そろそろかな、と半助が思った時だった。
「‥‥あの‥‥」
奇妙なふうに、利吉が体を起こした。
「すいません‥‥あの、どうもちょっと疲れてるみたいで‥‥」
うなだれ気味に謝る利吉の股間のものが、これははっきりうなだれている。
「あ」
と出掛けた声を半助はのむ。‥‥こういう時は慎重に、かつ、なにげなく、振る舞わねばならない。
「そういう姿のあなたを前に‥‥もったいない限りなんですけど‥‥」
「あ」
と半助は今度は声に出す。
のしかかる利吉を挟んでいた足はそのままに開き、利吉を受け入れるつもりでいたそこは空にさらされている。
物欲しげに見えるその姿勢を直そうと、半助が動いた時だ。そのさらされた半助の股間に、どこか思い詰めた色がある、かたい表情の利吉が顔を寄せてきた。
「‥‥半助‥‥あなただけでも‥‥」
利吉の言葉に利吉の意図を察した半助はあわてた。
「い、いや、いいよ、利吉くん! そんな、気を使わないで‥‥!」
「気を使っているわけではありません」
生真面目な表情のまま、利吉は言い返してくる。
「あなただけでも‥‥」
気持ち良く気をやってほしい。
利吉の気持ちはありがたいが、そんな申し訳なさとまじめさだけで思いやりを発揮されては、半助も楽しめない。逆に半助が奉仕してやればよいようだが、それが利吉に与えるプレッシャーの大きさが予想できるだけに半助には得策とは思えなかった。
「いや、いいって。利吉くん」
今まさに唇をふれんとしていた利吉の肩を引き起こし、半助は足を閉じ、腰を引く。
「またね、また、ふたりで楽しめる時のために、それはとっておくよ」
「でも、半助‥‥」
言い募ろうとする利吉の唇に、半助は指を立てる。
「たまにはこんな晩もいいじゃないか。‥‥口だけ‥‥吸ってくれる」
「はい。喜んで」
利吉の口づけを受けて、ゆっくりと背を倒しながら、半助は心中ため息をつく。
妙に遠慮がちで、固い感じのする利吉の口づけ‥‥。
これは、続くな、と。
「‥‥すいません‥‥」
半助から身を離す利吉の肩がしょげている。
「どうもなんだか、仕事のことが頭から離れなくて。疲れがたまってるんですね」
努めて明るく言い訳する利吉の股間は‥‥小さくかじかんでいる‥‥。
「やっぱりちょっと、無理をしちゃったのかもしれません。この次の大山を越えたら、
少しまとめて休みをとって‥‥」
無理に明るい声を出し、仕事と疲れにかこつけようとする利吉‥‥。
「‥‥そうだね。君は働き過ぎだよ、ほんとうに」
半助は優しく相槌を打つ。
利吉の瞳が揺れた。半助は利吉の背に腕を回してやる。
「‥‥ごめんなさい‥‥」
蚊の泣くような声に、半助はぽんぽんと利吉の背をたたいた。
「いいんだよ‥‥謝るようなことはなにもないんだよ」
ゆるやかに利吉の背を撫でながら、半助は心中ため息をつく。
やっぱり、続いた、と。
「あの」
思い詰めた利吉の声音。
「なにか、いい薬でもありませんか」
「‥‥疲れてるんだよ、思い詰めないほうがいい」
「‥‥でも!」
もう三度目だ。利吉の焦りは本物になって来ている。
あーあ。“おいた”が過ぎたか、と半助は反省する。利吉は何事もなかったかのような顔をしているが、この前、半助が利吉を貫いたのが尾を引いているのは間違いない。
そろそろいいかと思ったのに。とは半助の愚痴。
‥‥だいたい、割りない仲になった男と男が、どちらか一方しか楽しまないというのは勿体ないような気がする半助だった。こちらは入れるだけ、こちらは受けるだけ、と言うなら男女の仲と変わりない。そう思いつつも、子供扱いされたくない、半助に認められる一人前の忍びになりたい、と懸命に自分を追って来た利吉の気持ちがわかるから、今まで利吉の男の部分を尊重してきたのだ。‥‥しかし一流の忍びとしての評価も固まり、男としてももう十分に成長しただけの自負はあるだろうから、と先日手を出してみたら‥‥これだ。「利吉、おれは待った。十分すぎるほど、待った。利吉、もう待てない」と言うほど思い詰めたものはなかったが、それでも機が熟すのを待ったつもりなのに‥‥誰にこぼせる訳でもないが、愚痴のひとつも出てくる半助だ。
「先生、薬、詳しいでしょう」
利吉は正座して半助に迫る。表情が本気だ。
「‥‥それはね」
思わず床の上に座り直し、半助は講義する。
「媚薬と言われるものがあるのは確かだよ。効果の高いのは陰部に塗り付ける類いのものだけどね、あれは結局、一種のかぶれを起こさせてむず痒さを感じさせるものが多いんだ。依存性がないのはいいが、下手をすると快感どころか、かぶれて後で大変だ。依存性がないっていうのは、知ってるよね、中毒にならないってことだ。
中毒を恐れないなら、興奮剤は何種類かあるよ。幻覚を起こさせたり、理性を鈍らせる薬がね。でも、それらは必ずしも性的な興奮を呼ぶとは限らない。人によってはやたら攻撃的になったり泣き出したりもする。薬を使い続ければ、人も変わってしまうし、一時の快楽を追うにしては代償が厄介すぎる。
後は香りものだね。麝香鹿や麝香猫から取れる麝香や霊猫香があるけど、これは舞台装置やその他の誘惑と組み合わせれば有効だが、単体で相手もわからないほどの性的な興奮を呼ぶのは無理だ。
一番てっとりばやくて無難なのは、やっぱり酒かな。酒を飲めば気分がほぐれて緊張が保ちにくくなる。それに血行もよくなって体も火照るだろう?」
それを聞くやいなや、厨(くりや)に立とうとする利吉の寝衣の裾を半助はつかんだ。
「ちょっと待った。まだ講義は終わってないよ」
しぶしぶ座った利吉の手をつかみ、半助はその目を正面からのぞきこむ。
「でもね‥‥中毒にもならず、効き目も確かで、酒より手っ取り早いものがある。
‥‥なんだか、わかる?」
利吉は戸惑ったように首を横に振る。
「‥‥‥‥」
半助は無言で利吉の肩口を抱き込んだ。顔を、その首から肩に埋める。
「‥‥それはね‥‥好きな相手の匂いと肌だよ‥‥」
「半助‥‥でも‥‥」
揺らぐ利吉の声が言う。あなたが好きです、でも、と。
「あのね、利吉くん。なにも入れて出して、それだけが気持ちいいわけじゃないだろう。一緒にいて、くっついて‥‥それでなんだか色っぽい気分になれたら‥‥それで十分、情を交わせたことにはならない?」
「‥‥でも‥‥それだけで‥‥ほんとに‥‥」
割り切れなさそうな利吉に半助は身を預ける。
「‥‥いいから‥‥」
ささやく。
「いいから‥‥抱き締めて」
利吉の腕が背に回る。
しっかりと抱き合って、互いの肩口に顔を埋めて、たちのぼる肌の香とそのぬくもりをどれほど味わっていたろう。
「半助‥‥」
利吉が言った。
「せっかくだから、脱ぎませんか?」
これ以上、自分がリードしては逆効果と、利吉の出方をうかがっていた半助は、その申し出ににこりと笑った。
素っ裸になって、床の上に横になり、抱き合った。
何もせず、ただ肌を寄せ合って、ただ互いの体を感じているのが、なにやら新鮮で。
くすぐったいような笑いがこぼれて。
埒もないことをささやきあっては、小さく笑いをこぼす。
「‥‥半助‥‥」
利吉が半助の耳元でささやいた。
「握っていても、いいです?」
半助は笑ってうなずく。
「握るだけだよ」
「そんな」
「握るだけだってば」
「でも」
「‥‥あ‥‥」
「ほら、半助だって動かしたほうが好きなんだ」
「‥‥だめだって‥‥せっかく、気持ち良くくっついてるのに‥‥あ‥‥」
「ね。せっかくだから、気持ち良くなりましょうよ」
「う、ん‥‥だめだってば‥‥」
「‥‥前だけじゃ、足りないですか?」
「‥‥あ、ん‥‥ん!」
「後ろ‥‥ほしい?」
「‥‥あ、あ‥‥」
「指で、いいです?」
「ア‥‥! あ、あ、‥‥もっと」
「もっとですか?はい」
動かすまい、と思うのに。
利吉の指をのんで、腰が蠢く。
もっと深くに、もっと広くに、うがたれたくて。
‥‥平気だと思ったけれど。
意外と利吉の不調は、自分にもこたえていたらしい。
半助は霞のかかりだした頭で思う。
また、当分‥‥こちらだけでも‥‥いいか。
勢いづいて抜き差しされる指に、体が震える。
こらえかねて、声が続けざまに漏れる。
いつもなら、少しは自制を、と思うけれど。
‥‥なんだか‥‥ほんとに、今日は、響く‥‥。
「‥‥もっと‥‥!」
半助は泣きそうな自分の声を聞いた。
「もっと、えぐって」
と。
すっと引き抜かれた指に、すがるように声が漏れた。
だめだ、と言いかけたのか、いやだ、と言いかけたのか。
抜かれた指を追いそうになった腰に、熱く漲ったものが押し当てられた。
「ああ!」
指とは明らかにちがう、圧倒的な質量と密度の、それ。
内臓までが押し出されそうな感覚に、半助は激しく身をよじり、声を上げた。
どくどくと利吉が迸らせたものを体内で受け止めて‥‥。
ほっと、事後の余韻ばかりでもない吐息が利吉の口から漏れるのを聞きながら‥‥。
ああ、よかった。
こぼれそうになる言葉を、半助は口の中に噛み締めた。
了
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