罪人たちの季節

<十二>

 どこをどう駆けたものやら。
 たどった道はおぼろで、どこに向かうあてもなかったはずなのに。
「庄左ヱ門! どうしたんだよ!」
 なつかしい友の顔が、夏の夕暮れに赤く染まっていた。
「……団蔵……!」
「庄左ヱ門? え、おい……!」
 うろたえたような団蔵の声が聞こえたが。
 庄左ヱ門はかまわなかった。
 抱きついた団蔵から、馬と汗とお日様の匂いがした。


 庄左ヱ門は、今年の夏も実家の仕事を手伝っていた団蔵のもとに飛び込んだのだった。
 馬借の仕事で遠出してる時でなくてよかったと言う団蔵に、風呂を使わせてもらって、新しい浴衣も貸してもらって、急な客にはもったいないような夕食の膳も出してもらって。
 庄左ヱ門が落ち着いたと見計らって、団蔵が初めてたずねた。
「庄左ヱ門、実習中じゃなかったの」
「うん……」
「乱太郎となにかあったの」
「……うん」
 庄左ヱ門の口が重いと見て、団蔵は立ち上がった。そのまま部屋を出て行った団蔵は、すぐに酒の徳利を手にして戻って来た。
「くすねてきた」
 笑う団蔵に庄左ヱ門は目を丸くする。
「こういう話の時は、酒が一番なんだよ」
 訳知り顔にうなずく団蔵は少し大人びて見える。
 ――なんでも話せる気がした。聞いてもらえる気がした。
「……僕さ……」
 庄左ヱ門は話し出した。


 だん!
 怒った団蔵がこぶしで床を打つ。
「乱太郎が悪い!」
 目の回りが酒のせいで赤くなっている団蔵は、そう言って怒る。
「だいたいさ、乱太郎はさ、いっちばんしんどい時に庄左ヱ門に助けてもらったんじゃないか! きり丸と別れてすぐの乱太郎なんてさ、毎日病人みたいな顔してたじゃないか! その時、どれだけ庄左ヱ門に支えてもらったか、もう忘れちゃえるなんて、ひどいよ、乱太郎は!」
 そうかなあと思いながら、庄左ヱ門はため息をつく。
「……でもさ……僕もあれはひどいこと言っちゃったと思うんだ……」
 団蔵はしっかりとうなずく。
「確かにひどい。庄左ヱ門らしくもない、ひどい言い方だと思う。……でもそれも……きり丸、あれ、ほんとに一時そういうことしてたんだろう? だったらそう言われちゃうのも仕方ない部分あるよ。……それにしてもさ、おまえらしくないひどい言い方だったと思うけどな、うん」
 悄然とうなだれる庄左ヱ門に、また、団蔵はこぶしを打つ。
「でもいまさら、乱太郎がきり丸のことで怒るなんておかしいよ! スジちがいだ!」
 庄左ヱ門は腹の底から深く深く息を吐く。
「……乱太郎ね、今でもやっぱりきり丸のことが好きなんだと思うよ」
「……庄左ヱ門」
 向かい合って座っていた団蔵が、あぐらをかいたまま庄左ヱ門の隣にいざって来、肩に腕を回してきた。
「きついこと言うようだけど。それ、わかってたことだよ」
 団蔵は、友のかっきりとした眉の下の丸い目に、涙がふくれあがってくるのを間近で見ていた。
「……じゃあ、僕、やっぱりお邪魔虫してただけかな……」
 肩に回した腕に、団蔵はぐっと力をこめた。
「庄左ヱ門がいなかったら、乱太郎は今でも落ち込んでべそべそ泣いてるだけだったよ、きっと。庄左ヱ門……そりゃちょっとお邪魔虫やってんなあって思ったけど。でも、庄左ヱ門がいたから、乱太郎、あんなに早く元気になれたんだと思うよ。
 庄左ヱ門、乱太郎の笑ってる顔が好きなんだろ? 乱太郎が幸せそうにしてるのが、好きなんだろ? だったら……よかったじゃないか。庄左ヱ門はその手助けができたんだよ」
 好きな人の笑顔を、守ってあげたいから、そばにいる。それができたんだから、よかったんだよ。団蔵の言葉が庄左ヱ門には、うれしかった。


「でもさあ……庄左ヱ門は勇気あるよなあ」
 団蔵がそんなふうに言い出したのは、「内緒」の徳利が二本、三本と床に転がり出した頃だった。
「え?」
「……おれだって……乱太郎が笑ってるのは好きだったけど。……庄左ヱ門みたいには踏み切れなかった」
 友の、初めての告白だった。
 もしかしたら団蔵も乱太郎のことが好きなのかも。そう思いながら、なんとなくお互いに触れずにいた、同じ相手への恋心。
「こういう気持ち持ってるって乱太郎に知られて……それで態度変わっちゃったらと思うと怖くてさ。……庄左ヱ門は勇気ある」
 団蔵はそう言って、また酒のはいった湯飲みを口にし……。思い切ったというように顔を上げた。
「きり丸、必死だったろ」
 え、と庄左ヱ門は丸い目をいっそう丸くする。
「きり丸さ、乱太郎に必死だったろ。……小銭に執着しなくなったと思ったらさ……乱太郎に必死になって。ああ、こいつにとっては乱太郎は小銭以上なんだなあと思ったら……。だれもきり丸から小銭取り上げるなんてできなかったろ……おんなじように……おれ、きり丸から乱太郎取るような真似はできないと思ってた」
「……僕が……ほんとにお邪魔虫だった……」
「……勇気あるなあと思うよ……でも、やめときゃいいのにとも思ってた」
 庄左ヱ門もまた、うまくも感じない酒を、また口に含む。
 団蔵が兵太夫とともに、乱太郎を挟んできり丸に張り合おうとする行動を、いいことだと思っていないのは、ずっと感じていた。兵太夫には面と向かって「やめておけ」と言われたこともある。――今ようやく。その友の言葉が素直に聞ける。……でも。
「……好きだったんだ」
 邪魔したかったんじゃない。きり丸から……取り上げたかったわけじゃない。……ただ、好きだった。できるだけ、できるだけ近くで……乱太郎の笑顔を見て、その声を聞いていたかっただけだ……泣いてる乱太郎を慰めたくて、力になりたくて……本当に、本当に、それだけだったんだ……。
 つつう、と涙が頬を滑ったら、団蔵が慰めてくれた。
「……人を好きになるって、むずかしいな……」
 恋に恋するより一歩進んでも……初めての恋に怯じたり悔いたりする……少年たちの一夜は、馴れぬ酒とともに更けたのだった。

     *     *     *     *     *     *

 夏休みが明日で終わるという日。
 利吉はそれを、学園から戻る半助より早く、久しぶりに訪れた旧友の口から聞いた。
「……最悪だな、それは」
「うむ。俺の監督不行き届きだ。学園にもそう言って報告かたがた頭を下げてきた。……学園長は学園長で頭を下げてくれたがな」
 そう言って茶をすすり、桂木四郎はむずかしい顔になった利吉を見やった。
「……厄介な」
「なにがそう厄介だ」
「半助の機嫌だ」
「……担任だったな」
 四郎は――庄左ヱ門と乱太郎が実習先に選んだ城の忍び頭は――十日ほど前の休日に町へと出た二人の実習生のうち、一人がその日の門限になっても戻らず、次の日の昼過ぎになってようやく戻って来たことと、もう一人の実習生はそのまま城に戻って来ていないことを、学園に報告に来たのだった。
 勝手に休日延長をやらかしたのは庄左ヱ門であり、行方知れずのほうは乱太郎だった。
ともに、半助の担任である。
「……これで庄左ヱ門の就職もないだろう」
 苦虫を噛み潰したような利吉の言葉に四郎はうなずく。
「ほぼ内定してたんだがな」
「……ほかにも内定取り消しが一件ある」
「なに」
「おまえと入れ違いだったんだな。俺も今日、学園に行って内定を取り消してきた」
「……きり丸か」
「半助の担任なんだ」
「この時期にひとクラスから三人の不祥事は頭が痛かろうなあ」
 利吉が嘆息した。
「あの人は不機嫌になると、本ばかり読み出すんだ」
「相変わらず、振り回されとるのう……」
 そう言う四郎の口調には同情より呆れの色が濃い。
「まあそう心配するなと言ってやれ。庄左ヱ門ならほかにもいくらでも就職先は見つかるし、汚名返上の機会もあるぞ。きり丸だってなにがあったかは知らんが、使えん奴じゃないだろう」
「……きり丸はな……乱太郎次第じゃないかと言う気もするんだが……」
 呟くような利吉の言葉に、
「それは逆だろう」
 四郎がぴしりと言い返した。


「俺は詳しい事情は知らんし、口を出すつもりも毛頭ないし、普通ガキの振った振られたは興味もないからほっとくんだが、あいつらはな……まあ、乗りかけた船というか……あいつらが付き合いだしたきっかけに、まるきり無関係というわけでもないから、多少気になってな。……俺はどうも、今回のことはきり丸に非があるんじゃないかという気がしてならん」
 そして四郎はうかがうように利吉を見上げた。
「乱太郎な、カマをかけても乗ってこんが、あれはずいぶんひどい振られ方をしたんじゃないか? そういう気がするぞ」
「カマをかけて乗ってこんのは、きり丸も同じだ。……あそこまで言いたがらんのは、かなりやましいマネをしたんじゃないかとにらんどるんだが」
「やっぱりか」
「乱太郎がどうして出奔したのかはわかってるのか」
 四郎はちょっと居心地の悪そうな顔になった。
「……まあ、多少の心当たりがないでもないが……乱太郎、あの子、変わったな」
「…………」
「言うことは二年前と変わっとらんのだ。……からかえば赤くなる、やめてくれと言う。言うことも恥じらうのも同じなんだが……なんだかなあ……触れなば落ちんの風情というか、本気で嫌がるどころか、ちょっと押せばこいつは堕ちると男に思わせる……ああいうところが以前とはまるきりちがう。……正直に言えばな、俺は誘われてると思ったぞ」
「……まさかおまえ……」
 四郎はぐっと口元を引き締めた。
「据え膳食わぬは男の恥だ」
 じとりと軽蔑の眼(まなこ)になって四郎を横目でにらむ利吉である。
 四郎はとたんにおたつく。
「あ、いや、おまえだって男の端くれならわかるだろう、ああいう……」
「端くれは余計だ」
「真ん中でもなんでもいい、とにかくだ、ああいう、こう、色っぽーい子がだな、目元をこうぽっと染めて、久しぶりに会えてうれしいだの、心強いだの言うんだぞ。その気にならずして、なんの男ぞってやつじゃないか、なあ」
「……おまえはもうちょっとマシな奴かと思っていた。日照りだったんじゃないのか、あんな子どもに手を出すなんざ。俺は友人として恥ずかしい」
 ぐっと四郎が身を乗り出した。
「利吉。これははっきり言えるが。あの子はもう子どもじゃないぞ。二年前、俺が弟分に欲しいと思った、あの子どもじゃない。……実習に来ていた学園の生徒に手をつけたことも、きり丸にも、悪いことをしたとは思うが……俺は合意の上で大人として遊んだんだ」
「……遊んだ……」
 そうだと四郎はうなずき、
「開き直りとおまえは思うかもしれんが。あの子は変わった。変わってないあの子に手を出したんなら鬼畜呼ばわりも仕方ないが……利吉。乱太郎が寝たのは俺だけじゃないぞ」
「……なに」
「うちは学園の卒業生が多いだろう、乱太郎は上級生にももてたからな。乱太郎がきり丸抜きで実習に来たってんで、けっこう喜んだ連中がいたのよ。俺がお手付きにすることで牽制になるかとも思ったが、乱太郎本人が誘うんじゃあ、仕方ない。全部をつかむほど俺もヒマじゃないが、何人かとはヤッてる。間違いない」
 利吉はうめいた。
「それじゃあ……」
「おおかた、庄左ヱ門にバレて修羅場ったってとこだろう」
「……無茶苦茶だな……」
「庄左ヱ門はまじめに乱太郎を想っとるようだったが……今の乱太郎はああいう堅いタイプでは手に負えんだろうさ」
 利吉が深くため息をついた。
「もともと……乱太郎には悪女の素質があるんじゃないかと思ってたんだが……そこまでとはな……」
「素質はあったにしろ、それを暴走させたのはきり丸だぞ」
 利吉は腕組みして床板を見つめた。
「乱太郎は……よりを戻したがっているのか」
 四郎は首を横に振る。
「わからん」
「……なんにしろ……二人の問題だ。はたがどうこうできることじゃない」
 四郎がちらりと利吉を見上げた。
「そうやって他人事の顔をしていられるうちはいいがな……いつおまえのところに火の粉が飛んでくるかわからんぞ」
 それはないだろうと、利吉はその時、笑ったのだったが。

     *      *      *      *      *

 「色子のまね事してた奴」
 その言葉にとにかく、腹が立った。
 きり丸のことをそんなふうに言うなんて、と怒りで目がくらみそうになった。
 きり丸のことを馬鹿にするな。きり丸のことを悪く言うな。きり丸のことを……汚いもののように言うなよ!
 怒りの中で、気づいた。
 わたしは、やっぱり、きり丸のことが好きなんだ、と。

 「色子のまね事してた奴」
 それを言ったのが庄左ヱ門だったから……よけいに許せないような気がした。
 庄左ヱ門は……庄左ヱ門なんだから、そんなことを言っちゃいけない。
 庄左ヱ門がそんなことを言っちゃいけない。
 庄左ヱ門は……いつも冷静で、しっかりしていて、そして誰に対しても優しくなけりゃ。
 そんなことを言うのは……庄左ヱ門じゃない。
 非難の中で、気づいた。
 わたしは「庄左ヱ門は優しくあるべき」だと思って、それを押し付けていなかった?
 わたしは……「優しい庄ちゃん」に……あまえていたんだ……。

 「色子のまね事してた奴」
 色子のまね事……まね事じゃない。ほんとにきり丸は、身体を売ってた。
 なんで。なんでそんなこと。
 ……知ってる、ちゃんときりちゃん、教えてくれたよね。
 土井先生と利吉さんが同居して……きりちゃん、自棄になったんだ。
 もう自分なんかどうでもいいって思ったんだよね。
 自分には土井先生しかいないのに、先生の一番は自分じゃない、だから、そんなどうでもいい自分を売り叩いてたんだ。
 ……でも。わからない。わからないよ。
 なんで土井先生が利吉さんを選んだからって、きり丸が身体まで売るの。
 なんでそこまで自棄になるんだよ。
 ねえ、きり丸きり丸。
 そこまで、そこまで土井先生のことが好きだった?
 先生の一番にしてもらえなくて、そこまで自棄にならなきゃいけないくらい、土井先生が好きだった?
 疑問を繰り返す中で、気づいた。
 きり丸が土井先生のせいで身体を売るようになったことに、自分は本当はこだわっているんだ、と。


 乱太郎は気づく。
 今でもまだ、きり丸を好きだということ。気が付けば……それはなんと自分にとって自然なことかと思われた。身体の飢えが苦しくて、庄左ヱ門と寝た。でも、それでは満たされなくて、また悶々としかけて……四郎に抱かれた。さすがに年の功なのか、四郎には『ああ上手だなあ』と思わされたけれど、でも、それだけだった。気持ちはよかったけれど、それだけで。気がつくと、まわりにたくさん懐かしい顔があって、そのうちの何個かはあからさまな好意を浮かべていてくれたから……ちょっと近寄ってちょっと話したら、おもしろいほど簡単に、ヤルことになった。その忍術学園の先輩方との火遊びはそれなりにおもしろかったけれど、どれも……誰とでもおもしろいだけで終わってしまって……結局、誰も……庄左ヱ門も四郎も何人かの先輩たちも……誰も、きり丸がくれていたものはくれないんだと、思い知らされただけだった……。
 そうだね、ほんとに……わたしはきり丸が今でも好きなんだ。
 そしてほかにもまだ、乱太郎は気づくことがあった。
 自分が、庄左ヱ門に役割を押し付けて甘えていたこと。そして……きり丸が土井を慕った末に、身体を売っていたことを……自分が許せていないこと。
 なんで、きり丸、そこまでしたの。
 なんで、土井先生……そこまでさせたの。
 土井先生……先生。
 先生は先生じゃないの? 生徒をそこまで傷つけて追い詰める教師って、いったい、なに? 
 乱太郎は仄暗く陰った瞳で虚空を見つめる。
 土井先生。


 あなたに、会って、話したい。

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