あからさまだよなあ……。
時に土井は嘆息する。
忍びとしては優秀らしいから、場面によってはきちんと感情の露出を抑えているんだろうけれど。
抑えてくれていいよ、わたしに対しても、と土井は思う。そうあからさまに、ねっつい視線で追わなくても、近づいた時に躯を固くしなくても、笑いかけたら嬉しそうにしなくても、いいよ。
剥き出しであからさまで、熱くて一途な恋心。せめてもう少し、控えてくれないかなあと土井は思う。
こっちが恥ずかしいんだよ。幼いね。
口付けを許したのは、ほんの気まぐれ。
こんな自分を求めて、今にも涙が浮かびそうな必死な瞳が、哀れになったから。
焦がれ焦がれた身にわずか触れただけでどれほど喜ぶものか、残酷な好奇心から見てみたくなったから。
だから許した。
唇を吸うことを。口の中を舐めることを。
そう。それは「許してやった」ことなのに。
「あなたにはスキがありすぎる!」
怒られるようになった。
「あなたは無自覚すぎるんです!」
叱られるようになった。
「わたしだからいいようなものの……」
恩に着せられるようになった。
「口付けひとつで我が物顔をされるとは思わなかったな」
つい、本音がこぼれた。
七つ年下の青年は可哀想なほど赤くなった。
「わ、わ、我が物顔なんか、してません! あ、あなたがあんまり無防備だから……」
わざと見せているスキを無防備と言われて、土井は小さく吹き出した。土井にそのつもりがなければ、淫らな想いでは指の一本も触れることができないと、気づかぬ山田利吉の若さがおかしかった。
「わ、笑い事じゃないです!」
利吉はムキになった。
「わ、わたしだからいいようなものの……」
その言い方が、ふと気になった。
誰のことを言っているのか、土井はカマをかけてみた。
「あー! また! 無理に梳ってるし!」
縁側で髪を直していると、今日も飛んで来る生徒。
「だから髪が余計に傷んじゃうんですよ!」
先ごろ、忍術学園に途中入学してきたタカ丸だ。年齢は六年生と同じだが、途中入学ということで四年に編入されている。
このタカ丸、髪結いという職業柄からか、土井の手入れの悪い髪がどうしても気になるらしく、ヒマを見つけては『毛先だけでもそろえましょうか』などと寄ってくる。土井が一年生を受け持っているのも忍術の基礎に不安のあるタカ丸には都合がよいらしく、授業にも屋外活動にも顔を見せ、最近では12人目のは組のようだ。
「あーあ。もったいない。きちんと手入れすればコシのあるいい髪なのに」
土井の髪を一束すくい、タカ丸は嘆息する。
――利吉はこのタカ丸が危険だと言う。
『気をつけないと、あれは絶対に手が早いですよ! だいたい、髪結いなんていかがわしいことを生業にしているから……なにを笑ってるんですか!』
『いや……忍び以上にいかがわしい仕事もないだろうにと思うとね……』
くつくつと笑いが止まらぬ土井を、利吉は睨みつけてくる。
『だからあなたは危機感がなさすぎると言うんです!』
と、言われても。
『相手は生徒だしねえ』
『六年生と変わらない年でしょう! わたしとだってそう変わらない!』
『それはそうなんだけどねえ』
確かに18の利吉から見れば、タカ丸は十分に警戒すべき相手なのだろうが……生徒というだけで、土井にしてみれば「想定外」だ。庇護し、導くべき相手に、「警戒」という言葉はそぐわない。そもそも、生徒相手の性行為からして土井には「問題外」なのだが、それをどう説明しようとしても、利吉には通じない。
『あなたは甘い』
ふーん?と土井は意地悪く思う。
ならばさっさと、この間の続きに持ち込んでみればいい。わたしが甘いと言うのなら。一度ならず二度三度と、口付けてみればいい。――わたしを、自分のものにしてみればいい。
出来もしないくせに。
わたしはそれほど甘くない。
やれば出来ると思っているだけ、見込みが甘いのはそっちだよ。
『さて。次の授業は山田先生の補助に入らないと』
心の中の挑発は口には出さず、薄い笑顔で立ち上がった土井だった。
「土井先生」
ほんの数日前、土井と利吉の間で自分が話題になったと知るはずもない当のタカ丸は、人なつっこく呼びかけてくる。
「ついでですから顔を剃って差し上げましょうか」
「そこまで頼んでいいのかな」
「もちろん。先生にはお世話になっていますから」
うながされるまま、土井はタカ丸の両膝に頭を預けた。
至近距離で目が合った。
あ、という顔を、タカ丸がしたのは一瞬だった。
「もう一度、目を閉じてもらえません?」
話し言葉の息遣いが顔にかかるほどに近い距離。
土井は溜息をつきながら、その顔を押しやった。
「君はいつも客の唇を狙うの?」
ひょいとタカ丸は肩をすくめた。
「まさか。魅力を感じない相手の唇なんか狙いませんって」
土井はもうひとつ大きな溜息をつくと、躯を起こした。
「くのいち教室の女の子でも口説いておいで。生徒に魅力を感じられても嬉しくない」
ちぇーっとタカ丸は口を尖らせた。
「利吉さんはよくて、生徒はダメなんですかー。ひどいなあ」
はあ?と土井は思わずタカ丸を振り返った。
「なんでここに利吉君が?」
「だって先生、利吉さんのことは受け入れてるっていうか、なんていうか。でしょ?」
受け入れて欲しいと常々懇願されてはいるが、土井としてはそれを受け入れた覚えはない。タカ丸の言葉は心外だった。
「大事な同僚の息子さんだよ。妙な意味での関係は持ってないし、持つつもりもない」
そうかなあとタカ丸は首をひねった。
「俺の勘はよく当たるんだけど」
「ヘタな鉄砲でも数打ちゃ当たると言うからね」
土井の冷ややかな口調にも、タカ丸はにっこりと邪気のない笑顔を浮かべた。
「先生の守備範囲が広がったら、その時は教えて下さいね」
ぬけぬけと言ってのけるタカ丸に、つい苦笑が漏れる。
「忍術の勉強もそれぐらい熱心にね」
「えー熱心でしょ、俺。がんばってると思うけどなあ。ねえ、がんばってません?」
客商売の如才なさで、タカ丸は小首をかしげて見せた。
なにを言っているんだか。
土井は嘆息しつつ思う。
わたしが利吉を受け入れている? 七つも年下の青年を? それに、なんだ、守備範囲?
生徒相手に気をつけろと言われたり、彼を受け入れているならいいだろうと迫られたり。
土井にしてみれば、まだ十代の彼らが自分を性的な欲情の対象に据えること自体、なにかの勘違いか一時の気の迷いにしか見えないというのに。
百歩譲って彼らの想いが真摯なものだと認めたにしても、干渉まがいの警告を受けたり、そういう関係を享受しているように思われるのは、不可解を通り越して不愉快ですらある。
わたしはそれほど甘くないよ。
聞く人もないままに、土井は小さく呟いた。
実習の下見の最中のことだった。
山道で、学園を訪れる途中の利吉に行き会った。
もういくつか仕掛けを施してから帰ると言うと、利吉は「手伝います」と意気込んだ。
断る理由もないので、藪の中に一緒に入った。
「先生」
袖を掴まれたのは、茂る木々で背後の道も見えなくなった頃。
「わたしはあれきりで終わりにするつもりはありません」
「あれきりって?」
とぼけて聞き返せば、
「……半月前です。先生はわたしと口付けした」
思い詰めた口調で答えが返る。
「半月前?」
若い真摯な瞳が傷つくさまが見たくなった。
「ああ……そう言えば、君とも口を吸い合ったっけ」
直後、背中を打つほどの勢いで、土井は背後に立つ木に、その躯を押し付けられた。
怒りで目の釣りあがった利吉の顔が間近にある。
「……どういう意味ですか」
「……どういうって?」
なんなんだ、この火のつき易さは。瞬時に怒りが沸騰する、この速さはまさに子ども並みだ。やっぱり、本当に、まだ若い……。溜息をつきたいのをこらえながら、土井は食い入るように見つめてくる鳶色の瞳から目をそらした。
「今の、君ともっておっしゃった、その意味です!」
逃げなど打たせてなるものか。その思いからか、土井の襟元は利吉の両手で掴み上げられた。必死な視線が土井の眼を捉えようと追ってくる。
「君ともって、どういうことですか! どういう……」
「手を離しなさい」
「いやです! ちゃんと答えて下さい!」
衣をつかむ利吉の拳が細かく震えだした。その瞳も、ゆらりと大きく揺らぐ。
「先生は……先生は、わたしのことをどう思っていらっしゃるんですか……気が向いたら、口付けてやってもいい、その程度……? あなたに言い寄る男の、一人でしかない……?」
土井の喉元に頭を押し付けるようにして、利吉はうつむいた。
「あなたには……あなたには、わたしはその程度でしかなくても……わたしはあなたが好きです。……あなたしか、欲しくない……」
目には涙が浮かんでいるのか。「好きです……好きです」、震える声音で繰り返される告白。
「利吉く……」
「相手はタカ丸ですか!」
不意に顔を上げた利吉が噛み付くような勢いで尋ねてくる。
「それとも大木先生? それとも……」
タカ丸に唇を許した覚えはないし、大木とも、この一ヶ月は会ってない。土井が本当のことを答える前に、
「あなたを、誰にも触れさせたくない!」
悲鳴の高さの声が、そう叫んだ。
口付けは、最初からむさぼる激しさだった。
土井の唇をめちゃくちゃに吸い上げ、土井の口腔に舌を躍らせる利吉には、歯が当たらないようにしようとか、傷つけないようにしようとか、そういう気遣いの余裕はまったくないようだった。
下唇を吸われ、内側の柔らかい部分に利吉の歯が当たった。痛いと思った次の瞬間には口の中にじわりと血の味が広がった。
顎を押し上げ、「切れたよ」、そう文句を言えば、利吉の興奮も少しは醒めるかもしれない。そうでなくても、自由な下肢を使って利吉の無防備な腹部に膝蹴りの一発も見舞えばいい。利吉もこれ以上の無体はできないだろう。
そう思うのに……。
血の出たところをぞろりと舐めていく利吉の舌に、土井の唇は半開きのまま、その侵入を拒めなかった。
乱れた息を互いの口の中にこぼしながら、土井はさらに深い口付けを自分が待っているのに気づいた。
――おかしいのに。こんな、若さの勢いだけ、一時の熱病に浮かされた子どもの相手をしてやる必要はないのに。
もう一度、唇を唇で大きく覆われるのを待っていた。血が出るほどに、舌を唇を噛まれて、口の中すべてを嘗め回してもらうのを、待っていた。
最初に唇を許してやった時とはちがう。
乱暴で、一方的で、容赦ない。
おずおずと、緊張で堅くなりながら重ねられた唇も、土井の機嫌をうかがうようにそろりと口中に差し入れられた舌も、今はすべての遠慮をかなぐり捨て、ただ、土井を奪おうと、激しく熱い。
触れさせてやっているという土井の驕りは突き崩される。
それでも、『その気になれば、いくらでも拒める』と思うのに……。
あの時、口付けようとしたタカ丸の顔を押しやったように、利吉のことも押し返せばいいのに……。
手が動かない、脚が動かない。
――甘いのか、やっぱり、わたしは。それとも……。
気持ちのスキを突くように、くるりと躯を回された。
今まで背を預けていた木の幹を、今度は抱くような姿勢をとらされる。
力強い手が、袴の紐を解いていく。
「りき……っ!」
受け入れてなど、いない。まだ、逃げる方策はある。だが、そう思いながら、土井は懐に忍ばせてある苦無を手にすることもできないのだ。
熱く、堅い充溢が臀部の狭間に押し付けられてくる。
足元の一蹴りで、さらに大きく脚を開かされた。
逃れようもない。身構えるより早く、土井の菊門に肉の凶器が押し入って来た。
「ああっ……」
どこまでも熱く猛々しい……それはその凶器の持ち主の想いを体現して、土井の身を穿つ。
……焼ける……。
性急な挿入の痛みか、それとも、求められる想いの熱さか。押し拡げられたソコが、じんじんと熱を持ち、身内から焼かれるような……。
ぐっぐっと短く強い腰の動きに、ついに根元まで利吉自身を飲み込まされた時には、土井は自分でもわからない熱に炙られて、木の幹にすがるように抱きついて、乱れた息をこぼしていた。
ぐずぐずになるまで抱かれた。
引いては突き上げ、引いては突き上げる動きにすら、余裕が持てなかった。
一途な若い想い。
それを上から嘲笑っていたつもりが、蓋を開けてみれば、土井はただ、翻弄され、押し流されるばかりで。
『相性というのがあるからなあ』
利吉と土井の年の差と、さほど変わらぬ年の差の元教師が、不精ヒゲを撫でながら呟いていたことがある。
『死ぬぅ死ぬぅって啼くのはな、技巧だけじゃどもならんっつー話じゃ』
それはご自分の技がないことへの言い訳ですか、その時には裸で腹這いながらも、そんなふうに笑って冷やかせる余裕があったのに。
それがどうだ。
尻だけ剥き出しにされたみっともない格好で、誰が来るとも知れない薮の中、木に抱きついて後ろを突かれて、喘いでいる。
「ん、あ……ッ、ア、ア、ア……んっ……!」
後ろから回った手に、ひとりで立ち上がり、汁さえこぼし始めていたソコを柔らかく握りこまれたら、もうたまらなかった。
最初の激しい情動が過ぎたのか、土井の反応をうかがうように攻め方を変えられ、後ろを穿つ動きと手で擦り上げ、擦り下ろす動きを連動されて、土井はたまらず身をよじった。
「く、うぅ…っ、はっ、あっ……も、もう……!」
「……ダメです……」
後ろから利吉のほうこそ苦しげな声で囁かれて、それにすら、背があわ立つ。
「やめて……差し上げたいけれど……あなたの中が、絡み付いてきて……」
こんなふうに、とでも言いたいのか、掌と指で利吉は土井のモノを包むようにする。
「あ、はあ…!」
穿たれたソコがきゅうっと収縮する。背後の利吉が小さく呻いた。
「……先生。あなたが、好きです」
こんなにも。
血の熱さの肉棒で躯の中を掻き回され、土井は深く利吉を呑んだまま、長く長く吐精した。
あまい声を上げながら。
言い訳のしようがないとはこういうことか。
四肢に力が入らず、ぐったりと木に背中を預けて、土井は観念して目を閉じた。
「ほうら、やっぱりあなたは脇が甘い。無防備すぎるんですよ」、そんなふうに逆に笑われても仕方がない。
だが、土井の耳に届いたのは、
「……すみませんでした……」
申し訳なさそうな小さな声だった。
目を開くと、さっきまでかいがいしく土井の衣を直してくれていた利吉が、悪いことをして怒られるのを待つ生徒のような顔で俯いている。
「こんな……強引なことをするつもりはありませんでした」
させるつもりもなかったよ。
土井は心の中で呟き返す。
「き……」
き?
利吉がなにを言おうとしているのか、わからなかった。
思い切ったように利吉が顔を上げる。
「嫌いにならないで下さい!」
思わず目が丸くなった。
「こ、こんなことを言えた立場ではないのはわかっています! けれど……」
土井は小さく吹き出していた。
「本当に、君は……」
青くて。幼くて。そして、可愛いくて。
「土井先生……」
土井は懐から苦無を取り出して見せた。手裏剣数枚も取り出して見せる。
「……口付けている君は、背後が無防備だったよ。わたしの後ろに立っていた時も……腹部をわたしに向けて、なんの警戒もしてなかっただろう?」
切れ味のよい刃物類を目にして利吉はまばたきを繰り返す。
……もう、本当に。どれほど君は幼くて、そして、わたしはあまいのか。
「……確かに、強引だったけれどね」
指で苦無の刃先を弾いた。
「つまり……そういうこと」
土井としては、それで十分に伝えたつもりだったのに。
「どういうことですか」
利吉は真顔で食いついてきた。
「どういうって……」
「わたしは強引だった。だけど、先生には反撃の機会も手段もあった。それはどういうことですか」
「…………」
利吉の顔に、ほのかな喜色の兆しが見える。土井はわざとぷいっと横を向いた。
「ちゃんとおっしゃって下さい」
「言わなくてもわかるだろう」
「おっしゃって下さらなければ、わかりません」
「わからないなら、わからないままにしておけ」
「先生」
呼ばれた。
「……先生」
深い声で、もう一度。うながすように。
ああ。もう。だから。
「……わたしは君が好きなんだよ。……多分。少しだけだけど」
ゆっくりと利吉の面に喜色が広がる。
抱き寄せられた。
「多分だよ! 少しだけだし、それに……!」
「十分です。……十分です……」
泣き声に変わりそうな声に、土井はそっと吐息をこぼした。
わたしはそれほどあまくない。
――はず、なんだけど。
自分を抱き締める利吉の背に、土井はそっと腕を回した。
了
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