罪人たちの季節

<一>

暁闇に、漂う彼に口づける。その髪を、指ですくい、閉じた瞼に口づける。
聞こえていない彼に、繰り返す。
「好きだよ、おまえだけ、おまえだけ‥‥大好きだよ‥‥」
眠っている彼にしか、伝えられなくなってしまった言葉。
積もった怒りと不審と‥‥後ろめたさが、真実を彼の前で告げることをためらわせるよ
うになって随分になる気がする。
「‥‥好きだよ‥‥」
眠っている彼に、繰り返す‥‥。

       *          *           *

「‥‥ん、あっ‥‥ああ、あああ‥‥っ」
 止めようもない声が、喉の奥から、上がる。
 突かれるたび、揺すられるたび、押し出されるように声がもれる。
 それでも。胸のうちにわだかまる言葉を吐き出せるわけではないけれど。
「うあ‥‥ああ、ん‥‥あっあ‥‥や、やだ‥‥やめて‥‥きつい‥‥や、」
 抑えようと思うのに。
 責めの激しさに煽られて、声が高くなる。止めようが、ない。
「も、や‥‥きつい、きついよ、きりちゃん‥‥!」
 ようよう紡いだ言葉を、しかし、背の人は聞いてくれる気配がない。
 乱太郎の声は悲鳴にまで高くなる。


 きついのは。
 きり丸が、乱太郎の内部を愉しむように、自分を包むその中を味わうように、ゆっく
りと抜き差しを繰り返す時よりも。乱太郎の喘ぎを愉しむように、乱太郎の官能を引き
出すように、強弱つけた責めを繰り広げる時よりも。
 一番、きついのは。
 きり丸自身が、最後の解放に向けて走る時。きり丸もまた、苦しげにすら見える表情
を浮かべて、荒く早い息遣いになりながら、最後の急坂を駆け登る時。
 その一方的で激しい動きは、乱太郎を巻き込み、追い詰めずにはおかない。
 乱太郎が、どれほど叫ぼうと。
 上体を支える腕が萎え、床に頭を擦り付けて許しを請おうと。
 乱太郎の腰に食い込むきり丸の指の力はゆるまない。その、動きは、止まらない。


 ひときわ深い突きの後‥‥混濁する意識の片隅で、乱太郎は感じる。自分の中で、
小刻みに震えるきり丸の。
 深い吐息はどちらのものか。
「‥‥乱太郎‥‥」
 ゆっくりと、二人して倒れ込む。熱い、互いの肌を密着させて。
 乱太郎の胸のうちに巣くってしまった黒い染みも、その一時だけ、影を薄める。


 ゆるやかに、ひく波にさらわれるように、乱太郎は思考を手放す。
 傍らの、心地よい肌の暖かさに身をゆだね。
 髪をなぶる指が優しい。
 馴染んだ声が、低く、歌うように聞こえる。
 ‥‥その言葉は、耳の奥に沁み入る。ずっと、ずっと聞いていたい、その言葉。
 傍らの肌はあたたかい。
 そして、聞こえる声はさらに心地よい。
 乱太郎をさいなむ黒々した焦燥が溶解するその時間。
 乱太郎は意識を手放す‥‥。


 かまびすしいほどの鳥の声に、乱太郎は目覚める。
 林の中のこのあづまやにはまだ朝の日は届かないが、東の空はもうずいぶんと白い。
 ‥‥六年に進級すると同時に、長屋の部屋を分けられた。夜中にそれぞれの部屋を
抜け出して、きり丸と乱太郎が逢瀬を持つようになって三カ月になる。
 季節は夏に入ろうという頃でも、朝の空気は冷たく、乱太郎は、無意識に肩に掛けら
れた衣を引き寄せた。
「‥‥あ」
 乱太郎に掛けられていたその上着は、きり丸のもの。慌てて眼鏡をかけて周りを見渡
すが、友の姿はない。
 身じまいを整えて、乱太郎はきり丸を探した。


 小高い丘の上に、きり丸はいた。‥‥また、ここに。
 乱太郎はおなかの底にじわりと湧く不快を感じる。
 きり丸は丘の下の道を見ている。‥‥どうせ、また。
 足音が聞こえてくる。軽快な足取りで駆けて来るのは‥‥。
 見せてやらない。
 乱太郎はわざと地面の小枝を踏み折った。


 きり丸は振り返らない。
「おはよ」
 短く、前を向いたまま言うだけだ。その目の下を、土井半助が通勤を兼ねた体力作り
で駆けて行く。
 乱太郎はそのきり丸の横に並ぶ。
「‥‥土井先生、見てたの」
 きり丸はそれには答えず、踵を返す。
「‥‥部屋に戻ろうぜ。そろそろ金吾も起きるだろ」
 なだめられてもいない、乱太郎のおなかの中の黒い渦は大きくなるばかり。
「きり丸!」
 ゆきかける背を呼び止める。
「土井先生のこと、今でも好きなの?」
「‥‥は?」
 半身だけ振り返ったきり丸が、横目で乱太郎を見る。冷たい目だ、乱太郎は思う。
「今でも好きなのかって、聞いてるの」
「‥‥あほらしい。まじめに答えなきゃいけないか?」
「答えてよ」
「どう答えれば満足だ?」
「きり丸!」
 いつからだろう。躯を重ね、快楽を共有しながら、どこかですれちがうものを感じる
ようになったのは。ただひたすらに自分を追っていたきり丸の視線が、どこか遠くに向
けられていると感じるようになったのと、それは同時期だった気がする。ちょうど、六
年に進級して、部屋を分けられてから‥‥。
「‥‥乱太郎」
 きり丸の手が伸びてきて、抱き寄せられる。口づけ。
「‥‥最近」
 唇を、きり丸の唾液で濡らしたままぬぐいもせず、乱太郎は間近のきり丸を見上げる。
「いっつもこうやってごまかすね」
「‥‥おれとしては言葉にできない愛の告白をしてるつもりなんだが」
「そうやって茶化すし」
 きり丸がため息をつく。
「おまえも。最近、こわい目するようになってるよ。気がついてる?」
「それは! ‥‥そんなの、きりちゃんが‥‥」
 乱太郎は胸の中にわだかまる言葉のひとつを口にのぼせようとして、ためらう。
 「きりちゃんが不安にさせるから‥‥」その言葉はあまりに女々しく、乱太郎にも響
くから。
 言い淀む乱太郎に、しかし、きり丸はしゃべりやすくなるように水を向けてはくれな
い。
「‥‥部屋にもどろうぜ。金吾と違って兵大夫は嫌味がきついんだ」
 あっさり会話を打ち切って、くるりと背を向けて歩み去って行くきり丸を、乱太郎は
見送る。
 ‥‥まだ冷たい朝の空気の中。
 忍び装束の下に着る腹当て一枚を身につけ、肩と腕を冷気の中にさらしながら歩くき
り丸を、乱太郎は見ている。ふと気づけば、彼の衣はまだ自分の肩をおおって暖かい。
 ‥‥いつも、そうだ。もっと寒い季節でも、気づけば彼の衣はいつも自分をおおって
いた。
 乱太郎はその上着を乱暴に剥ぎ取ると、きり丸に向かって走った。
「忘れ物!!」
 ばさりと頭に投げかけた。

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