ふれなば堕ちん −仙蔵-

 

 



 髪は鴉の濡れ羽色。
 湯上りの仙蔵の黒髪は文字通り濡れていて、漆黒の艶はさらに際立っている。
 その折角の綺麗な髪を、仙蔵はさして丁寧な手つきでもなく、手ぬぐいで拭き取っていく。
 思わずぼうっと見蕩れてしまったのは、濡れた黒髪の艶やかさのせいか、黒髪の間からのぞくうなじの白さのせいか、それとも……手ぬぐいを使う仙蔵の手の動きの、なめらかさのせいか。
 視線に気づいたのか、ふと仙蔵が振り返った。
「なにを見てる」
 問われて伊作は慌てた。
「え、ちが……」
 いったんは否定しかけたけれど、
「嘘つけ、見てたろう」
 再度問われてあきらめた。
「……うん……色っぽいなあって……」
 ふ、と瞬間に仙蔵の目を掠めた表情がなんだったのか、伊作にはわからなかったから、
「わたしが? 色っぽい?」
 問われて素直にうなずいた。
「うん。すごく。仙蔵、ちゃんと普段は男なのに、なんか時々……今とか、すごく色っぽい」
「……教えてやろうか?」
「え」
 仙蔵の、湯上りに赤くなっている唇が笑みを浮かべていた。
「教えてやろうか? なぜわたしが色っぽいか」
 座ったまま、両手を前につき、仙蔵が首を伸ばして来る。白い夜着の間から、少しはだけた肩と胸元が見える。
 ドキン、伊作の心臓がひとつ、大きく跳ねた。
「……教えてやろうか?」
 伊作がなにをどう言っていいかわからないあいだに、両手と両膝をにじらせ、猫を思わせるしなやかさで仙蔵は伊作の傍らに這い寄って来た。
「い、色っぽいのって、り、理由があるの?」
 間近に迫った友の顔になぜだか熱くなる顔にあわてながら、なんとか普通の会話を続けようと伊作が問えば、
「あるんだよ」
 もう鼻と鼻を触れ合わさんばかりにして仙蔵はささやいた。
「……おまえはきっと、わたし以上に色っぽくなれるよ……」
「そ、そんな……」
 ようやくいつもの調子で伊作は笑うことができた。
「仙蔵より、なんて、無理無理、絶対ムリ。文次郎とか聞いたら笑う……」
 けれどせっかくの伊作の笑いは、頬に添えられた仙蔵の手のせいで途中で引っ込んでしまった。
「ムリじゃない」
 すっと細くなった仙蔵の瞳に見つめられ、笑顔の形に唇を持ち上げたまま伊作はかたまる。
「おまえはわたしより色っぽくなれるよ」
 仙蔵の顔がさらに近づき、ついに、唇に唇が押し当てられても、伊作は動くことが出来なかった。薄く微笑む仙蔵からまるでなにか不思議な薬でも出ているかのように……伊作は身動きが出来なくなっていた。
「男がいやらしい目で自分を見ることを知ればいい」
 唇が唇にもう一度押し当てられる。
「男が自分にどんないやらしいことをしたいか、知ればいい」
 軽く吸われた。チュク……小さな音が立った。
「そしてね……」
 濡れた舌が、唇をおいしそうに舐めていく。
「……口を開けて。伊作」
 呆然と、麻痺したように動けないでいる伊作に仙蔵が命じる。
「口を開けろ」
 黒い瞳、頬に垂れかかる黒い髪、白い肌、赤い唇、低い声。なにが、なのかはわからなかった。逆らえなかった。
 伊作はなにも考えられないまま、口を開けた。
 すぐと仙蔵の唇が唇を覆い、舌が伊作の口腔へと入って来た。己の口の中を蠢きまわる他人の肉、他人の粘膜、他人の、唾液。だが、それは、不快より以前の、躯の奥底に眠る感覚を揺さぶって来て……。
「せん……」
「そしてね、」
 伊作の肩を押しながら、上体を伊作の上に覆いかぶせる形にしながら、仙蔵は続けた。
「知ればいいんだ。男にされるいやらしいことが、どれほど気持ちいいことか」
「仙蔵……!」
 床の上に押し倒されて、伊作は少し大きな声を出した。……つもりだったのに、それはささやき声のような、震えた小声でしかなくて。
「そしてね……」
 仙蔵の、麻薬のような声が続く。するりとその手を着物の中に滑り込まされて、びくりと躯が震えた。
「……欲しがるようになればいいんだよ。……男を」
 男を、欲しがる? 男を……? その意味を考えるより早く、衣の中を下腹部まで滑ったなめらかな仙蔵の手の動きに、
「あっ……」
 全身の肌がさざめき立つようななにかを呼び覚まされて、伊作は声を上げた。
 しなやかに伊作を己の躯の下に組み敷いた仙蔵は、器用に脚で伊作の膝を割り拡げた。


      *      *      *      *      *      *     *



 仙蔵は決して暴力的ではなかったが、もの柔らかく動く仙蔵の手は伊作が今まで知らなかった感覚を次々と呼び起こし、執拗に絶え間なく伊作の躯をまさぐり続け、伊作に事を中断させる隙を与えなかった。そして、
「伊作……ほら、ここ、固くなったよ……」
「……ここは、どう? 伊作、気持ちいい?」
 時折、耳に吹き込まれる淫らな囁きに、伊作は思考しようとする冷静さを奪われた。
 抵抗を試みるには、あまりに仙蔵は手馴れてい過ぎ、仙蔵が与えてくる感覚は甘美に過ぎた。
 だから、伊作が本当に大声を出したのは、うつ伏せの姿勢から高く腰だけ上げさせられた態勢で、仙蔵の雄根に固く締まった肉の輪を突き破られた、その一瞬だけだった。
「あああっ!」
「息を吐け。躯をすくませるな」
「い、痛い、仙蔵、痛いっ!」
「伊作」
 下半身の一点から全身に響く痛みをもたらしながら、しかし、仙蔵の手は優しく伊作の髪をかきあげる。
「伊作、あまり大声を出しちゃいけない。ここは忍たま長屋の中なんだから」
「せ、仙……」
 床に片頬を擦りつけ、なんとか振り返ろうとした伊作に、仙蔵はかがみこむようにして優しい笑顔を向けてきた。
「大丈夫だよ、伊作。……あと少しだから。もうちょっと我慢してごらん。ずっと楽になるから」
 頬にかかる髪を梳きあげられて、あやすように、励ますように、声をかけられる。
 伊作はこぶしを握りながら、大きく息を吸っては吐いた。――息を吐いて。躯をすくませないように。
「そう……上手だよ、伊作……ほうら、うんと受け入れやすいだろう?」
 上手だと褒められ、いい子だとあやされた。
 初めて男の物で抉られ、男が自分の躯の中に精をこぼすまでを、伊作は唇を噛んで耐え抜いた。

 


 痛みの記憶は鮮烈だった。
 だが、血が沸騰しそうな恥ずかしさの中で味わった、淫らな愛撫の蕩けるような気持ちよさは痛みの記憶を凌駕していた。
「痛いだろう?」
 仙蔵が言った。傷の薬だという油を、ひりひりと裂傷を負っているかのような痛みを訴え、火照ってもいるようなソコに塗りつけてくれながら。
「入り口だけじゃない、中も……まだわたしが内部(なか)にいるような気がしない?」
 自分が感じている躯の中の違和感を正確に口にされて、伊作は思わずうなずいた。
 仙蔵は目元で微笑んだ。
「……今日はね、最初だから。でも、じきに、それがヨくなるから」
「よくなる……?」
「そう。今日したことなんか、全部飛んでしまうぐらい。躯が芯から溶け出すかと思うほど……今の感じがいいものに変わるんだよ」
 コクリと喉が鳴った。
 乳首を弄ばれる快感よりも? 他人のあたたかな口腔に含まれて埒を明けるよりも? もっと気持ちのいいこと……?
「大丈夫だよ」
 仙蔵の指に顎を持ち上げられる。
「おまえはきっと、それが好きになるから」
 好きになる? 好きになったら、どうなるんだろう? 好きになったら……男を身の内に受け入れることが好きになったら……仙蔵のようになるのだろうか? 見ているだけでこちらをどきどきさせるほど、色っぽい仙蔵のように……。
 笑みの形の仙蔵の唇が近づいてきた。
 ねとりと唇を吸われた。
 妖艶な笑み。
 甘い快感の記憶は痛みの記憶を飲み込み、仙蔵の淫らな予言は次の行為への秘かな期待の種を伊作の中に落として行った。




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