恋に落ちた時、特にその思いが遂げられる前‥‥人はよく思う。
「わたしは一体、彼の、彼女の、どこにこれほど惹かれているのか」と。
若ければ若いほど、その自分に対する問いかけは真剣だ。
山田利吉は若かったから、やはり、まじめに自問した。
自分は土井半助のどこに、これほど惹かれているのか、と。
傷ついて泣いた自分を受け止めてくれたから。
その度量と懐のあたたかさが、まず理由の一に来る。
それから‥‥。
話していて、楽しかった。穏やかな笑顔。人に圧迫感を感じさせない物柔らかな視線。同じ忍びとして話題を探すに苦労はなく、笑いを感じる対象や会話のリズムが似通っていることで、話は弾んだ。共通の話題がなく、ユーモアのセンスがかけ離れた相手とは付き合いにくいが、そのふたつのうち、どちらかが満たされれば会話は進む。
どちらも合格となれば、会う楽しみは倍増する。
話していて楽しい。満たされた気がする。学ぶべき知識を持っている。
利吉はそこにも解答のひとつを見つけた。
それならば、会って話しているだけで十分だろう。が、増殖する恋心は利吉をいっぱいにして、さらなる行動へと駆り立てる。
触れたい。抱き締めたい。口づけたい。‥‥入れたい‥‥。
求めても求めても、恋心は次へ、次へと利吉を駆る。
触れ合わせた肌の心地よさ。
これほどの快感は知らなかったと思うほどに、満たされた心持ち。
ここに来て、利吉は問いの最終的な答えを見いだしたと思う。惹かれるのは、合うからなのだ。ふたりは合うのだ。会話も、からだも、合うからこそ、楽しい、歓びとなる。
そう思い至った時、おのずと道は見えた、と利吉は思った。
得たい。すべてを。土井半助のすべてを。
そして、生きて行きたい、共に、と利吉は願った。
閨の中、喘ぐ息さえひそめようとする半助に、そのすべてを暴きたくて、さらなる愛撫を加えながら‥‥利吉は思う、もう離せない、と。
だから。きり丸を追い落とし、しぶる半助をせっついて、同居まで持ち込んだ。
最初は気のせいか、と思った。いや、手がすべったのだ、と。
大きく足を左右に開き、深く利吉を受け入れながら、半助の手が利吉の腰に回りこみ、その指が、利吉の双丘の窪みを滑った。
激しく突く利吉の動きに揺すられて、その手もまた揺れていたけれど、それでも指が利吉の後門を丸くなぞっていったような気がした。
責めに耐え、髪を乱して喘ぎをもらしながら。
その指が。
ふと利吉の双丘を割る。もぐりこもうとする。菊門に。
気のせいだ。手が滑ったのだ。と思う。
どういうつもりなのか、と聞けばいいのかもしれない。軽くいなしてもいいかもしれない。変なところを触ってますね、と。
が。
自分と同じようにそそりたつ半助のものに‥‥先走りの露にてらりと光った半助のものに‥‥なぜか、利吉は問いかけを飲み込んだ。
そんなことが二、三度あった後だ。
利吉は文机の上に無造作に置かれた本に目を止めた。
半助は出掛けていた。
無聊を持て余し、ふとその本に気づいた。
二つに折った半紙を幾枚か、重ね合わせて糸で綴じた本だ。本と言うより手製の小冊子といったところか。表紙にあつらえた和紙の上に墨で「美味礼讚」と書いてある。
なにか料理の覚書かとぱらりと開いて。
利吉は凍った。
春画、だった。
小姓が、侍に袴を剥ぎ取られのしかかられている。稚児が、法師にそこを嬲られている。どれも、どの頁も、男同士の絡みを描いた枕絵だった。
利吉は混乱した。
これを、この本を半助が‥‥!?
男だ。猥談を楽しみもすれば、春画を楽しみもするだろう。が、その墨で黒々と描かれたそれらの男同士の睦みを半助が愉しんだのかと思うと、利吉は鼓動が早くなる。
かっと体温が上がったような気がした。
「生徒からの没収品だよ」
突然に、すぐ後ろから声を掛けられて、利吉は飛び上がるほど驚いた。
「は、半助!」
「ただいま。教室で楽しむものではないからね、没収したんだ」
利吉の肩先に触れながら、半助は手を伸ばす。
「なかなかよく描けてるだろう?ただ惜しいかな、実体験が少ないね、この生徒は」
「え、あ、そう、そうですね‥‥」
少年が男を受け入れて大口を開けて何か叫んでいる図から、利吉は視線をひっぺがした。言われてみれば確かに、稚拙なところの残る線で、絵心のある生徒が描いたと言われれば納得が行く。人物の形は取れているのだが、技術的にまだ未熟な部分が見える。が、その分、なんというか、絵に生な情念が感じられて迫力がある。間近に半助の息を感じながら正視できる代物ではなかった。
しかし半助はそんな利吉の焦りにも似た動揺に気づかぬように、背後から頁を繰って論評を加える。
「ほら、これなんか、この態勢じゃあ一物は深くは収まらないよ。もっと上体を倒さなきゃ‥‥ほら、これも。この角度なら袋がまず見えるはずだろう?」
かなり露骨な言葉をしらっと口にして、半助は冷静に寸評を加えていく。
その前で、心臓をどきどき言わせている利吉の動揺を知ってか知らずか。
「あ。ほら」
促されてまた、利吉は本に目を落とした。
年若い侍が年配の侍に後ろから責められて眉を寄せている。
「この若侍、君に似てるね」
「‥‥‥‥」
利吉は声もなく、固まった。
枕絵を前に、それが自分に似ているなどと言われたことはない。
一瞬おいて、心臓がフル活動して、利吉の全身を朱に染めた。
「は‥‥!」
何を言おうとしたのか。反論か抗議か。が、振り向いた利吉は、今まで見たことのない半助の表情に、再度、固まった。
にま、と形容したい笑顔。
にやり、より、ねちこく楽しんでいる風情。
そんな利吉の耳元で、半助はささやいた。
「君のなかはどんなだろうね‥‥」
朱に染まっていた利吉の全身が、今度こそ、火を噴いた。
「ははは、は、は、はんすけ‥‥!」
に、と半助が笑みを深くした。
その時の救いは「ただいまあ」と帰って来たきり丸だった。
その夜。
利吉は覚悟を決めた。
「半助。‥‥もし、もしあなたが‥‥」
「うん?」
テストの採点をしていた半助が顔を上げた。
利吉はごくりと唾を飲む。
「もし、もしあなたが‥‥」
それはふたりの絆を深めたい、とか愛しい人の希望があるなら応えたい、とか、そういう前向きな姿勢が言い出させたことではなかった。
栽尾を望まれているのかいないのか、それすら実は定かではなく、しかしちらちらとほのめかされて慌てる様子を楽しまれているかと思うと落ち着かず、とにかく、落ち着く先があるなら落ち着かせてしまいたい、そんな焦りにも似た気持ちが言わせたことだった。
「あなたが、望むなら、わたしは‥‥」
が、思い切って切り出した利吉の言葉は最後まで紡がせてはもらえなかった。
「味気無い」
一言で返された。
「それじゃあ、つまらないじゃないか」
「‥‥はい?」
「あのね、利吉くん」
そして半助は、まるで生徒に術を教える時のように、噛んで含める口調になった。
「色事の醍醐味はね、さらして形を整えて、はい、どうぞとしたら、失せてしまうものなんだよ。君がなにをわたしに提案してくれようとしているのか、わたしは知りたくもないよ」
それだけ言って半助はまた、採点に戻る。
利吉はじっくりと考えた。
半助の言葉の意味‥‥もしかしたら、ちょっと恐ろしいことを言われた気がする。
ふと気づくと半助の視線が腰のあたりに痛い。
反射的に身がひけた。
半助が、また、にま、と笑う。
この時、初めて利吉は、半助と一緒にいたくない、と思った。
見透かしたように、半助が笑みを深くした。
「君だからね」
「‥‥はい?」
「わたしと一緒に暮らしたい、と言ったのは君のほうだよ」
利吉は固まった。
「そういえば君は以前、おもしろいことを言っていたな。獲物を捕まえるとき、一番慎重にならなければならないのは、捕まえるその瞬間だと。ちがったっけ?」
「‥‥い、言いました‥‥」
「じゃあ、一番、おもしろいのはいつだか、知ってる?」
利吉はふるふると首を振る。聞きたくない、と思った。
半助の瞳が輝いて見える。
「捕まえた獲物をなぶって遊ぶ時だよ」
恋をした。どこに惹かれたのか、考えた。
半助の人柄、いや、半助その存在そのものに惹かれたのだと思えた。
追いかけて追いかけて、一途に追って、手に入れた、と思った。
追っていたつもりが。深く搦め捕られていたのか‥‥。
手に入れたつもりの、土井半助とは‥‥。
おそるおそる半助を見ると、また、見透かした笑みが待っていた。
「わたしは年相応の、男だよ」
今年で三十路を迎える男盛りの男は、年下の男に向かい、にっこりと笑ってみせた。
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