「きり丸。あれ、わざとでしょ」
「なーんの話かなあ」
うーむ、と難しい顔で唸ったのは四郎である。
学園に仕事で来た時には夕飯まで半助と利吉の家で過ごし、宿はよそで取っている彼は、今も炉のそばに座り込んでいる。
聞きとがめた利吉が問う。
「どうした」
「‥‥いや、今日も学園に指導に行ったんだが」
「ふむ。乱太郎くんには会えたのか」
「うむ。四年は組の実習もあったからな。‥‥でな、おまえさん、言ってたろう。乱太郎くんには末恐ろしい番犬がついてるって」
「言った」
「でな。そういう障害は早目に手を打つに越したことはないから、いったいどいつがその番犬か、あぶりだしてやろうと‥‥いて!」
話しながら顎に手をやっていた四郎が顔をしかめた。みれば、その頬にすっと一筋、赤い線が走っている。指の先がどうやら、その傷に触れたらしい。
「どうした、その傷」
「いや、ただの擦り傷だ。‥‥傷はいいんだ。ともかく、相手はまだガキだ。ちょっと俺が乱太郎くんにベタベタしてみせればしっぽを出すだろうと思ってだな、ベタベタしてみたわけだ」
「楽しみながらな」
「ほっとけ。‥‥しかしな、見当らんのだ。ちがうクラスか学年か?」
利吉が笑った。
「教えてやろう、と言うのに自分の色恋は自分で頑張る、と言ったのはおまえだろう。なんだ、もうお手上げか」
四郎はまた唸った。
「末恐ろしいっておまえは言ったよなぁ。先が楽しみ、ならわかるんだ。何人かいた」
「ほう」
「なかなかもてるな、乱太郎は。まず、あれは学級委員長だろ、庄左ヱ門‥‥あそこは不思議だな、庄左ヱ門と、あれ‥‥団蔵か、仲良さそうな友達同士で、同じ相手が好きなのか。まあ、ここらあたりは、筋もしっかりしてるしなかなかだが、先が怖いとおまえが言うのがわからん。それから、喜三太、だっけ?これは可愛いな、俺を睨みつけておったよ」
「その把握はなかなか鋭いとは思うが‥‥それだけか」
四郎は首をひねる。
「‥‥うーん‥‥」
「で‥‥その傷はどうした。刃物傷に見えるが」
「これか。どうってことはない。手裏剣で素振りの練習をしてた奴が手を滑らせて‥‥」
利吉の目が面白そうに光った。
「ほう?滑って飛んだ手裏剣でおまえはケガを負わされたのか」
「ケガと言っても、利吉、これはかすめた、だけ‥‥で」
何かに引っ掛かるように、四郎の語尾は途切れた。が、すぐまた、いやいやと四郎は首を横に振った。
「あの笑顔は、おまえ、作り物じゃないだろう、すいませーんって頭も下げて‥‥」
「背の高いほうの、猫目で髪のきれいな奴だったろ」
「‥‥あいつかぁ」
うなづいてから、利吉は腕組みをして後ろの壁に背もたれた。
「きり丸が傷までつけにきたか‥‥」
「‥‥じゃあ、なにか、俺はたかが忍たまごときに、狙われて傷つけられたってことか‥‥おまけにだまされて‥‥」
「だから言ったろう。末恐ろしいぞ、と。」
「確かになあ、末恐ろしいわ。四年だろう、ひとつ間違えば大ケガになるようなことをあそこまで平気でやるか」
「そういう奴だ」
四郎は床を見つめて、また唸り声を上げた。
「‥‥うーん‥‥しかし、あの二人、想い合ってるわけじゃないんだな」
「‥‥きり丸はずっと、別に好きな人間がいたからな。多分、今でも、自分の一番はその相手だと思ってるだろう」
「じゃあ、俺が遠慮する必要はないわけだ」
四郎は握りこぶしを固めた。
「俺は負けんぞ。忍たまごときに。ふん。勝負はこれからよ」
は組は今日も騒々しい。
たださえ騒がしいのが、なにかネタがあれば尚更だ。
そのネタがおいしければ、また、さらに。
「なあなあ、あの四郎さんって乱太郎に気があるんじゃないか!」
「あ!僕も、それ、思った!」
「だろだろー!肩に手なんか回しちゃってさぁ。あっやしいのぉ」
わいわいと騒げるグループはいいが、横でどっちゃり暗い固まりもある。
「‥‥やっぱり、あれは気があるんだろうか」
「そう見えるよ、あれは」
「‥‥四郎さんって利吉さんと同い年だっけ」
「‥‥うん‥‥」
立派な大人に懸想されたいたいけな少年のイメージに、あまりに乱太郎ははまりすぎであり、その大人に張り合うにはあまりに自分たちの無力さが情けない彼らであった。
その横で。
「四郎って利吉の同期だろ。友達なのか、あの二人」
一人、首をひねっているのはきり丸である。
「なあ、庄左ヱ門、どうして四郎が学園に来ることになったか、誰かの紹介か、聞いてないか?」
暗い顔でうつむいていた庄左ヱ門が顔を上げた。
「目上の人に対して、呼び捨てはいけないよ、きり丸。‥‥さあ、僕は知らない」
「ふーん‥‥なあ、ちょっと土井先生にでもカマかけて探っといてくれないか」
「どうして、僕が」
「別に無理には頼まないぜ。おまえも四郎のことが気にならないんならな」
パチッとふたりの間に火花が散ったのを見た者があると言う。
そのきり丸の袖を引いたのは乱太郎だった。
「ちょっと、きり丸、いい?」
教室を出て行くふたりを、庄左ヱ門が複雑な面持ちで見ていた。
「呼ばれたんだ」
廊下の隅で、乱太郎が手にした四郎からの文を開いて見せた。
きり丸はさっと目を通す。
「あさって。裏山。放課後か。‥‥行くのか」
「うん。行ってはっきり断ってくる」
そして、ふわりと乱太郎は笑ってきり丸の目をのぞきこんだ。
「それで、いいんでしょう、きりちゃん」
内心、ドキリと来たものをきり丸は押し殺す。‥‥この前、唇を望んで拒否された時以来 あれは四郎の申し出に驚いてちょっとおかしかったせいだと自分では思っているのだが 乱太郎の桜色した唇がやけに目につく。傍らに寄ってくる乱太郎を抱きすくめたい衝動すら‥‥。いや、それはみな、四郎の変な申し出のせいだ。きり丸は決めつける。
「なんで、おれに聞く?」
「さあ‥‥なんでかな」
柔らかな笑みに少し困った色を浮かべ、乱太郎は小首をひねった。
「‥‥なんでかな。なんか‥‥きりちゃんに知っててほしかったし、なんか‥‥きりちゃんにそれでいいって言ってほしかったし‥‥なんでかな」
内心、ドキリどころか早鐘を打ち出すきり丸の心臓。が、しいてあっさりと、きり丸は乱太郎に背を向けた。これ以上、平静を装って向き合ってはいられなかった。
「話は聞いた。後はおまえの好きにしろ」
その背に乱太郎は飛びついてくる。
「断るよ。決めたもん!」
首に回された乱太郎の手を、きり丸は握り締めた。背にある重みと温かさに心乱されながら。
裏山の中腹に、勾配のほとんどない棚地がある。低い潅木と枯れ草でおおわれたそこで、乱太郎は四郎を待った。
木々の間から現れた四郎は、乱太郎を見つけるとにこりと笑った。
「よお。待たせたか」
日に焼けた褐色の顔の中で、笑うと歯が白い。生来の甘い顔立ちに、精悍な野性味が加わって、「いい男」と形容されるにふさわしい四郎の顔。
それでも断るからにはしっかりと。乱太郎はこぶしを握る。
「団子でも食いにくか」
「あの、四郎さん‥‥この前の話ですが‥‥」
「あれか。返事はゆっくりでいい。急いで決められることじゃないだろうからな」
そう言われると急いで決めたのが悪いようである。
「団子がいやなら、釣りでも行くか」
しかし、もう決めたのである。乱太郎は思い切る。
「すいません!」
がばりと乱太郎は頭を下げる。
「わたしなんかにはもったいない話だと思います!思いますけど‥‥その‥‥」
「団子も釣りも別にもったいながってもらうほどの話じゃないぞ」
乱太郎、あわてた。
「いえ、その、あの、その話じゃなくて‥‥あの、その前の‥‥」
四郎はそんな乱太郎の慌てぶりに目を細めた。
「かわいいな、君は。からかって悪かったよ。‥‥俺を念者に持つのはいやだ、というわけか」
相手にはっきり言われてしまうと、それを肯定するのも申し訳ないような気がしてしまう乱太郎である。
「う‥‥その‥‥そういうわけじゃ‥‥」
「じゃあ、俺と懇ろ(ねんごろ)になってもいいわけか」
ぼっと乱太郎は赤くなり、急いで首を横に振った。
「ちちち、ちがいます!ご、ごめんなさい!わ、わたし、そういうの、駄目です!」
「ふーむ」
四郎は腕組みして乱太郎の顔をのぞき込んだ。
「なぜ、断る」
「‥‥え」
「俺が嫌いか。ちがうな。嫌うほど君は俺を知らないはずだ。別に急がない。ゆっくり付き合っていくなかで俺を知ってくれればいい。俺を兄分として受け入れるかどうかはその後でいい」
「あ‥‥」
乱太郎は懸命に言葉を探した。四郎の言うことはもっともだ。‥‥しかし。
「え、でも、あの、わ、わたし、だめです。その‥‥」
のぞき込んで来る四郎は、少し茶のかかった深みのある眼差しを乱太郎に注ぐ。
「‥‥ふーん。乱太郎くんはまだ子供だから、そういう肉体関係の絡むことは考えられないのかな。それとも、ほかに好きな相手がいる、か。どっちだ」
「す、好きな相手?」
「そう。俺ととりあえず付き合うこともできないほど、操立てしなきゃならない相手がいるとか」
乱太郎は慌てながら、とっちらかりながら、考えた。四郎の言うことは両方、当たっているような気がする。自分は、そうだ、まだ、目前の相手と裸で睦み合うことを想像することもできぬほど、子供だ。それを望むことも嫌がることも自分は知らない。ただ、猛烈な恥ずかしさだけしかわからない。そして‥‥自分にはきり丸がいる‥‥。きり丸を恋している、と思ったことはないし、自分がきり丸のものだとも、きり丸が自分のものだとも考えたことはないが‥‥。
「いま断る、理由が知りたい」
乱太郎は四郎の顔を見上げる。
いま断る理由‥‥もしきり丸がいなければ‥‥自分は四郎の言うように、しばらく付き合ってみようと思っただろうか‥‥。思ったと思う。
四郎の申し出をすぐに断らなかったせいで、きり丸が怒った。なぜ怒るのか、と思いながら、自分はどこかでその怒りを納得していた‥‥。
「わたしは‥‥まだ、こどもなんだと、思います‥‥それに‥‥大事な友達もいるし」
「たかが友達に俺の申し出を気兼ねする必要はないんだよ、乱太郎くん。‥‥たとえ」
四郎は横に続く木立に目を向けた。
「君を心配してデートまでのぞきに来るほどの友達でも、だ。それとも、君たちはもう言い交わした仲なのか、きり丸くん」
乱太郎は驚いた。四郎の言った事にも驚いたが、木の間からゆっくりこちらに向かって歩いて来たきり丸にも驚いた。
「き、きり丸、来てたの?」
が、きり丸は乱太郎には目を向けず、ただ四郎をじっと見つめている。いや、にらんでいる。
「質問に答えろ。もう君たちは言い交わしているのか」
四郎の問いにきり丸は首を横に振った。
「いいや」
「じゃあ、口づけを交わす仲か」
「いいや」
ふん、と四郎が笑った。
「それじゃあ、ただの友達だな」
「‥‥そういうことになる」
「なら、君に義理立てする必要はないな」
「こ、困ります!」
叫んだのは乱太郎だ。
「わ、わたしは断ったじゃないですか!な、なんで‥‥」
「乱太郎くん」
四郎は真顔を乱太郎に向けた。
「俺は君に、生死をかけて誠を通す念友の契りを結びたい、と言っているんだ。それを契りも交わさず、想いも通じていない相手への気兼ねで断られたのでは納得できない」
「‥‥で、でも!き、気兼ねなんかじゃないです!その‥‥わたしは、そんな生死をかけてまで‥‥そんなこと、わたしには‥‥」
「わかった」
しどろもどろに、しかし、懸命に拒否の意を伝えようとする乱太郎に四郎はうなずいてみせた。
「君は俺の申し出をどうしても受け入れられない、とりあえず付き合ってみることも考えられない、そういうわけだ」
「そ、そうです‥‥あの、申し訳ないですけど‥‥」
「困ったな。俺も冗談でこんな申し出をしたわけじゃない。君が好きなんだ。その気持ちも受け入れてもらえないなら、仕方ない。君をさらって思いを遂げる」
「な、なに言ってるんですかあ!」
「俺としては君の意向を大事にしつつ、穏やかに事を進めたかったんだがね、どうも君にはわかってもらえなかったようだ。となれば、仕方ない。強引でも、とりあえず思い出のひとつも作らせてもらうよ」
黙って聞いていたきり丸が、穏やかとすら言いたい静かさで口をきった。
「勝手なことをぬかすな」
四郎がふてぶてしい笑みを浮かべてきり丸を振り返った。
「乱太郎はいやだって言ってるだろう」
「欲しいものは奪う。嫌なら抵抗すればいい。男同士だ。力のないものがねじ伏せられる。それは当然のことだろう?」
ぎ、ときり丸が奥歯を噛み締めた。
「‥‥乱太郎は連れて行かせない」
「連れて行くよ。朝焼けに腕枕でもしながら、ゆっくり口説くさ。乱太郎の気も変わるかもしれない」
きり丸の瞳が燃え上がるようだった。低く激しい声がその口から漏れた。
「おれの乱太郎に手を出すな!」
「まだおまえのものと決まったわけじゃないだろう。しかし、そうまで言うからには」
四郎の顔から笑みが消えた。
「おまえが俺を倒してみろ」
ゆっくりときり丸の重心が沈んだ。腰の後ろに回した手に、手甲から抜き出された棒手裏剣が握り込まれた。
「大変、大変、たいへんだよお!!」
高い声で叫びながら教室に飛び込んで来たのは喜三太だった。
「どうしたの、喜三太」
丸い目をさらに丸くしながら聞いたのは、金吾たちに宿題の説明をしてやっていた庄左ヱ門だ。
「き、きり丸が殺されちゃう!!」
ざわ、と教室に居残っていた面々がざわめいた。
「きり丸が殺されるって、どうして、誰に!喜三太、落ち着いて話せ!」
「い、今、裏山で!なめちゃんたちの家を新しくしてやろうと思って木を採りに行って
‥‥そ、そしたら、し、四郎さんが、乱太郎を連れてくって‥‥お、思いを遂げるの、どうのって‥‥そしたら、きり丸が怒って乱太郎はおれのもんだって言って‥‥」
「いつから、乱太郎、きり丸のものになったんだっけ」
冷静に疑問をはさんだのは団蔵だった。
庄左ヱ門が手で制して喜三太に尋ねる。
「それで、四郎さんは」
「俺を倒してみろって」
「‥‥勝ったほうが乱太郎を手中にするってことか」
呟いた庄左ヱ門に喜三太が叫ぶ。
「い、急がないと!きり丸、殺されちゃうよ!かなうわけないよ!」
「‥‥‥‥」
庄左ヱ門と団蔵は目を見交わす。かなうわけがない、それはそうだ。相手はおとなで、プロの忍びだ。学園に招聘されるほどの腕の持ち主だ。
しかし。ただ、四郎の怒りをきり丸が買ったのだ、ということなら、すぐにも助けに飛び出せていけても。乱太郎。乱太郎をめぐっての争いなら。みずから乱太郎がきり丸のものになっていくのを手助けするのは‥‥。
皆が固唾を呑んで庄左ヱ門の言を待つ。
「‥‥早く!早くしないと‥‥!」
喜三太の高い悲鳴が教室に響く。
「‥‥く!」
何事かを振り払うように、庄左ヱ門が顔を上げた。
「団蔵!馬を出せ!少しでも早く着く。金吾!用具室から刀と苦無を取って来て!喜三太!兵太夫たちが校庭にいる。伝えて来い!」
そして、は組の委員長は手を振り上げた。
「行くぞ!!」
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