罪人たちの季節

<九>

 きり丸がそうして……乱太郎の将来を背負わねばならない重圧感からの解放を、自分に認めたころ……乱太郎と庄左ヱ門もまた、一線を越えていた。
『寝たな、あいつら』
 二人を見て、きり丸は事態を把握する。
 不思議だった。以前は庄左ヱ門が乱太郎を見る目すら、許せないほど苛立っていたのに、今は平気で深い仲になったふたりを見ていられる。
 別れたとはいえ……もっと腹が立つかと思ってたのにな、ときり丸は呟く。
 おれ、平気だ……平気。
 反対に、庄左ヱ門に問いかけてみたい衝動すらある。
 なあ、おまえは背負えるの、乱太郎を。なあ……おまえは怖くない? 
 一人の人間と付き合う重さ、その将来を見守る重さ、それ、おまえはしょえるの?
 自分だってどうなっていくか、どうやって生きていくか、わからないのに、おまえは……怖くないのか?
   冷笑と苦い敗北感を込めて、きり丸は庄左ヱ門を見る。偉いよな、委員長サマは。……偉いよ。もし本当に……わかってて立ってられるならさ……おまえ、偉いよ、庄左ヱ門。
 きり丸はぎゅっと目を閉じる。


 しかし。
 そういう深い感慨とは別に。
 いいかげんにしろよな、おい、ときり丸は思うのだ。
 ベタベタベタベタ、うっとうしいんだよ、おまえら、と。実習中だぞ、今は。
「あ」
 と乱太郎が声を上げる。
「どうしたの!」
 と庄左ヱ門が振り返る。
「だいじょうぶ?」
「うん、へっき」
 それぐらいの会話、それほど顔近づけなきゃできないことか、え。
 ついでに、なんだよその手は。いちいち肩に手かけなきゃ乱太郎が飛んでくとでも思ってんのかよ。
 つい、どん!と肩でもぶつけに行きたい衝動をこらえて、きり丸は自分に言い聞かせる。
 初めてなんだ、初めてなんだよ、あいつは、な。
 おれだってそうだったじゃんか。乱太郎と深い仲になったばかりのころはさ。一刻も早く部屋に帰っていちゃいちゃしたくて、嫌がってわざと放課後遊んでる乱太郎につきまとってさ……え。ときり丸は思い当たる。
 おれももしかして、あの頃は、今の庄左ヱ門みたいだった? 冗談、あんなみっともない……。
「おれ、あそこまでひどくなかったよな」
 思わず声に出していたのは、誰かに大丈夫だと言われたかったせいだが、
「え?」
 傍らにいた兵太夫に振り返られて、まさか指さして説明するわけにもいかず、
「いや、なんでもね」
 ごまかした。が、兵太夫はちらりと背後の二人を見やってから、
「いい勝負だよ、五十歩百歩ってとこかな」
 と審判。
「うわ、マジ?」
「……自覚ないんだろうね、ああいうのは」
「やめてくれって」
 兵太夫はひょいと肩をすくめた。
「それって僕たちのほうのセリフ」
「……だよな」
「当てつけられる側へようこそ、歓迎するよ、きり丸」
「兵ちゃん、きつすぎ……」
 肩を落として見せると、兵太夫が小さく笑い声を立てた。


 きり丸は、気づかない。
 そうやって兵太夫とじゃれる意識もなくじゃれているのを、見る目があるのに。
 乱太郎はすぐ横にいる庄左ヱ門に見えぬように、そっと眉をひそめる。


 別れた。
 それはわかってる。
 自分が、自分から誘って……庄左ヱ門はそうは思っていないかもしれなくても、自分から誘って……庄左ヱ門と深い仲になっているのも、わかってる。
 わかってて。
 わかっていても。
 きりちゃん、兵太夫かまいすぎ。
 知ってる? きりちゃん。兵太夫見る目が優しくなってるよ。
 きりちゃん、もとの目がきついから、逆にすぐわかるんだ。兵太夫に、優しくしたいわけでもあるの、きり丸。
「乱太郎」
「あ、なに、庄ちゃん」
「……ううん、なんでも」
 なんでもないと、答える庄左ヱ門の表情が、言葉を裏切る。
「……石火矢、早く据え付けないと」
 優しい庄左ヱ門は、責めない。もうあいつを見るなとは、言わない。
 乱太郎は胸の中できり丸に向かってアッカンベエをして見せる。
 庄ちゃんは責めないよ、きり丸みたいにイライラ怒ったりしないんだ。
 庄ちゃんは優しいんだよ……。


 ――庄左ヱ門は愛撫もやさしい。
 不必要なほど、やさしい。
 他人の肌をまさぐるのに慣れていないのだから無理もないのかもしれないけれど、指はいつもどこか遠慮を含んでしか動かない。
 ――きり丸が乱暴だったわけでは、決してない。
 慣れと知識があった分……的確な思いやりがあったし。自分勝手では全然、なかったし。 ……でも……。
 時にきり丸の手は、性急に乱太郎の局部を求めて来ることもあったし……乱太郎が涙まじりになって解放を求めるまで……きつい嬲りを繰り返すこともあったし……。
「あ! やだっ!」
 与えられた予期せぬ快感に思わずいやだと口走るのは、引きずりこまれる深淵がのぞくからだ。自分の体に走る電流に、怯えるからだ。その大きさに、気持ちのよさに……とっさにいやだと声が出る。
「あ、ごめん」
 すっと庄左ヱ門は引く。引いてくれる。
 自分がいやだと言ったから。
「……だいじょうぶ、平気……」
 ささやけば愛撫は再開される。
「平気だよ……」
 『なにがヤだよ』のぞきこんで来た、黒い瞳。『これか? こうか? これがヤ? じゃあ、これは? 乱太郎、これは?』
 自分の漏らした高く長い悲鳴のような声が耳によみがえる。
 熱くて濃くて……躯を芯から蕩けさせ、震えても達しても、さらにその先へ乱れさせようとするきり丸の手は……優しいばかりじゃあ、なかった。
「うん……いいよ、平気……」
 乱太郎が促せば、優しい愛撫は続く。優しい……優しい、愛撫が。


「夏休みはどうする?」
 庄左ヱ門にそう問われて、初めて乱太郎は夏の長期休暇が目前なのに気づいた。
「乱太郎、見たい城とか、ある?」
 そう重ねて問われて、学年最後の夏休みは企業研修とも言うべき活動に費やされるべきなのだと、これまた改めて気づいた。
 卒業後の進路を決めるのに、夏の休みは大事だ。この休みの間に、見習いのような扱いでそれぞれの城に入るのは、卒業後の進路決定に重要な資料となるからだ。要領のよい者は、夏の間に実習に入った城で就職の内定をもらって意気揚々と二学期に登園してくる。
「……そう、だね……考えなきゃ……ね」
 なんだか……毎日毎日、ろくでもないことを思っているうちに、知らずに時間は過ぎて行くようだと乱太郎は思う。きり丸と別れてから……なんだかどうでもいいことばかりが気にかかる。そろそろ本気で卒業後の進路も気にしなければならない時期だというのに……。
「その……」
 うつむいた庄左ヱ門が口ごもる。
「あした、実習希望の用紙を提出しなきゃならないだろう? 同じに……書けないかなと思って……」
「ああ……」
 乱太郎は深くは考えずに返事をする。
「いいね、それ。庄ちゃんと一緒なら実習も安心だ」
「うん」
 庄左ヱ門が、そっと乱太郎の手を取った。
「……そうしたら……夏中、一緒にいられるし……同じところに勤めることもできると思うんだ」
「……え」
「あ。もちろん、先のことはわかんないし……実習先が同じでも就職先まで同じにできる保証はないけど……でも、もしかしたら、ね」
「あ、うん……そうだね、同じところかもしれないね……」
 相槌を打ちながら……乱太郎は懸命に笑顔を取り繕う。
 ……庄左ヱ門と同じところに就職する。
 もう何度か肌を合わせ、口吸い合う仲になっていながら、乱太郎は庄左ヱ門と生涯を共に生きるのだと考えたことはなかった。だから、庄左ヱ門が将来を自分と絡めて考えていると知って、乱太郎を襲ったのは驚きだった。
 驚かされてばかりな気がする……乱太郎は思った。
 なんとなく……そう、なんとなくだけど……きり丸とはずっとずっと一緒にいるものだとばかり思ってた。具体的な計画はなにもなかったけど。でも、ずっと一緒なんだと、信じてた。だけど。きり丸は自分一人の将来をさっさと決めて。そこにはわたしの影もなくて。そして庄左ヱ門はなにも考えていないわたしのことも含めて、もう将来を考えてる……なんだかほんとに……驚かされてばかりだね……。正直、庄ちゃんと一緒の未来を夢見てたわけじゃないから……ちょっと、ほんとにちょっと驚いたよ。
「乱太郎……」
 立ち上がった庄左ヱ門が唇を求めて顔を近づけてくる。
 軽く仰向いてその唇を受け入れながら……乱太郎はもう間もなく始まる夏休みを思う。……きりちゃんは……やっぱり利吉さんところで働くのかな……。


 明日には夏休みの実習希望の用紙を提出しなければならないという前の晩。
 きり丸は土井の自室に呼ばれた。
 休みのたびにひとつ家で暮らす二人は、いろいろな騒動を越えた末に、今はもう、互いに家族なのだと意識がある。その意識があればこそ……逆に学園では常の教師と生徒の枠を越えるような言動は慎む無言の約束がある。だから、
「あとでわたしの部屋へ」
 と夕餉の食堂で土井に声をかけられて、きり丸はなんだろうといぶかしみ、食後間をおかずに土井の部屋を訪ねた。
「失礼しまっす」
 声を掛けてさらりと板戸を開けると、灯火の下で書き物をしていた土井が顔を上げた。
「ああ、後少しで終わるから、待っててくれ」
「……こみいった話っすか」
 探るように尋ねたきり丸に、土井は、
「たぶんな」
 と取りようによっては怖い返事をさらりと返して、また書き物に面を伏せる。
 土井の手が空くのを待つ、いやな時間に、きり丸は土井に言われるだろうことをあれやこれやと考える。特に怒られる覚えもないのは、最近ではすっかり品行方正になった証しだろうかとまできり丸が思ったところで。
「……夏は決まってるのか」
 筆を置きながら、土井が口をきった。
「ああ、実習希望のことっすか」
 なにがなし、ほっとしながらきり丸は聞き返す。
「バイト料が出るってんなら、あちこち掛け持ちで回りたいとこっすけど、あれってほとんどタダ働きなんでしょ?」
「小遣い銭程度は出してもらえるところもあるが……おまえは、城勤めがしたいのか」
 きたか、ときり丸は身構える。
「……まだ、決めてないっすけど。……利吉さんのことですか」
 土井がうなずく。
「おまえにそのつもりがあるなら、夏中、面倒みようと利吉くんから申し入れがあった。……おまえが、フリーの道を選んで利吉の下で働きたいと思うなら、経験は少しでも多い方がいいからな、そちらを勧める。だが、もしおまえが城勤めにするか、それともどこか興味のある忍びの党でもあるのなら……そっちの経験をしておくのも悪くはないだろう」
 どうする、と目顔で尋ねられるのに、きり丸は腹に力を入れて土井を見返した。
「おれ……おれ、できれば利吉さんのところで働きたいと思ってます。そのほうがやっぱ、仕事おもしろいんじゃないかと思うし」
「そうか」
「だから、そういう申し入れがあるなら、おれ、夏は利吉さんにお願いします」
「……そうか」
 うなずいた土井が、なら、と改めてきり丸をみやった。
「……これは本当なら、教師が気にするべきことじゃないと思うし、もし、わたしがおまえの親代わりだとおまえが認めてくれていても、親ならなおさら聞くべきじゃないかもしれんと思うが……」
 珍しくも歯切れの悪い言い方をする土井に、きり丸はいよいよかと思う。
「乱太郎とはどうなってる」


 きり丸にはいささかの逡巡もなかった。
「別れました」
「かんたんに言うな」
「かんたんなことっすから」
「……なるほどな。それでおまえは平気なのか」
「……平気っす。ほんとは……もっとおれ、落ち込んだり大変なことかなと思ってましたけど。意外と、平気です」
 平気どころか……おれ、今、すんごいさっぱりしてるんです、なんか楽になったっていうか。おれ、自分が薄情者なのかなとか思ってたけど、でも乱太郎もさっさと庄左ヱ門とくっついてるし、ならこれでよかったのかなって、おれ、思います。
 きり丸の思いのすべてを言葉にすればこんな台詞になっていたろう。
 土井が探るような目をした。
「……ほんとうに、大丈夫か?」
「ほんとうに、大丈夫っす」
 きり丸の答えに、土井は深くため息をついた。
「おまえがそう言うなら大丈夫なのかもしれんが……。夏休みの過ごし方で進路が最終的に決まるわけじゃないが、この夏が進路の第一歩ではある。本当に、利吉のもとで実習だと、決めていいんだな? 乱太郎との道が、別れることになるぞ?」
 ええ、それでいいです、とうなずきかけたきり丸の……。
 胸に瞬時に吹き上げてきたそれは、単なる八つ当たりの怒りだったかもしれないし、土井に対するきり丸のあまえだったかもしれない。
「いい……いいっすけど……!」
 込み上げてきたそれが、叫びに近い高さになった。
「そんなこと……! そんなこと、いまさら確かめるなら、どうして利吉さん、止めてくれなかったんですか!」
 自分の言い出したことに、自分でも驚いたきり丸だったが、あふれだしたら、止まらなかった。
「先生、知ってたんでしょ! どうして……どうして利吉さんが言い出した時に、止めてくれなかったんすか! きり丸は無理だやめとけでもいいし、あいつらは二人でなきゃだめだでもいいし……どうして、半助っ! 利吉に好き勝手言わせたんだよ!」
 激高のままにきり丸が叩きつけた言葉を……土井は静かに受け止めた。その瞳に、自分の養い子の苦しみを受け止める沈痛な色がある。
 はあ、と肩で息をして土井を見つめるきり丸に、土井は低く答える。
「……わかったからだよ。利吉がどうしておまえだけを欲しがるのか、わかっていたから、止められなかった。……おまえが……乱太郎と道が別れていくのをつらがるだろうともわかっていたが……それでも、利吉のもとで……忍びとしての実績を積んでいけるチャンスを、おまえの耳にも入れずに握り潰すわけにはいかなかった……」
 八つ当たりの怒りを発散したきり丸だったが、土井の言葉の中の一点には冷静に注意を引かれた。
「……おれだけを……欲しがる理由?」
 そうだ。それがそもそも、すべての発端ではないのか? 利吉は言っていた、俺がほしいのはおまえだけだ、仲良しクラブを作るつもりはない、と。それに、理由がある?
「ああ、聞いてないのか?」
 きり丸は首を横に振る。
「そうか。……一言で言えば、おまえがぽしゃる心配のない即戦力だからだよ」
「ぽしゃ……って、なに?」
「……実技はおまえ、今じゃ学年一番だろう? 度胸もある、それだけで世間を渡れる世知もある。……十分だよ、おまえは忍びとしていい条件を備えてる。……それに……おまえは……」
 言いよどんだ土井に、きり丸はなんだよ、と膝をにじらせる。
「なんだよ、おれがなんだよ、先生」
「おまえは……人を殺したことがあるだろう?」


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