力強い手。
両脚を長次の肩へとかつぎ上げられた。一気に伊作の中へと押し入ってきた長次は熱く固く太く、結合は最初から深いものになった。脚を高く掲げられた姿勢。不慣れな伊作にはその姿勢で長次の勢いをうまくいなすことなど出来なかった。中を抉っては出て行く激しい律動に伊作はただ翻弄されるばかりで。
自分の躯に起こる性の快感をひとつひとつ教えられた仙蔵との行為とは全然ちがう。長次との行為では、ただ伊作は貪られる存在でしかなかった。圧倒的な力に、一方的に押しひしがれた。
……だけど。
『俺は、おまえに、惚れている』
もう躯を離した後の、一語一語区切るような告白の切ない響きのせいか。
『すまなかった』
詫びの声とともに、振り払われるのを恐れるように頬を撫でていった指の震えのせいか。
ひどいことをされたのだと思っても、感情がそれについていかなかった。長次に対して、深く真摯な怒りを燃やすことが、伊作にはできなかった。
それは、あんな形で長次に自分を差し出した仙蔵に対しても同じで……。
「……仙蔵は……長次と躯の関係があったんだろ……?」
呟くように伊作は尋ねた。
「なのに、どうしてあんな……」
「だって」
仙蔵の涼やかな声が答える。
「長次が可哀想だろ? ずっとおまえのことを見てた」
でも! たまらず伊作は顔を上げた。
「で、でも、仙蔵と長次は……」
「それに」
仙蔵は変わらない涼やかな声で続ける。
「わたしも可哀想だろ? 横で手も握れないようなきれいで初心な恋をされてるのに、自分たちの躯はただ欲を満たすためだけにしか使えない」
「…………」
言葉もなく伊作は仙蔵の秀麗な面を見つめた。
仙蔵の黒い瞳は笑みを含んで優しそうだけれど……。
「せん、仙蔵は……ぼくが、憎かった……?」
かすれた声で尋ねれば、仙蔵はころころと笑い声を立てた。
「ばかな。なんでわたしがおまえを憎むんだ」
顔を両手で挟まれて引き上げられた。
「かわいい伊作。わたしはおまえに躯の交わりが気持ちいいことを教えたかっただけ。そして長次に、おまえにだって触れていいんだと教えたかっただけ」
柔らかい唇が伊作のそれに押し当てられた。
「……仙蔵、ぼくのことが憎くない……?」
頬に血が上るのを意識しながら伊作はもう一度呟いた。
「ああ、憎くなんかないよ」
妖艶な笑みを浮かべた仙蔵が、うつむいた伊作の顔をのぞきこんでくる。
「今のおまえ、とても色っぽい顔をしている。……ねえ、伊作はこれからもわたしや長次と仲良くしてくれるよね?」
仙蔵の言葉に意味するところ。たださえ熱くなっていた頬が、仙蔵の言葉にさらに熱くなった。心臓も破裂しそうにドキドキいう。これからも……仙蔵の優しい手に追い上げられ、長次の激しさに巻き込まれるのか……。
「どう? 伊作」
重ねて問われて、伊作は意識もないままにうなずいていた。
仙蔵の笑みが濃くなった。
「いい子だね、伊作。大好きだよ……」
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