チカンなアナタ

 

 ピチピチ。
 背に手を回した時の、実感だった。
 自分を押し倒した相手を形容する言葉として、これほどふさわしくない言葉もないのではないか。
 そうも思ったが、触れ合った肌の感触はまさしく、「ぴちぴち」。
 男でも女でも、これほどなめらかで張りのある肌を、半助はほかに知らなかった。
 手がその感触を喜ぶままに、半助は己を組み敷く相手の肩から背へと撫で下ろす。
 その動きを、情熱的なものと勘違いしたらしい相手に、
「半助……!」
 改めてきつく抱きしめられて、半助はそっとため息をこぼした。



 齢十八、花さえ色褪せさせる怜悧な美貌の持ち主、山田利吉は、その肌にも若さとみずみずしさを湛えていた。




 言い寄られたコトの最初から、それはなにかの勘違いか若さゆえの思い込みに過ぎないだろうと、醒めた目で見ていた半助だったが、強引さとしつこさに押し切られる形でこうして身体を重ねてみれば、ますますその思いは強くなる。
 ありえないだろう。
 これほど前途有為で、男にも女にも一生、不自由のなさそうな若者が、7つも年上の同性に本気になるなんて。
 その上に。
 なんだ、この身体は。この肌は。
 これほど若さにあふれ、肌理の細かい、なめらかでみずみずしい肌を持った人間が、ほかの人間の肌を乞うか? これほど伸びやかに、均整のとれた肢体を持つ人間が、ほかの人間の身体を欲するか?
「あなたが好きです」
「あなたしか、欲しくない」
 真摯で率直な愛の言葉も、すべて勘違いゆえの言葉に聞こえた。
 これほどに若さと美しさを備えた君に、そうまで言ってもらえるのは、光栄ではあるけれどねえ……



 齢二十五、分別も思慮も備えた土井半助が、そう思っても無理のない、利吉の若さと麗質であった。



 しかし。
 半助のそんな醒めたもの思いとは全く逆に。
 利吉は一度許された関係を後戻りさせるつもりはさらさらないらしく。
 二度三度と、躯を重ねる行為が続き。
「ふ〜ん」
 半助は一人、あごを撫でながら思うのであった。
 これは、かなり、おいしいかも、と。



 半助を責めるのは酷というものであったかもしれない。
 もともと、二十五である。もともと、男である。
 精力盛んなオスである。
 その目の前に……もとい、その身体の上に、みずみずしさにあふれた身体が無防備に情熱的に、重ねられるんである。
 そしてまた、半助がそれまで知っていた半助を組み敷く身体は、決まって半助より年上の、百戦錬磨の忍びの男のものであり、鍛えられた身体という点はさておき、利吉はとりわけ新鮮で珍しい対象であったことも、言っておかねばなるまい。
 とにもかくにも。半助は男であり、そして、利吉は半助を抱いた男たちの中では稀有な条件を備えていたのであった。


   *     *     *     *     *



 朝。
 背中にすうっと風が通るのを覚えて利吉は目覚めた。
 薄く目を開く。
 昨夜も、なかなか乗り気になってくれないつれない想い人を口説き、強引に迫り、抱いた。そうして何度か行為は繰り返しながらも、一方的に自分から求めるばかりな気がして寂しい思いがぬぐいきれない利吉である。しかし、向こうからは決して甘い睦言を返してくれない、だとか、求めるたびに驚いたような顔をされる、だとか、細かい齟齬があるにしても。愛しい人と繋がり快を極めるなどはやはり極上の幸福であって。利吉は一抹の虚しさは感じつつも、昨夜も大事な人を腕に抱き、幸せな眠りについたのであった。
 はずだったのだが。
 目覚めれば腕の中はカラになっているではないか。その上、いつの間にかうつ伏せ寝になっていたらしく、背中まですうすうと寒い。
 ほどもなく、利吉は背中が寒いのは誰かが上掛けをはぐっているせいだと気づいた。
 ……なにごと?
 かすかに首をめぐらせれば、土井の膝が目に入る。
 はん……呼びかけようとして利吉は声を飲む。
 冷たい空気が背中の下部にまで達しようとしている。
 布団がさらに捲り上げられたのだった。
 その時だ。
 利吉はありえない部分に視線を感じた。
 尻。
 尻が、熱い。
 ……なにっ!?
 さすがにバッと顔を上げれば、捲り上げた布団の中をのぞきこんでいた土井と目が合った。
「……………」
「……………」
 怖くてなにも聞けない利吉と、出来れば追求されたくない土井の、無言のやりとりである。
 ニコリと笑い、先手を取ったのは、さすがの年の功、土井であった。
「おはよう。よく眠れた?」
「……はい」
 身軽く立ち上がる土井の後姿には、寝起きに人の尻を眺めていた者のやましさなど、毛ほどもない。
「朝御飯はどうする? 学園まで走るかい? 味噌汁でよければ作るけど」
「……あなたの、手料理が、いただけるなら、なんでも……」
 いいんですけど、ええ、もちろん。続けようとして利吉の声は途切れる。『あれ? 今、わたしの背中をごらんになってました? なにか?』そう何気なく続けたいと思いながら、利吉の声は途切れてしまう。
「干し魚でもあればいいんだけどねえ」
 土井の明るい声が続く。
「……いえ……わたしは、ごはんと漬物で、十分で……」
「それはいけないよ」
 土間まで降りた土井が、ひょいと振り向いた。その瞳がきらりと光って見えたのは気のせいか。
「君はまだ成長期だろう。しっかり食べなきゃ」
 反射的に首を振ったのは、子ども扱いされたくないプライドと、背に走った寒気にも似た悪い予感の両方のせいだった。
「わたしももう18です。これ以上は大きくなりませんよ」
 ぴしゃりと返したつもりだったのに。
 土井の口元に、ニッと笑みが浮かんだ。
「そうかな。君の躯の線は、まだ少し細いようだけどねえ」
「細くないです!」
 土井はもうなにも言わない。
 意味ありげな目線、口元に漂う笑みを残して、土井は利吉の視界から消えたのだった。



 その日、化物の術を使った利吉が商家の若内儀(わかおかみ)に化けたまま土井の家を訪ねたのは、愛しい人と過ごす時間が少しでも長くなるようにと思えばこそだったが。
 つい先日の朝を思い返せば、それは少々、短慮に過ぎたかもしれなかった。
 利吉がそれと気づいて歯噛みする思いになったのは、「お帰り」と出迎えてくれた土井が、珍しくも自分のほうから抱擁の腕を回してくれたまではよいが、その手がするすると己の着物の裾をめくりだした時であった。


「……なにを、なさっているんですか」
 声が上ずる。
 土井の手は利吉の着物の裾をたぐりながら、もう片方の手は利吉の臀部を下からすくいあげるように掴み、あまつさえ、軽く揺すりさえしている。
「な、なにを、半助……!」
「ん〜」
 生返事を返しながら、土井の手は的確に大胆に動き続け、裾をくぐった手はすでに、じかに利吉の臀部に触れている。双丘を撫でさする半助の手の動きは、実にねちこく、いやらしい。それはもう、利吉が勘違いする余地もないほどに。
「半助!」
 たまらず利吉は土井の手をつかんだ。抱き合う身を離し、その顔をのぞきこもうとした。
 と。
 ちゅ。
 鼻先に落とされたのは、キス。
「きれいだね」
 そして、真っ向からの褒め言葉。
「女を装っているだけだとわかっていても、夢中になりそうだよ。君は本当に綺麗だ」
 ……そんな。
 利吉を絶句させるような臆面もないセリフをしらしらと吐きながら。
 土井の自由なほうの手は、太腿をすべり、お尻の丸みを包みこむ。
「君のここはまだ柔らかいね。肌もすべすべだ」
 カッと利吉の身内が熱くなった。
 そんなふうに……相手の恥ずかしい部分に触れながら、言葉で快と恥を一度に煽るようなそんな手管は、まだ利吉のものではなくて。
「ん?」
 笑って、赤くなったこちらの顔をのぞきこむ土井の瞳には、スケベ心とともに、相手の反応をおもしろがる余裕がある。そんな余裕も、まだ利吉のものではなくて。
「やめて……下さいっ!」
 握り締めた土井の手首を、己の身から引き離そうとしながら、利吉は声を絞り出した。
 恥ずかしいのと腹立たしいのが、ないまぜになる。
 土井に、見せ付けられているようだった。経験の差と己の未熟さを。人を口説く時にはこれぐらいの手管と余裕を持とうねと、言われているようだった。そして同時に、君の躯はまだまだ未熟で可愛いねと言われてもいるようで……そうやって土井から、己の身も心も、まだまだ未熟なんだと思い知らされるのが、利吉にはたまらなく恥ずかしく、腹立たしかった。
 だが――
「どうして?」
 笑いを含んだ声が耳朶をくすぐる。土井がわざと唇を耳たぶに触れさせるようにして、ささやいてくるのだ。
「君とわたしはもう、わりない仲だろう? わたしが君の躯をもっと深く知りたくなっても、おかしくなくはない?」
 そうして、土井の指先が、お尻の狭間を割るように蠢いて……。
「やめて、下さいっ!」
 利吉は土井から身をもぎ離そうとしながら、笑みを浮かべた相手を睨みつけた。
 抱かれている相手の温度くらいはわかる。今まで、自分の腕の中で土井がどこか醒めていたのを知っている。それなのに、なのに。君のお尻は柔らかいね、などと言いながら、二人がまるで本当に親密でもあるかのように振る舞うなんて。本当にはそれほど好きでいてくれるわけでもないくせに、躯にだけは興味を持つなんて。
 憤りに、思わず叫んでいた。
「わたしは……っ!」
 にらみつけた相手の顔の輪郭がかすかにぼやけ出した。
「あなたの躯がどうなっているかなんて、知りたかったわけじゃない!」
 土井の目が丸くなったのが、ますますぼやけだした視界の中に見えたが、利吉はかまわず言葉を続けた。
「わたしは、あなたが、好きだからっ! あなたが、好きだから、だから、あなたを抱いたんですっ!」
 あなたの躯がどんなふうかなんて、そんなことじゃなくて。
 あなたの躯が柔らかいか、肌はどうか、そんなことじゃなくて。
「好きだから、抱いたんだ…っ!」
 あなたが好きだから、あなたに触れたかった。
 あなたが好きだから、あなたに受け入れてほしかった。
「……あなたが、好きだから……だからっ……!」
 もう止めようもなく涙があふれだした。
 くやしかった。
 こんなふうに、土井に興味を持たれてしまう自分の躯の未熟さが。
 腹立たしかった。
 こんなふうに、躯にだけは興味を示す土井が。
 それでも、自分はやっぱりこの人が好きで……。
 利吉は涙があふれるのにまかせながら、土井をにらみつけた。


   *     *     *     *     *



 正直、驚いた。
 まさか泣くとは思わなかった。
 半助は、どこからどう見ても雅で美しい女性(にょしょう)にしか見えない利吉が泣くのを、驚いて見つめていた。
 利吉は泣いていた。美しい女のなりをして。傷ついた男の目をして。
 半助はゆっくりと悟る。
 ――傷つけた。利吉の、男のプライドと、真心を。
 先程もぎ離された身体を、もう一度抱き締めた。
「……悪かった」
 その耳元に低く詫びる。
「ごめん。悪かった」
 利吉の腕が、おずおずと半助の背に回されてきた。
「……あなたが、好きです」
 傷つけた。それでも、声を絞るようにそう告げる利吉に、うん、とうなずいた。
「……おかしい、ですか? こんなガキがって……思ってますか?」
 ううん、と首を横に振った。
 君の躯は確かに若さにあふれていてまぶしいけれど。君のその想いまで、若さのせいだと片付けては、いけないのかな。
 紅に赤い唇が、差し向けられてくる。
 逃げずに、受け止めた。
「あなたが、好きです……」
 口の中に、かすかに塩味が広がる。涙に濡れた唇の……。
「好きだから、抱きたいんです……それだけなんです」
 懸命に、気持ちを伝えようとして震える声。
 それを……勘違いだと、若さゆえの勢いだと、片付けては、君に失礼なんだろうか。初めて半助はそう思う。一度も君の言葉を、正面から受け止めたことはなかった、それは、ひどいことだったんだろうか。
「……いいよ」
 半助はずらした唇の合間にささやき返す。
「いいよ……抱きなさい」
 わたしには、まだ、君の想いと同じものは返せないけれど。
 せめて、受け止めよう。君の想いを。
 君の、重みと一緒に。




 半助は床へとゆっくりと押し倒された。


   *     *     *     *     *



 そんなふうに……受け入れてもくれるし、わかってもくれているような顔もするけれど。
 利吉はやはり、寝顔に、剥き出しの肩に、背中に、土井の視線を感じてしまう。
 なにげなさを装った指先がお尻のあたりをすべって行くのも、やっぱり感じないわけにはいかない。
「あなただって十分、綺麗で素敵な躯をしてるのに」
 利吉は本気で思うのだ。
「なぜ、人の躯に興味が湧くんでしょうね」
 利吉の問いに、土井は澄ました顔をしている。
「君の躯とわたしの躯を同じに論じてくれるのは光栄だけどね、全然ちがうよ、全然」
 そうかな、と利吉は思う。
 土井の躯だって、本当にものすごく綺麗で、肌だってなめらかだ。
 確かに、たとえば忍術学園の六年生と自分を比べれば、年齢的には3つほどしか離れていなくても、身体の線は全然ちがう。年齢とともに身体のできあがりがちがうのは、理解できる。でも自分は、だからといって、より年若い男の躯を布団をめくってまでのぞきたいとは思わないし、ましてや、その意に反してさわってみたいとも思わないのだが……。
 そこまで考えて利吉は、そうか!と手を打つ思いになる。
 つい、声に出た。
「オヤジくさいって、そういうことか!」



 たっぷり、間があった。
 土井の黒い瞳はなんの感情も映さずに利吉に向けられていた。
 そして、おもむろに、土井は横を向き。
 聞き取れぬほど低い呟きが、落ちた。




「……クソガキ」



 後にも先にも、利吉が土井に「クソ」呼ばわりされたのは、この時きりであった。

 


                                     了

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