流花無残 三十四話

   
「おまえは俺の犬だから」第三部<輝良>








 城戸泰造が城戸組の跡目を身内以外から決めると公言したとたん、仁和組には静かで大きな嵐が起きた。
 今まで仁和組中枢の勢力争いになんの興味も示していなかった弱小組の組長が名乗りを上げてきたり、そういった弱小組がふたつみっつと連合を組み、「この男を推薦します」とその中の組長のひとりを推挙してきたりといった例が続々と出た。もちろん、仁和組の金バッジ組は穏やかではなく、城戸組と己の組の合併話を持ち出したり、「有力候補」と目された幹部同士の派手な足の引っ張り合いも始まった。
 二葉組から推挙された形の輝良も例外ではなく、二葉武則のみならず躯を使って城戸翁をたぶらかそうとしているといった噂が流された。
 輝良にとってそんな噂は痛くもかゆくもなかったが、大阪府警にいる恋人の存在は噂になっては困る。ふたりが会う時には今までとは逆に、沢や武則の庇護が必要になった。
 炙り出し。
 城戸翁の言葉通りだった。
 仁和組を構成する団体や幹部たちの腹の内が、次々にさらけ出されていったのだった。




 そんな中――。
 輝良はたびたび城戸翁に呼び出されるようになった。
「黄龍を、当てにしたらあかん」
「人を動かす時は、裏切られた時のことも考えぇ」
「これから極道はもっともっと暮らしにくうなる。おまえの金の作り方、動かし方は悪うない」
「大江に自殺されたんはおまえの詰めが甘いせいや」
 行けばダメ出しがほとんど。そしてこれからの仁和組の方向性の話が少し。
 城戸翁の立てた抹茶を飲みながら、言われて庭の木を剪定しながら、輝良は城戸翁の言葉を聞いた。
 耳に痛い言葉もあったが、城戸が己の後継者に教えようと思うことは素直に学ぼうと思う輝良だった。
「今はええ。総長がしっかりしてはる。仁和組はその跡が問題や。おまえには気張ってもらわんと」
「じいさんは、俺に仁和組をまとめてく器があると思ってくれてるわけ?」
 時に茶化して輝良が聞くと、
「器ゆうんはな、どんだけの人間がどんだけ本気で動いてくれるかっちゅうことやねんで」
 と禅問答のような答えが返ってくる。
「ふーん」
「ああ、こらこら。そこの枝は切ったらあかんやろ」
「あかん?」
「あかんわー。おまえ、庭師にはなれんな」
 しかし、城戸翁はそんな祖父と孫のような会話を楽しむために輝良を呼び出すばかりではなかった。
 輝良は城戸の屋敷にいくつか隠し部屋とでも言いたいような部屋があるのを知った。
 裏手から案内されてこっそりと屋敷に入ると、納戸の奥やトイレの奥の隠し扉から窓もない小部屋に通される。なにかと思っていると、そこが座敷の床の間の裏や応接室の暖炉の裏になっていて、訪問者と城戸とのやりとりが筒抜けに聞こえたり、小さな小穴から覗けたりするのだ。
 そこで輝良は、同盟を組んでいるはずの者同士がそれぞれに相手の不利となるような情報を流すのを見聞きした。己の組の組長の裏を暴く者さえいた。
 ほかにも、「ここだけの話」と、自分が後継者になったらどれだけ城戸組に有利になるかと自分のしのぎの実態を晒して自分を売り込む者も多かった。ドラッグの売買、拳銃の密輸入、裏カジノ、売春組織、地下格闘技、臓器売買、名義売り、詐欺……ありとあらゆる犯罪が「秘密の商売」として行われていた。
 どの組とどの組が反目し合っているのか。誰が誰を恨んでいるのか。誰がなにを商売にしているのか。
 二葉組の中だけでは知りようもなかったことを、輝良は一畳もない暗い部屋で学んだのだった。
 確かにそれは、仁和組を掌握していこうという野心を支えるに十分な情報量だった。




 その日も輝良は城戸に遊びに来ないかと声をかけられていた。
 茶を飲みに来ないか、庭木を切ってくれ、メシを一緒に――そんな何気ない誘い文句に出かけて行って、仁和組幹部たちのとんでもない秘密を見聞きするというパターンが多々あったが、その日は本当に城戸は輝良に茶の相手をさせたかっただけらしい。
「このとこ、じじいの相手ばっかさせて悪いなあ」
 茶室の中央に切ったかまどで湯を沸かしながら、城戸はからかうような笑みを浮かべた。
「デートの時間もないんやないか。どや? 警察のあんちゃんとはうまいこといっとんのか」
「まあ……そこそこ」
 城戸の跡目を継ぐ話が出てから、会える機会はまた減った。もし逆の立場で、輝良が熊沢だったら、「俺のことなんかどうでもいいんだろ。やってられるか」と別れを突きつけてさっさと別の遊び相手を物色するところだが、熊沢は「月に一回でも、二ヶ月に一回でも、おまえに会えるならそれでいい」と悟ったような顔で言う。「おまえが俺を好きだと言ってくれるなら、俺はそれだけでいい」と。
 9年も初恋の相手を探し続け、想い続けた執念は、今も生き続けているらしい。
「ええ男や。大事にし」
 城戸の言葉がくすぐったくて、輝良はこれには黙って頭を下げておいた。
「そういえばな、ゆうべ、竜田が来たわ」
「清竜会の……」
 城戸の跡目は清竜会が推挙する清竜会筆頭若頭の島崎と、二葉組が推挙する組長養子の二葉輝良、このふたりのどちらかに決まるのではないかと下馬評では言われていると、輝良は沢から聞いている。
「わしがええ返事をせんからやろなあ。島崎であかんかったら、藤崎やったらどうやゆう打診やったわ」
「……それは……二葉のオヤジが俺を推しながら、裏では沢さん勧めるようなもんでしょ。……相変わらず、気持ちの悪い」
「そんだけ必死なんやな。……せや。わしに女くれるともゆうてたわ」
「はあ?」
「広瀬がおればなんも困らんゆうとんのにな。身の回りの世話に若いのんをってうるさいうるさい」
 竜田勇道は城戸組の跡目をなんとか清竜会の者に継がせようとなりふり構わず必死だ。
『こんなところでじいさんが立てた茶を飲んでるとか、ばれたら八つ裂きだな』
 天目茶碗を作法にのっとって手にしながら、輝良はこっそりと思う。
 その時だった。
「オヤジ。客人です。清竜会筆頭若頭の島崎が折り入ってお願いがあると来てますが」
 広瀬の声がにじり口の外から聞こえた。
「島崎が?」
「はい。おひとりでお見えです。庭先でええんで話を聞いてもらいたいゆうとります」
「庭先て……そないなわけにもいかんやろ。通ってもらい」
 その城戸翁の言葉が終わらぬうちに、
「失礼します。城戸の組長はこちらですか」
 庭のほうから島崎の声が響いてきた。茶室は明り取りの窓が小さくあるだけだが、庭に突き出る形になっていて、その声は壁越しにもよく聞こえる。
「ほ……なんとも気の早い」
 手にしていた柄杓を置くと、城戸翁は腰を上げた。
「おまえはここにおり」
 ささやかれて、輝良はちいさくうなずいて返し、にじり口から出ていく城戸を頭を下げて見送る。ほどもなく、
「なんや、島崎、上がったらええやないか」
 庭にいるらしい島崎に城戸翁が濡れ縁からそう言うのが聞こえてきた。
「いえ。今日は島崎、城戸の組長にたってのお願いがあって参りました。畳の上では恐れ多い。ここからで」
「ほお? 畳の上では頼めんほどの頼みか」
 おもしろがっているらしい。城戸の声には笑いの気配がある。
「城戸の組長」
 ざっと砂利を踏む音がした。島崎の声の位置が低くなる。
『膝をついた?』
 輝良は音だけで壁の向こうの様子を思う。
「お願いです。――城戸の跡目、この島崎に継がせてください!」




「……地べたで土下座か、島崎。なにがなんでも城戸の跡目もろてこいて、竜田に言われたか」
「いえ。今日来たのは俺自身の気持ちです」
 島崎の声がくぐもっている。
「顔、あげえ。……なんや。おまえはなにがなんでもわしの跡目が欲しいんか」
 声は聞こえなかったが島崎はうなずいたらしい。
「竜田のためか」
「……そうです、と答えたいところですが……ちがいます」
「ほお? 聞いてもええか、島崎。おまえ、きのうも竜田についてきたなあ? そん時、できんかった土下座をなんで今しとるんか、わけを聞かせてんか」
 島崎はすぐに答えなかった。壁越しにも緊張が伝わってくるような沈黙だった。
「……俺は……自分の組が欲しい……」
 低く、絞り出すような声だ。その声にひそむ悲痛な響きに、輝良は眉を寄せた。
 島崎は清竜会の若衆を取りまとめて、人望も実績もある。清竜会がここまで大きくなるのに尽力してきたかなめの幹部でもあり、その真面目な人柄は組の内外に知られている。非道でむごいことが平気でできる竜田勇道に仕えながら、穏健でスジを通した采配で知られ、島崎を清竜会の良心とも呼ぶ者もあるほどだ。
 その彼が初めてもらした野心。
「……自分の組がなあ……」
 それを喜んでいるのか、それとも警戒しているのか、応える城戸翁の声は淡々として、感情を読み取らせない。
「……ご存知やと思いますが……清竜会は……極道もんの集まりです……」
 暴力団員は極道者と呼ばれるのだから、ヤクザの組である清竜会が極道者の集まりなのは当たり前だ。だが、島崎がその意味で「極道もん」という言葉を使ったのではないことは輝良にも伝わってくる。
「……竜田のオヤジは……恩義もある、大事なオヤジのことを、こないにゆうて……俺自身の男を下げることんなるとは重々承知……それでも言わしてもらいます。竜田のオヤジは、鬼畜です。人の情も、仁義も、あの人にはなんも関係ない。ただただ……清竜会を強くすること、己の欲望を満たすこと……あの人にとって大事なんは、それだけです……」
『へえ……』
 島崎がまさか竜田勇道のことをそんなふうに見ているとは思わなかった。組のつきあいで見かける島崎は忠義に篤い幹部の顔をしている。
 輝良は壁越しに島崎の声の方向を見つめた。
「組を強くする、己の欲望を満たす……それはそれで、ヤクザもんの正しい生き方やろ」
 やはり淡々として感情の見えない城戸の声が応える。
「……程度、ちゅうもんがあります」
「竜田はおまえの目ぇから見て、程度を超えとるゆうんか」
「……あの人がこれ以上大きぃなったらいけません。誰かが歯止めをかけんと……仁和組は大変なことになる」
「……仁和組が、か。ほしたらおまえは仁和組のために頭下げとるんか」
 人の為と書いて「偽」と読む。城戸の質問にしばらく島崎の声はなかった。
「……いいえ」
 ようやく聞こえてきた島崎の声は低かったが、はっきりと聞こえた。
「いいえ。俺は自分のために、自分の組が欲しい」
「竜田のために働くんは、やめるんか」
「……俺は竜田のオヤジに盃もろて、極道になりました。オヤジのためにやったら、この命も惜しまん覚悟でずっと務めてきました。国の法律やなんや、そんなもんは関係ない。オヤジの言うことが俺の法律でした。……けど……人の情を踏みにじる……人の道をはずれるようなことは……」
 苦しげな島崎の声が途切れる。城戸翁も黙ったまま、庭先が静かになった。
 竜田勇道の非道ともいえるやり口や、裏切り者に対する制裁の凄惨さは輝良も耳にしている。穏健派、良識派と言われる島崎が、その勇道に従うのに苦痛を覚えるのもわかる気がする。
「……ほうか……」
 ややあって、城戸翁が静かにうなずいた。
 けれどそこから先はない。
 どれほど島崎の心がわかろうと、己の組を熱望する気持ちが伝わろうと、城戸組の跡目を島崎にゆずるわけにはいかない以上、その相槌以上の言葉は出せない。
「城戸翁!」
 ざっと島崎が膝を進める音が立つ。
「お願いです! 城戸組を俺に継がせてください!」
「……頭あげえ」
「……組を預けるとのお言葉が、いただけるまでは……」
 輝良の脳裏に、砂利を敷いた庭先にダークスーツが汚れるのもかまわず平伏する島崎の姿と、縁側からその姿をじっと見つめる城戸の姿が浮かぶ。そして、壁一枚隔てた茶室で、正座してそのすべてを聞いている自分の姿。
「……竜田には息子がおるやろ。盛り立ててやろうゆう気にはなれんか。おとなしいタチやと聞いたこともある。おまえが実権握って清竜会を仕切ることもできるんやないか」
 その城戸の問いに、しばらく島崎は答えなかった。
 輝良は壁越しに島崎をにらみたくなる気持ちを押さえて、呼吸を整え、目を閉じた。――覚えている。母親の葬儀にその遺書を見せられ、ショックを受けて駆け出した小学生と、彼を追った島崎の姿。あわや道路に飛び出す寸前に島崎は少年を捉えたが、数秒、立ち尽くしていた島崎を輝良は見ている。
 その時の島崎の胸にあったのはなんなのか。
「……ぼっちゃんは……オヤジに逆らえません……そうやなくても……」
「なくても?」
「『犬』の話はご存知でしょう。……俺ははじめ、ぼっちゃんは友達が欲しいんや思てました。……けど、ちごた。……ぼっちゃんはほんまに『犬』が欲しいだけやったんです」
 吐き捨てるような口調だった。
 島崎は竜田勇道にもその息子にも、人としての情けや道を期待できないと失望しきって城戸のもとを訪れたのだった。
『本当にか?』
 島崎に存在を悟られぬよう、気配を消したまま、輝良は静かに胸のうちで問いかける。
『本当に、その『ぼっちゃん』の心のうちがおまえにわかるのか?』
 竜田政宗が母親と引き離され、勇道の元に来たのはまだ小学校に上がる前だったと聞いている。その幼さなら新しい環境に慣れるのも早かっただろうか。母親から引き離されても、実の父親にすぐなつけただろうか。
 ある日突然、恐ろしい男たちにさらわれて、それまでの日常が断ち切られ、まったくちがう環境に突き込まれる、その恐ろしさと理不尽さは輝良の記憶に生々しく残っている。勇道がまだいたいけな実の息子を愛人代わりにしたとはさすがに思っていないが、それでも、それまでの幸せであたたかな環境を一気に奪われて抗いようもなく、悲惨な現実に置き去りにされた痛みは同じ気がしてならない。
 まだ政宗にも、彼が「犬」として飼っているという少年にも会ったことはない輝良だったが、彼らふたりともに、同じ境遇の者に感じる同情めいた気持ちを輝良は消すことができなかった。
「島崎。おまえの気持ちはようわかった。しかし、城戸組をおまえにやるわけにはいかん。……帰り。今日の話はわしの胸先三寸に留めておく」
「城戸翁! 男島崎、一生のお願いで参りました! ここで帰るわけにはいきません! 城戸の跡目を、どうか……!」
 振り絞るような声のあと、しんと沈黙が落ちた。
 やがて、ぽつぽつと雨が落ちる音が聞こえてきたが、庭先から島崎が動く気配はないままだった。




 夕刻に降りだした雨はやがてざあざあと本降りになった。
 それでも島崎は動かない。
 城戸も縁先に座ったまま動かないのか、広瀬が「これを」と毛布かなにかを差し出したらしい声がしたきりだ。
 輝良もまた、茶室で座ったまま、時間が過ぎるのを待つ。
 雨に降られて地べたで頭を垂れたままの島崎を思う。過ぎる時間の一刻一刻が、島崎の城戸の跡目に対する執着の強さを物語る。
 竜田への苦い思いやその息子に対する不信まで露わにした島崎の、なみなみならぬ覚悟も。
 だが、その島崎に情を動かすような城戸ではない。
 島崎がどれほどの思いで、どれほどの正しさで城戸の跡目を望んでも、彼にそれが与えられることはない。
 城戸の後継者は二葉輝良以外にない。
 それが単に、城戸が自分を可愛がってくれているからだけではないと、輝良はこの「出来レース」のさなかに気づいていた。今、仁和組で勢いがあるのは竜田勇道が仕切る清竜会と輝良の経済力を背景にした二葉組だ。清竜会は新興勢力の取りまとめがうまく、比較的若い組を傘下に収めている。反して、二葉武則は仁和組古参の幹部たちの心証がよく、その支持を受けている。が、古参の幹部たちにもそれぞれの思惑や狙いもあって、一枚板とは言いがたい。そんななかで、古参でも一目置かれているのが城戸組だ。
 仁和組総長・平の了解のもと、輝良が城戸を名乗ることによって二葉組と城戸組が深い縁となれば、仁和組の中枢に太い軸ができる。そうなれば新興勢力をバックにした清竜会がこれ以上大きくなるのはむずかしくなるだろう。
 平も城戸も、清竜会の動きを押さえたいのだ。
 ああもうやめたやめた。
 そう言って投げ出すわけにはいかない重さを輝良は噛み締める。
 極道の世界で大きくなりたい、力が欲しいと願っている自分にとっても、城戸の跡目はゆずれない。
(それにしても……)
 灯りをつけるわけにはいかない茶室の中はどんどん暗くなってくる。庭先の島崎は動かなかった。




 結局、広瀬に「もうお帰りなさい」とうながされて島崎が立ち上がったのは五時間もたってからだった。
「……城戸翁……」
 何時間もうつむいていた島崎の声はしゃがれていた。
「すまんな、島崎。おまえに城戸の跡目はやれん」
 五時間土下座し続けた島崎へ、城戸翁の言葉はきっぱりしていた。
 雨はまた小降りになっていたが、その小さく続く雨音の合間に、痺れ切って力が入らないらしい脚が何度か砂利の上で滑るような音がして、やがて、乱れた足音は庭から消えていった。
「ふー」
 輝良は肺の奥から息を吐いた。屋内で畳の上で、実はこっそり何度か胡坐をかいたり脚を伸ばしたりしていたが、それでも五時間は苦行だった。雨に降られて砂利の上で正座し続けていた島崎ならなおのことだろう。
 ややあって、にじり戸が開いた。灯りを背に、広瀬が顔をのぞかせる。
「輝良さん、お待たせしました」
 呼ばれて出ていくと、城戸は珍しく洋間にいて、若い衆のひとりに脚を揉ませていた。
「お疲れ様でした」
「おお、難儀やったわ」
 口で難儀というが、城戸の顔にはそれほど疲れは見えない。老体に縁側五時間はつらいだろうと思ったが、この老人にはさほどのことでもなかったらしい。
 そして城戸は脚を揉ませていた若衆を「もうええ」と下がらせて、「聞いとったか」と輝良を見上げてきた。
「……清竜会も大変ですね」
 言葉を選んで答える。
「……この組を継げんとなったら、清竜会を手にするしかないわなあ……」
「…………」
 輝良は黙っていた。島崎が竜田を追い落とし清竜会を手中にしたいなら勝手にしろと言いたいが、気になるのは竜田の息子のことだった。ヤクザの息子に生まれたのが不運といえばそれまでだが、跡継ぎの勉強だと、幼少の頃から陰惨な仕置きの場にも立ち会わされていると聞いている。――その彼は組の実力者である島崎の心の内を知っているのか。
「清竜会がどんだけ揉めても……暴れても……仁和組の屋台骨が揺らがんようにしとかなあかん」
 輝良の胸のうちを読んだかのように城戸翁が言った。竜田の息子のことなどほうっておけと言われているような気がしたが、輝良はにっこりと笑みを作った。
「……励みます。……ただ」
「ただ、なんや?」
「いえ……」
 子飼いの島崎に裏切られるかもしれない竜田は気の毒だが、輝良自身もまだまだ手持ちの駒は少ない。城戸組を継いで仁和組で伸し上がっていくには、城戸の広瀬のように、二葉の沢のように、こちらの意を汲み、すべてを飲んで動いてくれるような男が必要だ。
「俺も人を育てないといけないなと思いまして」
 その輝良の言葉に、城戸は「ほほ」と笑っただけだった。




 そんな――いろいろな騒動のあと、正式に二葉輝良は城戸輝良となることになった。
「金に糸目はつけんとお披露目をやれ」
 と言い出したのは城戸だった。むろん、輝良に異存のあるはずがない。
 二葉組の主だった者をすべて集めて、大々的にお披露目をするのは、城戸組と二葉組の権勢を誇示することになる。
 そして輝良が足かけ十三年暮らした二葉のマンションを出ることになったその日の朝――。
「では、おとうさん。長らくお世話になりました」
 輝良はダイニングの床に座って、コーヒーを飲んでいる二葉に頭を下げた。
 戸籍上も、そしてヤクザの筋としても、これで二葉とは切れることになる、そのけじめのためだった。
「……沢」
 その輝良には答えず、武則は己の右腕を呼んだ。
「はい」
 キッチンに控えていた沢がすぐに出てくる。
「おまえな、二葉組は除名や」
「は? オヤジ、なにを……」
「輝良。城戸組に沢を連れてけ」
「え?」
 思いもかけなかった言葉に、輝良はあわてて沢を見る。沢も『俺は知らん知らん』とでもいうように首を振る。
「……連れてけ。沢、輝良を助けてやれ」
「おとうさん……」
「オヤジ……」
 武則は言うだけ言ったとばかりに新聞に目を落とす。その横顔を輝良は見つめた。
 誘拐同然に連れて来られて、力ずくで犯された。十年、愛と欲にまみれてどろどろな関係になった男の横顔を。
「……おとうさん、ありがとう」
 初めて、なんのこだわりもなく、父と呼び、感謝の言葉を口にすることができた瞬間だった。




「竜田政宗です。今日はお招き、ありがとうございました」
「舶来の人形かと思った」




 竜田政宗と城戸輝良。
 己の意に反して極道の世界に連れて来られたふたりは、こうして初めて会ったのだった。









                                             流花無残 終    




Next
Novels Top
Home