罪人たちの季節
<八>
なぜだろう。 きり丸は自問する。 なぜだ…… 彼はようやくに、自分と向き合う。
乱太郎に「もう付き合えない」と言われて「上等」と返した。 日暮れまで、その場から動けなかった。 懸命に手で膝を支えたけれど、足の関節から力がすべて抜けて行くようで。 ぐにゃぐにゃと、全身が崩折れて行くようで。 待てと、待ってくれと言いたくて、顔を上げた時には、あたりはとっぷりと暮れていた。
見つめる木立の闇に、呼び止めて振り向かせた乱太郎の影が浮かんだ。きり丸は言いたかった言葉を探す。 それは「おれが悪かった」でもなく「やり直そう」でもなく、ただ、乱太郎を責める言葉ばかりだった。
「おまえが悪いんだろう? 庄左ヱ門にいいカオして気を引こうとしてる、おまえが悪いんだろう? すぐに土井のことを持ち出してぐずぐず言う、おまえが悪いんだろう? なのに なんでおまえから別れ言葉なんだよ。それはおれが言うべきことじゃないか。なんでおまえから別れ言葉」
闇に浮かんだ乱太郎の影は、悲しそうに揺らいだ。 「きり丸が仕向けたんでしょう、わたしがそう言うように。きり丸がわたしと別れたがってたんだよ」 「ちがう!」
影に向かってきり丸は叫ぶ。「悪いのは、おまえだ、おまえだ!」 影は……大きな泣き声を出すまいと、唇をへの字に結んで、ぽろぽろ涙をこぼしながら、レンズの欠けた眼鏡をかけ直す。……乱太郎の、あの時の泣き顔。 「もう、付き合えない」 耳に残る言葉を繰り返して、影は消えた……。 喪失は、胸破る鋭さで襲ってくるかと思った。 一人だ……一人。
その寂しさは、まっすぐに立つだけの力すら、奪うのだと思った。 が。 一時の脱力の後、きり丸は、歩み出すことができた。
その夜の眠りは野宿ではあったが平穏で、次の朝戻った学園でも、きり丸は――泣き腫らした目の乱太郎のそばに庄左ヱ門がべったりくっついているのを視界の隅にとらえながらも――いつもと同じように朝ごはんを平らげることができたのだ。
しいて言えば……その朝、目覚めた世界はなんだかいつもより白っぽく、なんだかいつもより頼りなく、自分と距離があるような違和感があったが。
それでもきり丸はいつもと変わりなく、寝て食べることができた。
……兵太夫に噛み付かれた時にも、庄左ヱ門が乱太郎に急接近しているのが許せないのだろうと、あっさり返せた。
たぶんそれは……打たれ強くなければ生き抜いて来れなかった今までの経験から来るきり丸のしぶとさであり、寝て、食べて、人が生きていくのに大事なことを、機械的にでもこなせていける強さだったのだろうが。
乱太郎の表情に、当初の哀しみだけでなく、苛立ちの色がまざるようになったころ。
きり丸は、なにごとかから解き放たれたように、気楽に身軽になっている自分を、発見していた。
自棄の末の、もうなんでもいいやと振り捨てた揚げ句の気楽さではなかった。
せいせいした、さばさばしたと、強がってみせるために装う身軽さでもなかった。
――本当に、おれは……乱太郎と別れてラクになってる……
自分でも自分が信じられぬ思いで、きり丸はそう認めた。
きり丸がもう少し、自分に対しても小狡いところのある人間だったら、そうとは認めず、被害者面を決め込んでいただろう。実際、あの決裂の日以来、常に乱太郎の傍らには庄左ヱ門がおり、きり丸が『振られたのはおれのほう』と被害者面できる余地は十分にあったから。
しかし、きり丸は気づいて、それを自分に認めた。
おれは、乱太郎と別れて、なんだかほんとに……すっとしてる……と。
悪いのは乱太郎だと思って来た。
でも……ほんとうは、あの乱太郎の幻影が、自分が考え出した幻影が、言っていたのが正しかったのか? 『きり丸がわたしと別れたがってたんだよ』あれが……正しいのか?
それを否定しきれぬほどの解放感を、きり丸は持て余す。
おれは……
きり丸は自分の胸のなかを探り出す。
乱太郎が重荷だったのか。
ちがうと思う。
――でも。
もうここのところずっと、乱太郎を怒らせるとわかっていながら、つい、視線が土井を追っていた。それは……乱太郎が怒るような理由ではない……自分が土井を見ていたのは……
うらやましかった。
どうしたら土井のようになれるのかと、自分は思っていた。
どうしたら、土井や利吉のように……それぞれに立ちながら、連れ添っていられるのか、と。
自分は……そうだ、利吉から卒業後の進路を指し示されてからずっと……どうしたらいいのかと思っていた。
利吉が望んでいるのは自分一人だ。乱太郎はちがう。それをどう乱太郎に告げればいいのか。利吉のもとで働きたい、忍術学園に学ぶ生徒の多くが望むことだろう。自分も、そうだ。利吉の申し出を喜んでいる……じゃあ乱太郎はどうする? あの……やわらかであたたかい……無防備に色気のある、乱太郎は……? 城勤めするか。そしておそらくは数多の男共に言い寄られ……操を守れなどと言ったところで、実際に非力な乱太郎にそれはかなうまい。ならば、自分が同じ城に勤めるか? きり丸は自分で自分の身を守るだけの自信はある。だが……乱太郎と二人なら……かつて、利吉がからかい半分で口にしたことがあるように、『ふたり並べて犯られるのがオチ』なのだ。
土井や利吉のように、それぞれがそれぞれの場所でしっかりと足場を確保し、自分で自分の身をしっかりと守る……あの二人が当たり前の顔でなしていることが、今の自分たちにはまだ出来ない。
だから、うらやましかった。土井と利吉が。
だから……重かった。自分の非力さに、気づいていない乱太郎が。六年になってもまだ、自分の進路を真剣に考え出そうとしていない乱太郎が。
そうだ、ときり丸は突き当たる。
自分は……乱太郎とともにいたいと願いながら……その負担に怯えていたんだ、と。
兵太夫が謝ってきた。
ごめんね、あれはぼくのせい。
それでひとつ、謎解きは出来た。そもそものはじめ、利吉から話のあった新学期始まって間もなくの日、乱太郎がきり丸との約束を軽く見ていたわけではないのも、それを庄左ヱ門に漏らしたわけではないのも。
あの日が境だったとは思った。あの日に芽生えた乱太郎への不信感が、不仲への始まりだったと。
でも……ちがったのかもしれない。あの日……庄左ヱ門のことがなく、最初の予定通りに乱太郎と話す機会があったにしろ……自分はちゃんと話せていたろうか。
別れたがっていたのは、おれ……。 きり丸はきつく唇を噛んだ。
つづきへ
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