罪人たちの季節

<十六>


〜利吉くんの日記より〜

 X月X日
よんどころない事情で昨日は日記が付けられなかったので、今日記す。
半助が出て行った。

ああ。胸が張り裂けそうだ。
いっそ本当に胸が張り裂けたらよさそうなものだが、あいにくと私の胸筋はずいぶんと立派だ。立派でも痛いものは痛い。

なにを書いているんだろう、わたしは。
半助が出て行った。
半助が、出て行ったのだ。

X月X日
わたしはこの二日、いや、三日、人を恨んでばかりいた。
乱太郎を恨み、きり丸を恨み、それは八つ当たりと言うものだ。
人を恨むことのなんと空しいことか。

今こそわたしははっきりと言える。
悪いのは半助だ。
わたしは非難になら耐える。
あの人と生きてゆくために、耐える。
己の真実を貫きたいから。
でも、半助はちがう。あの人はどんな非難も正面から受け止めようとはしていない。
それこそ無責任だ、勝手だ。
半助。二人で生きていこうと、わたしは何度もあなたに言いましたよね。
それなのに、あなたは出て行った。
卑怯です、卑怯だ。
出て行くなら、きちんとわたしに別れを告げて行ったらどうですか。
あなたが言えないならわたしから言いましょうか。
よし。
今夜はもう寝る。
明日はあなに会いに、学園に行きます。
あなたに、別れを告げるために。

X月X日
昨夜の日記、後半6行を削除。

X月X日
駄目だ。くそ。駄目だ。
別れられるわけがないじゃないか。
もしも半助が現れて別れを口にしたら、間違いなくわたしは彼に泣きつくだろう。
あなたと別れるのはいやだと。
そんなていたらくで、どうやって自分から別れを告げられると言うのだ。
……できない。できない。わたしには、半助と別れることは、できない。
卑怯でもいい、身勝手でもいい。
好きなだけ出て行っていればいい。
でも、お願いです、半助。
あなたの人生から、わたしを切り離さないでください。

〜三週間後〜
X月X日
水瓶の水が腐っていた。
鍋も使い物にならない。
面倒で外に食べに行っていたら、このざまだ。
半助が帰って来たら怒るだろうか。
怒られてもいいから、帰って来てほしい。
もう一カ月近くも会っていない。
会いたい。会いたい。半助。あなたに、会いたい。


X月X日
腐った水というのはどうしてこう臭いのか。
蓋をしておく。
鍋もたわしを突っ込むのがためらわれる有り様だ。
蓋をしておく。

しかし、いつまでもこのままと言う訳にもいくまい。
ふと思いついた。
このまま半助が帰って来なくても、きり丸が秋休みには帰ってくるんじゃないか?
いや、だからどうと言うわけじゃない。そうだ。別に。うん。

X月X日
予定より二十日ばかりも早く、きり丸がやってきた。
来るなり、大掃除を始める。
思ったとおり……いやいや。わたしにとっても家にとっても幸運な訪れだった。

X月X日
別にきり丸の奴の言うことを鵜呑みにするわけじゃない。
そうだ。自分の恋愛ごとだって揉めてる奴の言うことを真に受けるほど、わたしもめでたくはない。
ただ、まあ、その、このところ、若干身なりを構うゆとりがなかったり、ちょっと酒量が上がっていたのを、改めてみようかと思っただけだ。ここのところのわたしは、少々父上の教えにも反していたことだし、と。
湯屋に行ってさっぱりし、ついでに仕立て屋に寄ってみた。元結もちょっと柄のついたものに代えてみた。……それだけだ。
まさかきり丸の言うとおり、女連れで学園の回りを歩くつもりはない。そこまでしたら、ばかじゃないか。ただ、せっかくさっぱりしたことだし、と峠の団子屋に寄ってみた。暇そうでほかに客もいなかったから、団子屋の娘にわたしのおごりだと言ってだんごを振る舞った。
それだけだ。
たまたま学園の何年生だかが、集団でマラソンしながら前を通って行った。

X月X日
半助が来た。
帰って来たとは言いたくない。
「君とは近いうちにゆっくりと話したいと思うんだが」
と、そこまではいい。
「鉢屋はどこにいる? 教えてほしい」
ちょっと待ってください、とわたしは言った。流石に腹が立つではないか。
「一カ月振りに戻って来て、言うことがそれですか」
半助は、なんだか嫌な目でわたしを見返した。
「君も一カ月振りに会って、わたしになにか言いたいことがあるんじゃないのか? ずいぶんと可愛い娘だと聞いたよ」
ぴんと来ぬほど、わたしも鈍くない。
「団子屋の娘ですよ。別になんの関係もない」
「ふーん。君はずいぶんと団子屋の娘を贔屓(ひいき)にするんだねえ」
厭味な物言いにわたしは声を大きくしようとした。しかし。
「まあ、それはいい」
それはいい? わたしは耳を疑った。覚えもない浮気で半助に怒られるのは嫌だが、『それはいい』と流されるのもどうかと思う。
「それより鉢屋の居場所だ。乱太郎は鉢屋と一緒にいる」
「乱太郎が?」
「ああ。この一カ月、学園としても生徒を一人行方不明のままにしてはおけないからな、いろいろと探った結果だ。ただ、鉢屋といるのは確かなんだが、鉢屋はねぐらを頻繁に変えているらしい。どうにも居場所が突き止められない」
「……だから、わたしに聞きに来たわけですか……」
わたしは腹の底からふつふつと怒りが湧くのを覚えた。
「……あなたは……一カ月振りにわたしに会って……言うことがそれなんですか……」
「利吉。だから君とは近いうちにゆっくり話すつもりだ。鉢屋は乱太郎を使って……」
「乱太郎! それが今、それほどの重大事ですか! あなたとわたしにとって!」
半助はわざとらしくひとつ大きく深呼吸した。
「……重大事だよ。わたしは教師としてなにがなんでも乱太郎を学園に戻したい。生徒をあんなふうにドロップアウトさせたままでいるわけにはいかない。責任の一端はわたしにもあるのだから、なおさらだ」
「……あなたが、教師としての努めを言うなら……わたしは忍びとして、鉢屋を使う頭領として、あなたに鉢屋の居場所を言うわけにはいかない」
わたしたちは睨み合った。
「利吉。頼む。私利私欲に使うわけではない。他言もしない。鉢屋との連絡場所を教えてくれ」
「半助。いえ、土井先生。それは忍びの大事です。いくらあなたでも教えるわけにはいかない」
「利吉」
「……なんでしたら」
わたしはかなり腹が立っていた。そうでなければ、ああいうつまらない挑発はしない。
「力ずくでわたしの口を割らせてみますか?」
半助は黙り込んだ。
その目の色から、その時の半助が冷静に彼とわたしとの力をはかっていたのだと、わたしは断言できる。
わたしは半助との力比べなど望んでいないが……半助の忍びとしての力量を思うと、つい、では本気でぶつかったらどちらが、などと思わないでもない。それはおそらく、半助も同様だろう。これは力と技に生きる忍びやもののふの、宿命のような欲望なのだろうと思う。半助が肩の力を抜いた。……懐柔にかかる気だとわかるのは、やはり付き合いの長さだろうか。
「わたしは、君と……愛しい君と、張り合う気はないよ」
「それは重畳。わたしもあなたと傷つけ合いたいわけではありません」
「利吉くん。なぜわたしたちがこんな言い合いをしなければならない? 学園の生徒の安否を、君の部下に確認したいだけなんだよ」
「では」
その時、なぜかわたしの顔には笑みが浮かんでいた。
「わたしから鉢屋に乱太郎くんの安否を尋ねておきましょう。もしあなたの言う通り、鉢屋が乱太郎くんといるのなら、乱太郎くんを学園に帰すよう、説得もしておきます。それでいいんですよね?」
「……どうしても、鉢屋の居場所は教えてもらえない?」
わたしは答えた。
「ええ。どうしても」

X月X日
昨日、半助の質問についに答えなかったわたしもわたしな気もするが、ならばよい、と背中を向ける半助は、いったい、ふたりの間をどう考えているのか。
見切られている、ときり丸は言ったっけ。
ならば。
わたしは、わたしの不安を押し殺して、あなたがあなたの真実でわたしを求めてくれるまで、やせ我慢でもしていましょう。
半助。あなたを愛しています。

X月X日
驚いた。
朝方、不破雷蔵が訪ねて来た。
今の仕事は後の始末を確認し、依頼主に報告すれば終わる。その確認と報告を最後に、不破はわたしとの雇用関係を打ち切りたいと言う。
「どういうことか、理由を聞かせてもらえるかな」
すいません、と不破は頭を下げた。
「勝手な理由です、人間関係でつまずきました」
「鉢屋ともめたのか」
「……三郎が乱太郎を囚えています。力ずくで拘束しているわけではないんですが……」
わたしは思わぬところで、事態の核心に近づく道を与えられたらしい。きり丸の顔が頭に浮かび、つい、勢いこみそうになるのを我慢して、わたしは静かに尋ねた。
「鉢屋はいったいなにが目的で乱太郎を?」
雷蔵はうつむいて、しばらく黙り込んでいた。
「……三郎は……悪い奴じゃないんですが……いえ、十分、悪い奴なんです、それはわかってるんですが……その……ああ、なんと言えばいいのかな。本当に相手の嫌がることはしない、ちゃんと他人を尊重することも知っている、暴力的にことを進めることもしない、そういう意味では、悪人ではないんです。ただ……彼は……非常に悪趣味で……趣味というのも、だいぶん、言葉を選んでるような気もしますが……彼は……」
なにを雷蔵が言いあぐねているのか、わたしにはわからなかったが、自分の大事な相棒である三郎の、性癖だか悪習だかについて語ろうとしているようだったので、わたしはじっと待っていた。
「彼は……人の汚い部分や黒い部分を引き出すのが、おもしろくてたまらないと言います。人は誰でも……形あるものを壊し、秩序を乱すことを喜ぶ部分があるのだと……。あと……その……彼には……性的に嗜虐癖があって……彼はその自分の性向に合う相手を見抜くのも得意なんです……」
言いにくい部分は言い切ってしまったのだろう、雷蔵はそこで顔を上げた。
「彼は今までも何人か、自分の欲求を満足させる人間を捕らえては『飼育』してました。わたしが逃がそうとしたこともありましたが、三郎に囚われた人々は三郎といることのほうを選びます。わたしは何度も三郎を怒ってやめさせようとしたんですが……」
やじ馬的な質問だとは思ったが、わたしは好奇心を押さえられなかった。
「三郎は君にも、その、そういうことを? それに、三郎とそういう人々の間には、性的な交渉もあったんだろう? なら君の立場は……」
「三郎にとって僕は特別な人間ですから」
雷蔵はさらりとそう言ってのけた。
すごいことだ。 
ある人間にとって、自分がその人間の『特別』であるなどと己の口で言えるのは。
「僕には虐げられて喜ぶ趣味はありません。……それに……彼のそういう嗜癖は卒業後に顕著になったわけですが、わたしたちの関係はそれ以前にある意味、出来上がっていましたから。……だから余計に三郎はそういうものをほかの人間に求めたのかもしれませんし、わたしが強く三郎を制止できなかったのは、自分がそういうものを受け入れられない人間だということに、三郎に対して引け目のようなものがあったせいだと思います。
でも、まさか、三郎が学園の後輩にそんな真似を仕掛けるなんて……僕は三郎が乱太郎に手を出したことだけは許せないと思ったんです。しかも彼は在学中に得た情報を元に、因縁のある教師の私生活を乱そうとして、それに乱太郎を使った。そういう姑息な手段で人を苦しめたり大事な後輩を傷つけたりするのが、僕には腹立たしい。……でも……」
雷蔵はうつむいた。
「僕にとっても、乱太郎はかわいい後輩だったから……三郎に腹を立てながらも、僕は……」
わたしにはぴんと来るものがあった。
「……君も……乱太郎を抱いた?」
ええ、と雷蔵はうなずいた。
「それで、三郎が怒った?」
ええ、と雷蔵はまたうなずいた。
「彼は僕が仕事上の必要に迫られて誰かと寝ても、女を買いに行っても怒りません。でも、僕が乱太郎を抱いたのは、その瞬間、確かにこの子が好きだと思ったからこそ、です。三郎にはそれは許せないことだった」
三郎と雷蔵の関係の複雑さと言おうか特殊さ加減と言おうか、その辺はまあ、こうして二人を部下にして使っている間に、わたしにも垣間見えたことだったからよしとして。乱太郎だ。三郎につまりは『飼育』されて性的に、その、被虐の喜びに浸りながらだな、雷蔵とも、寝た? なんだかそれはずいぶんな気がするぞ。
雷蔵は深くため息をついた。
「僕がこれ以上、乱太郎くんのことで口を出せば、三郎はますます怒るでしょう。それに、僕が乱太郎くんを救い出しても、乱太郎くんは喜ばない」
大事な事の核心だ。わたしは一言一言、注意しながら雷蔵にたずねた。
「乱太郎は、今でもきり丸のことが、好きなのか?」
「そうです」
聞いたか、きり丸。いや、聞こえないか。
「そんなわけですから……鉢屋とわたしは今、同じところで仕事ができる状態ではなくなってしまってます。……すみません」
と、頭を下げられてもなあ……。不破に抜けられるのは痛い。しかも、この話の流れだと鉢屋まで怪しい。規模の縮小を考えねばやっていけなくなるかもしれない。
不破はもう一度、すみません、と律義に頭を下げてから、懐から折り畳んだ紙を取り出した。
「これは?」
「……さんざん、盗っ人だの卑怯者だの言ってやったら、三郎、ゆうべきり丸のところへ出掛けて行きました。……奴のことだから、ほかにもいろいろきり丸くんをいじめるようなことを言ったんだとは思いますが……ともかく、きり丸くんは乱太郎が三郎といることだけは知ったはずだ」
不破のおだやかな瞳が、凛としてわたしに向けられた。
「きり丸が来たら、これを渡してやってください。もし来なければ……乱太郎は三郎といるほうが幸せでしょう。三郎も……芯からひどい男ではない」
そう言って不破が渡してくれた紙が、今、こうして日記をしたためるわたしの横にある。
おそらくは、鉢屋の居場所を記した紙。これを

同日。
驚いた。
日記をつけている最中にきり丸が来た。
「三郎の野郎、どこにいやがる! 利吉さん、知ってんだろ!」
昼前だ。あやうく不破と鉢合わせするところじゃないか。
それはいいが。
「おまえ、授業は?」
「あとで補習でもなんでも受けてやるよ。利吉さん、三郎はどこ!」
問われてわたしは、不破の置き土産を渡してやった。
開いて目を通したきり丸の顔色が変わった。
「いいかげんにしろ! これのどこにいやがんだ!!」
聞けばその紙には鉢屋の塒(ねぐら)が十箇所以上も記されているという。
「一カ所一カ所つぶせってかあ?」
「……鉢屋と不破は。同じ所に五日以上滞在しない。おそらく、自分たちの潜伏場所をすべて、不破はおまえに教えてくれたんだろう」
「……なんで……」
きり丸が細かく震え出した。
「なんで雷蔵先輩みたいにいい人のそばに、あんな悪魔がついてんだよ!」
いや、それは同感。いやいや。
「きり丸。追うのか」
「け。糞バカ丁寧な挨拶もらってよ、このままにしとけねえよ」
「鉢屋のことじゃない」
え、ときり丸が顔を上げた。
「鉢屋のことじゃないぞ、きり丸。おまえは乱太郎を受け入れられるのか。本当に? おまえが切って捨てた乱太郎と、今の乱太郎はちがうぞ。それでもおまえは平気か?」
きり丸は奴には珍しく真顔で考え込んだまま、うつむいてしまった。
わたしが不破の来訪で途中にしてあった洗濯ものの干し物を終え、戻って来ても、まだきり丸はその姿勢のままだった。
「……おれは……たぶん……」
おい。それだけ考えて『たぶん』なのか、とわたしは突っ込みたかったが黙っておいた。
「たぶん……乱太郎といろいろきちんと話さなきゃいけないんだと思う。……あいつもおれも……まだなんにもお互いに伝えてない」
伝える。
きり丸はそう言った。
伝える。思いがそこにあること。それぞれに考えていること、行動の理由になっていること、感じていること。ただ好きだと言うのとは、ちがう。相手の理解を求めて、説明し、相手に受け止めてもらう。それを伝える、と言うのだろう。……では。では、わたしは半助に、なにかを伝えてもらっただろうか。わたしは、半助になにかを……。
「おれさ。乱太郎にもう一度、おれのそばにいてもらいたい。……まだ、なんにも、おれ、自分の気持ち整理ついてないかもしれないけど……でも、乱太郎に会えないままなのは、嫌だ。乱太郎に、会いたい。鉢屋の野郎の好きにさせておきたくない」
だから、ときり丸は紙を広げた。
「……一カ所一カ所、あたるよ。せっかくの雷蔵先輩の置き土産、ちゃんと使わせてもらう。これはおれがやらなきゃいけないことなんだ。……おれ、ほんと、まだなんにも自信もって言えないけど。乱太郎は、おれが鉢屋から取り返す」
正直。
鉢屋との定期連絡の方法がある。それを伝えればきり丸はもっとも早く、乱太郎に会えるだろう。しかし。それでは駄目なのだとわたしも思う。
もちろん、半助に断ったのと同じ、わたしには頭領としての守秘義務もあるが。
なにより、きり丸が乱太郎を求めて行く道程が大事なのだと、わたしも思う。
「がんばれよ」
わたしはきり丸に言った。
「おう」
振り向いてそう言ったきり丸は、ここ数カ月で初めての、いい顔だった。


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