可愛いアナタ

 


「ひーろちゃん」
 後ろからもたれかかる。
「今日の帰り、つきあってぇ。新しいケータイ、見に行きたいのぉ」
 あまえた声を出してみたのに。
 回した腕はあっさりとほどかれた。ンもう。ひろちゃんのイジワル。
「ケータイショップなら一人で行け」
「やだ、ひろちゃん冷たい〜」
 知るか、とばかりに立ち上がった横顔に、
「すっかり付き合い悪いじゃん? なに、今日も生物・地学室参り?」
 ちょっとイヤミをぶつけてみる。冷たいほど整った横顔には、なーんの変化もなし。……おーし。それなら。
「ねえねえ、藤井先生ってそんなに可愛い?」
 直球勝負。氷の生徒会長サマの顔にもさすがにかすかに赤みが差す。やった! 勝ったね!
「……河原」
 振り返った顔ににっこり笑いかける。
「いやん。二人だけの時にはコウちゃんって呼んでってばぁ」
 ぴし。美麗な鴻臣(ひろおみ)の眉間にタテじわが寄る。
「宏二」
「なあに、ひろちゃん」
 ぐいっと胸元を掴み上げられた。
「『あの人』のことで冷やかすな。いくらおまえでも許さない」
「やだなあ」
 俺は最上級のホホエミを浮かべる。
「ひろちゃんの初めての本気の恋を、ぼくが茶化したりするわけないじゃん? 幼稚園からずーっと一緒の、大事な大事な幼馴染みの、大事な大事な、は・じ・め・て・の、本気の恋愛だよぉ? うまくいってほしいなあ幸せになってほしいなあって、ぼくが願うのはそればっかりだよお!」
 『初めて』を強調しすぎたせいか、鴻臣はしぶい顔になって、そのまま俺は突き放されるみたいに押しやられた。
「いいか。本気だぞ? 本当に『あの人』のことで邪魔を入れたら……」
「大丈夫だって!」
 俺が大きくうなずいたのを、鴻臣は最後まで疑いの目で見ていたけど。
 もう。
 ホントに本気だってば。大事な幼馴染みの大事な恋、うまく行ってほしいって、俺、思ってるってば! …………不機嫌なひろちゃんの相手って、大変だもーん?





 俺、河原 宏二の幼馴染み、富永 鴻臣は、こう言っちゃあなんだけど、とんでもないヤツだ。人のことは言えないだろうと鴻臣は言うけれど、俺なんかと比べてもヤツは数段ひどい性格をしている。
 特に下半身の節操のなさは俺の比じゃない。
 まーね、それはね。鴻臣の、「綺麗な男の顔」をテーマに一流の美意識を持つ彫刻家に作品を彫らせたら、こうも仕上がるだろうかという恵まれた容貌に、カンタンに引っかかっちゃうほうも悪いとは思うんだけど。
 手当たり次第って言葉がぴったり来るほど、鴻臣は遊んでいた。
 鴻臣の好みは華奢でちょっと内気そうなオトコノコだ。生徒会長っていう立場も利用して、めぼしい一年生はほとんど喰っちゃってるんじゃないだろうか。
 正直言って俺には、白くてまあるくて柔らかいオッパイを持たない人種を「可愛い」と思うことはできない。脱いだら自分と同じものが出てくる相手を脱がせたいとも思わない。だからって、そのセクシュアリティのちがいでひろちゃんの友達やめようとも絶対に思わないけど。人の好みはそれぞれだからね。
 とにかくね、鴻臣は、
「だって、かわいいだろう」
 って理由でカンタンに年下の男のコに手を出し、で、飽きたら……これがまたすぐ飽きるんだけど、ポイ、なわけ。
「ひろちゃん、ひどーい」
 責めても、
「なんでああ単純に、物事すべてを好きか嫌いかで判断しようとするんだろうな。いくら愛らしくても恋だけがすべてみたいな、あの単純さは我慢ならない」
 かすかな嫌悪感さえにじませて吐き捨てるのを聞けば、これはもうどうしようもないんだなと悟るしかない。
「でもさあ」
 俺は言ってみる。
「年下相手にしてれば、それはしょうがないじゃん? それがイヤなら、ひろちゃん、年上探せば?」
 鴻臣は俺の言葉に一応はうなずく。
「確かに年上なら、恋だけにのめりこむような無様な姿を俺に見せまいとするだろうな」
「なら!」
 勢いこんで言う俺に、鴻臣はでも首を振るんだ。
「だが年上は可愛くない」
 ……はあ。
 鴻臣の好み。可愛くて、健気で、でも、恋にのめりこむ姿を見せまいとする分別と理性を兼ね備えた男のコ。そんなコがいるかよって、実は俺も思ってたんだけど。
 いたんだな、これが。
 鴻臣のワガママな要求を満たす相手。
 藤井 仁志。
 ウチのガッコの生物・地学の先生で、この秋、生徒会の顧問になった26歳。うん。実年齢は26なんだけどさ。そうはみえないんだよね。そばかすがうっすら残る白い肌、猫ッ毛っぽいふわふわした色素の薄い髪、華奢な骨格、時々妙に自信なさげになる態度。一応、ブレザーとか着て学校には来てるけど、これでトレーナーとかだったら、絶対、学生にしか見えないと思う。
 その藤井センセが生徒会の顧問に決まったとたん、鴻臣の目の色が変わった。
「前からいいなと思ってたんだ」
 さいですか。
「ちょっと弱気そうで、だけど、一生懸命そうなところが可愛いだろう?」
 顔はモチロンな。俺は心の中で鴻臣の言葉を補足してやる。
「いろいろ楽しみだよな」
 バックバージンかもしれないしな。俺は心の中で鴻臣の願望を補足してやる。
 先生って新しい挑戦だけどさ。ひろちゃん、がんばれ〜って、俺は心の中でエールを送ったのだった。





 人が自分よりエラそうにしてるのが我慢ならないって言うのが、鴻臣が生徒会長なんて面倒なものをやってる理由。
 その鴻臣と一緒に俺が副会長なんてやってるのは、鴻臣を近くで見てるのが面白いからにほかならないワケだけど、藤井センセが顧問になってからの鴻臣は特に面白かった。
「脈ありだと思う」
 目なんかキラキラさせてさ。
「赤くなって視線をそらしたり、恥らう様子がすごくいい。あれは相当にこちらを意識してるんだと思う」
 そう言って時間を見つけては生物・地学準備室に通う熱心さは今までの鴻臣にはなかったものだった。へえって思うじゃん? 鴻臣がそんなに熱心になるほど藤井先生っていいのかなあって。
 だから、藤井先生が初めて執行部会に参加することになった時、俺はものすごくワクワクしていた。鴻臣があんなに熱心になる藤井先生ってどんな人なんだろって。
 その日、初めての生徒会で藤井先生はすごく緊張してたみたいで。うわあって思ったよ。だって、ちょっと腕とか掴んだだけで首筋まで一瞬で真っ赤になるんだぜ?
 そんで、
「あ、ありがとう……」
 なんてどもっちゃったりもして。
 可愛いって形容はミニスカートの似合うなめらかなフトモモを持ったオンナノコにしか使わないのがポリシーの俺も、藤井先生に「可愛い」以外の形容詞を見つけるのは難しいと思ったよ。
 でさ。なるほどねえ、これは可愛いわ、と納得していたら。鴻臣がすんげえ怒った目でこっち見てんじゃん。おー怒ってる怒ってる。面白くなってわざとセンセをかまったら、ますます目が釣りあがっていく。人前では完璧なポーカーフェースの鴻臣が、視線だけとは言いながらむき出しの感情をぶつけてくるなんて初めてで、これはなんかあるなーと思ってたら、会議が終わって片付けもすむなり、鴻臣は無言で生徒会室を出て行って。
 後は知らない。
 知らないことになってる。
 もう暗くなりかけた校庭を抜けて行く、腰をかばうみたいにちょっと不自然に歩いてた藤井センセとその先生にぴったり寄り添って歩く鴻臣を、生徒会室の窓から見てたなんて鴻臣にバレたら、俺、シメられちゃうもん。





 花開くって形容があるけれど。
 こういうことかなって思った。
 藤井先生。
 鴻臣に寄り添われて校門を出て行ったのを見かけて以来、先生はホントに花が開くみたいに鮮やかに色めいて見えるようになった。
 もともと色白でスリムでさ、条件は悪くない人だと思うんだけど、なんていうか、華やかさに欠けるというか、弱気そうなところで損してた部分があったんだけど。それが、ぱあっとあでやかになったっていうか。
 鴻臣は鴻臣で、さすがに周囲に不審がられないようには気をつけていたけど、それでも生徒会の仕事を理由にしての生物・地学準備室への足の運び方は熱心だった。昼休みが終わった後の5限目をさぼったと思ったら、6限目に現れた時には髪が少し乱れていたりもして。
「……ひろちゃん」
 って、俺は人目につく前に、ちょいちょいとタイのゆがみを直してやったりした。生徒会のメンバーにはモチロンのコト、鴻臣の初めての本気の恋がバレないように、ちゃーんと気を使ってあげていたわけ。
 どうしてって……そりゃ、アレじゃん、不機嫌なひろちゃんの相手は大変だからさ。


 そんなこんなで、でも、俺は二人の仲は順調だと思ってたんだけど。
 ある日のことだ。
 鴻臣が珍しく弱音を吐いた。
「家に誘ってもらえない」って。
「その分、学校でイチャイチャしてるんだからいいじゃん?」 
 俺が思わずそうツッコむと、鴻臣はきゅっと眉根を寄せた。
「……おまえがなにを想像しているかはだいたい見当がつくが……それは外れてる」
「え? ハズレ?」
 苦渋をたたえて鴻臣はうなずいた。
「うまく最後まで持ち込めるのなんて、一週間に一度あるかないか……とにかくガードが固いんだ。ぼくは教師だ、ここは学校だと言い張って」
 ……うーん。それでも一週間に一回は学校でナニしちゃってるわけですね。やっぱ、ひろちゃんすごいわ〜。
「なら家にお邪魔しようと思っても、これもガードが固くて」
「ねえねえ、ひろちゃん、」
 俺は鴻臣の顔をのぞきこむ。事態をはっきりさせておくのも俺の仕事だから。
「もしかしてひろちゃん、愛されてない?」
 どうやら俺はひろちゃんの痛い部分を思い切り突いてしまったらしい。ひろちゃんの眉間のシワがぐっと深くなった。
「……それは……大丈夫だと思う。……いや、確かに好きだという言葉はもらっている。大丈夫だ」
 俺はちょっと押し黙る。
「……百戦錬磨の鴻臣が、珍しく弱気なんだ?」
 低く問えば、
「……恋に溺れてくれない。あんな人は初めてだ」
 鴻臣の声もやっぱり低い。……え。でもさ、それって。
「相手が恋だけにのめりこんじゃうと、鴻臣、ひいちゃうんじゃなかったっけ?」
 だったよね、確か。
「…………」
 鴻臣は無言で横を向いた。その横顔にあふれる苦悩は今までのひろちゃんが見せたことのないもので。
 これってば、もしかして、俺の出番? 





 いつも自信にあふれ、余裕のあるひろちゃんがそんなに悩んじゃっているなら。
 俺が手伝ってやるしかないじゃん? だよね?
 大事な幼馴染みで、親友で。……そう言うと、ひろちゃんは「誰が親友だ、誰が」と、厭そうに眉を寄せるけど。でも、ひろちゃんがそんな話できるの、俺だけだろ?
 俺は鴻臣のために一肌脱ぐことに決めた。
 決めたら後は早い。
 俺はその日のうちに鴻臣のいないときを狙って、生物・地学準備室に先生を訪ねた。
「藤井先生、ちょっとお時間いただいていいですか?」
 こういう時は、一見、明るくて好人物そうに見えるらしい自分の容姿に感謝する。めったに表情の崩れない鴻臣とちがって、俺はふだんは感情があけっぴろげなせいか、あまり人に警戒心を持たせないらしいから。
「あ、なに、河原君」
 あーやっぱ先生の笑顔はいいわあ。くどいようだけど、俺にはそっちの趣味はないけどさ。確かに癒し系だよね、先生は。
 その笑顔がくもっちゃうのは申し訳ないけど。ま、これも鴻臣のためだから。
「あの……少々、ご相談申し上げたいことが……」
「どうしたの」
「生徒会のことなんですけど」
「生徒会?」
 先生の眼鏡の奥の優しい瞳が意外そうに大きくなった。
「文化祭も好評のうちに終わったし、なにかあったの?」
「ぼく……」
 俺は言いよどむように下を向く。
「どうしたの」
 うながす声も穏やかだ。こういういい人を苦しめるのはちょっと気が引けるけど。これも鴻臣のため、ひいては先生のため。
「生徒会、今のままじゃいけないと思うんです」
 思い切ったように顔を上げて、俺は続けた。
「生徒会は先生もご存知のとおり、富永のリーダーシップによってまとめられてます」
「……そうだね」
 鴻臣の名に先生は一瞬ドッキリ来たみたいだけど、俺の言葉にうなずいた。
「富永君はがんばっているね」
「でも、生徒会は富永のリーダーシップによってだけ、まとまってるんじゃあ、ないんです」
 先生の目が丸くなる。
「先生、ハーレムって知ってます?」
「え? あ、ああ、後宮のことだろう? トルコとかあっちのほうの……」
「生徒会は富永のハーレムなんです」
 あ。おもしろい。
 瞬間、俺は申し訳なさも忘れて、そう思ってしまった。先生は一瞬だけ真っ赤になって、それからすうっと蒼ざめた。
「富永って魅力的じゃないですか、だから」
 先生の目が泳いだ。
「そ、そん……そんな、なんの根拠も、ない……」
「根拠ならあります」
 ここでひるんじゃ意味がない。俺は堂々と胸を張った。
「ぼく自身が富永の愛の奴隷の一人なんです」
 愛の奴隷。口にした瞬間に自分で噴き出しそうになって俺はあわてて口を押さえた。
「……そんな……」
 膝においてる先生の手がコブシに握られ、ぶるぶる震えるのが見えた。
 十分過ぎる効果を確認して、俺はまとめに入った。
「そういうの、やっぱりよくないと思って。一度先生にご相談したかったんです」
 でも、もうなにを言っても先生の耳には入らないみたいで。
 俺は辞去の言葉を口にすると、唇までまっさおになってしまった先生を残して部屋を出たんだった。


   *      *      *      *      *      *


 昼休みに訪ねたときは。
 やっぱりガードが固くて、キスしかさせてもらえなかったけれど。
 でも、先生の瞳はキラキラ輝いて俺を見ていた。と、思う。
 しかし。
 放課後の先生は、固く強張った顔で、
「もうこういうからかいはやめてほしい」
 俺のほうを見ようともしないでそう言った。
「どういうことですか」
 そらされる視線が不愉快で、俺は先生の腕をつかむと強引に俺のほうを向かせた。
「あ……!」
「からかい? なんのことです?」
 ぐっと顔を寄せれば、先生は泣きそうな顔で下を向く。
「先生」
 少々強い力で、あごを掴んで上向かせる。
「……仁志。どういうこと?」
 無言で顔をそむけようとするのを、ぐっと力を入れて押し戻す。
「答えて下さらないと、離せません」
「だ…だから、こういうからかいは、もうやめてくれって……」
 先生の瞳に切なげな色が浮かんだ。
「お、おもしろかったんだろう……? ぼ、ぼくみたいにみっともないのが本気になって……き、君なんかと付き合えると、本気で思ってるのかって……わ、笑ってたんだろう?」
 どういうことだ?
 先生の瞳からは今にも涙があふれそうだ。
 確かに付き合い始めた当初、先生はしきりに「ぼくなんか」と自分を卑下する言葉を口にしていた。「君のように綺麗な子とぼくが釣り合うわけがない」とも、何度も聞いた。先生自身だって、十分、標準はクリアしてるんだからそんなものを持つ必要はないのに、先生には容貌の整った男女にコンプレックスがあったのだということも、今ではわかっているが……。
 俺は眉間にしわを寄せる。
 今の先生の表情には、どうもそのコンプレックスが再発しただけとは思えない深刻さがある。どうしたというのか。
「先生、なにを言ってるんです」
「……か、河原くん一人でも……ぼくなんか、かなわない……」
 あいつがまたなにかしたのか! 瞬間にカラクリが見えた気がして、つい、
「宏二がなにを?」
 聞いてしまったのがまずかった。
 先生の瞳が大きく開いた。
「……こうじ……?」
 失言だった。
「いえ、実は、彼とぼくは……」
 幼稚園から同じで、と言いかけたところで、先生は俺を突き飛ばした。
「もうやめてくれ!」
 先生は耳をふさいでしまう。
「聞きたくない! 頼むから、これ以上みじめな気持ちにさせないでくれ……!」
 俺は憮然と立ち尽くす。
 自分のイジワルで先生を泣かすのは平気だが、こんなふうに手の内にないところで泣かれるのは別だ。
「先生、わたしを見て下さい」
 首を横に振られる。
「先生……仁志。話を……」
 また首を横に振られる。
 宏二が一枚噛んでいるのは間違いないが、こうまで拒絶されると別の怒りが湧いて来る。
 俺は先生が自分の耳を押さえている、両の手首を握り締めた。引き剥がす。
「とみな……」
「先生。わたしはあなたに何度も言った。好きだ、本気だ……愛していると」
 今まで誰に言ったこともない言葉を。あなたには捧げた。
「なのに、あなたはわたしの言うことをなにひとつ、本気にしていないんだ!」
 先生は首をまた横に振った。
「もう……やめてくれ……これ以上……からかうな……」
 目の前が赤く染まった気がした。
「あなたが……そこまでわたしを拒むなら……いい」
 歯止めのきかない怒りが大きくふくらんで、身の内を満たす。
 先生の手をつかんだまま、足払いをかけた。
 先生が態勢を崩す。
 そのまま俺は先生を押し倒した。





 今までにも。
 強引に迫ったことはある。
 だいたい初めての時からして、レイプまがいの強引さだったことは認めざるを得ない。
 その後も……「ぼくなんか」の自己卑下とコンボで繰り出される「ぼくは教師だから」の言葉に苛立って、実際、俺はずいぶんとひどいマネを先生にしてきた。教師の立場と節度を守ろうとする先生は職場で生徒相手に性行為を行うのを嫌がったから、逆に職域を汚すようなことを俺は先生に強要した。
 いやがる先生にキスを重ね、その間ずっと、手で先生の股間を淫らに撫でさすっていたのは、何度目のときだったか。
「……ダメ……だよ、ア……こ、こんな……」
 制止の言葉の合間に喘ぎに近い声が漏れ、先生自身もスラックスの中で窮屈そうで。
「ダメ?」
 思うさま先生の濡れた舌を吸い上げ、それでも先生からいつもの『やめなさい』が出てこないことに気をよくしながら、俺は先生に向かってささやいた。
「ダメなのは先生でしょう? 先生は先生なのに……学校の中で、ほら、ココをもうこんなにして……」
「……アッ、ああ……っ!」
 布越しに、根元から先端まで爪で引っ掻くようになぞり上げたら、先生の躯がビクリと震えた。
「もう、先から出てるんじゃないですか? ……いいんですか? このままだと染みになっちゃいますよ?」
「と、富永……」
「二人の時は、鴻臣だと言ったでしょう。ほら、お仕置き」
 呼び間違えたお仕置きは、親指と人差し指できゅうっと左の乳首をつまむこと。シャツの上から思い切り。
「……!」
 先生は無言で身を折った。椅子に腰掛けたまま先生は上半身を伏せたけれど、そのうなじは赤く染まり、その全身は込み上げるなにかに震えだすのをこらえているようで。
「……もしかして……感じた?」
 俺は先生が快感に耐えていることを確信しながら尋ねた。
「先生、ほら……スラックス、脱がないと。染みになってもいいんですか」
「ひろ、おみ……」
 俺は先生のベルトに手をかけ、ファスナーを下ろした。
「腰、上げて……。ね?」
 羞恥と戸惑いで顔を真っ赤にしながら、先生がおずおずと腰を上げたところを、一気に引きずり下ろした。もう完全に上向いた先生自身が露わになった。
「……こんなになってる。いけない人だ」
 俺はそう言って、でも、鈴口から透明な液をにじませているソレが可愛くて。頭部をすぽりと口の中に含んだ。
「あっ! だ、だめだっ! やめなさいっ!」
 先生の手が俺の頭を押しやろうとした。
 ――感じてるくせに。
 いつもそうだ。本当は可愛くて、すぐにめろめろになるくせに。先生は崩れまいとする。「ぼくは教師だよ」「ここは学校だよ」そんな建て前ばかりを口にして、俺を拒否しようとする。
 日ごろの鬱憤がたまってもいれば、おあずけの続いた不満もたまっていた。
 俺は先生の股間から顔を上げた。
「……そうですね。こんないけない先生には、まずお仕置きが先ですね」
 先生が頼りなげに、そして不安そうに、立ち上がった俺を見つめた。俺は優しく先生に笑いかけた。
「さあ、先生も立ってください」
 手を引いて立ち上がらせた。
「な、なにを……鴻臣……」
 上はブレザーを着たままの先生を、机を回り込み、カーテンが引かれている窓際に立たせた。窓は運動場に面しているが部屋は3階にあり、運動場と道路を隔てた二階建てのアパートからでも直接に中をのぞきこまれることはないだろう。だが、窓際に人が立てば、それは運動場の生徒たちからはよく見える。
 先生を窓に向かって立たせ、俺は勢いよくカーテンを開いた。
「ひっ、鴻臣っ!」
 先生が悲鳴じみた声を上げる。
「大丈夫ですよ、下半身が裸だなんて、誰にもバレません」
 俺は先生の背後から先生を窓に押し付け、動きを封じてささやきかける。
「あなたが不審な動きさえしなければ、外からはこんなことをしてるなんて、わかりませんよ」
 言いながら、先生のすぼんだままの後ろの口を探った。
「あ! ひろお……っ!」
「ほら。そういうふうに、」
 俺は笑った。
「喘いであごを上げたり、首を不自然に振ってしまうと、バレますよ?」
「やっ、やめなさいっ! と、富永っ、やめろ!」
 必死に俺の腕をつかんで制止の声を上げる先生が可愛くて。
「やめられません。……ほら」
 俺は俺の猛ったモノを、先生のお尻の狭間に押し当てた。
「……俺も、もう、こんなだから」
「鴻臣っ!」
 先生の悲鳴がもっと聞きたい。もっともっと困らせて、もっともっと……喘がせたい……。
 窓越しとは言え、人に見られるかもしれない恐怖に身をすくませている先生を、俺はゆっくりとその背後から貫いた――





 そういうことをしたこともある。……もしかしたら、俺のそういう強引で少々羞恥プレイ気味な行為を警戒するあまり、先生はガードを固くしていたのかもしれないとは思う。
 しかし、誓って。
 先生をただ傷つけたくてそういう行為を行ったことは、俺は今まで一度もなかった。
 だけど……。
「鴻臣っやめろっ……あっ!」
 床に押し倒した先生に覆いかぶさった時の俺には、怒りの衝動しかなかった。なぜ、わかってくれないのか。そのもどかしさを先生にぶつけて、先生を苦しめてやりたかった。
 抵抗する先生の腕を床に押し付けた。
 膝で乱暴に脚を割った。
 噛み付くようにキスをした。
「仁志」
 唇をむさぼる間に名を呼んだ。
「仁志……仁志、好き……」
 倒れた拍子に外れたのか、先生の手の近くに飛んでいた眼鏡が、その時、カシャリと音を立てた。
 思わずそちらを見た。
 眼鏡は割れていなかった。
 よかったと思った。
「……富永君……」
 先生の細い声が俺を呼んだ。
 眼鏡を掛けていない先生の瞳から、すうっと一筋涙がこぼれた。
「ぼくも……君が、好きだよ……」
 俺はなにをしようとしたのか……。
 怒りの部分が急速に小さくなり、やるせなさが取ってかわる。
「……すみませんでした……」
 先生の上からどいて、身を起した。
「……どこも……痛くないですか」
 先生はだけど、俺の質問が聞こえなかったかのように、
「ぼくも……君が好きだ……」
 繰り返した。
「だけど……だけど……か、河原君、泣いて……!」
 なに?
 メガネを取り先生に手渡そうとして、俺は動きを止めた。
 あいつが? なんだって?
「あ、遊びだって、し、仕方ないよ……! き、君は、こ、こんなに綺麗で……」
 先生、その部分はいいですから。そう言いたいのを俺はこらえて先生の次の言葉を待った。
「でも! か、河原君が泣いてるのに……っ! ぼ、ぼくは……!」
 先生の目から、また涙がぽろぽろっと床へと流れ落ちるのを見送って、俺はゆっくりと口を開いた。
「河原が泣いたのは、小学校の運動会で背の低さを理由に応援合戦の団長を下ろされた時だけですが?」
「……え?」
「あいつが泣くとしたら、悔し泣きだけですよ、絶対」
「で、でも! な、泣いたんだ! 河原君……!」
 ふーん?
 俺は腕組みをして、先生を見下ろした。


   *      *      *      *      *      *


 冷たい床の上に押さえつけられて、無理矢理キスされた。
 ――それでも、この子が好きだと思った。





 彫像めいて、非の打ち所のない綺麗な顔を歪ませて、「……好きだ……」と告げられる。
 僕もだよ! 僕だって君が好きだ……!
 涙がこぼれた。
 こんな年上で、こんななんの取り柄もない僕が、みっともないだろう、おかしいだろう? でも、僕は君が好きだ。君にとっては遊びでも、それでもいいから……。
 でも……。


「河原君が泣いてるのに」


 涙がどっとあふれた。
 僕は教師なのに、なにをやっているんだろう?
「あいつが泣くとしたら悔し泣きですよ、絶対」
 富永君はそう言うけれど、納得できなくて首を横に振った。『僕は彼の愛の奴隷』そう言って河原君は泣いたんだ!
「じゃあ直接ヤツに聞いてみましょうか」
 ちょっと考えてから富永君はそう言うと、携帯を取り出した。すぐに河原君が出たらしい。
「富永だ。……うるさい。おまえに大事な話が……うるさい! 大事な話だと言ってるだろう! 今度つまらん冗談を口にしたら、本気で殴るぞ。
 ……いいか。おまえに話がある。今日だ。時間を作れ。合わせてやる」
 待ち合わせ場所を打ち合わせて電話を切った富永君が、少し迷ったような顔で僕を見た。
「今日、6時に待ち合わせることになったんですが……河原が先生も一緒に来てくれって」
 待ち合わせ場所になった駅の名前を聞いて、驚いた。
「それ……僕の家の近くだよ……」
「……実は、」
 富永君が低く、目線を落としながら言いにくそうに口を開いた。
「あいつ……河原ですが……知ってるんです」
「え?」
 ワケがわからなくて目が丸くなった。
「なにを?」
「その……ぼくと先生の関係を」
「え?」
 僕はそれでも事態が把握できていなかった。
「僕と、君の……?」
 深くうなずく富永君を見て、ざっと全身の血が引いた。
「し、知ってるって……え、あの、まさか……!」
「ぼくと先生に肉体関係があると、ぼくたちが恋人同士だと、河原は知っているんです」
「ど、ど、ど、どうしてっ! な、な、なにっ!?」
 声が裏返る。僕はパニクっていた。
「先ほども言いましたが、ぼくと河原は幼稚園からの付き合いで……隠しておけなかったんです。ですが、誓って言いますが、全校生徒の中で、ぼくとあなたの関係を知っているのは彼だけです。その点は信じてくださってけっこうですから」
 なんだか頭がまっしろで、なにをどう考えていいのか、見えてこなかった。
「とにかく、ヤツはあなたと一緒に話したいと。あなたに迷惑をかけるのは本意ではありませんが、きちんと誤解は解いておきたい。すいません、つきあっていただけませんか」
 どういうことだ? どういう……。すぐには考えがまとまりそうになかった。僕は混乱したまま、富永君の言葉にうなずいていた。






 駅前のロータリーの端で、河原君が手を振っていた。富永君ももう来ていて、河原君の横でしぶい顔をしている。
 学校から直接帰って来たぼくとちがって、一度家に帰った二人は私服だった。
 ネオンと街灯に照らされた富永君の私服姿を見て、一気に鼓動が早くなった。
 カッコいい……。
 ブレザーの制服姿も彼によく似合っているけれど、紺のタートルに濃いグレーのジャケットを合わせた彼は制服よりも一段と大人びて見えた。
 隣に立つ河原君はぐっとくだけた感じでパーカーを羽織っているけど、やっぱりすごく彼に似合っていて、二人が並んで立っていると道行く人が振り返っていく。小学校の時には背が低かったとか言うけど、180近いはずの富永君と並んでいても河原君は全然見劣りしなくて……お似合いかも。そんなふうに思ってしまった自分が恥ずかしくて顔が熱くなる。
 なのに、
「じゃあ、センセーんち、連れてってよ」
 河原君が平然とそんなことを言うから慌ててしまった。
「え、な、なに、僕の家っ!?」
「だーって」
 河原君はニヤリと笑った。……あれ? こんな笑い方をする子だったっけ?
「俺ら今からもつれた男関係の善後策を話し合うんでしょー? 万が一にも人に聞かれちゃマズくないですかぁ?」
「なにがもつれてるんだ!」
 横からすかさず富永君がツッコむ。
「だいたいおまえはどういう……」
「ほら」
 河原君は富永君をさえぎった。
「そういう話をスタバとかでするわけ?」
「わ、わかった」
 僕は言っていた。
「僕の家へ……。言っておくけど、汚くて狭い安アパートだよ?」





 そんなわけで……。
 富永君と河原君は僕のアパートに来ることになったんだけど……。
「せ、狭いだろう? か、片付いてないし……」
 小さなキッチンのついたフローリングの8畳ばかりの部屋と、寝室に使っている四畳半の畳敷きの部屋。どちらもなんだかこまごまと物があふれていて、僕は恥ずかしくなる。
「へー、住み心地のよさそうな部屋じゃないですかー」
 河原君は明るくそう言ってくれたけど、富永君は無言で部屋を見回していて……呆れられたかな、やっぱり。だから富永君にはこの部屋に来てもらいたくなかったんだけど……。
「す、座って。今、コーヒーでも淹れるから」
「あ、どうぞおかまいなくー」
 そう言いながら、河原君はラグの上に置いてあるローテーブルの脇にあぐらをかく。富永君は立ったまま、そんな河原君をじろりと睨み下ろした。
「こんなヤツにコーヒーなんか要りません。おい、河原、なにを我が物顔に座り込んでるんだ。立て」
「い、いいよ!」
 僕は慌てて二人の間に割って入る。
「と、富永君も座ってよ」
「そうだよ、ひろちゃんも座りなよ」
 富永君と河原君にクッションを勧めようとしていて……僕の手はぴたりと止まった。……ひろちゃん?
「おまえ、ほんとにずうずうしいな」
 そう言いながら腰を下ろす富永君の口調も、そりゃ当然なのかもしれないけど、怒ってる感じはするんだけど、やっぱりくだけてて……。
「だって、突っ立って話してても仕方ないじゃん?」
「遠慮の問題だ、遠慮の」
 あ……なんか、入れないかも。
 すぐにそう思ってしまうのは、どうしようもない僕のコンプレックスのせいかもしれないけど……。褐色の肌にくっきりした二重の瞳で、ちょっと南国の血が入ってるのかなって思わせる河原君と。白磁のような肌で、こちらは北欧系の王子様みたいな富永君と。やっぱりお似合いだ。そんなふうにすぐに思ってしまう自分がみじめだけど……。
「へえ。じゃあさあ、遠慮のし過ぎでよそよそしいほうが、鴻臣、好きなの?」
 思わず顔を上げると、こちらを見ていた河原君と目が合った。
「もっときちんと自分にぶつかってきて欲しいとか、他人行儀は寂しいとか、ひろちゃん、思わないんだ?」
 ぎゅっと胸を押されたみたいな痛みが走った。
「俺の好き嫌いはどうでもいい」
 ぴしりと富永君がさえぎる。
「宏二。きちんと先生と俺に、ウソをついてごめんなさいと謝れ」
 ええーっと河原君は不平そうな声を上げた。
「全部が全部、ウソじゃないもーん。生徒会は実際、俺やおまえと付き合いたいヤツばっか集まっちゃってるようなもんだしさ、俺がおまえの愛の奴隷っていうのも、ウソってわけじゃないじゃーん。ひろちゃんのこと、俺、愛してるもーん」
「なにが『愛してる』だ。おまえのそれは『おもしろがってる』の間違いだろう」
「あ、あーっ! そういうひどいこと言うんだ」
「それに生徒会。元カノだの元々カノだの今カノだの、話をややこしくしてるのはおまえ一人じゃないか」
 ちょっと意外な気がして僕は河原君を見た。河原君はやっぱり学校では今まで見せたことのないような笑い方でニッと笑った。
「付き合ってくれって言われるから、優しくしてあげるだけだよ、俺は」
「節操なし」
「ひろちゃんにだけは言われたくない」
 富永君はこほんとひとつ、咳払いした。
「とにかく。俺とおまえが関係あるような言い方をしたことを、きちんと俺と先生に謝れ」
 河原君は、『謝る前に』と前置きして、僕に正面から視線を当ててきた。
「先生に聞きたいんだけど、もし、俺が言ったことが本当だったら、先生はどうする?」
 改めて尋ねられて絶句する。
「もし、ホントに鴻臣と俺が深い仲だったら、先生、どうする? 俺にさっさと鴻臣ゆずって、自分は身を引く?」
 ねえ、先生、どうする。重ねて尋ねられる。富永君も僕の返事を待つように、口をつぐんだままだ。
「……ど……どうって……」
「どうするの」
「……ど、どうもこうも……ぼくは……教師で……だから……」
「だから? 生徒にゆずってくれるの? 教師ってそんなことまで生徒優先なわけ?」
 僕は首を横に振った。
「生徒優先とかそういうんじゃない。ただ……教師なのに……こんなことしてていいわけないのに……」
「先生。先生は恋愛を立場でするの?」
 え、と思った。河原君の黒い瞳が静かに僕を見ている。
「俺ら、生徒だよ。先生は教師だよ。でも、俺らは生徒である前に、河原宏二だし、富永鴻臣だよ。先生だってそうだろ。先生である前に、先生だって藤井仁志って個人だろ。先生が、誰かと取り合うくらいなら、そんな面倒なことするぐらいなら、鴻臣のことはいらない、それほど好きじゃないって言うなら仕方ない。でも、そうじゃないなら。ちゃんと鴻臣のことが好きなら。教師だとか生徒だとか、建て前ばっかぶってないで、きちんと鴻臣のこと、欲しがってよ。独占して、独占されなよ」
 コーンと頭を殴られたみたいな気がした。
 教師とか……生徒とかじゃなく……? 好きなら……?
 ――欲しがっていいのか……?
 かすかに眉を寄せて自分の手元を見つめている富永君の横顔。端正な容貌。……こんな綺麗で、こんなに秀でた子を、僕が欲しがってもいい……?
「先生、どうしよう?」
 その声はするりと耳に入って来た。
「先生がいらないなら、俺、このまま鴻臣連れて帰るけど?」
 すごく自然に問いかけられたせいだと思う。
「い、いる!」
 僕も自然に答えていた。
「富永君は置いていってほしい!」
 にっこりと、河原君は微笑んだ。




   *      *      *      *      *      *




 確かに、願ってもない展開だが。
「じゃあ」
 と、腰を上げた河原が、立ち上がりざま、
「貸しね」
 小声で囁いて脇腹を突いて来た。
 河原に借りが出来たことだけは、いただけない。
 こいつはいつもそうだ。おちゃらけた顔をして、自分は無害だという顔をして。いつも肝心なところは押さえている。だから安心なのだとも言えるのではあるが。
 そうだ。今はそれより。
 俺はあたふたしている先生に視線を移す。
「ご、ごめん……」
 先生は一人で真っ赤になって、なんだか今にも泣きそうに見えた。
「ほ、ほしいとか言っちゃって……その! と、富永君がイヤなら……か、帰ってくれていいから……!」
 ――なんでこの人はこんなに可愛いんだろう。
「……お仕置きですよ、先生。今は二人きりだ。さあ、胸を出して」
 擦り寄ったら、先生はますます赤くなった。
「ぼくは、嬉しかったんですよ? 先生。先生がきちんと、ぼくをいると言ってくれて……」
 俺は先生の首に腕を回した。
「ありがとうございます。こうして……先生の家にいることを、許してくれて」
 口付けて、そのままゆっくりと体重をかける。ラグの上に先生を押し倒した。
「こ、こんな狭い部屋で……」
「まとまった、素敵な部屋です」
「こ、こんなみっともない僕で……」
「とても可愛らしい、素敵な人です」
「と、年上で……教師で……」
 自然と笑みが漏れた。
「それはもう言わないんじゃないんですか?」
 思いついた。
「そうだ。二人きりのときに『富永君』と呼んだらお仕置きするように、今度から『教師だから』と口にしたら、お仕置きにしましょうか」
「え!」
 色素の薄い瞳が丸くなるのをにっこりと見下ろした。
「じゃあ決まりです。『教師だから』と口にしたら、あなたの可愛い口で……」
 キスしてもらいます、と言ったら。
 どこに、とつっかえながら聞き返してくるから。
 耳元でいやらしい言葉を囁いた。
「そ……!」
 焦る先生はもう首筋も真っ赤で。
「でも、とりあえず、今日はいいですから」
 俺はその首筋に顔を埋めて、先生を抱き締める。
「かわりに……あなたの中に入れさせて……」
 もう。
 怒ったような声で言う、先生の吐息が耳元で震えて。
 可愛い人。
 俺は腕の中の愛しい人を抱き締めた。




   *      *      *      *      *      *




「貸しね」
 と囁いたら、鴻臣は一瞬、すっごくイヤそうな顔をした。
 ほんっとにさあ。
 ふだんは鉄壁のポーカーフェースで全然かわいくないんだけどさ。
 氷が溶けるみたいなその瞬間がたまんないんだよね。
 俺は道路から、出てきたばかりの部屋を見上げる。
「がんばってね、ひろちゃん」
 小声でエールを送る。
 だってこれでうまく行ってくれなかったら困るじゃん? だーってさ。不機嫌なひろちゃんの相手は大変だからさ。
 ねえ、ひろちゃん、知ってる?
 機嫌のいい時のひろちゃんってさ、実は、ちょっと、可愛いんだよ?






                                                       了



 

Next
Novels Top
Home