半助、その愛   ――利吉くんの後始末日記――

 

 

 

      もう駄目だと思った。
      学園にさえたどり着ければ、と深手を負いながら走り抜いて来たけれど。
      学園の校舎の、学園長の庵の、屋根が見えて来たけれど。
      駄目かもしれない‥‥足が持ち上がらない。
      決死の覚悟で、力の入らぬ手で刀を握り締め、振り向く。
      迫る追っ手に構えるけれど、目がかすむ、膝がくだける。
      もう駄目だ‥‥。自分に向かって振り下ろされる白刃が光って見える。
      ‥‥だめだ‥‥。
      目の前が赤く染まって見えた。
      そして、溶闇――。


利吉くんの日記より
X月X日
わたしは今、激しく後悔している。
これほど深い後悔を、いままでしたことはない。
しまった、と思う。きのうはどうかしていたのだ。
だいたい、利用できるものはなんでも利用するのが、忍びなのだ。
わたしとの同居を半助がしぶる理由にきり丸の存在があった。その邪魔を排除するのにきり丸自身の思慕を利用してなにが悪かったというのか。
半助に言った。「きり丸はわたしと同じ目であなたを見てるんです。あれはもうこどもじゃない」と。案の定、それがとどめの一撃になったとしても、それこそ、敵に利用される弱みを作ったきり丸の落ち度だ。
なのに、なにをわたしはきり丸に謝ってしまったのだろう。
きのうはどうかしていたのだ。いや、あの瞬間にはそうするのが正しいことだと思えてしまったのだが。
くそ。まずった。

X月X日
今日、きり丸が来た。
「あのさあ‥‥おれ、ちょっと考えたんだけどさ‥‥」
下手な考え休むに似たり、と言ってやりたかったが、わたしはこらえた。
「あんた、こないだ言ったよな。おれが、あんたと同じ目で半助見てるって半助に言ったって」
それをおまえに謝ったのは、わたしの一生の不覚だよと言いたいのもこらえた。
「それってさあ‥‥おれが半助を、その、犯りたいって思ってるって、あんたが半助に言ったってことだろう」
品のない言い方をするな、と言いたいのもこらえてみる。
「あんたとさあ、半助が同居してからさあ、なんか、半助、おかしかったんだよ。おれ、それはあんたとの同居について、その、半助がおれに後ろめたく思ってるからかと思ってたんだけどさ‥‥」
ちょっと待て。なんで半助がおまえに後ろめたく思わなきゃならんのだ、と思ったが、わたしは更に沈黙を守った。
「‥‥それってさ‥‥あんたが、そういう嘘を半助に吹き込んだせいだったんだな」
「‥‥まるきりの嘘と言うわけでもないと思うが」
たまりかねて一言、わたしは言った。
「先生はおれにとっては特別だったんだ!」
きり丸が吐き捨てるように言った。
「おれは‥‥おれは、先生が好きだった。おれには先生しかないと思ってた。おれのいる場所は特別な‥‥先生の横しかないって。でも、おれは、おれは‥‥」
きり丸には言葉が見つからないようだが、わたしは黙っていた。ここで、そうだな、おまえは別に肉体的に先生と繋がりたい、と思っていたわけじゃないんだよな、と言ってやってもよかったが、国語の成績が悪いのはきり丸自身の責任だ。
「おれは‥‥あんたが許せない」
こいつ。悪いのは国語の成績だけじゃないな。この論理の飛躍では数学もまともにこなせまい。
「おまえ、なに言ってるんだ」
「あんたの嘘を先生に言い付ける」
わたしは慌てた。この際、きり丸の成績はどうでもいい。きり丸は知らないだろうが、いや、知られては困るが、あの後、あの嘘のせいで、半助は自分に教師の資格がないと悩んで、辞表まで出したのだ。それが俺の嘘のせいだと知ったら、知ったら‥‥。
「ま、待て。だ、だから言ったろう。謝るって。謝ってる相手に、おまえ、そんな石をぶつけるようなまねを‥‥」
「ふうん。そうか。石になるんだ」
きり丸の奴、にやりと笑いやがった。
「あんた、あの嘘がばれたら、困るんだな、やっぱり。そうだよなあ、やっぱりなあ」
俺は、俺はひきつった。まずい相手にまずい弱みを握らせてしまった‥‥。
きり丸のにやにや笑いに俺は切れそうになった。しかし、こらえた。ここでこいつを殴るのは簡単だが、殴ったらこいつは泣きながら半助の元へ走るだけのことだろう。
俺はこらえた。
「‥‥どうしろと言うんだ」
「古今東西、口止めはおぜぜって決まってるだろ」
くそ。悔しいが仕方ない。俺は財布を出した。が。きり丸は受け取ろうとはしない。
「おれは半助に誤解されたまんまなんだぜ?ずうっと半助に、おれが変なスケベ心をもってるって思われたまんまなんだぜ?一度の金のやりとりでちゃらにできるか」
「強請(ゆすり)続けるつもりか」
奴はそこでにやにや笑いをひっこめた。
「期間限定にしといてやるよ。これから二年、おれが忍術学園を卒業するまでの授業料、払ってくれたら、この話はちゃらにしてやる」
「二年間の授業料?」
「うん。次の三学期の授業料はもう収めた。これはもういい。だから次の五年と六年の授業料、払ってくれ」
わたしはきり丸を見つめた。そうだ、こいつは今まで、自分で稼いだ金で学び続けていたのだ‥‥。
「おれは後二年、しっかり忍術を学びたい。きっちり身につけるものをつけとかなきゃ、卒業したって食ってけない」
「‥‥金の心配がなければ学業に専念できる、か」
「‥‥あんたみたいなおぼっちゃんにはわからねえよ」
そうだ、わたしにはわからない。学費の一助になるように、とバイトをしている同級生はいたけれど、入学金から月々の雑費、着る物、食べる物、すべてを自分で賄っている奴は、いなかった。
「‥‥わかった。その条件、のもう」
いいじゃないか、とわたしは思ったのだ。わたしのウソでいたいけな少年を傷つけた、とはどうしても思えないのだが、しかし、まあ、いいじゃないか、と。

X月X日
今日、半助に呼ばれて学園に出向いた。
教職員長屋の半助の部屋で半助はテストの採点をしていた。
「ああ、利吉くん、来てくれたの」
もちろん。あなたが呼んでくれれば地の果てからでも。と言いたかったが、わたしはこらえた。ここは学園の中だ。
「‥‥今日、聞いたんだけど」
ああ。やっぱり半助には忍び装束がよく似合う。今度、閨(ねや)でも‥‥。
「君。きり丸の学費を援助するそうだね」
ぎくりと来た。閨のことを心配してる場合じゃなかった。
「なんの裏がある?」
単刀直入に半助に聞かれてわたしは絶句した。半助の大きな目がじっとわたしを見ている。
「え。裏だなんて、いやだなあ、土井先生、ほら、きり丸くんが頑張ってるから、ちょっと手助けをしたくなっただけですよぉ」
「‥‥ふうん。君がきり丸をねえ、手助け、ねえ‥‥」
‥‥なんというか、その。半助もやっぱり忍びだったんだなあ、と思う一瞬ではあった。
その、物事の裏を探ろうとする、鋭い視線‥‥。ひきつるな、とは思ったが、口元が自分のものではないように、堅かった。
「君ときり丸はそれほど仲がいいようには見えなかったが?」
「‥‥そりゃ‥‥」
当たり前でしょう、恋敵なんだから、と言いかけたが飲み込んだ。
「そりゃ、あれだけ小生意気なガキですからね、素直に頭を撫でさせてくれるわけじゃないですから、いろいろ衝突してるようにも見えますよ。でも、別にわたしはきり丸が嫌いってわけじゃないです」
自分で言って驚いたのだが。
そうだ。わたしはきり丸が嫌いではない。
「では、学費の援助は純粋な好意だ、とこういうわけ?」
「ええ!もちろんです!」
「なるほどね」
半助はつぶやき、それから何気なしに後ろを振り返った。
「あ、ちょっとすまないが、あの棚から筆を一本、取ってもらえないかな」
「‥‥これですか?」
半助の指さした棚にあった筆箱の中から、わたしは一本を取り出した。
「いや、それじゃなくて、もう一回り、太いのがあるはずなんだが」
「これ?」
「そうそう」
「はい」
とわたしは差し出し、
「どうも」
と半助が受け取った‥‥はずなのに、受け取る半助の指が妙な絡み方をしたな、と思ったら、その筆は半助の手には渡らず、なぜか、わたしの人差し指と薬指を背に、中指で挟むような格好になっていて。さらに、いつ動いた、とも見えぬのに、半助はわたしの背後に立っていて、おまけに、わたしの腕は筆を挟み込んだままひねり上げられていたのだ。
「は、半助‥‥?」
「もう一度、聞くよ。なんの裏がある?」
「え、そんな、裏なんて‥‥うわっ!」
途端に走った激痛にわたしは思わず叫んでいた。
太い筆を間に挟み込んでいる三本の指を、半助が一度に握り込んだのだ。振り払おうにも、手は背中で押さえ付けらている。
ぎりぎりと指を締め付けられて、わたしは喘いだ。
「い、痛いです、半助!」
「そりゃ、痛いだろう。このままわたしが力を入れるとどうなると思う?」
「ゆ、指が、折れます‥‥」
「そうなんだよ、折れちゃうんだよ。ねえ、利吉くん、知ってるだろう? 指は一度折れると曲がってしまったり、悪くすると言うことをきかなくなってしまう。困るだろう? 大事な指なのに」
「は、はい、こ、困ります‥‥痛い‥‥痛いですって、やめてくだいよぉ」
「やめてほしければ、本当のことを言いなさい」
半助の手に力がこもった。げええ、まじ、痛い。でも、言えない!
「‥‥こ、これじゃあ拷問じゃないですかぁ!あ、あなたはこんな、こ、こんなマネができる人じゃないはずだ‥‥!」
「うーん、そのことなんだが。近頃、思うんだよ、わたしは生徒のためなら、鬼にも蛇にもなれるなあって。どうする? 続けようか?」
「や、やだ!つ、続けないで下さい‥‥!」
「じゃあ、本当のことを言いなさい」
ぽたり、と額から脂汗が落ちた。自慢じゃないが、仕事でこれほどの苦境に立たされたことはない。手が痛い。腕も筋が攣りそうだ。
「‥‥半助‥‥あ、愛しています、し、信じて下さい。あなた、あなたは、世界で一番、た、大切な人だ‥‥そ、その人に、そんな、ウ、ウソをつくわけが‥‥」
「若いねえ、利吉くんは。大切だからこそ、本当のことが言えないってほうがよほど真実味があるし、実際にも多いんだよ」
「そ、そんな‥‥わたしは本当のことを言ってるのに‥‥!」
「君が善意からきり丸を援助?信じられないよ」
「じゃ、じゃあ!きり丸、きり丸に聞いて下さい!う、嘘じゃないことがわかるから!」
そのわたしのはったりを信じたわけではないのだろうが、ようやく、半助はわたしの手を自由にしてくれた。
痛めつけられた三本の指は痺れて感覚がない。その指をさすっていると、しゃがみこんだ半助がわたしの顔をのぞき込んで来た。
「利吉。ひとつだけ、答えてほしい」
どきりとするほど間近で、黒い大きな瞳が冴えざえとしている。
「あの子は、きり丸は、金のためならなんでもしてしまう。なにか‥‥危険なことに巻きこんでるんじゃないだろうね」
指の痛みではない痛みが胸を刺した。ああ。半助、あなたは‥‥。
「‥‥大丈夫ですよ。なにも‥‥なにも、危険なことなんかありません」
わたしは、それが嘘ではないことに感謝しながら、半助の目を見つめ返して言った。
「あなたの、大事な生徒です。わたしにとっても、大事、です」
「そこまで言うと嘘っぽいよ、利吉くん」
そして半助は立ち上がって大きく伸びをした。
「しょうがない、きり丸にも聞いてみるか。‥‥その指、ちゃんと冷やしておけよ。後で痛むぞ」
半助が部屋を出て行った途端に、大きなため息がもれた。
ああ。わたしはまだ、修行が足りない。

X月X日
憮然、と半助の顔に書いてある。
秋休みで半助の家に戻って来ているきり丸とともに、わたしは半助の前でまじめな顔を作って座っていた。
「じゃあ、授業料の補助は利吉くんのきり丸に対する好意なわけだ」
わたしは大きく何度もうなずいた。
「そうです!純粋な好意です!」
「で、きり丸もその好意を喜んで受ける、とこういうわけだ」
きり丸も横で大きくうなずいた。
「ありがたい話ですよ、ほんと」
『取引』の基本は信用だ、ときり丸は言う。基本は大事にするとこいつは言った。だから安心しろ、と。半助に『取引』のことは決して気取られない、と。
「おれさ、実はそろそろしんどくなってたんだ。学園の授業はだんだんハードになってくし、授業料も上がるだろ。どうしようって利吉さんに相談したら、それなら俺が助けてやろうかって言われてさ。あまえちゃったんだ」
へへ、と頭をかいたきり丸に向けた半助の目が‥‥なんと言うのだろう、ものすごく、なにか嫌な色を浮かべていた。
「‥‥わたしだって、いつだって相談に乗ったのに」
ぼそ、と半助が言ったその声が、半助の声に聞こえなかった。
「そうだよ‥‥わたしだっていつだってきり丸のことは心配だったんだ。‥‥だけど、学園長が‥‥あいつだけ特別扱いするなだの、苦労はあいつを成長させるだの言うから‥‥学費だってほんとは払ってやりたかったのに‥‥」
「は、半助‥‥?」
わたしときり丸は慌てて顔を見合わせた。‥‥なんだ、なんなんだ、この半助の反応は。
「君たちがそうやって口裏を合わせるほど、仲がいいとは知らなかったよ」
「え、そんな、そんな半助‥‥口裏合わせてなんかいませんよ!ほら、きり丸が頑張ってるのがわかるから、だから、ちょっと手助けしてやりたいなって‥‥」
「‥‥好意で?」
「好意で!」
今度は、あの嫌な目がわたしに向けられた。
「‥‥好きなんだ、きり丸が」
ぼそ、と半助が言ったその声が、半助の声に聞こえない! だいたい半助は何と言った?
「そーなんだ。君たちはほんとは仲がよかったんだ。よくわかったよ」
半助が立ち上がる。わたしは慌てた。同じように泡をくったきり丸が、背を向けようとする半助の背中に向かってすがるように叫んだ。
「ば、晩ごはん!せ、先生の好きなキノコの炊き込み作るから!」
ふっと振り返った半助の笑みが、わたしときり丸を動けなくし、さらにその地を這うような声に、わたしときり丸は凍りついた。
「それはね、きり丸。利吉くんの好物で、わたしの好物じゃないんだよ」
「‥‥‥‥」
さああっと血が引く音が聞こえたが、それがきり丸のものか自分のものか、わたしにはわからない。
すうっと音もなく戸を開け閉めして半助が出て行った。
「わああ! 怒ってる、怒ってるよ! 先生、怒ってる!」
わめくな、きり丸。わたしにもわかっている。
「‥‥どうしよう」
きくな、きり丸。わたしにもわからない。
「‥‥うーん」
隣で唸っていたきり丸がわたしの顔をのぞき込んできた。
「‥‥くやしいけどさ、あんた、追いかけなよ」
「追いかける‥‥?」
「追いかけるべきだよ。ちゃんと話さなきゃ‥‥。それはあんたの役割だと、おれ、思うよ。‥‥おれの、出る幕じゃない」
「追いかけて‥‥どうするんだ」
「自分で考えろよ!先生がどうして出て行ったかわかるだろ。あれは焼きもちだよ。焼きもち焼いてる‥‥恋人に、なにを言えばいいのか、自分で考えろ」
「ふん」
わたしは胸を張った。
「焼きもちを焼いたことはあっても、焼かれたことはないんだ。どうすればいいのか、わかるわけがないだろう」
「‥‥自慢することかよ‥‥」
きり丸が頭を抱えた。

X月X日
きのうの続きを記す。
わたしにとっては、まあ、うれしい展開となったきのうのことだ。
結局、わたしはあの後、半助を探しに出て、河原に座り込んでいる彼を見つけたのだ。
半助は不機嫌だった。
ふたつみっつ、強烈な嫌みを言い、揚げ句、半助はわたしを置いて帰ろうとした。
わたしはたまらず、叫んでいた。
「あなただって‥‥!」
振り返った半助に、わたしの言葉はもう止まらなかった。
「あなただって、わたしより大切なものがたくさんあるじゃないですか! わたしがどれだけ、くやしい思いをしているか‥‥わかってるんですか! きり丸だってわたしだって、どれだけあなたが好きか‥‥わかってるんですか! きり丸とわたしを妬くなんて、見当ちがいもいいとこだ! きり丸がどうしてあんな自棄(やけ)を起こしたのか、わたしがどれほどあなたと一緒に暮らしたいと願っていたか‥‥わかってるんですか!」
まくしたてたわたしを見て、半助は一言だけ、聞き返してきた。
「君より、大切なものって?」
「生徒ですよ! きり丸をはじめとして‥‥言ったでしょう! 半助! 生徒のためなら、鬼にも蛇にもなれるって! そういう‥‥そういうことを言っておいて‥‥!」
怒りともどかしさで地面をこぶしで打ち付けたわたしに、半助が静かに踵を返して歩み寄って来た。すっとわたしに向かいかがむようにして、半助は言った。
とても、とても穏やかで、そして深い声だった。
「見当違いは君のほうだ。わたしは、君のためなら、人も殺せるよ」
これ以上の愛の告白はないだろう。半助は言ってくれたのだ、わたしのためなら、人も殺せる


 ふと利吉の筆が止まった。その目は中空に据えられ動かない。
 利吉の脳裏に浮かぶのは。
 もう駄目だ、思ったその瞬間に、かすむ視界にうつった光景。
 あの時。白刃を振り下ろそうとする敵の胸の中央が突然血しぶいたのだ。
 視界が真っ赤に染まったような気がして。‥‥そして、その後ろに見えたのは。
 背から胸へと刀を突き通され、瞬間に絶命し崩折れる敵の姿と‥‥その後ろから現れた顔‥‥。
 利吉は飛び上がり、隣の部屋との仕切りをがらりと開けた。
 きり丸のバイトの手伝いに造花を作っていた半助が顔を上げた。
「日記、つけ終わったの?」
 ふらりと利吉は半助の前に出る。
「‥‥半助‥‥あの日‥‥あの日‥‥わたしを助けてくれたのは‥‥学園の裏山で‥‥」
 半助は目線を手元の造花におとし、また指を動かし始める。
「半助‥‥答えて下さい。あれは‥‥あれは、あなただったんでしょう?」
「‥‥あのね、利吉くん」
 手は休めずに半助は穏やかな笑みを浮かべる。
「できないことは言えないだろう?できないかもしれないことも言えない」
 穏やかな笑み、深い声で、半助は付け加える。
「できたから、言えたんだよ」
「半助‥‥!」
 利吉は今度は涙で視界がにじむのを感じながら、愛しい人へと歩み寄る‥‥。
「ああ! 利吉くん! 花が‥‥!」
 叫びにきり丸が土間から飛び込んで来た。
「ああっ! 利吉、この野郎!」
「こらあ、きり丸! 草履は脱いで来い!」
「殴ったな、こいつ!」
「利吉くんも、やめなさい!あああ、花が‥‥」

男三人、それなりに平穏な秋の午後───。


再び、利吉くんの日記より
X月X日
疲れた。事実のみ、記す。
今日は二カ月に及ぶ、長丁場の仕事の明ける日だった。辛く、厳しい仕事だった。
共に戦った仲間たちが次々と、小判で重い袋を手に去って行く。
が、わたしには、明細が一枚のみ。写す。「忍術学園より引き落とし済」
帰路の路銀の調達に苦労す。

‥‥‥‥‥‥‥‥。

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