何かの折りに見える、友の中に巣喰う闇。
初めて気づいたのは、いつだった?
倒れるドクタケ忍者の背を蹴って、
「だめだ、こいつ、もう死んでる」
顔色ひとつ変えず言い捨てるのを聞いたときか。
友の中に巣喰う闇。
では。その闇の色した友の髪を美しいと思い、その闇の色した瞳にのぞきこまれて、胸高鳴らせ、死体を蹴る足で足を開かれて喘ぐ自分は‥‥。
自分は?
頼まれたお使い。往復で三日という。
学園長の依頼を受けた時に、きり丸の顔から表情が消えた。
「5年生ともなると、お使いも遠いねえ」
明るく話しかけてみたが、きり丸は生返事。
その顔に、かすかに感情の動きが見えたのは、出発前、土井先生に声を掛けられた時だった。わざわざ校門まで見送りについてきた土井先生は、きり丸の肩に手を置いて、
「気をつけてな」
きり丸にだけ、声を掛けた。振り返ったきり丸の瞳が揺れた気がした。
「土井先生。おれ、まっすぐ行って、まっすぐ帰って来る」
「それでもいい。‥‥気をつけてな」
そして、自分を見た土井先生に、乱太郎は言われた気がした。
「きり丸を頼むぞ」と。
白く乾いた道を行き、石と落ち葉が足を取る山道を行く。
もう丹波に近い山の中の寺に、学園長からの手紙を届けた。
一年生の頃なら何日かかったか知れぬ険しい道と長い距離も、今ではその気になれば一両日で往復できる。与えられた三日の期限は、お駄賃の一日付きだと乱太郎は思っていた。
「きり丸、どうする?町で遊んでく?それとも久しぶりに第三協栄丸さんでも訪ねてみようか」
「うん‥‥」
このお使いに出てきてから、どうにも覇気のないきり丸を引き立てるつもりで話を振ってみたが、きり丸は生返事を返すばかり。その足は帰途、鈍るばかりで、はかどらぬ。
ついに。あと山ひとつを越えれば海岸線、平野に伸びる歩きやすい街道に出るというところで。きり丸の足は止まった。ちょうど川のほとりである。一休みでもしたいのか、と友の顔をのぞきこんだ乱太郎は、何か思い詰めた表情のきり丸に、同じく足を止めた。
「‥‥乱太郎」
低い声できり丸が呼ぶ。
「うん」
「‥‥少し、寄り道して行かないか」
「‥‥いいけど、どこへ」
きり丸は黙ったまま、顔を川の上流へ向ける。川に添って下れば姫路、上れば‥‥。
乱太郎は、その答えを知っていた気がする。
「‥‥いいよ。行こう」
きり丸の肩を押した。
川に添って山道ながら、馬一頭は通れる道が続いている。半里ばかりもその道を行ったろうか、目の前に盆地が開けた。四方を山に囲まれたその地は中央を走る川に潤され、夏の終わりのこの季節に、もうすぐやってくる収穫の豊かさを思わせる田畑の緑に見事に覆われている。田畑のあちらこちらには藁葺きの農家が集落をなしている。
山あいの、小さいけれど、豊かな地。
けれど、その地を見下ろすきり丸の表情は固い。
「‥‥行こう」
畑仕事の人々を見やることもなく、きり丸はずんずんと足を進める。盆地の中程に来た時、乱太郎は右手の小ぶりな山の山頂に建つ城に目を止めた。おそらくこの地を治める領主の住む城だろうが、きり丸はちらりとその城を一瞥しただけで、歩みを緩めることもない。きり丸はひたすら、盆地の奥へ、川の上流を目指す。
もう北側の山肌がはっきりと見えるようになり、その手前の山の中腹にも、小さい城が建つのが見えるようになった時だ。
「‥‥笠を持ってくりゃよかったな‥‥」
きり丸が低くつぶやいた。
乱太郎も気づいていた。その盆地の奥近い村に入ったとたん、田畑に立つ人々が目引き、袖引きして、こちらを見るのだ。ひそひそと囁き交わす声まで聞こえてきそうで、乱太郎は眉をひそめた。この盆地自体が排他的な土地柄だと言うならわかるが、なぜ、この村だけ‥‥。
「‥‥丸!」
突然、しゃがれた声に呼び止められて、乱太郎は驚いた。一人の老婆が転びそうになりながら、畑から飛び出して来る。でも、なに丸?聞きもらしたが「きり」という音ではなかった。
「おお‥‥生きておったか、生きておったか、おおきゅうなって‥‥」
老婆は喜色もあらわに、きり丸に抱きつかんばかりだ。
友の眼が、冷たく光ったのを乱太郎は見た。瞬間、その老婆をきり丸が突き飛ばすのではないかと、埒もないことが頭をかすめたほど、冷たい‥‥。が、当然、そんなことは起こらず、
「‥‥人違いだ」
ぼそりときり丸は言い捨てて老婆の脇をすり抜けた。
乱太郎はその老婆に軽く会釈して急いできり丸の後を追う。
もう顔すら上げず、自分の足元を見ながら急ぎ足になるきり丸を、乱太郎は追う。
その村を抜けた途端、乱太郎は息をのんだ。
それまでの手入れの行き届いた田畑とは大違いの‥‥荒れ果てた土地、風雨にさらされた焼け跡の残骸‥‥。
「おれの、村だ」
きり丸がはっきりと言った。
乱太郎は周りを見回す。
山の懐に抱かれるように、しかし、南側に向けて扇状に広がった土地。盆地の中ではもっとも川上に位置する土地。これは水の有利を意味する。本来なら、この盆地の中で最も肥沃な土地のはず‥‥。
きり丸は雑草が生い茂り、土に帰るに任されただけの集落の焼け跡に足を踏み入れる。
「城主がいたんだ」
丈高く茂る草をかき分けて進みながら、問わず語りに、きり丸が語る。
「その城主が死んだ時、その長男はまだ三才だった。だから人望もあって戦も上手だった城主の弟が跡目を継いだ。しばらくはそれでよかったんだが、その弟が死んだ時に家督争いが起こった。成人した先の城主の嫡男と現城主の嫡男の間で。戦はその現城主の息子が優勢で、追い詰められた先の城主の息子は自分の母親が住む、この北の屋形に逃げ込んで籠城した。‥‥その時に、この付近一帯に布令が出た。北の屋形に食料は言う
に及ばず、一切の物品を持ち込んではならず、と。どの村もその布令に従ったが、この一番北にある村だけは‥‥北の屋形と深いつながりのあったこの村だけは‥‥隠れて米を届け続けた‥‥。だから最後の戦の前に、最初に血祭りに上げられたんだ」
そして。歩みを止めたきり丸は、しばし前方を見つめた後、くるりと乱太郎を振り返った。
「‥‥って、土井先生が言ってた」
「土井先生が?」
「おれがそんな事情を知ってたわけないだろう?おれは‥‥一度か二度くらいなんだけど‥‥一年の頃だぜ、なんでおれの村は焼かれなきゃならなかったんだって、半助に聞いて困らせたことがあったんだ」
「‥‥土井先生、調べてくれたんだ‥‥」
「聞いたのは去年だぜ。その戦に勝った城主も山を越えての奇襲にあって死んじまったって。だから今、この盆地を治めてるのは隣国の‥‥あれ、なんつったっけ」
きり丸は足元の石を蹴った。
「‥‥まあったくよ、土井の野郎、知ってるならさっさと教えろよ。おれが仇を討ちに飛び出すとでも思ったのかね、そうやって気を回すから胃なんか痛くなるんだぜ」
「きりちゃん‥‥」
ぐい、ときり丸は顔を上げた。乱太郎に振り向いていた体を、再び正面に向ける。
一軒の農家の、これまで通り過ぎて来たのと同じ、焼け跡だった。焦げた幾本かの柱が、蔦に絡みつかれ、夏草に埋もれそうになりながら、それでもなんとか立っている。焼け跡‥‥。
きり丸が大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「乱太郎。‥‥おれの家だ」
まだ真昼の日差しはきつい。それでも風は爽やかに、村の焼け跡をおおう雑草と蔦の間を、吹き抜ける。人影もなく、鳥の鳴き声が時折り聞こえるだけの静寂の中で、ただ、きり丸の声がする。色を白く飛ばしてしまう日差しの中で、乱太郎は、ただきり丸の黒髪が揺れるのを見つめていた。
「覚えてるのは‥‥かあちゃんに妹と一緒に手を引かれて隣の村まで走ったこと‥‥」
きり丸は昔を懐かしむかのように、まわりをゆっくり見回しながら、話しだした。
乱太郎が初めて聞く、それはきり丸の昔話。
枕話にすら、きり丸は故郷の話をしようとはしなかったから。初めて聞くその話は、しかし、あまりにむごい‥‥。
「さっき通って来た村で‥‥かあちゃん、一軒一軒、戸を叩いて叫んでた。お願いします、うちの子はまだ八つと五つ、この子たちだけでもかくまって下さい、お願いしますって。あんな必死なかあちゃんの声、聞いたことなかったけど‥‥誰も出て来てくれないんだ、戸を締め切っちゃってさ。ざっざって、大勢の足音が聞こえた。かあちゃんは今度は山に向かって走りだした‥‥。
馬の蹄(ひづめ)も響いて来て‥‥どんどん近くなる。雷みたいに大きな音になって‥‥かあちゃんが倒れた。そいつらは‥‥おれたちみたいに山に逃げ込もうとする人達を馬の上から槍を振り回して突き刺してたんだ。‥‥足軽たちは家を引き倒して火をつけて‥‥刀を振り回して‥‥とうちゃんも隣のおじちゃんも戦ったけど、みんなどんどん、どんどん、殺されてく‥‥。おれと妹は起きないかあちゃんにしがみついて‥‥でも、かあちゃんが、怒るんだ。山に行けって。出ない声で怒るんだ。口から血を吹きながら、泡みたいに血を吐きながら、山に行けって‥‥。だから、おれは‥‥おれは、妹の手を引いて一生懸命走った。‥‥そしたら、急に妹が重くなって‥‥ひっぱれなくなって‥‥」
きり丸の昔話。血と火に彩られた、昔話が続く。
「振り返ったら‥‥妹の首がなかった。手をつないでた妹の首が、なくて‥‥ゆっくりからだが倒れて‥‥足軽が刀をふりかぶっておれの真上にいて‥‥血みどろの刀が、見えて‥‥」
まわりを見回していたきり丸の瞳は、さっきから廃墟の中の一点に据えられて動かない。きり丸の瞳にだけ、見えているのか、刎ねられた幼女の首、自分に向かって振り下ろされんとしている血刀‥‥。
「そん時‥‥にいちゃんが‥‥おれに意地悪ばっかして、大嫌いだったにいちゃんが‥‥横からその足軽に飛びついて‥‥逃げろ、きり丸、逃げろ、逃げろって‥‥いっつも、いばってばっかで‥‥おれ、喧嘩ばっかして‥‥最後までいばって‥‥」
きり丸は眼前の情景から逃げようとするかのように、顔をおおってしゃがみこんだ。乱太郎は掛ける言葉も見つからず、ただ横に座って、その肩を抱く。慰めたかった、きり丸が泣くのなら、受け止めたかった。
が。抱き込んだその肩は、こわばってはいたけれど、震えてはいなかった。ゆっくりと顔を上げたきり丸の眼が、白く乾いて光っているのが指の間から見えた。大きく剥き出した瞳で、きり丸はかつての家の残骸を、その向こうの6年前の惨劇を、見つめる。
少し、掠れた声が続いた。
「‥‥おれは、逃げた。山に逃げ込んで‥‥村が燃えるのを見てた‥‥。炎って少しだときれいであったかいけど、たくさんだと少し、怖い。‥‥こわい。その火の間で‥‥北の屋形の兵と城の兵が戦ってた。‥‥日暮れ近くになって‥‥戦が終わって‥‥おれはかあちゃんたちを探した。‥‥みんな、いた。とうちゃんは顔半分、焼けただれて、かあちゃんは背中も口の回りも真っ赤になって、妹は首が胴体から数尺も離れた所に飛んでて‥‥にいちゃんは‥‥にいちゃんは切り刻まれてなますになって‥‥みんな‥‥眼が飛び出てて‥‥おれはなんとか眼をつぶらせてやりたいんだけど、動かない‥‥。どうしよう‥‥墓を作ってやんなきゃ‥‥でも、重くて引きずれなくて‥‥みんな眼を見開いて、でも、重くて‥‥」
ふらりときり丸は立ち上がる。乱太郎も慌てて立ち上がった。
家の残骸の横手を回り、きり丸は草を分けて何かを探す。
その姿が、飛んだ妹の生首を、切り刻まれた兄を、虐殺された両親を、探しているように見えて、乱太郎は口走る。
「きりちゃん!行っちゃだめだよ、きりちゃん!」
「‥‥あった」
乱太郎の声が聞こえたのか、聞こえないのか。足を止めたきり丸がぼそりと言った。
きり丸の指さすところに、ちょうど子供の頭の大きさの石が転がっている。
「あの下に、妹の首とみんなの髪を埋めたんだ」
乱太郎は息を整える。気を静めて友を振り返る。
「‥‥きりちゃん、一人で‥‥?」
「うん。犬に掘り返されないように、なるべく深く掘ったんだ」
淡々と答えるきり丸の表情に、乱太郎の中で何かが渦巻いた。
「泣いた?きり丸、その時、泣いた?!」
きり丸は首を横に振る。
「腹が減って減って‥‥泣くどころじゃなかった」
「なんで‥‥だめだよ!ちゃんと泣かないと‥‥泣かないとだめだよ!」
だめだよ!泣かないから‥‥だから抜け出せないんだよ!だからいつまでも捕まっちゃうんだよ!ちゃんと泣く時には泣かないとだめなんだよ!‥‥乱太郎は言いたかった。
しかし、言葉がまだ乱太郎の舌の上で固まっているうちに、くすりときり丸が笑った。
「泣いて?日が暮れて?狼が出るんだぜ、このあたり。腹すかしたまま狼に食われんのか?泣いてりゃ塩味がついて少しはうまいかもな」
「‥‥きり丸‥‥」
「でもさ、運がよかったんだ。食いもんがちゃあんとあったんだぜ。ごろごろ転がってる死んだ奴らの兵禄‥‥なあ、死臭のついた干し飯って食ったことある?ちゃんと飯の味もするぜ、ほんと」
「‥‥‥‥」
首一つと髪の毛だけの墓標の前で、父母と兄妹と暮らした家の焼け跡の裏で、生まれ育った村の廃墟の中で、薄く笑うきり丸は、あまりにもいつもと同じで、あまりにも鬼気せまる。乱太郎は唇を噛み締めた。
しかし、その瞳から涙がこぼれ落ちるのは止めようもなくて。
「‥‥ここまで‥‥ここまで来て‥‥泣かなきゃ、だめだよ、きり丸‥‥」
情けない。それでも涙声はどうしようもない。
きり丸は泣きながら泣けと迫る乱太郎を、少し不思議そうに見る。その瞳が、ゆらりと揺れた。
「‥‥大丈夫だよ、夢の中ではいつでも泣いてる‥‥」
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