お赤飯

 

 

 

    ――誰が言いだしたのやら。
    赤飯炊こう。
    筆下ろしがすんだなら。


    忍術学園最高学年。
    閨房術は五年生から学び出すから、遅い者でも知識として性を学んで、二年目。
    躯を使って性を知る者も、さらには性を愉しむことを覚える者もある、六年生。
    「お赤飯」は、そんな学年の、晩生(おくて)をからかうために生まれた、き
    わどい冗談口であったろう。


    小平太の「お赤飯」はいつだろうとは、仙蔵と小平太の仲をからかいながらも
    気にしている文次郎の詮索口であったが。


    これはまた、別口の「赤飯話」……。

 



「ああっ」
 小さな悲鳴が伊作の口から漏れる。
 は? と皆が振り向く先で。
 伊作が駆け出す。
 駆け出す先には、いつまでたっても不器用な、この学園の事務員がいる。
 「ふん」などと、声には出さないが、くるりと背を向けるその所作にしっかりと軽蔑を滲ませて、仙蔵はさっさと行ってしまう。
「いさっくん、事務員志望? また手伝ってるよ?」
 小平太は邪気なくまぜっかえす。
 長次は、変わらず無言。
 文次郎は、小松田秀作が地面にぶちまけた鉤縄だかなんだかを集める手伝いをしてやっている伊作の後ろ姿にため息をつく。……いいけどよお、と。

 


 事務員、小松田秀作。彼が一度は忍者を志したのだと言うのが大いなる冗談にしか思えぬほど、彼はドジだった。
 失敗しても失敗しても進歩が見られぬそのドジぶりは、折々の笑いを誘いもしたが、それ相応の苛立ちを買いもした。ドジな上に融通のきかぬマニュアル小僧ぶりも、苦笑を呼ぶと同時に、腹立ちを覚えさせもする。
 年の離れた、教師陣、あるいは低学年の生徒には、秀作はそのドジぶりも含めて憎めぬ人柄が慕われてもいたし、かわいがられてもいるようだった。だが、年の近い五年生、六年生は、己が選んだ忍びの道の険しさを知るほどに、その険しさなど微塵も知らぬ気な秀作に、軽蔑のないまざった苛立ちと腹立ちを覚えるようだった。
 文次郎の見るところ。
 その秀作に腹を立て、彼の行動を許容できずにいらだっている筆頭は、山田伝蔵の息子、山田利吉。次に立花仙蔵、そして五年の鉢屋と続く。……優秀の評価を得るため、それ相応の努力を払っているだろう彼らには、秀作の無策ぶりは許せぬものであったか。
 反対に、小松田秀作の裏表のない天真爛漫さにある種のなごみと救いを見出しているらしいのが、野村雄三。……汚れない純真さに価値を認めるのも、忍びの道を極めた者の悲哀であろうか。
 小松田に笑いかけながら、彼に代わって道具を詰めた木箱を抱えて歩きだした伊作の後ろ姿に、文次郎はもう一度、ため息をつく。
 彼の見るところ。
 伊作は、秀作に苛立ちも腹立ちもなごみも救いももたず、ただひたすらに彼を可愛いと思っているようだ。恋心、と言っても間違いないような、そんな熱い感情を抱いているように見える。
 ……いいけどよお……。

 


 梅雨は明けたはずなのに、雨にたたられた、うっとうしい一日だった。
 小平太と仙蔵はどこに行ったのか姿がなく、長次は図書室にこもっている。伊作が一人、課題のレポートに取り組む横で、文次郎は無聊をかこっていた。
 まじめな伊作は、もう小半時も、別に眉を不機嫌に寄せることもなく、淡々と筆を動かしている。文次郎は暇だった。
「……なあ」
 問いかけたのは、ヒマつぶし以外の意味はなかった。
「おまえ、どこまでいった?」
「あ? もうまとめのところまで来たけど?」
 ちがうちがうと文次郎は首を振る。
「誰がレポートのことなんか聞くか。……あいつのことよ」
「あいつ?」
 怪訝な顔の伊作の耳に口を寄せ、
「小松田秀作」
 文次郎はささやく。
「なあ、どこまでいったんだよ、おまえたち」
「……ど、どこまでなんて……そんな……なんの話……」
 とぼけようとしながら、伊作はぽっと赤くなる。……正直者なのだ、彼も。
「もう口ぐらい吸ったのか」
「えっ! ええっ! く、口なんてそんな……」
「なんだ、まだか」
 ちょっと当てが外れた思いの文次郎だ。口のひとつも吸いあっていたなら、根掘り葉掘り、その時の話でも聞けたのに。
「なにやってんだ、おまえ。好きなんだろ?」
「…………」
 ますます赤くなって伊作は目を泳がせる。語るに落ちるとはこのことだ。
 にいやり、文次郎は笑う。
「おい。悠長に構えてっと、取られるぞ」
「え?」
「あれでなかなか、小松田はもてるからな。ボヤボヤしてると、かっさらわれるぞ」
 思い当たることがあるのか、伊作の顔がふと曇る。
「……誰にも言わない? 文次郎」
「おう。言わねえ言わねえ」
 馬鹿。言わない? と聞かれて、言うと答える阿呆がいるもんかよ。
 そう思いながら文次郎は、
「誰にも言わねえよ。なんだ」
 と膝をにじらせる。
「……あのさ」
 思い切ったと言うように伊作が顔を上げる。
「……野村先生。小松田さんのこと、その、す、好きなんじゃないかなって」
「なんだ、おまえ」
 文次郎は、浮かせかけていた腰をドスンと戻す。
「どんないい話かと思や……そんなの、もうみんな気がついてるじゃねえか」
 伊作が顔を青ざめさせる。
「み、みんな!?」
「おう。だから俺も心配してやってんじゃねえか。おまえだって好きなんだろ? こういうのはな、先手必勝だぞ。ボヤボヤしてると、あっちが先に、こうアッハンウッフンなんてことになっちまうぞ」
「あ、あっはん……」
 伊作の青ざめた顔が、今度は赤くなる。
「で、でも、そんなのは……」
「だからこういうのは先手必勝だって。物陰に行った時なんかに、チョッと口のひとつも吸えばいいのよ」
「口……」
 伊作が考え込む表情になる。
「……鼻とか、ぶつからないかな」
「…………」
 文次郎は目を見開く思いだ。
 そうか。たぶん『まだ』だとは思っていたが、そうか、こいつ口づけも知らないか。
 イタズラ心と親切心とヒマつぶしが、文次郎に心配げな表情を装わせた。
「そりゃあ……やり方だな」
「やり方?」
「おう。……まずな、こう、肩に手を掛けるのよ。相手にちょろちょろ動かれちゃあ、鼻がぶつかる確率は高くなるだろ」
「あ、ああ」
「で、こう……ちょい、と」
 説明しながら実地に伊作の肩に手を掛け、ちょい、のところで唇を軽く触れ合わせた。
「な? こうすると、鼻にぶつからないだろう」
「ああ、なるほど」
「顔を少し傾けるのがポイントだ」
「……なるほど」
 伊作はまじめな顔をしてうなずいている。閨房術の授業の時にもまったくテレた様子のなかった伊作だ。これも純粋な講義のようなものなのだろう。
「もんじ。ちょっとやってみてもいいか?」
「おう」
 と答えた文次郎も、ふざけの延長の気分である。
 ちょい、と伊作の唇が文次郎の唇をかすめていく。
「……なるほど。顔を傾けるのがポイントだな、うん」
 納得した様子の伊作に、文次郎はさらにイタズラ心を煽られた。
「でもな、これぐらいじゃな。野村だったらきっともっと濃厚で、一発で決められちまうな」
「き、決められちゃう?」
「今のが『さわり』だ。次のはもっと攻めにはいるぜ」
「攻め?」
 理屈より実践と、文次郎は右手を伊作の肩にかけ、左手で伊作の頭を抱え込む。
「こう、肩に手をかけといて、ちゅっとやるだろ。それで相手が驚いてる間にだな、こう、もう片方の手で頭を、こう、ぐっと抱え込む。ほら、頭、動かねえだろ。で、こう……」
 口が重なっては、言葉での説明はできない。
 文次郎は言葉の代わりに伊作の唇を吸い上げ、舌を踊らせた。
 ……ちゅく。
 伊作と文次郎の唇が離れる時に、小さく湿った音が立った。
「……な? これで決まりだ」
「……き、きまり……」
 わかった、と言うようにうなずいた伊作の目が、なぜか涙目になっている。
「で、でも……い、いきなり、こんなことしたら……こ、小松田さん、驚かないかな」
「そこが付け目じゃねえか」
「つ、つけ……?」
「いいか? 相手は百戦錬磨の野村だ。押せる間にぐっと押しとかなきゃ、あっと言う間にかっさらわれちまう。ほら、こうしてせっかく頭も抱えて、相手は口を吸われてびっくりしてる。ここでこう……ぐっとだな……」
「……え?」
 間抜けに問い返す伊作の声を残し……文次郎は伊作を押し倒した。

 



「左手はこうやって頭を抱えとけ。肩で相手の肩を押さえてな。これで相手は上半身、動かねえ。で、右手でこうやって袴の紐をほどいて……無理に脱がせることはねえ。それより足でこう……相手の足を絡めて広げさせとくのよ。おら。袴もゆるんでるから下を好きに触れるようになったろう。……で……上着の紐をほどいて……はだける拍子にこう……忍び衣装は袖が詰まってるだろ、こうして腕を抜ききらずに肘のあたりにしといて、丸めこむと……ほら。両腕動かないだろ。こうしとけばおまえ、少々相手がいやがっても……」「……でも」
 伊作が文次郎を見上げて、言う。
 ……手入れが悪いせいで、毛先がいつもほつれているけれど、きちんと櫛をいれれば艶やかに流れる髪を、顔のまわりに乱れさせて。まだ丸みの残った両肩を剥き出しにさせて。下帯から太ももの一部まで、下ろされかけた袴からのぞかせて。
 両腕の自由は絡んだ上着に奪われて。両足の自由は、絡んだ文次郎の脚に奪われて、大きく左右に広げさせられて。
 文次郎に、のしかかられて。
「でも」
 と伊作は文次郎を見上げた。
「ぼくは小松田さんが嫌がるなら、無理なことはしたくないから」
 文次郎は自分の喉がごくりと鳴ったのを聞いた。
「だって、こんなことしたら、小松田さん、驚くよ。かわいそうだよ、こんなの」
「……そ……そうだな、かわいそう……だな」
 文次郎は自分の声が掠れるのを聞く。
 かわいそう……。そうだ。伊作はかわいそうだった。
 肩を並べて走る友人だった。対等に付き合う、対等な関係の、友人だった。
 だが、今。
 対等だったはずの、同じ立場にいたはずの友人は、文次郎の目にも『かわいそう』だった。
 伊作の吐息が頬に触れた。剥き出しの、両肩、胸、そして太ももの一部が白く滑らかなのが、どうしても目に入った。……押さえ付けた伊作の躯が……あたたかだった。そして、なにより、そうして文次郎に自由を奪われている伊作は……『かわいそう』で……かわいかった。
 かわいい存在であるはずのない友人が、今、文次郎の下で、かわいかった。
 ごくり。
 文次郎はまた、自分の喉が鳴ったのを聞いた。
「だから、ぼくは、こんなふうに、むりやり……」
 なにに気づいたのか。伊作はぎくりとして言葉を切った。
 文次郎はばれた以上、進むしかなかった。
「や、優しくしてやるから……」
「ちょ……もんじ……じょうだん……」
「冗談で男は勃たねえ」
「も、文次郎!!」
 伊作は顔をひきつらせて叫んだ。
「やめろおおおっ!!!」

 


 文次郎は思った。
 ここでやめたら男じゃねえ。

 



 コトが終わってみれば……。
 それはやはり一時の気の迷いのようなものであったと思われた。
 友人はやはり友人のように、文次郎には思えた。
 朝までしっぽり……とか、そういう情緒のある気分にはなれなかった。
 男ってのはしゃあねえなあ、と文次郎はしみじみ思った。

 


 涙を浮かべながら、しかし、伊作はしっかり怒っているようだった。
 目を合わせぬようにしながら、文次郎はぼそりとつぶやいてみる。
「……赤飯でも、炊くか」
 伊作は一度ぶるりと身を震わせ。涙をこらえて宣言した。
「炊いたら、殺す」

 


     これも、ひとつの「お赤飯」の物語り……。


                             了

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