いと恋し、いと口惜し

 

     
 ――愛しい。口惜しい。
 山田利吉、彼は十八の年に、初めて本気の恋に落ちた。どれぐらい本気かと言って、
「わたしは本気です。本気であなたが好きです。そりゃ……今までにも深い仲になった相手がいなかったとは言いません! ですが今から思えば、それはみんな好奇心に毛が生えた程度のものか、ちょっとした軽い火遊びみたいなものでした!」
 と、その恋の相手にバカ正直に告げてしまうぐらい、本気であった。当の相手は、プ、と小さく失笑し、
「光栄だよ。本気の恋の相手に選ばれて」
 などと言う。
 ……全く本気で相手にされてはいないのだった。
 十八歳の利吉の本気の恋心には、『口惜しさ』が切っても切れない成分として存在するようになった。
 利吉の恋の相手は土井半助という二十五歳の忍術学園教師だ。
 同性、七つも年上、さらに忍びの道の達人という難易度の高い条件にも関わらず利吉は恋に落ち、恋心の常として、相手、つまり土井先生にも同じ感情を自分に対して持ってもらいたいと熱烈に願うようになったわけだが、このスペックの持ち主が一筋縄で行く相手であるはずがなかった。
 利吉の恋は最初から、荒れた。
「好きです」
 と、目でも言葉でも訴えた初期段階は、人当たりのいい笑顔で徹底的にかわされた。学園の一年生たちに「土井先生、土井先生」と慕われる、優しく温かい笑顔で。学園の一年生があしらわれるように利吉はあしらわれた。
 その、優しげではあるがスキのない、温かそうではあるが距離の縮めようのない、つまり攻めようのないかわされ方に、若い利吉は焦れに焦れた。
「わたしの気持ちはもうご存知のはずですよね」
 と膝を詰めても、
「君の気持ち? ああ、一時の気の迷いの、例のあれのこと?」
 などと笑われるし、
「今日こそお返事を聞かせてください」
 と顔を寄せても、
「なんの返事だっけ?」
 と真顔で聞き返された。
 利吉が時に土井の前で涙さえ滲ませてしまうのは、届かない想いに胸が焼けるせいばかりではなかった。子ども扱いされてあしらわれるのが、あまりに口惜しかったからだ。
 それでも何度も何度も想いを告げ、暑苦しいほどにつきまとい、ついに土井と躯を重ねた日のことを、利吉は忘れない。
 土井の借りている町家でのことだ。
 今日こそ逃がさぬつもりで、土井の手首を握り締めた利吉に、土井は薄く笑った。
「……なにを熱くなってるんだか。こんな躯が欲しいならいくらでもくれてやるけど、コレはそれほど綺麗なものじゃないよ?」
 それは土井が今まで見せていた顔とは似ても似つかぬ。狡くて冷たく、そして妖艶な笑みだった。
「……大木先生のことなら、知ってます」
 低く搾り出した声を、土井は鼻で笑ったのだ。
「なんだ。大木先生のことしか知らないのか」
 と。
 カッと頭も胸も熱くなった。口惜しくて。口惜しくて。
 焦がれて焦がれて仕方がないものを、あっさり他の男に投げ出してしまう土井が、そんな土井がそれでも欲しい自分が、口惜しくて。
 押し倒したのは勢いで、土井の着物を剥いだのも怒りとないまぜになった口惜しさにまかせてのことだった。
 でも、それでも。
 愛しい人の肉体に触れ情を交わすその時間を、利吉は本当は大事に過ごしたかった。だから、利吉の勢いに抵抗するでもなく、乱れた着物を背に、半裸で利吉に伸し掛かられている土井に、
「……ごめんなさい」
 と告げたのだ。
「ごめんなさい。こんな……乱暴にするつもりじゃ……」
 土井はさすがに笑わなかった。笑わなかったが、利吉の背に回した手で、ポンポンと背中を叩いてきた。
「言ったろう? それほど綺麗な躯じゃないと。……これぐらい、乱暴のうちには入らないよ」
「土井先生……」
 こんな時にも子ども扱いはやめて下さいと言いたくて、でも言えない利吉に、土井は低く、いっそ甘く、囁いた。
「――おいで。……わたしを好きにしてごらん」
 仄暗く、淫靡な誘い。もう利吉には誘われるまま、土井の唇に口づけるしかなかった――。
 七つも年上の人にそういう場面で勝てるとは思っていなかったが、初めての情交が完全な負け戦になるとも思っていなかった利吉には、痛恨の一夜であった。
 その上に。『きぬぎぬの別れ』として歌を送り合うところまではさすがに期待していなかったものの、それでも多少の余情というものを味わいたくて次の約束をねだった利吉に、
「あ。その日はダメだ。杭瀬村に用事があるから。帰りは次の日の朝になるな」
 ……などと。などと。肩から着物を羽織りながら、土井はしれっとそう吐いた。
 口惜しい。恋しい。
 十八の利吉は、相反する想いに呻くしかなかった。

 そんなふうに、子ども扱いされ、あからさまに軽んじられているばかりだったら、土井への想いが利吉の中でいつか変質してしまっていたかもしれない。土井が徹頭徹尾、冷たいばかりの人間だったら、二人の仲は躯だけのもので終わっていたかもしれない。
 が――。
「あなたがわたしを受け入れて下さらないのは! わたしが山田伝蔵の息子だからですか!」
「……なにを言っているんだか」
 利吉は土井の本心を見破れないほど鈍くはなかったし、土井がふとした瞬間にこぼす寂しさを見逃すほど愚かでもなかった。
「わたしには、あなただけです。今も、これからも、ずっと」
 そして利吉には、土井が欲しい時に、欲しい言葉を与えられるだけの愛情があった。
「……なにを言っているんだか……」
 呆れたような言葉を返されるのは変わらなくても。土井の手を握り締める利吉の手は時に握り返されるようになったのだ。

 土井はやがて、杭瀬村を訪ねなくなった。
 利吉は約束なしに、町家で土井を待つようになった。
「半助……」
 名を呼び捨てにすることも許される。
 土井もまた、時に「利吉」と呼び捨てる。
 閨でも、土井の流れと余裕を突き崩し、利吉が崩折れる土井を胸に抱き止めるようにさえなった。
「……半助」
「…ッ、だ、から、そこ、は…っ!」
 跳ね上がる腰を、楔を深く打ち直すことで引き止める。
「は、あう! ア、ア――ッ、あ……!」
 土井ももう、声を殺さない、与えられる快感を逃がさない。
 利吉が加える愛撫に、責めに、素直に官能の行方をまかせてくる。
 癖のある髪をかき上げ、現れた首筋に口付ける自由さえ、利吉にはあった。
「……好きです、半助」
 俺も。囁きが乱れた息の合間に聞き取れた。

 だが。しかし。それでも。やはり。案の定。
 七つの年の差は厳としてあり、土井が煮ても焼いても食えない部分を持ち合わせた男である以上――。
「……半助。そろそろ休みませんか」
 と、暗に行為を求めても、
「んー。先に休んでてよ」
 あっさり流されたりなどは日常茶飯事で。
「……近々また長い仕事に出なければなりません」
 と、さりげなく『今が大事』を匂わせても、
「寂しくなるねえ。気をつけてね」
 顔も上げずに言われたり。
「半助」
 たまらず、灯火の傍らで本に目を落とす土井の傍らに利吉はすり寄る。
「……この本は明日には返さないといけないんだ」
「……わたしはあなたが欲しいんです」
 婉曲な断りの言葉に、直裁に欲望をぶつけて返せば、土井はふっと息をつく。
「わたしが?」
「そうです、あなたが」
 横に、膝つき合わせて迫る利吉を、土井は意味深な流し目で見やる。その手がすうっと利吉の股間へと滑り込む。
「……本当だ、ずいぶんと……欲しがってくれている」
「は、ん……!」
 愛しい人に愛を求めて擦り寄るのに、股間のモノが沙汰なし、なぞという枯れた境地にはほど遠い。利吉のソコはやんわりと、しかししっかり密度も大きさも普段の三割増しにはなっていた。
それを布越しにさわさわっと撫でられたかと思えば、きゅうっと握られたりなぞすれば……密度、硬度、長さ、体積、温度、すべてが一度に上昇する。
「……熱くなったね」
 などと、耳元で淫らがましく囁かれれば、なおさらだ。
「半助……は、ん……」
 衣擦れの音がいやらしい。布越しの刺激がもどかしくも、かえって新鮮で、利吉はいや増しに昂まる。
「う……」
 頭を土井の肩に預けて快感を耐えようとするのに、
「じかに触っても……?」
 吐息を含んだ囁き声を、耳から脊髄へと通される。
「は、半助、ふ、布団へ……」
 行きましょうという言葉が続かない。イヤだイヤだと思っても、袴の脇から忍び込んできた手は知り尽くしたツボを的確に、かつ執拗に攻めてくる。
「あ……ッ」
「いいよ……ほら。逝ってごらん」
 声だけは優しくて。
 利吉は胴震いしながら、冷たい人の手の中に欲情の証を吐いた。
「……半助」
 恨みを込めてじっとりと睨み上げれば、
「先に休んでおいで。さっぱりしたろう?」
 意地悪な恋人は涼しい顔で言ってのけると、これでいいだろうと言わんばかりに本に目を戻すのだ。

 愛しい。口惜しい。口惜しい。愛しい。
 利吉の恋は行きつ戻りつ。永遠に――。



                          了







 

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