妖しの床 真実の褥 <後>

 

  そうして生徒たちに心配されていると知るはずもない彼ら……利吉と土井だった。
 次の仕事に入る前の、長くないはずの休養と安息の時間をずるずると延ばして、夜毎、彼らは睦み合っている。
 自ら利吉にしがみついたあの夜から……常と変わらぬ顔と性愛に悶え狂う顔のふたつを、利吉にさらすことに抵抗のなくなったらしい土井だった。
 控えめに、ためらいがちにしか利吉の誘いに応えないのは変わらなかったが……土井を組み敷いた利吉が熱い口付けを浴びせ、その手で土井の秘肉をさぐりだせば……乱れがちになる息を押しひそめようと胸を上下させながら、カタカタ鳴る鍋の蓋が一気に持ち上がって中身が溢れ出すように、ああっと高い声を放って一気に肌を紅潮させる。
 足を利吉の腰に絡みつかせ、唇で利吉の肌を求める。
 利吉の愛撫にためらいのない喘ぎをあげ、求めに応じて開かれていくばかりではなく、土井のほうから利吉の胸を肩を、撫で、甘噛みし、首筋に顔を埋めて髪をまさぐり、
「利吉……」
 あまく名を呼ぶ。
 今まで一方的に利吉が求めていたばかりのものが、ふたりでもつれ合い昂めあって過ごす濃密な時間に変わった。
 利吉と繋がりながら、土井は喘ぎ叫ぶ。
「もっと」
 と。
 もっときつく、もっと奥まで、もっと激しく、と。
 重ね合った肌が汗ばむのに、おのが身の下で上で、さらなる快を追って自ら腰を振り立ててしがみついてくる恋人に、逆らえる者があるだろうか。
 利吉は短い呻きとともに土井の中に精を放つ。
 さざ波のように過ぎる震えをこらえて、ようやく利吉は少し自分を取り戻す。
「半助……あなたとこんなふうに過ごせるなんて……」
 分かち合った時の甘さを噛み締める意味合いばかりではない。半助、あなたは本当に「あなた」ですか? 小さく胸に巣食う疑念がある。しかし、そのかすかな不審を利吉が形にしようとする前に、土井は自分の体内から出ていったばかりの、まだしたたりさえぬぐわれていない利吉のそこに、顔を寄せて行く……。
「は、半助!?」
 慌てる利吉のそこを……土井は舌先で捕らえ、ねぶる。口中に納めて、吸い出す……。
 無心とさえ言える熱心さで、放たれたばかりのそれを、土井は愛でる。
「はん……うぅ……あ……」
 形にしなければならなかった何かが、土井の舌の上で蕩けて霧消していく。
 利吉はぐっと腰を前に突き出した。


 乱太郎たちが話すのを、不破雷蔵と鉢屋三郎のふたりは同じ顔で聞いていたが、
「なにか、利吉さんと土井先生に、見えませんか?」
 と乱太郎が尋ねると、
「うん」
 とうなずいた相似の顔のうちのひとつが、もうひとつの顔にはついぞ浮かんだことのない皮肉な笑みを浮かべた。
「学園の先生方は時々面白いものをくっつけてみえるけれど、あれは白眉だねえ」
「やっぱり憑いてるんだぁ!」
 しんべヱが泣きそうな声をあげた。
「そ、それって、どんなものか、わ、わかりますか」
「わかったら、どうなの」
 明らかに下級生がうろたえているのを楽しむふうに、三郎は尋ね返す。
「ど、どうって……」
 顔を見合わせる乱太郎ときり丸だ。が、
「本当に見えるなら、どうしたら追っ払えるかもわかるんじゃないすか」
 すぐに三郎に向き直ったきり丸が食いつく勢いで言った。
「先生たち、そんな変なものにとっつかれて、大丈夫なんすか! どうにかしなきゃ、いけないんじゃないすか!」
 そのきり丸の切羽詰った気持ちを、三郎はたった一言で拒否してみせた。
「僕が?」
「三郎」
 雷蔵がそんな三郎の袖を引く。
「なにが見えてるの、ほんとうは。手助けできることなら、してあげたら」
「……取り憑かれているのは利吉さんのほうだ」
 雷蔵のとりなしに三郎がおもむろに口を開いた。
「なかなか色っぽい女性がしどけなく絡みついてる。……男に裏切られて自刃でもしたのかな。でも時々憑依されてるのは土井先生のほうらしいね。乱太郎君が見た黒い影はその憑依された後の澱のようなものだ」
「憑依って?」
 尋ねるしんべヱに、三郎はにぃっと唇を吊り上げて笑ってみせた。
「狐憑きって知ってるかい? 霊や物の怪が体の中に入り込んで好き勝手していくことだよ」
 ぶるっと二年生三人が体を震わせたのはその説明の故か、三郎のその唇だけの笑いの怖さの故だったか。
「かわれかわれって声が聞こえるよ。よほど土井先生にとって代わりたいらしいねえ」
「じゃあ、土井先生……」
 心配気につぶやくきり丸に三郎が続ける。
「だから、普段の土井先生は憑依なんかされてないってことなんだよ。なのに時々はそれを許してる跡があるというのは……先生自身にその女と同調する何かがあるってことだと思うよ」
 きり丸の目が光った。
「それって先生が悪いってことかよ!」
「おや」
 また三郎は奇妙に人間離れした笑みを浮かべて察しのいい後輩を見やった。
「そう聞こえたかな。悪かったね」
「……三郎先輩」
 改めて、思い詰めた声音で呼んだのは乱太郎だ。
「……それって、ほんとにほっといても大丈夫なんですか? 先生も利吉さんも、大丈夫なんですか……?」
「あまりよくはないね」
 乱太郎に向き直った三郎の瞳はかすかになごんでいたが、返事は不吉なものだった。
「強い恨みや邪気は感じられないけれど、いつまでも取り憑かれていていい性質(たち)のものじゃないねえ」
「じゃあ、どうすればいいんですか? 三郎先輩、わたしたち、どうすればいいんですか?」
 三郎は正面から必死に尋ねてくる乱太郎をしばし見つめ、それから、黙ってはいるけれど、やはりじっと自分を見つめている雷蔵を見やり、
「……かなわないな、君たちには」
 小さく呟いた。
「こういうことには関わらないことにしてるんだけど。……まずは利吉さんと土井先生に何が起こっているのかわかってもらう。次に利吉さんにその女をどこで拾って来たか思い出してもらって、もとの場所に返しに行く」
「か、返せるものなんですか……?」
「専門家に頼まなきゃならないけどね。……金楽寺のおしょうさんあたりに頼むのがいいと思うよ」
「それって、三郎先輩じゃ無理なんすか」
 言ったきり丸をちらりと見やり、三郎はさらっと答えた。
「女は嫌いだ」
 瞬間に固まった二年生三人だ。
「……で、でも、その、せ、先生たちに話しに行くのは……」
「それぐらいは手伝うかな。乱太郎君、協力してくれるかい?」
「どうして乱太郎」
 きり丸の問いに、三郎はふふと笑った。
「乱太郎君が好きだから」
「!」
 さっと気色ばんだきり丸の前に、ひらひらと手を振りながら雷蔵が立った。
「三郎。それぐらいにしとこうよ」
「わかったよ、もうやめておく。……三人の中で乱太郎君が一番『適性』がありそうだからだよ、きり丸君。他意はないよ……。君たち全員を連れて行かないのは、大人数ではいらぬ騒ぎが起こる恐れがあるからだ。納得してもらえたかな?」
 そして、にっこりと……雷蔵の顔によく浮かぶ、あたたかくて人好きのする笑みを浮かべた三郎を、きり丸がもうだまされないぞと見返す。
「乱太郎。だいじょうぶなんすよね」
「それは保証する」
 人の良い優しい笑みから、ほんの少し顔の肉を動かしただけで、また、あのぞっとするような冷たさと妖しさを秘めた笑みに変えながら、三郎は請合った。
「乱太郎君は大好きだもの」
「三郎!」
「先輩!」
 同時に上がった声に、三郎は声もなく笑った。


土井を通して、二人に話があると鉢屋三郎に呼び出されたと聞いて、利吉はその整った眉を寄せた。
 ―――鉢屋三郎がいったい、なんの話があるというのか。
 見当もつかなかったからだ。
 しかし、学園の東南の角の教室に放課後出向いて行くのに不都合はなかったから、利吉は土井とともに、その部屋へと赴いたのだ。
「お待ちしていました、先生方」
 にっこりと不破雷蔵の笑顔でほほえんだ三郎の隣に乱太郎がいる。
「単刀直入にいきます」
 そう前置きして三郎が話し出したことは、にわかには利吉には信じがたかった。
 ―――自分に、男に強い執着を残して死んだ女の霊が憑いている? しかも土井がその霊に憑依されている? 馬鹿な。
 しかし、三郎に、
「ここしばらくの間に、異様な冷気や不自然な気の揺らぎみたいなものを感じたことはありませんか」
 と問われてすぐに、あの氷のような冷たさで眠りを破られたお堂が浮かんだし、
「土井先生には失礼ですが、先生が先生ではないように感じられたことというのが最近、あったのではないですか」
 と重ねて問われれば、これは明らかに覚えがあることなのだった。
「土井先生、ここしばらくで、記憶が不自然に途切れていたり、夢の中の出来事か現(うつつ)の出来事か、はっきりしないようなことはないですか」
 と三郎に尋ねられた土井が、はっと表情を変えたところを見ると、土井にも思い当たることが、明瞭にあるのだろう……そう思ったときだった。
 がたん!
 四人のほかには誰もいないはずのその教室で、誰かが机を持ち上げてまた落としたような音がした。
 は、とした利吉は次に、「あっ!」と声を上げて身をふたつに折った乱太郎に目を丸くした。
「……あ……」
 ぶるっと身を震わせた乱太郎が、ゆっくりと顔を上げた。その目が、異様に釣り上がり、光っている……。
「……わらわを……追い出そうと言うか……」
 その口から、しゃがれた押しつぶされたような声が出た。
「邪魔立てすると言うか……わらわから……取り上げようと言うか……」
「乱太郎くん!」 
 咄嗟に乱太郎に向かって一歩二歩と歩み寄った利吉に、
「おお……」
 乱太郎は蕩けるような笑みを浮かべた。
「そなたはわらわのものじゃ……のう、そうであろ……のう……」
 両腕をかかげて、乱太郎は利吉へと身を投げかける。
「抱いてたも……わらわを……その熱うて太いもので……貫いてたも……」
 細い腕はまだ十を越えたばかりの少年のもの、口付けをねだるように開かれた口も、まだ団子が似合うこどものものだ。が、利吉の愛撫をねだるその身のくねりや淫蕩に光るその瞳は……身体の幼さに似合わぬ異様な色気を醸し出している。
「……ら、乱太郎くんっ、な、なにを言ってるんだ。いやちがう……おまえは誰だ!」
「わらわは……そなたのものじゃ……そなたはわらわのものじゃ……その逞しい腕も……気持ちのよい胸も……おお、この太腿も……みなみな、わらわのものじゃ……」
 乱太郎の手に全身を撫でまさぐられて、利吉は慌ててその身を突き飛ばした。
「わたしはおまえのものなんかじゃない!」
 ぎっと乱太郎がその双眸を剥き出した。
「ええい! なにを言う! そなたはわらわのものじゃというに! まさかにあの下郎のことなど言い出すのではあるまいな!」
 乱太郎は震える指で土井を指差し、利吉に詰め寄った。
「あ、あの者など……あ、あの者の胸のうち、存じておるか……そなた、そなたに慕われておるというに、あの者は、ひ、人の目ばかりを気にしおる……そなたなど要らぬ要らぬと繰り返しおる……あ、あのような下郎に……!」
 言い募る乱太郎の額に、すっと三郎が手をかざした。
 動きの止まった乱太郎にもう片方の手でぱらぱらと塩を振り掛け、なにか御札のようなものをその懐に滑り込ませて口の中で真言を唱える。
 糸の切れた傀儡(くぐつ)のように乱太郎が崩折れた。
「……と、言うわけです、先生方。信じていただけましたか」
 信じるも信じないもなかった。


        あな口惜しや口惜しや
        血肉がほしい、現し身が欲しい
        ……あな、口惜しや……
        ……この世に、とどまり……
        睦みおうて……
        おお、くそ坊主めが……
        わらわをこの世から吹き払おうとてか……
        ……おお……くちおし……
       

 三郎の忠告と指示通りに金楽寺の和尚に頼んで共にくだんのお堂に出向き、除霊と供養を、利吉は済ませたのだった。
 土井は、これも三郎の指示通りに、家の四方の四隅に塩を盛り、出入り口のすべてに御札を貼って、香を焚いて利吉を待っていた。
 和尚の功徳の高さに救われたか、三郎の指示が確かなものだったか、怪異に見舞われることなく、利吉を家に迎えた土井も、迎えられた利吉も、互いに安堵のため息を漏らした。
「……今回は……わたしの不徳の故に……先生にもご迷惑をお掛けしました……」
 詫びて頭を下げる利吉に、
「……君のせいじゃないよ……」
 答えながら土井は、顔をそむけた。
 利吉も黙る。
 床に切られた、今は火のない炉を挟んで向かい合ったふたりに、気詰まりな沈黙が落ちる。
「……その……」
 明るい調子になるようにと利吉は声を励ましながら、切り出した。
「その……あんなおばけの言うことを本気にしたわけではないのですが……」
 言われることの覚悟がついているのか、土井は視線は落としたまま小さくうなずいた。
「……その……あなたが人の目を気にせずにはいられぬのはわかるのですが……その、わたしを要らぬとおっしゃるのは……」
 否定の言葉を求めて土井を見つめる利吉の視線に、土井はやはり目を上げようとはしない。
 絶望的な思いに襲われて、利吉は両手を固く握り合わせる。
「……では……わたしはもう、この家にも来ないほうがいいのでしょうね……」
 その利吉の言葉にも、土井は否定を口にしようとはしなかった。
 が、無言のまま座をいざってくると、土井は利吉の両手に手を重ねた。
「土井先生……」
「……あの女が言っていたのは、本当のことだ」
 ようやくに、土井は口を開いた。

 
「……わたしは……気にせずにはいられない。……君は、ただの通りすがりに知り合った若者じゃない。君は山田先生の息子さんで、学園にも君を知らない者はない。……気にせずにはいられないんだ。君とわたしが……割りない仲になったと、もし、誰かが知ったら、もし、山田先生がお知りになったらと……わたしは怖いんだ。
 なのに、君ときたら……慧眼な学園の先生方の前でも平気でわたしに話し掛けてくる。君はね、自分で思っている以上に、わたしのことを好きだ好きだと、その態度で言ってるんだよ。それを見るたび、わたしはハラハラしなきゃならない。
 ……君なんていらないと、思うんだよ、わたしは。いつもいつもそう思おうとする。
 ちょっと冷たくあしらっただけで簡単に君は落ち込む。ほうっておこう。そう思うのに、青菜に塩な君を見ていられなくて、つい声をかけてしまう。途端に元気になる君を見て、ほかの先生方がどう思うものか……わたしはすぐに後悔しなきゃならない。
 君なんて、いらないんだ。
 ……そう思おうとしてるのに……君はすぐにわたしの懐に飛び込んでくる。人が赤面するようなことを平気で言っては、わたしを揺さぶる……。
 わたしはね……君が好きなんだ」
 その初めての告白とともに、利吉は自分の手を覆う土井の手に、ぎゅっと力がこもるのを感じたのだ。


「君が、好きだよ。……愛おしいよ。
 七つも年下で……山田先生の自慢の息子で、山田先生に嫁が来るのを楽しみに待たれている、七つも年下で……ほんの一時の気の迷いを、まるで生涯の誓いのように口にする、そんな君が、好きなんだ。
 だから、いつも自分に言い聞かせてる……君なんか、いらない、いらない、いらない。
 ……君が、愛おしい、愛しい、可愛い」
 ―――いつの間にか。
 土井は伏せていたはずの目を、しっかりと利吉に向けていた。
 利吉は、剥き出しの愛情をたたえた土井の視線の熱さに気圧されそうになりながら、その目を見つめ返す。
「……せんせい……半助……い、一時の気の迷いなんかじゃありません。ほ、ほんとです! わたしは、わたしは先生が……あ、あなたしかいらない! 欲しくない! ほんとです!」
「……また君は……すぐにそう言うことを言う……」
 土井は利吉の手に置いてあるのとは逆の手で利吉の頬を優しく包んだ。
「君はね、ほんとに罪作りだと思うよ。……君のように綺麗で才にあふれた若者が、そんなふうに熱心にかき口説いたら……木石(ぼくせき)さえ赤くなって動き出してしまうよ。……利吉」
 初めての告白に、胸は高鳴っていた、と利吉は思うのだが。
 それでは、近づいてくる土井の顔に胸が轟いたのはなんと形容しよう?
 土井がしっとりと唇を合わせ、確かな強さで唇を吸い上げてきた時に、全身に鼓動が響いたのは、なんと形容しよう?
「愛しているよ」
 声もなく、唇を触れ合わせたままのささやきが、大きく聞こえた。
「‥‥‥‥!」
 利吉は両腕で土井を抱き締めた。


 利吉の耳元で、土井は続ける。
「あの女に憑依されながら‥‥わたしはそれをさほど不思議とも思わなかった‥‥。
 あの女が、君を愛しいと思い、君に抱かれて悦ぶのを‥‥不思議に思わなかった。
 わたしはね‥‥いつも君に抱かれながら‥‥自分の気持ちも、自分が感じるものも、殺そう殺そうとしていたんだ。‥‥君はいつかわたしから離れていく。その時につらくないように。年下の君の甘言を、真に受けたなどと思われないように。自分にも、わたしは嘘をつき続けてた‥‥。
 ‥‥だからね‥‥あの女がわたしの中に入ってきて‥‥頭がぼーっとして、なんだか霞みがかった世界にいるような感じになりながら‥‥思いきり喘いでよがって、君の愛撫をねだっている時に‥‥わたしは押さえ付けてた自分の中のものが、とうとう暴れだしたのかと思ったんだよ。
 わたしは、いつも、そんなふうに‥‥君に狂っていたかったんだ‥‥」
 言葉を続けながら‥‥土井の唇は利吉の首筋を這う。
 手が、愛おしげに髪の中へと滑り込む。
「狂いたかった‥‥そうだ、あの女がしたかったことは、みんな、わたしがしたかったことなんだ。
 こうして‥‥君の肌を嗅ぎ、味わって‥‥君の髪に指を絡めて‥‥そして、同じようにしてくれと、君にねだっていたかった‥‥」


 それほどの告白を聞いて、平静でいられるわけはなかった。
「半助、半助‥‥!」
 利吉は押し倒した土井に降るように口づけを浴びせ、かき抱いた。
 それを‥‥いつものように少し迷惑そうにすら見える表情で、利吉の勢いをいなすではなく、土井は陶然と目を閉じて受け止め、つぶやいた。
「‥‥あの女は、なんと言っていた‥‥?」
「え?」
「‥‥逞しい腕だと? この腕に抱かれている時の、安心とあたたかさはそれだけじゃない。抱き締めて‥‥引き倒して‥‥わたしをまるごと、君の想いのなかに引きずりこもうとする、強い腕だ‥‥。
 気持ちのよい胸? この胸に‥‥胸を合わせて‥‥響いてくる鼓動を感じて、その胸の重さを受け止めて‥‥それを気持ちがよいと一言で言ってしまう?
 この、太もも‥‥膝から、わたしの足を割って、閉じることを許そうとしない、この足も‥‥どれほどに力と思いに満ちて圧倒的か、わかっていた? 
 ‥‥君のからだ全てが、どれほどの迫力でせまってくるか‥‥どれほど、わたしを魅きつけるか‥‥あの女にわかるものか‥‥」
 土井の手は、言葉とともに、利吉の素肌を求めて動いていた。
 自分の顔の脇につかれた腕をさすり上げ、利吉の襟をくつろげて露わにさせた胸を撫で、両足の間にある利吉の足を両側から挟み込んだ。
 が。
 ふと、土井は表情を固くして、動きを止めた。
「‥‥狂ってしまっていいと思っていたのかな、わたしは。‥‥ああ、よくわからない。‥‥でも、気持ちがよかったんだ。求めていたのを我慢しなくてもよくなった、そう思っていた‥‥」
「我慢なんて、しないで下さい」
「‥‥利吉‥‥」
「‥‥我慢、なんて、しないで。欲しがって下さい、感じて下さい、お願いです」
 鼻が触れ合うほどの距離で、ふたりは互いの瞳を見つめ合った。
「感じて‥‥欲しがって‥‥わたしは、あなたのものです」
「‥‥‥‥」
 小さく、土井はかぶりを振る。
「‥‥わたしは‥‥君になだれこんで行きたいんだ‥‥君に‥‥」
 利吉は小さくうなずいてみせた。
「来て下さい。受け止めてみせます。あなたの、全部」
「‥‥‥‥」
 言葉は、なかった。
 くっと首を持ち上げた土井は、深く、利吉の唇に唇を重ねた‥‥。


 愛し合う。
 行為を知っていても、愛情を知らなければ、できない。
 愛情を知っていても、快を分かちあえねば、成り立たない。
 だから、行為は簡単でも、難しいそれを、ふたりは時間をかけて、行った。
 初めて。
 ふたりだけで。
 愛し合った。


 利吉がそれをくすぐったがると知ると、半助はおもしろがって、利吉の額の生え際に舌を這わせた。
 反応を殺さぬ半助に、やはり乳首が弱いと知ると、利吉は羽毛の優しさでそこを指と息で責めぬいた。
 頬を合わせて、互いの体温の高ぶりを確かめ合った。
 口づけては唾液を吸い合い、互いの味を味わった。
 鍛えられた体の中でそれでもいくぶん柔らかい利吉の脇腹を半助が柔らかく噛み、利吉はやはり柔らかな半助の内股の肉を噛んだ。
 そして。
 半助は自らの膝裏を手で支えて、利吉を受け入れ、
 利吉はゆっくりゆっくりと自身を半助へと埋没させ、
 彼らの夜は長かった。


「‥‥好きだよ‥‥」
「好きです」
 告げ合う言葉を、見交わす瞳が裏付ける。
 利吉のものでいっぱいになりながら、半助は喘ぎの合間に、繰り返す。
「好きだ‥‥」
 と。


 一歩一歩、土井半助という男に向かって歩いて来た。
 これからは。
 固く抱き合いながら、利吉は思う。
 その一歩は、あなたに向かうものではなく、
 あなたとともに歩み出す一歩になるんですよね‥‥
 半助。

                                       了

 

Next
Back
Novels Index