本日は晴天なり

 

 

 

 盆を受け渡す台の上に、ゴト、と小壷が載せられる。
「はい、おばちゃん。今日のは古漬けだそうです」
 屈託なく、竈のそばで立ち働く食堂のおばちゃんに声をかけるのは、土井だ。
「まーそりゃおいしいでしょうねえ。いつもすみません、土井先生」
 答えるおばちゃんの声も屈託がない。
 渡すほうも自然なら、受け取るほうも、自然。
 つまりは。
 杭瀬村から朝帰りする土井が、手土産にとらっきょの壺を持ち帰るのがそれほど頻繁だということだ。
「でも土井先生、あんまり呑みすぎちゃあいけませんよ」
「気をつけます」
 あはは、と笑って頭をかく素振りを見せる土井を、野村は視界の隅で見る。
 無造作な明るさが魅力の若い教師が、らっきょの壺を持ち帰った数刻だけに漂わせる華とかすかな倦怠が、今日もある。
 その常にはない雰囲気を、一言で表す言葉を野村は知っている。
 色気、だ。
 杭瀬村から戻る土井は、いつもふわりと色気をまとっている。
 土井に、その目には見えぬ衣をまとわせた男のことも、野村はよく知っている。
 知っているからなんだというのだ。
 嫌いならっきょが小皿に盛られて出てくる前にと、野村はガツガツと残りの飯をかきこんだ。

 


 咆哮に、似ていた。
「わしはお前に惚れとるんじゃあっ」
 嵐のような一刻の中で、耳は確かに、その悲痛な叫びを聞き取った。
 野村の耳は。
 野村の意思には関係なく、不意にその泣き声とも怒鳴り声とも聞こえる、剥き出しな想いの吐露を、甦らせる。
 あれから何年たつと言う?
 しかし、野村の耳はそう嘲笑う主の思いには関係なく、まるでそれが今この瞬間に耳元で叫ばれたかのような生々しさで、その言葉を甦らせる。
 過ぎた事、野村は頭を振る。
「おーい、こっちだこっちだ」
 土井が、生徒たちと鬼ごっこに興じている。
 ……また何時(いつ)の間にやら視野に入れていたか。
 野村は自嘲に唇をゆがめる。
 ふと、野村の視界の中で、土井が立ち止まった。ほんの一瞬。土井は彼方に目をやり、変わったとも見えぬほどに、その表情を変化させた。
 野村は追うともなく、土井の目線を追う。
 追う必要などない。
 土井の目線の先に、誰がいるか。自分が気づかぬうちに土井を視野に入れてしまうように、土井の視線が無意識に誰を追うか。野村は知っている。
 校庭の隅で、山田伝蔵が不出来な生徒たちに補習をつけている。
 野村は踵を返す。
 茶番だ、茶番だ。なにもかも。
 なあ、大木。

 


 野村は嗤う。
 土井と睦む大木を笑い、大木に可愛がられながら山田を追う土井を笑い、その全てを他人事と笑い飛ばせぬ自分を笑う。
 茶番だ、なにもかも。
 土井の真意など知ったことか。大木と土井の絆がどのようなものか、自分になんの関係があるか。
 野村はすっと顔を上げ、踵を返す。

 



 ……内心の動揺が多少はあったにせよ。
 野村は己の挙動は己で律しているとの自負がある。
 確かに立ち止まっていたところから、方向転換して歩み出した。しかし。それがそれほど、内心の自嘲と痛みを振り切ろうとするかのような急激なものではなかったことも、不用意に大きな動作でもなかったことも、断言できる。
 それなのに。
「わっ! あ、あ、あああっ!」
 広い濡れ縁で袖すら触れ合ってはいないはずなのに、すれ違った事務員は、腕の中いっぱいに抱えていた書類を空に舞わせてコケていた。

 


 散乱した紙の中で、ごんっと鈍い音がして、
「いったあ……」
 床に手をついた事務員、小松田秀作が鼻を押さえて涙目になっていた。

 



「……どうした」
 ほかにかけるべき言葉も見つからぬ。
 ぶつかってでもいたのなら、すまぬと謝るにやぶさかではないが、袖さえ触れ合わせてはおらぬのだ。
「しょ、書類が飛びそうになったんで、あ、慌てて……」
 床に散らばる書類をかきあつめようとしているのか、それとも更に散乱の度合をひどくしようとしているのか、無闇と腕を振り動かしながら小松田は言う。
 それではやはり手伝ってやる義理はないわけだ。
 そう思いながらも、野村は膝を付き書類を集める手助けをしてやる。
 ……いや、手助けというより、野村が書類を集めてやったというほうが正しい。
 感嘆したように野村の手際を見つめていた小松田だったが、野村が集めた書類を束ねて差し出すと、
「あ、ありがとうございました!」
 素直に喜ぶ色を見せて、頭を下げた。
 その鼻の頭が朱色に染まっている。
「……打ったのか、鼻」
 野村は尋ねる。
「え、あ、柱で」
 小松田は、ホラこの柱、と横に立つ柱を指差す。
「ほう」
 野村はうなずく。
「柱が動いて殴りに来たか」
 小松田は、きょとんと目を見張った。
「……横に立つ柱に、どうやったら鼻をぶつけられるんだ」
 野村の嫌味まじりの問い掛けに、小松田は、そういえばそうですよね、と首をかしげた。
「こう……歩いてきて、ここで、書類がふわーっと飛びそうになって……で、慌てて上を押さえようとしたら、下からばさばさーって落ちそうになって、で、慌てて……えーどうしてだろー」
 転んだところを再現しながら首をひねる小松田に、野村は小さく笑い声を上げた。

 



 もとは忍びを目指していたと聞いている。
 到底忍びにはなれぬと悟って、事務員として勤務しているとも。
 が、道を諦めた者の暗さは、この青年にはない。
 素直で物怖じしない性格なのは見知っていたが、ここまでその瞳が雄弁に語るとは、野村は知らなかった。
 小松田の瞳は、語る。
 驚きを語り、感嘆を語り、不思議を語る。
 ……こうまであけっぴろげではな。
 忍びの道は早々に諦めて正解だったろう。
 己を隠すに長ける忍びには……この青年は向いていない……。

 


 
 忍術学園の先生方は。
 みんな一流の忍びと聞いてる。
 それでもけっこう、みんな親切だったりおしゃべりだったりするけれど。
 それでもやっぱり、ちょっと怖いところがあったりする。
 秀作にとって、その「ちょっと怖い」の筆頭は、白皙の美貌とも言える面差しに、めったに感情の色を見せない二年い組の実技担当教師だった。
 なにを考えているかわからないけれど、その言辞はいつも無駄がなくそっけない印象がある。まだ嫌味だらけな安藤や怒鳴り声が迫力な山田のほうが、秀作にとってはとっつきがよかった。
 野村が、それなら静謐一辺倒の人間なら、それほど怖い印象もなかっただろうが、時折学園を訪ねてくる元忍術学園の教師と言う大木と対峙している時の野村は、平気で厳しく荒い手を使い、その普段との落差がいっそう野村の印象を怖いものにしている。
 が、今。
 濡れ縁からすぐのところにあった手水鉢へと身軽く降りていった野村は、懐から出した手ぬぐいを水に浸して絞って、秀作へと持ってきてくれた。
「鼻。冷やしておけ」
 思わぬ親切というやつだった。
 思いがけぬ相手からの親切に、自分の表情が率直な喜びの色を浮かべたのを、秀作は知らない。
 だから秀作は、野村が面映ゆそうに浮かべた微苦笑を、この人はこんなふうにも笑うのだと、ほおっとしながら眺めていた。

 



 二年い組実技担当教師と新米事務員との、ささやかな触れ合いのあった、
 昼下がりであった。


                          
                                                了

初の野村&小松田です。
……まだまだ「カップリング」までは行ってないので、
[×]ではなく[&]の二人です。
アンケートをお願いしてみたところ、きり乱、利土井ファン以外の方が
予想外に多く、来て下さっているのがわかりました。
好きなキャラは小松田さんと言う方が何人か見えて、そうかー小松田くんかーと
考えているうちに浮かんだのが腹に一物二物と抱えていそうな野村と、
純な明るさが心地いい小松田の組み合わせ。
初挑戦の野村先生と小松田くんでしたが、いかがでしたでしょうか。
お楽しみいただけたのなら、幸いです……… 

 

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